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30 ”エルクリス”

「ドレスを‥‥‥お金に?」


 一体なぜ――。主人の突飛な発言に、わけが分からないといった顔で首を振ったのはティティだった。


 オーディン城内にある歩廊の隅にて。換金用のドレスを詰め込んだトランクをティティから受け取り、リチアはご満悦気味な笑みでもって首肯した。


「そ。もうどうせ着れないし、このまま仕舞ってても古くなるばっかりでしょ? せっかくだから命の恩人たちの為に有効活用しようかなって」


 命の恩人と述べながら空いた片手で腰に携えた長剣の剣穂に触れる。これが何なのか、どういう経緯で持つ事になったのかは、ティティも承知していた。

 物わかりの良い侍女はすぐに意図を察してくれた。


「‥‥‥そういうことですか」


 小難しい顔をしながら、とりあえず心得たとばかりに頷く。

 できれば状態のいいやつをとティティに頼んで三着ほど持ってきてもらったが、手短に済ませたかったリチアは、あまり理由を説明せずに要件だけ命じてここまで持ってこさせてしまったのだ。


「何に使うのかと思えば‥‥‥」


 困ったような、呆れたような、どちらともつかない表情でティティが溜息をつく。


「ごめんねティティ、こんな急に」


「いえ、それは良いのですが――」


 するとティティはわずかに眉を顰めた。


「急な申し付けも換金するのもお嬢様の自由です。ですがこんな時間に城下に外出だなんて、到底許容できません」


 静かな口調でもって叱りつける。


「お嬢様を暗殺しようとした犯人も、ブレア地区の襲撃犯もまだ捕まっていないのに、しかもお一人で行かれるなんて」


「今の私はお嬢様でも聖女でもなくオーディン騎士団のスノウよ。そんなに心配しなくても誰も襲ってこないわよ」


 リチアはやんわりとティティの言葉を遮った。しかしティティはますます厳しい顔つきになる。


「逆恨み――という可能性は考えないのですか」


 リチアを狙った暗殺と襲撃‥‥‥結果的にはどちらも事なきを得たため、犯人たちには相当なプレッシャーを与えていることにはなる。謀略の阻止に一役買った騎士団に対して、そういうことがあるかもしれない。けれど、


「その気があるなら今頃ブレア地区の駐屯兵がやられているわよ、きっと」


「それは‥‥‥そうかもしれませんが」


 だとしても、となおも食い下がろうとするティティに、リチアはすかさず「じゃあそろそろ行くわね」と言葉を割り込ませた。


「帰りが遅くなるとシルベットにしこたまどやされる(・・・・・)らしいから。持ってきてくれてありがとう」


「どやされる‥‥‥?」


 聞きなれないセンテンスにティティが首を捻る。その様子にリチアは苦笑した。


「“怒られる”って意味よ」


 初めて聞いた時は私も同じような反応をしたっけ。くすくすと肩を震わせて笑いつつ、リチアはトランクを手に今度こそ踵を返した。


「――お嬢様!」


 そこでやや慌てたティティに小声で呼び止められたが、できるだけ早く帰ってくるから、とリチアは小走りにその場を後にした。

 時間も時間なので急がないと。だがそれ以前に、


(‥‥‥スノウと会わずに済んでホントに良かったぁ‥‥‥)


 これに尽きる。ホッと安堵しつつ、リチアは一階へと繋がる階段を足早に降りていった。



 ♢♢♢



「お客さん‥‥‥これ本当に売る気かい?」


 ディアムから教えてもらった質屋にて、でっぷりとした体格の店主が目を丸くしながらそういった。

 手元のドレスと、そのドレスを持ってきた少年の顔を視線で何度も往復しながら、いやはや信じられん‥‥‥と驚きながら額に滲んだ汗を拭く。


「え、と‥‥‥そのつもりだけど‥‥‥」


 なにか問題でもあるのだろうか? ぎこちなく答える少年に、店主は険しい表情でなぜか嘆息した。


「‥‥‥お客さん、これはねぇ‥‥‥」


 どこか凄むように切り出した店主に、少年はごくりと息を呑んだ。




「数年前のドレスが‥‥‥一着400万ベル‥‥‥それは確かに驚きね」


 城下の通りを馬で駆けながらリチアはぼそりと呟いた。


 質屋での結果は僥倖。いやむしろそれ以上であった。

 結果論を言えば、ドレスは全て売れたわけではなかった。というのも店主が、三着ぜんぶ買うほど資金に持ち合わせがないとのことで、店中からかき集めた400万ベルで買い取れそうな一番シンプルなものを一つ選んで売ったのだ。

 だがしかし、400万ベルだ。それだけあれば貴族でも数か月は余裕で遊んで暮らせる金額だった。


「本当にこれをうちなんかに売る気かい?」


 何度も聞かれた。オークションに出した方がいい品物だと。

 ‥‥‥なんでも、少し前に王都で一世を風靡したデザイナーが仕立てた数少ないドレスで、使われている生地やビジューがどれもこれも一級品だったらしい。しかもそのビジュー、単なる宝石ではなかったようで、市場では滅多に出回らないピンクホープという種類だった。それを単体で買うだけでも常人には目玉が飛び出る金額になるのだそうで、むしろそれが散りばめられたものを400万で手を打とうだなんて、俺が詐欺師だったら捨て値で売り払うところだったんだぞ――食い気味にそう店主が語ってくれた。


(‥‥‥まさかこれがきっかけで我が家の財政が危うくなってたりして‥‥‥)


 元値がいくらなのか、想像するだけでぞっとする。しかし、「入用の際はまた来てくれ、ドレスの分はお金を取らない」そう言ってくれた誠実な店主には感謝しかない。


 無事に質屋を後にしたリチアは、大通りに並ぶ店を何件か回った。大きく膨らんだ麻袋を二つ馬の荷鞍に乗せて気分よく馬を走らせ、そうしてようやく目的の家の前へと到着した。

 城下の中心地と比べて、灯りがあきらかに少ない。

 以前、ブレア地区を「田舎ね」と言ったが、少し城下町から離れただけの場所なのに、ここも負けてはいなかった。


「‥‥‥なんというか、寂しいところね」


 暗がりの中、ポツンと佇む一軒家を下から見上げる。


 ――ここがスノウの家。


 あばら家というほどでもないけれど、木箱に石板を乗っけただけのようにしか見えない簡素な家屋で、本当にここに六人もの人間が住んでいるだろうか‥‥‥一瞬疑いたくなるような大きさだった。

 寄宿舎の部屋、何個分だろう。真面目にそんなことを考えていると、「兄さん?」という声がした。

 振り向くと見覚えのある少年が驚いたような顔で立っている。


「‥‥‥セイル?」


 リチアが呼びかけると、


「どうしたんだよ、こんな時間に」


 少年がタッと駆けてきて、騎乗したリチアのそばまでやってきた。意外そうな声のわりに、顔はどこか嬉しそうである。初めて会った時にも感じたが、スノウと弟妹たちの関係はかなり良好なようだ。見ているリチアも微笑ましく思うほどに。


「ごめん急に。ちょっとみんなに用事があって」


 できるだけスノウらしく――そう意識しながら答えると、セイルがやや眉を上げた。


「――用事?」 


 気恥ずかしそうに微笑む兄の顔を数秒間じっと眺めたあと、ふとして荷鞍の方に視線を移す。


「‥‥‥てか、その大荷物は?」


 訊ねたセイルに、リチアは微笑んだ。


「お嬢様の命を救ってくれたあなた達に、お嬢様からの感謝の印だよ」


「‥‥‥感謝?」


 何で? 


 心当たりがないんだけど。セイルが心の中で呟く。ポカンと立ち尽くしたまま、満面の笑みを浮かべる兄の顔を、彼はしばらく奇妙な顔で観察したのだった。



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