21 救世主 その7
「初めて見る文字だわ」
前代未聞の魔獣襲撃事件の真相は、たった一枚の小さな紙きれだった。
破った紙切れには、赤いインクで何かの紋章が描かれていて、その線を縁取るようにリチアの知らない文字がびっしりと並んでいる。
騎士とギルドの男の証言通り、橋の下――橋を支える支柱にこの紙が貼られていた。
(オルタニカで使われている文字じゃない)
リチアは唇を噛んだ。
(――甘かった。仕掛けを見れば誰の仕業か分かると思ってたのに!)
国外で作られたものだとしたら、犯人の特定に時間がかかってしまう。
四日前の暗殺から間を置かずして、オーディン家が管理するこのブレア地区で騒動が起きた。
狙いは明らかにオーディン家の失墜。となると、黒幕も同じだろうと踏んでいただけに、リチアは肩透かしを食らった気分になった。
(国外の魔道具なんて‥‥‥今や一介の商人でさえ国内に持ち込めるっていうのに‥‥‥!)
勿論、危険なものは規制で持ち込む事はできない。しかし、そういった違法な魔道具であっても、あらゆるルートを介して国内に存在しているのもまた事実だった。
安全なものからそうでない物まで一つ一つ調べていてはキリがない。
リチアは嘆息し、紙片をズボンのポケットに突っ込むと、先のギルドの男のところへと引き返した。
「‥‥‥あったか?」
視線だけ上げて男が訊ねてくる。マナのお陰で多少落ち着いたとはいえ、依然として重症には変わりない。
リチアは大きく頷いてから、男の肩に手を置き、微笑んだ。
「もう魔獣の心配はないはずだから、安心していい」
「そうか‥‥‥」
「すぐに公女様を呼んでくるから絶対に諦めたりしないでよ? ありったけの薬と医師を送ってもらうように要請するから。だから、辛いかもしれないけどもう少し耐えて!」
「その公女は‥‥‥本当に信用できるのか?」
立ち上がりかけたところで、男がいった。
「聖女か何だか知らないが、どうせ貴族だろう?」
「――貴族は信用できない?」
「できないね‥‥‥やつらは庶民なんか助けたりしないだろう。そのうえ王族の次に高貴な身分の人間が、俺達の前に姿を見せるとも思えない。こんなところに来ているなんて嘘はやめてくれ」
無駄に期待させてくれるな。男はそう言うと、諦めたような顔で深く溜息を吐きだした。
「嘘、ね‥‥‥」
言いつつ、リチアはふと顔を上げた。
「――でも、もう来てるけど?」
枝分かれした道の一本を指で指し示す。
見ると、ひとりの少女が、長い深紅の髪を靡かせてこちらに走ってくるところだった。
「‥‥‥‥‥‥は?」
男は目を見開き、そして固まる。
息を切らせてやって来た少女は、噂にたがわぬ絶世の美貌だった。
「――ご無事で‥‥‥なによりです!」
美貌の少女がリチアにいう。片手には抜き身の剣を携え、ところどころ破けた衣服は土や血で汚れている。
おいまさか、と掠れた声を出した男に、リチアは言った。
「驚いた? 貴族だって庶民を守るために戦うことだってある‥‥‥ね? 絶対助けてくれるって話、嘘じゃなかったでしょう?」
♢♢♢
「‥‥‥と、いうわけでスノウ、早速この人たちを助けてくれないかしら?」
当然やってくれるでしょう? そう自信たっぷりに言ったリチアに対し、スノウは数秒間石化した。
「‥‥‥いや、なんでできる前提で話してるんですか」
唖然と呟くスノウ。いきなり治せと言われても困る。もちろん、やったこともなければ、やり方も分からないからだった。
戸惑うスノウを見て、リチアは眉根を釣り上げた。
「なんで? できないの?」
「できませんよ、そんないきなり‥‥‥」
「できるわよ、私の身体なんだから」
「それはそうですけど、やれと言われても方法も何も知らないんですよ?」
「大丈夫よ、ちょっと神々と交信して大気に流れる神力を集めるだけだから」
「‥‥‥ものすごく無茶苦茶なことを言ってる自覚、ご自分にあります?」
訳が分かりません、と頑なに拒否られ、リチアはむくれた顔をする。
スノウは頭を抱えたくなった。
(‥‥‥困ったな。気持ちは分かるけど、お嬢様が何を言っているのか全然理解できない‥‥‥)
橋から少し離れた場所に引っ張られ、開口一番に先の言葉を命じられた。――が、神々とか、大気の神力とか、どう考えても現実的じゃない。そんなものが本当に存在するのだろうか。という以前に、
「もしかして‥‥‥お嬢様が昨日おっしゃっていた“神聖力”という力のことですか? まだ使えないって話だったのでは?」
ふと思い出して訊ねると、リチアは「それとこれとは別物よ」と言い出した。
「いま私が言ったのは“聖女の加護”の力。神聖力はつまり‥‥‥それよりももっと凄い力ってこと」
「えーと‥‥‥はぁ」
――すみません、想像すらできないんですけども。‥‥‥とは言わず、スノウは曖昧に頷くだけにとめる。
するとリチアはますますムッとした顔でスノウに詰め寄った。
「ちょっと! そんな顔しないで! 要するに、あなたが普段使っているマナを体の中からじゃなくて外から集めるってことよ――うん、そんな感じだわ、きっと!」
リチアが言いきる。何か確信があるようだが、スノウからすればまるで要領を得ない説明だった。
マナは人の体内に宿るもの。けして目には見えなくとも、体内に巡る力の存在は感覚として認識することができる。人によりけりだが、熱のような感覚と例える人もいれば、ぴりぴりとした電流のような感覚という人もいる。
――けれども、それは全て自分の身体だからこそ理解ができる話である。そういった不可視な“感触”と呼べるようなものがあるからこそ、マナを操ることができるし極めたりすることだってできるのだ。
が、その“感触”が微塵も感じられない場所から集めろという。――‥‥‥一体どうやって。
それでもしばし悩んだ後、スノウは半信半疑のままリチアを見つめ返した。
「お嬢様なら、それができるんですね? ――本当に?」
「本当よ。大地や風の声に耳を傾けるの‥‥‥私を信じて」
「‥‥‥‥‥‥わかりました」
結局、スノウは渋々了承した。助けたいという意思こそ同じだ。
自信は――全くない。でも、リチアに自分の力が使えたならひょっとしてその反対も‥‥‥そう思ったのだ。
それに、もしそれで本当に怪我人が治せるのであれば、既に諦めかけていた何人もの命を救うことができる。
ブレア地区には病院自体が少ない。小さな街であるため、医療品などの物資も限られてしまうし、大きな手術などは設備の問題で恐らくできない。
ディアムが急いで伝令を飛ばしてくれたが、このままオーディン領の医師団の到着を待っていては、何人もの尊い命が尽きてしまう。
(‥‥‥やってみる価値はある)
スノウは、倒れたままこちらの様子をじっと窺っていた男の横に膝をついた。
リチアがうまいことマナで止血をしたと見られる――片足を失っている状態の男。医師の到着までは、どうあっても持たないだろう。
「‥‥‥助けて、くれるのか?」
男が瞳を揺らしながら訊ねてくる。
スノウは、「やれるだけの事をします」と正直に答えた。
背後に立ったリチアを一度振り仰ぎ、彼女が頷いたのを確認してから再び男に視線を戻した。‥‥‥声なき声に、耳を傾けるために。
他でもないリチアが自分を信じろというのだ‥‥‥賭けてみるしかなかった。
スノウが目を閉じ、その背中に温かな手が添えられた。
耳元でリチアが囁く。
「耳じゃなくて、心で聞くの。力を貸してほしいって――強く祈るの」
辺り一帯がしんと静まり返る。
リチアに言われるがまま、スノウは無心になって心の中で念じ続けた。
‥‥‥だが、願ったようなことは何も起きず、空白の時間がただただ流れていった。
――やっぱり、だめなのか‥‥‥?
諦めかけた、その直後――変化が始まった。
一日遅れての更新になってしまいました‥‥‥ごめんなさい。本当に。




