24 変化の兆し (一章 終話)
寄宿舎から飛び出したリチアは急いでスノウの元へと向かった。
なんとしても城に入る前に言わなくちゃ。そんな思いを胸に庭内を走る。
「おじょぅ――スノウ、待って!」
制止の声が背後からかかった。
後ろを付いてくるディアムの何が何だか分からないという顔にリチアは一度振り返ると、「ほら早く!」と半ば命じるように急かす。
これがさっきまで疲労困憊だった人間の姿とは思えない。リチアの元気な様子に、ディアムはますます困惑する。
「ホントに、何考えてるんですか!? まさか暴露でもする気じゃ‥‥‥」
違いますよね!? と語気強めに確認するディアムに、リチアはあえて何も答えずに突っ走った。
――わざわざ説明しなくともすぐに分かる。
ほどなくして帰参したばかりの列から、例によって自分の姿をしたスノウがふとリチアに気付いて足を止めた。エントランスホールに入る寸前のところである。彼はリチアを見ると、目をぱちくりと瞬いた。
‥‥‥お嬢様?
唇だけが動く。言葉にしなくて、そう言ったのが分かった。ついでに、どうかしたのですか、そう言ったのも。
すると、エントランスからお出迎えに出てきていた執事が公女の視線を追って、こちらに近づく不敬な騎士の姿を目に顔を顰めた。
指を差し、目くじらを立てながら階段を下り、サッと身を屈めて礼をとる騎士を怒鳴りつける。
「こらお前! ――身分を弁えずお嬢様に近づくなんて」
「構わない」
咄嗟にスノウが前に出て制する。
「し、しかし」
狼狽えながら食い下がる執事に、スノウはわずかに眼を細めた。
――下がれ。
言外にそう告げる。
(‥‥‥意外ね)
――いくら私の姿をしているからと言って、基本温和で優しい彼がここまで厳しい態度をとるなんて。
不思議に思い、リチアはちらりと執事の顔を覗き見て‥‥‥あぁ、そういうこと、と心の中で悟った。
執事の表情が、主たる公女を前に隠しもせず、屈辱と怒りに歪んでいた。
「――‥‥‥失礼、いたしました」
言われた通りに下がる寸前、信じられないことに、静かな舌打ちが聞こえた。
リチアは、叱られた執事が履いている真新しいショートブーツに目を止める。他の使用人と同じような黒く艶のある素材だが、それにしてはやけに重厚感があって、しかもヒールまである。よく見るとところどころに細かな装飾がついており、一日中動き回る執事という仕事には明らかに相応しくない代物であった。
(自分は偉い身分だぞ、という主張ね――しかもこれを履いて“私”を前に礼の一つもしないなんて。完全に自分の身分を誇張したいだけじゃない)
スノウもそこに気が付いたのかもしれない。
(今までずっと見なかったふりをしてたけど、傍から見るとこんなにおかしな光景もなかなかないわね‥‥‥)
陰口ならどこへ行っても付いて回った。それが城の外だろうと、中だろうと。だからかもしれない――こんな奇妙な光景が日常茶飯事になっても、聞こえないふりと見ないふりで耐えてしまった。
もう少し早く手を打っておけばよかった。そんな後悔をしていると、
「あなたはブレア地区にいた騎士ですね?」
本当の自分の声なのに、穏やかすぎる声音だった。
いまさらだけど、私ってこんな声だったかしら? 思わずリチアが考えていると、
「“お嬢様、どうしたんですか?”」
こっそりと、密やかな声が耳に入った。
せっかく声を掛けてもらったのに、黙ったままでは不敬にあたる。リチアは顔を上げ、ゆっくりと述べた。
「オーディン家騎士団近衛部隊所属・スノウがお目に掛かります」
それは貴族の令嬢のような、滑らかで謳うような挨拶であった。
周囲がしんと静まり返る。わずかのあいだ生じた空白の後、スノウが目を丸くしながら「はい」とぎこちなく応じた。
(‥‥‥なんだろう、この微妙な空気は‥‥‥)
挨拶をしただけなのに‥‥‥。
妙な居心地の悪さを覚えたが、リチアは気を取り直してスノウを見上げた。
「ブレア地区でのことでどうしても感謝を申し上げたく‥‥‥我々騎士にまでご慈悲を賜りましたこと、心からありがたく存じます」
敬礼しつつ述べると、どこからか「ほぉ」という感嘆の声が聞こえてきた。
「‥‥‥なぁ、スノウが貴族みたいに俺には見えるんだけど」
「何でかな‥‥‥俺も」
周りを囲むようにして控えていた騎士たちがコソコソと喋り出す。
近衛騎士って平民の集まりだっはずじゃ‥‥‥と誰かが囁き、リチアはそこでハッとした。
(私ってばつい‥‥‥! 平民どころか下民出身者がこんな言葉遣いしてたらおかしいじゃない! いくらなんでも丁寧過ぎだった!)
身分関係を意識し過ぎてやりすぎたわ‥‥‥。リチアの手に冷や汗が滲む。さらに数秒間気まずい空気が流れた。
(もう少しフランクにしないと――ていうかスノウ! あなたも何か言ってよ!)
やや目を見開いてスノウに圧をかける。何か言って! 何か!――するとリチアの思いが届いたのか、スノウがやっと口を開いた。
「あ――あなた達は大切な臣下ですから、感謝なんて――」
たちまち周囲がぎょっとしてスノウを見た。
――ちょ、ちょっと!? 何を言う気!?
リチアは、咄嗟にスノウの言葉を遮った。
「ほ! 本当にありがとうございます! ありがとうございました!」
早口に言い切り、今度は「やっぱり何も言うな!」と鋭い圧を飛ばす。
使用人が集まっているのに「感謝なんていらない」と口にされては大問題だ。ますます舐められかねない。
奥ゆかしい主は臣下に好かれやすい。だが行き過ぎれば身分という大事な一線がぼやけ、どんどん付け上がる。‥‥‥さっきの執事のように。
スノウが何かを喋る前に、リチアは続けていった。
「しかし! 無礼を承知で申し上げます! ――お嬢様がいくら慈悲深い方でもお一人であんな危険な場所に行くのは困るのです! 民を助けたいと思うそのお気持ちには敬服いたしますけど! そこでご提案なのですが――」
いったん言葉を区切り、深く息を吐き出す。それから改めてリチアはスノウの目を見つめた。
「お嬢様、わたしをお嬢様の側近騎士としてお側に置く――というのはいかがでしょう?」
リチアのこの提案に、周囲にいた騎士たちから「ヒェッ‼?」という悲鳴にならない声が上がった。
♢♢♢
それは、リチアに物心がついたころのできごとだった。
「ねぇ聞いた? 公爵様の遺産がぜんぶ旦那様に引き継がれたって話‥‥‥」
噂話好きな侍女の会話をたまたま耳にした。
「この前までただの平民だった人に、どうしてぜんぶ渡したのかしら。普通は次期公爵であるリチア様に譲るべきなのに」
「あ~あ、せっかく面倒を見ているのに損した気分よ。これじゃあ特別報酬や下賜は望めないわね」
当時幼かったリチアが最初に感じたのは――違和感だった。ほどなくして、オーディン城から使用人と騎士が何人もいなくなった。
「もともと貧困民に食事や布を与えるような変わり者だったが、まさか平民と結婚するなんて度が過ぎている」
「そもそも聖女は女の方にだけ受け継がれる力だろう? 一族の当主が女ばっかりってのもなぁ」
「神聖力だか何だか知らないが、魔法より優れているだなんて誰が言ったんだか」
まもなくリチアの胸中にあった違和感は疑問に変わり、貴族たちのあからさまな嘲笑を目にするようになった。
「聖女ねぇ‥‥‥今はマナ持ちがいるじゃないか。大体の傷は治せるし、魔法がありゃ病気だって怖くねぇや」
「困ったや不安な事があったらお祈りしてくれるって? 祈ったら水害も日照りもなくなるのかい?」
「どうせ俺達には何もしてくれない領主だろ。平民出と聞いて少しは期待もしたが、完全に肩透かしだったな」
やがて疑問は戸惑いとなり、どこにもぶつけようのない感情に悲しみと怒りが混じるようになった。
なぜこんなことを言われなければならないのか分からなかった。
――大嫌い。全部‥‥‥大っ嫌い!
どこにも吐き出すことのできない本音が苦しかった。
そんな時、最悪の気分で迎えた八歳の誕生日の夜のこと。
「誰が嫌いなの?」
知らない男の子と出逢った。‥‥‥泣き顔を見られたくなくて、ずっと下を向いていたから、その男の子の顔はもう思い出せないけれど。
改めて訊かれて、はたと気づく。‥‥‥私は誰に怒っていたんだろう、と。
心から溢れた感情は、どれもこれもたった一人では感じる事のできない思いであったはずなのに、思い起こそうとした顔は全部が朧気で。
‥‥‥そっか。
そこでやっと、リチアは腑に落ちた。
何も言い返せない自分自身が、私はとても嫌いだったのだ--と。
読んでくださりありがとうございました。
一章終わりです。次回から二章目スタート。
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