36 やけど程度では済まさない
モブ相手ですがちょっとだけざまぁ回。
つい二週間前まで、主な移動手段は足だった。さもなければ軍馬に騎乗するか、仕事の一環で荷馬車の御者をごくたまにやるかやらないか。
それが今やどうだろう。せいぜい荷馬車くらいが身分相応だった人間が、公爵家の家紋が刻まれた豪華な馬車に搭乗している。
馬車の中はまるで一つの部屋のようだった。普段は鞍か、もしくは板の上にじかに座るか。そんな生活だったのに。
「落ち着かないな‥‥‥」
おもに視界が。
白地に金の唐草模様の内装も、透き通ったガラスや天井のランプも。そして何より、ドレスからちらちらと覗く白い素肌と、スカートからのびるほっそりとした脚。
‥‥‥下は、絶対に直視するわけにはいかない。
胸元からわずかに覗く、蠱惑的に柔らかそうな谷間の存在を先ほど鏡で確認しているからである。
入れ替わってからの二週間。スノウは自分との戦いだった。
ふとしたときに湧き起こる誘惑を鋼の理性でなんとか撥ね退け抑圧し、いざという時は瞑想で己を無にすることで煩悩を打ち消してきた。
自分は騎士で、臣下である。そう言い聞かせながら。
はっきり言って、お嬢様生活を偽装するよりこっちの方がよっぽど骨の折れる作業であった。
「早く元に戻らないとな‥‥‥」
――何事にも、限界はある。
密かに想い続けてきた相手の体が、思いもよらない形で自分のものになってしまったのだ。‥‥‥知りたくならないはずがない。
(眩暈がする)
スノウは視線を膝の上から窓に投げ、嘆息した。
ガラスの向こうには、これから向かうライオット家の屋敷の明かりが遠くに見え始めている。
舞踏会が始まるまで、もう間もなくだった。
♢♢♢
舞踏会を主催したライオット侯爵家は、オーディン領と王都の丁度中間地点に大きな邸宅を構えている。
辺境に鉱山を一つ抱えており、そこで採れる純度の高いマナ鉱石を国内で取引することを生業にしている。オーディン領から近いということもあり、貴族の中でもとりわけて裕福な一族だとスノウも把握していた。
邸内に入ると、まず目につくのは敷地内を幻想的に照らす、不思議なディテールの魔導式街灯の数々。それと人の二倍はあろうかという、クリスタルによく似た巨大な鉱石と、おそらく魔法による仕掛けだろうか――形を変える色とりどりの照明。
まだ邸宅に入ってもないというのに、贅を尽くした風景に開いた口が塞がらなくなる。
(いったいこれだけのものを集めるのにどれくらいかかるんだ‥‥‥?)
途方もない。オーディン領の城下町にある初期型の魔導式街灯一本でさえ、今でも300万ベルは下らないというのに。
そこで窓の外でフワフワと浮遊するランプに気が付いた。スノウを乗せた馬車を導いているのがわかり、絶句する。
(旦那様が催し物を開きたがらないわけはこれか)
スノウは納得してしまった。きっとライオット家程ではないにしても、貴族達は目玉が飛び出るような金額をたった数時間につぎ込むのだ。もちろん今のオーディン家には、とてもできない芸当である。
舞踏会を開きたくないというより、開けない。
スノウは途方に暮れたような顔で溜息を吐いた。
(‥‥‥この景色を見るのが自分で良かったのかもしれない)
年に一度だけ――オーディン家でも小さいながらパーティーを開いていた。リチアの誕生日に。しかし、今ではそれもやめてしまった。
『‥‥‥みんな嫌味ばかりだから、悔しくて‥‥‥貧相だって言うの。もうこんなパーティーなんて二度とやりたくないわ』
(‥‥‥)
スノウは、幼い頃のリチアの泣き顔を思い、そっと視線を窓から外した。
「‥‥‥ようこそおいでくださいました」
馬車を降りたスノウを出迎えたのは、ライオット家の老執事だった。
広々としたエントランスホールに通されたスノウは、頭上の巨大なシャンデリアを見上げる。思わず足を止め、息を呑んだスノウに、
「こちらでございます、公女様」
老執事が穏やかに正面の階段へと促してくる。
賑やかな声と、緩やかに奏でられる楽団の音色を耳に、スノウはとうとう会場となる大ホールへと足を踏み入れた。
「オーディン家より、リチア・ディ・オーディン様――ご到着!」
新たな来賓を告げる声に、ホール手前が一瞬しんと静まり返った。
ちらりと密かに向けられる視線。その全てに好奇と嫌悪が混じっているのが分かる。
『なんて場違いな‥‥‥』言葉で云うならそんなところだろう。スノウは直感する。
どうやらブレア地区での活躍は貴族達には一切響かなかったらしい。中には嫌悪を通り越して、剥き出しの悪意に満ちた目線を向けてくるものもいた。
数年間社交界を留守にしていた公女の来場に、一時的にホール内がざわついた。
「あの変人の娘がなぜ出てきたんだ? もう落ち目だろうに」
「一度捨てられた女は憐れねぇ‥‥‥わざわざ白いドレスを着てまで婚約破棄を無かったことにしたいのかしら」
「崇高な力で平民を救って自己陶酔でもしてるんだろ。どうせ自作自演のくせに、厚かましい」
「へぇ~顔はいいな‥‥‥誰も手を付けないんなら俺の情婦にしてやってもいい」
「オーディン家だろ? そんなの金を見せれば一瞬だ。喜んで自分から股を開くさ」
それもそうだな!と嗤う声。
(‥‥‥救いようのないクズだ)
思わず手の甲に筋が走る。力み過ぎて軽くピキッと音まで出た。
スノウはそこでふと、テーブルに目をやった。様々な料理が並んでおり、そのそばには小皿やグラス、カトラリーが一式揃えられている。視線がそれらを順に辿り、端にあるトーションナプキンで止まる。
スノウがトーションにそっと手を伸ばした、丁度その時、
「これはこれは‥‥‥驚きましたなぁ」
一際煌びやかなジュストコールを身に纏った男から声を掛けられてしまった。
スノウは手を引き、剣呑な表情を引っ込めると男に振り返った。
「お返事は頂きましたが、まさか本当に公女様がいらっしゃるなんて‥‥‥いやはや、誠に光栄なことです」
意外なものでも見た‥‥‥というような驚いた表情に、取ってつけたような口調。それでいてかなり挙動不審な男は、リチアの姿を前に掌を必死に揉んでいる。
張り付けたような笑みは、どういう訳か完全に引き攣っていた。黙ったまま表情を変えないスノウに、男はますます落ち着きを無くす。額に汗を浮かべながら、男が言った。
「――も、申し遅れておりました! わたしはグリード・ライオット。このライオット家の当主でございます。ハインツ様はお元気で? ‥‥‥あぁ、しばらくお目に掛かっていないので、そのー-今度は是非お父上とご一緒に‥‥‥では、失礼」
スノウが挨拶を返す間もなく、グリードはそそくさとホールの奥へと戻っていってしまう。
黙ったままのスノウに気を悪くした様子は微塵もなかった。ただ何かに怯えて逃げるように去っていった。
リチアが本当に来るとは思わなかったのだろうが、それにしても挙動がおかし過ぎる。
(建て前で届いている招待状だとはお嬢様から聞いていたけど‥‥‥随分あからさまだな)
スノウは冷ややかにグリードの背中を見つめた。
‥‥‥どうやら公爵令嬢リチアはこの場にお呼びではないらしい。
(こうなったら曲が始まる前に本命を見つけるしかない)
できればオーディン家と友好な関係を築いてくれそうな人物をついでに探したかったのだが、もはやそんな雰囲気ではなくなってしまっていた。
主催者がとっとと引き上げてしまったのを見たせいか、周囲にいた貴族たちが興味を失くしたように視線を逸らしてしまったのだ。珍しく招待に応じたので、何か有益な情報でも持ってきたのかもしれないと、何かしら目的があるはずだと多少は期待もあったのだろう。
だがしかし、そんな彼らの好奇心を満たすものをこの少女は持っていない‥‥‥そう判断されたらしく、一旦集中した注目は良い意味でも悪い意味でも消え去ってしまった。
「社交界なんて滅んでしまえ‥‥‥か」
確かに、厄介な戦場だ。スノウは再び和やかな空気を取り戻したホールに呆れた視線を流した。
「――リチア嬢」
またしても声がかけられる。それも、今度は一人ではなかった。
見ると、若い男が三人、口元に薄い笑みを浮かべて立っている。どこか鼻に着くような笑みである。先ほど、リチアのことを情婦にでもしようかと話していた三人だった。
「‥‥‥何でしょうか?」
スノウはにべもなく応じた。
三人の若者の視線が、スノウの足元から頭の先まで品定めするかのように這いまわる。一人は脚を。一人は顔を。一人は胸元を。気に入った箇所で目を止める。
胸元の男がいった。
「初めましてリチア嬢、いい夜ですね。‥‥‥良ければ一緒に楽しみませんか? 非公式とはいえ久しぶりの公の場はなかなかお疲れになるでしょう?」
わざとらしくグラスを上げる仕草で誘う。名乗りもしないくせに、失礼なことに視線は相変わらず首の下から動かない。
スノウは失笑した。
「いいえ結構です」
「まぁそう言わずに! リチア嬢と仲良くなりたいだけなんですよ、私達は」
そう脚の男が笑い、続いて顔の男がいった。
「ブレア地区でのご活躍の話でも詳しく聞かせて下さい。僕の父上もあなたの事を称賛していたんですよ? なかには偽善だと言う輩もいますけど、僕も父と同じでそうは思わない。あなたは弱者の為に慈悲を施した。それはまさに正義だった」
「弱者に慈悲を与えたから正義ですか‥‥‥」
スノウが小さく呟く。男の腕がこっそり背後に回った。
「人を弱者と呼ぶ貴方と、貴方のお父上に賞賛されても嬉しくありません」
腰に触れようとしたその寸前で、腕をパシンと叩き落とした。
「いだっ‼」
「――失礼、虫がいたので」
スノウが冷ややかに述べる。
すると、それを見た胸元の男が、にわかに双眸を細めながら口を開いた。
「少々頭に乗りすぎてないか? リチア嬢?」
僅かに声を低くし、せせら笑う。
「長らく留守にしていた社交界に急に出てきたと思ったら‥‥‥もう君の序列は地に落ちたんだよ、分かるだろう? 弱者が弱者を助けたくらいで社交界の何かが変わるとでも? 地位も身分も危うい、そんな憐れな君を俺達が相手してやろうって意味‥‥‥少しは喜んだらどうだ?」
ガラリと表情が変わり、瞳の奥に隠していた歪んだ欲望が露わになる。頭の中ではすでに目の前の少女を好き放題弄ぶところまで飛んでいるのかもしれない。それくらいあからさまな態度だった。
脚と顔も、二人して同じような顔になった。
「俺達が一曲ずつ踊ってやりますよ? このまま端っこで立っているだけじゃ、ますます笑い者になるだけではないですか」
「それでも足りなきゃ別の慈悲でも差し上げましょうか? いくら要ります? あぁ、それとも“やもめ”のお父上にウチの使用人でも紹介しましょうか? お父上と同じく平民出身なんですが女子爵で――‥‥‥」
刹那、不自然なタイミングで言葉が途切れた。
その直後、胸元の男が持っていたグラスが手から落ちた。
――否、男はグラスを持ったままであった。落ちたのは丸みのある上の部分だけ。まるで鋭い刃物で切ったかのように、グラスは根元からスパッと途切れていた。
パリンとガラスが割れる甲高い音があたりに響く。中に入っていた液体は飛散し、男たちの足元を赤く汚した。
男三人は、何が起こったのか分からない顔で凝固している。だが三人とも、眼だけはスノウの手元を凝視していて‥‥‥一枚の板のように水平に広がったトーションナプキンが、スノウの人差し指と中指に挟まれている。
再び周囲から視線が殺到する。何事だ?と。
ワインの飛沫がかからないように、ドレスの裾をやや持ち上げていた左手を離したスノウは、不満そうな顔でトーションナプキンを軽く仰いだ。
「あまり切れ味は良くないですね。一度試してみたかったんですが‥‥‥さすがに素材は選ばないといけないみたいだ」
ハァ、と溜息などを吐く。すると、重力に逆らって板状になっていたトーションが、力が抜けたかの如くふわりと垂れ下がった。
「それとも‥‥‥もう少し練習が必要なのかな?」
言いつつ、スノウはトーションからチラリと男たちに視線をスライドさせた。
男三人があからさまにビクッとする。さすがに、グラスを切った犯人を理解したようだった。
スノウはニッコリと笑った。
「あら、丁度いい。よろしければ私の練習相手になっていただけませんか? お望み通り、貴方達三人がお相手だと助かります」
「は‥‥‥え?」
「あぁ、そうでした。私は弱者ですから、あなた方に何をしても社交界には何一つ影響なんてしませんよね? とても良いことを聞きました。私はとても運がいいですね?」
リチア本人から教わった“上品っぽく見える微笑み”を顔につくる。
急激に顔色が悪くなっていく男達を尻目に、スノウは今度テーブルの上の花瓶から薔薇を一輪抜き取った。それを、離れた位置に置かれた鶏の丸焼きに狙いをすませ‥‥‥
「そういえば、一緒に楽しみたいんでしたっけ? せっかくですからゲームなんてどうでしょう?」
素早く投げつける。
薔薇は見事に鶏のど真ん中を貫き、そのままテーブルに深々と突き刺さった。
たまたまそばにいた来賓がギョッとした顔でこちらを振り返る。薔薇は枝どころか花弁ごと硬化していたようで、鶏には薔薇のサイズ大の穴がぽっかりと空いてしまった。
弓矢を超える威力の薔薇。男たちは完全に顔色を失った。
“(何なんだ、この女は――!?)”
――聖女が物理で脅迫だと!? いやいや、これは魔法か!? わけがわからない‼ わからなさ過ぎて怖いっ‼
ズササッ!と引き退がった男達に、スノウが囁くようにいう。もう一本薔薇を手に取り、くるくると器用に回しながら。
「そんなに不安がらなくてもいいのに。狙いは外しませんから‥‥‥安心してください」
なおニコリと微笑んでみせた――その時。スノウの手から薔薇が、誰か別の人物の手によってひょいと抜き取られた。
「‥‥‥リチア、そこまでにしたら?」
どこか楽しそうな声音が両者の間に割って入る。周囲の貴婦人たちからは感嘆の溜息がもれた。
スノウは思わず困惑し、
「‥‥‥どうして、あなたが‥‥‥」
横やりを入れたその人物をまじまじと見つめた。
「なかなか面白いことになってるみたいだね? ねぇ? リチア?」
クスリと優美に笑う。現れたのはスノウ自身――つまり、リチアその人だった。
明日更新できな分を本日投稿しました。
読んでくださりありがとうございます。
やっと一個目のスカッとを書けた‥‥‥!




