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34 帰り道にて、放心

 一人で馬を走らせた夜道を、今度は二人乗りで戻っていく。


 ノアの背中――鞍には少女が跨り、その後ろで少年騎士が手綱を操る。ついこの間まではこの少女の細腰に騎士が縋って、ただただ振り落とされないように必死でしがみ付いていたのだが、そんな頼りない少年騎士も今ではそれらしく軍馬を乗りこなすようになっていた。


 とはいえ、二人乗りで主導権を握るのは今夜が初めてである。途中で落馬なんて事態にならないように、ひとまず緩めの駈足で城下を目指した。


 手綱を握る騎士の腕の中では少女が――もといスノウがムスッと顰め面をしたまま前だけを見つめていて、それを後ろから覗き見た騎士――リチアは恐る恐ると声を掛けた。


「あ、あのさ‥‥‥スノウ」


「なんです?」


 ツンとどこか拗ねたような口調だった。


「‥‥‥怒ってる?」


 あえて訊く事でもないのだが、思わず訊いてしまって、


「別に、怒ってません」


 その返答を聞いて、リチアはすぐに後悔した。


(怒ってるじゃない! 明らかに!)


 悪いのは自分なのに、妙に言い返したくなってしまうのを理性で堪える。怒ってないという人に限って大概怒っているのよね‥‥‥なんて思いながら、リチアは忍びない胸の内を明かした。


「勝手にあなたの家に上がり込んでしまった事は謝るわ。私は他人なのに、本当に軽率だった‥‥‥ごめんなさい」


 間接的にとはいえ命を助けてもらったお礼がしたかったの。精一杯の謝罪を籠めて詳しい経緯を話していく。リチアが話し終えると、スノウはしばらく黙り込み、やがてハァと深く溜息を吐いた。


「‥‥‥お嬢様のお気持ち自体は嬉しいと思ってますよ。でも、入れ替わっているんですから、もう少し自重してくださらないと」


 スノウは小さな肩を竦め、頭一つ分高いリチアの顔を見上げた。


「マナ操作ができる人間は()だけじゃないんです。一人のときに何かあったらどうするつもりですか」


「うっ‥‥‥ティティにも同じことを言われたわ」


 そうでしょう? とスノウが嘆息する。


「バレたのが弟だけだからまだ幸いかな‥‥‥セイルは昔から勘が良かったから。でもこれが仮に敵だったらと思うと‥‥‥本当に気を付けてください」


「‥‥‥はい」


 リチアがしゅんと項垂れると、スノウはやや面食らったような顔をして、


「‥‥‥っ! 分かってくださればいいんです!」


 何故かフイっと視線が逸らした。


「こちらこそ、弟がすみませんでした」


「‥‥‥ううん」


 気にしないで、という意味でリチアは首を横に振った。


「‥‥‥」

「‥‥‥」

「‥‥‥それだけ?」

「え?」


 なぜかキョトンとした顔でスノウが振り返る。え?と言いたいのはむしろリチアの方だった。


 入れ替わっている事情ゆえに致し方ないのだが、スノウに成りすまして家に上がり込んだ事を当然怒ると思っていたのに。その上、実害はないかもしれないが結果的にセイルを巻き込んでしまったのだ。

 なんでそんな馬鹿なことをしたんだ! と、さすがの温厚篤実(おんこうとくじつ)なスノウでもキレたって不思議ではないとリチアは踏んでいた。


「もっとその、いろいろ怒るかと思ってたから‥‥‥」


 ありのまま吐露した言葉が尻すぼみに消えていく。わざと怒られたいわけではなかったが、怒られないことの方が、リチアにとってはよっぽどモヤモヤしたのだ。


(自分で言うのもどうかと思うけど‥‥‥)


 私が公爵家の人間だから何も言わないのだろうか? ふとそう思い――どうしてか、少しだけ胸が痛んだ。

 そんなリチアの云わんとしている事を、スノウは的確に悟った。

 悟った上で、とある懸念を主張する。


「――全くです。何も言わずに僕の家に行くなんて、これが本当のお嬢様の姿だったら父がどんな解釈をしたか‥‥‥不安で不安でたまりません」


 スノウは言いつつ、げんなりと顔を歪めた。


『“未成年なんだから、清い関係を心掛けるんだぞ”』


 曇りなき笑顔でとんでもないことを口走ってくれた、かの父親の科白が脳裏に蘇る。スノウの表情から察するに、どうやらあのハッピーな性格は昔からのようだ。

 清い関係‥‥‥がどのようなものなのか詳しくは知らなかったが、そこでふとまたタイミング悪く脳裏に一つの映像が、稲妻のように過った。


 ――つい数時間前に起こった、風呂場での事件。


 どう思い起こしてもあれは、全っ然、清くない。不純だ。つまり清い関係とは――。


(まさか――私達、そんな風に思われている可能性が!?)


 不安で不安で‥‥‥そういったスノウの気持ちが、今では死ぬほどよく分かる。


「‥‥‥確かに、ヤバい(・・・)わね、それは」


 リチアもぞぞ~っと青ざめた。


(どうしよう、そんな噂が領内で広がっちゃったら‥‥‥あのお父様を発信源に)


 ――いや、そもそもだ。あの風呂場での事件があったからこそ、スノウには何も言わずに出てきたのだった。顔を合わせたくなくて。リチアはハッと思い出し、にわかに気まずくなる。

 それなのになぜ普通に会話しているのか。しかも馬に二人乗りで。


(スノウは何とも思ってないわけ?)


 それはそれでムカついた。体が入れ替わっているから今更と言われればお終いだが、今まで誰にも見せたことがないような部分を、しかも一時的に元に戻った状態で見られたのだから。

 すると懊悩としているリチアの表情に何を見たのか、スノウは全くもって明後日の方向に解釈をした。


「まぁ父に正体がバレたわけではないですし、贈り物も別にやましい意味はないと理解はしているはず。十日も経てば忘れてますよ。弟もお嬢様が不安視するような事は思わないはずですし、仮にそう疑ったとしても弟の性格上他言はしません。僕も旦那様を心配させるような事なんてできませんし、先ほどのあれは‥‥‥無かったことにします。ですからご安心を」


 どうしてか、最後の一言に安堵するどころか、グサッときた。


「あ‥‥‥そう」


 リチアは一瞬、放心した。


(あんなに悩んだ私は一体何だったの?)


 悶々とした思考が丸ごと消え去り、なんとも言えない虚しい気持ちだけが胸に残る。

 釈然としない気持ちをスノウに悟られたくなくて、リチアは能面のような表情を顔に張り付けると「じゃあ私もそうする」となかば棒読みで同意した。


「そうね、そうよね‥‥‥うん。もしまたあなたのお父様に会いに行く機会があったら、その時は足を治してあげるわ‥‥‥うん」


「‥‥‥お嬢様?」


 半笑いのリチアに、スノウは不思議そうな顔で首を傾げた。

 古びた街路灯だけの歩路から、いつの間にか綺麗に整備された石畳へと景色が移り変わる。規則正しく並んだ魔導式街灯の明かりに照らされた道を、リチアはノアを少し早めに走らせた。





「それにしてもスノウ、あなたどうやって家まで来たの?」


 オーディン城に戻り、ノアを厩に戻した後でリチアはスノウに訊ねた。


「徒歩でも行けない距離じゃないけれど、妙に速すぎる気がするんだけど?」


 スノウの家にいた時間は実際そう長くはない。長く見積もっても体感せいぜい三十分も経っていなかったように思う。買い物や移動時間を含めて考えたとしても、普段運動なんかしない少女の足では、どんなに頑張ってもその時間内で辿り着くのは厳しいはず。

 これに対し、スノウはどこか困ったように眉を八の字に下げ、やや言葉を濁した。


「それは‥‥‥たまたまディアムが城下に用があったみたいで、途中まではついでだからと送ってもらったんです」


「ふーん‥‥‥?」


 リチアは眉を上げ、何食わぬ顔でスノウを見つめた。


「そうなの? ディアムが?」


 再度確認するように訊ねるが、


「――はい」


 おかしいわね、リチアは心の中で首を傾げた。

 ディアムとは一緒に城下に行った。それこそ質屋の前までは彼に案内してもらったのだ。その後でリチアが「もう戻っていいわよ」と断ると、「あ! なら俺も少し息抜きしてきていいですか?」と、一人で繁華街の方に行ってしまった。

 わりと遊び人なディアムのことだ、あの後「やっぱり帰ろっかな」とは、すぐにはならないと思うのだ。寄宿舎の明かりも全室消えていたし、彼はまだ城下のどこかをほつき歩いているはず。


(なんで嘘なんか吐くのかしら‥‥‥)


 疑問でしかない。ただ単純にどうやって来たのか知りたかっただけなのに。なにか後ろめたいことでもあるのだろうかと勘ぐってしまう。


「ディアムと一緒にね、一緒に‥‥‥もしかしてスノウ、あなたティティに黙って城から出てきたんじゃ――」


 ギクッと、スノウがあからさまに肩を跳ね上げた。

 はは~ん‥‥‥なるほど。リチアは察する。


「どうやって来たのかはともかく――ティティにダンスの復習でもしようって命じられたんでしょう? 本当は私が心配で来てくれたわけじゃなくて、鬼のダンスレッスンから逃げたくて城から出てきたのね?」


 スノウの額から冷や汗がだらだらと滲みだした。視線があらぬ方向を彷徨う。

 何てわかりやすいの‥‥‥リチアは笑った。


「アハハ! あなたにも意外な一面ってあるのね! そんなに嫌なの? しかもディアムを巻き添えにするつもりだったなんて‥‥‥ふふっ!」


「違――いや、違くないですけど! 沐浴の件で僕がどんな酷い尋問をされたとお思いで!? その流れで『さぁレッスンを始めましょうか』だなんて‥‥‥罰ゲーム以外の何物でもないですよ! 八つ当たりする気満々じゃないですか‼」


 声を上げてリチアが笑う。スノウは少しむくれた顔で、おかしいわとばかりに、お腹まで抱えるリチアを見やった。


「フフ‥‥‥! まぁ、それついては悪いと思ってるわ。後で私からもティティに言っておくから」


「‥‥‥それだけですか?」


「じゃあ今度は少し手加減してあげるから‥‥‥そうね、明日はゆっくり踊ってあげるし、あんまり怒らないことにするわね。だからそんな顔しないで? 一緒に‥‥‥――っ⁉」


 刹那、リチアはとある重要な事に気が付いてしまった。


「ちょっと待って‥‥‥っ」


 たちまち青ざめ、絶望したように頭を抱える。そんなリチアの様子に、スノウは狼狽えながら「どうしました?」と恐る恐る訊ねた。


「どうしよう‥‥‥すっかり忘れてた‥‥‥!」


 直後、リチアはスノウに詰め寄り、その華奢な肩を掴むと叫んだ。


「舞踏会なのに――パートナーがいない‼」


 朗らかだった雰囲気は、秒でお通夜と化してしまった。





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