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32 ”エルクリス” その3

「はねっかえりが強いところは若い頃の俺にそっくりだなぁ‥‥‥」


 ニヤニヤ笑いを引っ込めた父親が眉毛を八の字にして呟く。当時の“はねっかえりが強い”自分の姿でも思い出しているのか、少し感慨深そうな表情をしたところで、ふと「あぁ、そうだった」とリチアに向き直った。


「それよりスノウ、今日はこのままうちで寝るのか?」


「え‥‥‥」


 セイルからパッと視線を外したリチアは、キョトンとして数回目を瞬いた。


「――あ、いや、すぐに帰るつもり。明日も早いし」


 少し慌ててそう断ると、父親は残念そうな顔で「そうか」といった。


「じゃあ、少しでもゆっくりしていきなさい。突然帰ってきたのは何もこの贈り物の為だけじゃなかったんだろう?」


「えと‥‥‥うん」


 何と返したらよいか分からず曖昧に肯いたリチアに、父親は優しかった。


「お前には色々苦労をかける。この足のせいで父親らしいことは何もしてやれないが、せめて話を聞くぐらいの事はさせてくれ」


 にこりと破顔される。


(‥‥‥足?)


 そこでようやく、リチアはこの父親が歩けない事実を知った。


(あぁ‥‥‥そういうことだったの‥‥‥)


 ――スノウが何故オーディン家に心服しているのか、少し分かったような気がする。これまでのスノウとのやり取りの中で、いくつか思い当たる節があった。


 昇進の話が無くなったわけじゃないと知った時の心底ホッとした表情。私物は本当に必要最低限で、かつほぼ全てにおいて直した形跡のある徹底した節制ぶり。給金のほぼすべてを実家に送り、それでも足りない分はハインツ(リチアの父)からお金を借りて賄っているという事実。


(スノウが一人でこの家族を支えてるんだ‥‥‥)


 歩けない父親の代わりに。


(‥‥‥おかしいと思ったわ)


 スノウの才能なら、もっと上手い生き方をいくらでも選べたはずなのだ。


 貴族の専売特許ともいえる魔法の源――マナ。遺伝的要因が強いものの、まれに“マナ持ち”は平民の家庭でも生まれる事がある。

 マナの才能がある子供は、多額の金品と引き換えに養子に出されることが多い。それも能力値が高ければ高いほど、こぞって引き取ろうとする貴族がいるから高値が付く――と、何年か前の夜会で誰かが密かにそう言ったのをリチアは偶然耳にしていた。


 つまり身も蓋も無い言い方をすれば、スノウほどの素養があれば、交渉次第では平民でも一生働かなくても困らないだけのお金を受け取ることもできたはずなのだ。家族には慎ましくも平和な生活を、そして自分にはそれ以上の幸福に満ちあふれた人生を。

 スノウならば――リチアには身を持ってそれが分かる。しかし、彼があえてそうしなかった理由は――。


(‥‥‥理屈じゃないのね、スノウ)


 けして裕福ではないものの、微笑ましく暖かな家族。リチアから見れば足りないものだらけで不自由このうえない場所なはずなのに、彼らの笑い声ひとつでそんなことどうでもいいようにさえ思える。この家族の在り様が、スノウの人となりを示しているようだと、リチアはそう思った。




「ねぇねぇ、プレゼントの中身、もっと見てもいい?」


 和やかに再開された話題は、恋愛の話からやがて贈り物の使い道についての話題にシフトしていった。

 リチアが400万ベルで用意した贈り物は、毛皮や蝋燭といった高級品と食べ物。その中でも子供達にはお菓子類が大絶賛で、食べたことが無いのだとそれはそれは大喜びされた。

 瓶に詰められたキラキラと輝く飴玉やチョコレート。綺麗に包装された包みからはマカロン、フィナンシェ、フロランタン、クグロフ‥‥‥お嬢様であるリチアには見慣れたお菓子でも、四人の子供たちにとっては生まれて初めて見る贅沢品だった。


「この帽子みたいなかたちのお菓子なんていうの?」

「それはカヌレ。お嬢様が一番好きなお菓子かな」


「このお花みたいなかたいやつはなんだろう?」

「それはガレットっていうクッキー。城下町で今一番人気なんだって」


「このキラキラした粒がついてるのはなに?」

「それはフリュイ。色が違うのは使っている果物が違うからだよ」


「へぇ~!」


 目を輝かせながらリチアに訊ね、その都度はしゃぐ子供たちが微笑ましい。上から順に、クレア、ウィル、エルである。全部のお菓子に手を付けようとする彼らに、「虫歯になるぞ」とセイルがむっつりとした口調で止める。そんなセイルも内心では興味津々なようで、「なぁ、この貝殻みたいなやつ、なに?」とぼそっと訊ねてきて、リチアは思わず苦笑した。


「蝋燭は有難いな‥‥‥しかもこれは蜜蝋かい? 毛皮もものすごく綺麗で、一体なんの毛皮なんだろうなぁ」


 テーブルの上に置かれた蝋燭と毛皮を父親がしげしげと眺めた。


「蝋燭があれば夜でも勉強できるな」


 セイルが黄金色の蝋燭を手に呟く。


「毛皮があれば冬でも寒くないね!」


「このロウソク、なんだかいい匂いがするよ?」


「お嬢様ってお城の中でいつもこういうのを使ってるのかなぁ」


 絵本の中のお姫様みたいだねと笑う末っ子に、リチアは「そうだね」と苦笑する。

 彼らにとって貴族の暮らしはそれこそ夢のような遠いところにあるのだろう。

 遠く思い馳せるような純真な眼差しを、リチアはしばし穏やかに眺めていた。





 そろそろ行かないと、と一言告げ、椅子から立ち上がったリチアをクレアたちが名残惜しそうに引き留める。


「もう戻っちゃうの?」


「まだお話聞きたいのに」


 そういう子供たちの目はどこかとろんと重そうで。瞼をしきりに擦っている。


「これ以上いるとみんな寝れなくなっちゃうでしょ?」


 えー!と不満げな声を上げる下三人の頭を順に撫で、リチアは父親に振り返った。


「今日はこれで。‥‥‥また来てもいい?」


 つい口をついて出てしまった言葉に、リチアは小さくハッとした。変に思われたかしら、と危ぶんだが、相変わらずにこやかな父親はどこかおかしそうに笑っただけだった。


「いつでも帰っておいで。お前の家はここなんだから」


「‥‥‥うん」


「それと、次はお嬢様との進捗状況も聞きたいな」


「やっぱりしばらく来ないかも」


 せっかくほっこりしたのに台無しだ。白けた視線を向けると、父親から悪戯っぽい笑みが返ってくる。


「そこまで送るよ」


 するとセイルがトランクケースを手にリチアの前に立った。トランクケースには換金の際手元に残ったドレスが入っている。

 見送りはいらないとトランクに手を伸ばしたが、リチアがそうする前にセイルがさっさと出入口へと向かってしまった。


「兄さんは俺が。クレアたちは父さんを頼む」


 いって、セイルは返事を待たずに扉を開けた。リチアは仕方なくその後に続く。

 外に出ると、主人の帰りを待っていたノアが地面から顔を上げ、小さく嘶いた。


「お待たせ、ノア。寂しかった?」


 ノアに近づきその首を撫でてやっていると、手慣れた手つきで荷鞍にトランクを結び付けていたセイルが、前を見つめたまま突然、


「‥‥‥エルクリス」


 なんの前振りも無く落とされた言葉を、リチアはすっかり聞き漏らしてしまった。


「エルクリス」


 もう一度、今度ははっきりと口にする。

 え、と振り返ったリチアはそこで、ハッと息を呑んだ。‥‥‥セイルの瞳が、静かな怒りに燃えていたからだった。

 鋭く細められた双眸が、まさに射貫かんばかりに兄を睨み付ける。セイルはゆっくりと口を開いた。


「お前‥‥‥誰だよ」


 思わず言葉を失ったリチアに、セイルの手が伸びた。




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