26 あなたになりきる方法 その2
「よく見ていてください」
腰に手を当て、剣先を天井に向けたスノウが一度リチアを振り返る。
斜め後ろでこくんと頷いたリチアを見て、スノウは再び真剣な顔つきで前を向いた。
「このように、手首を下げて、剣先を上げた状態で一度止まります。この時肩にあまり力を入れ過ぎないように注意を、そして――」
――フォン‼
スノウの剣が空を斬る。何もないはずの場所から生じた、一瞬の風のような音。
自分の姿とは思えないほど迫力がある。刹那の瞬間に感じた気迫に、リチアは思わず息を呑んでしまった。
「手首を一気に上げ、剣先を下げる‥‥‥これを“点剣”と呼びます」
「おお‥‥‥!」
リチアは自然と拍手してしまった。
「こうして間近で見るとちょっと感動ね‥‥‥すごいわ」
「力を籠めるタイミングは手首を上げたときの一瞬です。昨日も言ったように、剣は本物ですので扱いには――」
「十分気を付けて、でしょ?」
分かってる、分かってる。リチアは軽く手を払う動作でスノウの言葉をいなすと、早速剣を構えた。
「頑張れお嬢様~!」
窓辺に置いた椅子の上で胡坐をかいているディアムから声援が飛んでくる。
「ふふ、見てなさい!」
意気揚々と返事をしたリチアは、見よう見まねでブン!と剣を振り下ろした。
「‥‥‥あれ?」
リチアは首を傾げる。何かが違う気がした。そもそも音が違う。
変ね‥‥‥と、再度剣を構え直し、えい!と剣を振る。
――やっぱり何かが違う。ただ剣を上向きから下向きに振るだけだと思っていたのに。
すると、少し離れた位置からジッとリチアの様子を難しい顔で観察していたスノウが「お嬢様」といって歩いてきた。
「剣はほとんど振りません、重要なのは手首です。‥‥‥もう一度やりますから、よく見ていてください」
言いつつ、スノウが再びお手本を見せてくれた。
「こう?」
「そうじゃない‥‥‥背筋はもっと真っすぐで――」
細かく指示を受けながら、リチアはひたすら同じ動作を繰り返した。
――こうして毎日のように空き部屋で剣術の手ほどきを受ける。これが今のリチアの午前の日課だった。それと、
「うう~~~~っ!」
「だからお嬢様、息は止めないって何度も‥‥‥!」
顔を真っ赤にして力むリチアに、スノウが慌てて声を掛ける。
マナ操作の練習である。ブレア地区では何とか発現できたものの、いまだ修得には程遠いのが現実だった。
身体自体は本物のスノウであるはずなのに、あれ以来マナはうんともすんともいわないのだ。
「~~~~っもう! なんでできないの!?」
苛立ちを露わにリチアが叫ぶ。まるで体の中で、言うことを訊かない犬でも飼っているような気分だった。
(胸のあたりに何か大きな力があるのはちゃんと感じているのに!)
ぜぇぜぇと肩で息をしながらリチアは膝を床についた。
「おかしいな‥‥‥自分だった頃は少し集中すれば簡単に使えたのに」
スノウはいった。
「お嬢様のいう通り、マナと同じような感覚で聖女の加護が使えたから、そう苦労はしないと思ったんだけどな‥‥‥」
そこへ、傍観していたディアムが頭の後ろに両手をやりながら歩いてきた。
「あれじゃないの? そういうのは日頃の行いってや――」
「うるさい!」
「痛だっ!!」
青白い光を帯びたリチアの手刀が、ディアムの膝を風の速さで襲う。昨日スノウから教わったばかりの攻撃手法だが、その瞬間、リチアは眼を見開いた。
「――えっ!?」
青い靄のようなものに包まれた自身の右手を凝視する。
「お嬢様、それ‥‥‥!」
スノウから歓喜と驚きの声があがる。リチアは咄嗟にスノウを見上げた。
「わたし‥‥‥できちゃった!?」
床の上で悶絶するディアムを尻目に、リチアは舞い上がる勢いで立ち上がる。
――マナによる肉体強化・修得。
「やったー! スノウ! わたしとうとうやったわよ!」
「お嬢様! お見事です!」
パチンと喜びのハイタッチを決める。
「どっちでもいいから俺の心配をしてくれ!?」
ディアムの涙ながらの訴えは、しばらくの間二人の耳を素通りした。
♢♢♢
午前中はリチア中心の剣術指南となる一方、午後はスノウ中心の淑女教育に変わる。
夜までみっちりあらゆる作法をスノウに叩き込む。いつもは厳しくも的確に指導してくれるティティが今日は別の仕事をしているため、講師のリチアに一任された。
最初は歩き方や挨拶のやり方から始まったレッスンだった。しかしいまでは終始社交ダンスがメインとなっている。
その理由はというと‥‥‥とある舞踏会に参加するためだ。
「ハンドがだらしないわ! 顎が下がってる! 背筋も全然伸びてない!」
手拍子で拍を取るリチアから厳しい叱責がとぶ。
「顔が必死すぎ! もっと優雅にできないの!?」
剣術指南では優しく教えてくれるスノウに対し、こちらは完全に鬼だった。
厳しい指示に付いていこうとするスノウの表情は硬い。それどころか物凄く苦しそうである。
(まさかこんなにダンスが難しかったなんて‥‥‥!)
スノウはもう、ついていくのに必死だった。
「1・2・3! そこでターン! 違う違う!」
ピタリと手拍子が止む。息荒く背中を丸めたスノウに、リチアは靴裏を叩きつけるような勢いで詰め寄った。
「ぜんっぜんダメ! まるで下手くそな人形劇でも見ているようだわ! 私の身体なのに、もっとできるでしょ!」
容赦の欠片もなく叱りつける。ビシィッ! と突き付けられたリチアの指先を、スノウは弱弱しく見つめた。
「身体が何となく覚えていても、精神が付いていかないんです‥‥‥!」
昼過ぎから始まったレッスンも、気が付けば日が暮れかけている。ぶっ続けで踊り続け、とうとう耐えかねたスノウが思わず弱音を吐露する。
――入れ替わってから一週間が経った頃だろうか、お互いに自分自身の変化に気が付くようになった。
どうも以前の身体でできた事が頭に記憶されているようなのだ。
もちろん全てではない。普段から習慣化していたもののような、例えば無意識に行っていた動作などが自然と表に出るようになった。
さっきマナ操作をお嬢様ができたのも、多分そのせいではなかろうか。スノウはそう思っている。
‥‥‥だからもしかしたら、ダンスもそのうち自然と修得できるのでは? と考えていたのだが――甘かった。
スノウの涙ぐましい言い訳を、リチアはばっさりと切り捨てる。
「なに甘いこと言ってるの! だいたい、騎士としての抜群の動体視力はどこへいっちゃったわけ? これぐらい一発で覚えないさい! もう七日よ!?」
――動体視力もなにも、あなたの身体じゃないですか! ‥‥‥とは言えない。
無慈悲な主従格差に、あくまで謙虚なスノウはただ一言、
「‥‥‥申し訳ありません」
素直に謝罪したスノウの姿に、離れた場所で見物していたディアムが、
「‥‥‥鬼婦人」ボソッと呟く。
貴婦人ならぬ、鬼婦人じゃないか、と。
「なんですって!?」
聞き捨てならないわね! リチアはディアムを睨め付けた。
ここ最近、ディアムはまったく敬う気持ちに欠けている気がする。遠慮のない仲と言えば聞こえは良いかもしれないが、ちょっと厚かましいんじゃなくて? 確かに正体を隠すうえでは仕方のない部分はあるにしろ。それでも、だ。
「ちょっとディアム! 暇なら相手役くらいやってよね!」
「え゛‥‥‥また足踏まれたら嫌ですし‥‥‥」
めっちゃ痛いんですよ?とディアム。だらんと椅子に座っている姿からは想像できないが、不思議なことに彼はダンスが上手い。リチアが手本に見せたヴェニーズワルツ――ホール内をくるくると回りながら踊るダンス――の女性版をたった一回で完璧に再現したのだ。
「お嬢様がやったらいいじゃないですか。俺だと身長に差がありすぎますし」
言いつつ、ディアムは自身の長い脚をわざとらしくぴんと伸ばした。
その姿をリチアはじろじろと眺め、それからスノウに目をやった。
「‥‥‥たしかにあなたの身長は初心者向けじゃないけど‥‥‥でも客観的に見てないと効率が悪いし」
――言われれば確かに、ディアムは騎士団や使用人たちと比べても高身長の方に入る。それに引き換え、リチアは同世代の女の子達と比べてもあまり身長が高い方ではなかった。小柄な上に女性らしい部分も控えめで、壮健な体格のディアムと並ぶと、まるで小人のように見えてしまう。
困ったわね‥‥‥リチアは考え込む。
いつもならティティが相手役をしながら的確に教えてくれるのに。
そんな時だった。
「――お嬢様、もうすぐ旦那様とのディナーのお時間です」
タイミングよくティティが部屋にやってきた。
「あ、ティティ! 丁度よかった!」
待ってたわ。小走りに駆け寄ってくる側使えにリチアは両手を広げてみせた。
できるだけ早く来てね、と前日にお願いしたのだが、予想以上に遅くなってしまった事でティティを急がせてしまったようだ。ここまで走ってきたのだろう、珍しい事もあるもので、徹底して几帳面な性格のティティの髪が少し乱れていた。ほんの少しだが、呼吸も上がっている。
「疲れているところに悪いけど‥‥‥最後に一度だけスノウと‥‥‥――ん?」
‥‥‥変ね。
リチアは怪訝な顔でティティを見つめた。
「ティティあなた‥‥‥エプロンはどうしたの?」
侍女は支給品の白いエプロンドレスを身に付けるのがオーディン家のルールである。それなのにティティは黒いワンピースをそのまま着ているだけで、エプロンを着けていなかった。
リチアの質問に対し、ティティは至って冷静な態度でこう応じた。
「掃除の際に少々汚してしまったので」
「でも、替えは十分あるはずよね?」
「‥‥‥申し訳ありません。そちらも汚れていて、洗濯をする暇もなく‥‥‥ところで、もうそろそろレッスンを切り上げなくては、お嬢様」
無理矢理に話を逸らされたような気がする。だが、彼女のいう事は最もだった。
「そうね‥‥‥ティティ、悪いけど最後にあと一回だけスノウと踊ってほしいの、それくらいはいいわよね?」
「はい、もちろん」
ティティは快く肯いた。
「舞踏会まで残すところあと二日‥‥‥さぁ、今日の成果を見せてもらいましょうか、スノウ?」
するとティティは氷のごとく冷ややかな眼差しで、絶望したような顔で座り込んでいるスノウを見下ろした。
「いや、今日はもう‥‥‥」
できるものなら終わりにしたい。そんな心の声がスノウの表情から滲み出ているが、
「‥‥‥ほらスノウ! 最後にもう一度よ! 座ってる暇なんかないんだから!」
リチアは一切妥協しなかった。
――非公式とはいえ、今回急遽参加することにした舞踏会はそれなりに規模が大きいものだった。来賓も大勢来るはずなのに、そんなところで失敗をするわけにはいかないのである。
(せっかくゴートから有益な情報を得られたんだもの。このチャンスを逃してなるものですか!)
――この舞踏会で、なんとしてでもシャイリーンと接触する!
決意を新たに、リチアは己の拳を握りしめた。
シャイリーン・ド・ミネルヴァ。その昔オーディン家と対なる勢力だった、王国随一を誇る魔法使いの家門であり、この入れ替わり事件の元凶‥‥‥かもしれない人物だった。




