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20 救世主 その6

 ‥‥‥やっぱり、何も覚えてなかったな。


 走り去る自分の後ろ姿を見送り、スノウは密かに落胆した。

 そんな気はしていた、遠い昔の事だから‥‥‥重々承知のこととはいえ、それでも残念に思う自分がいる。


 スノウは魔獣の巣窟となっているであろう校舎を目指して走りながら、ふと小さい頃のリチアを思い起こした。


 あれは、スノウがまだ従騎士(下男)だった頃である。


 スノウは今でも覚えている。息を呑む、感動さえ覚える‥‥‥たった一瞬で心を奪われたのは、きっと後にも先にもあの瞬間だけだった。

 幼いスノウの前に現れたのは‥‥‥泣きそうな、それでいて物凄く悔しそうな顔をした、深紅の長い髪を持った美しい少女。

 偶然の遭遇だった。それは言葉にするのも難しい、けれども確かな衝撃が小さな少年の心を貫いた。

 公女の生誕を祝う華々しい祝宴の夜。深夜もとっくに回り――そんな静まり返った庭園の真ん中で、リチアは一人泣いていた。


「‥‥‥‥大っ嫌い!!」


 艶々とした桜色の唇から吐き捨てられた激情。本当ならきっと玉のように真っ白だったはずであろう、真っ赤に腫らした目元から滲む水滴に、ただならぬ事情が見え隠れする。

 草陰から出てしまったくせに何も言葉が見つからなかったのは多分‥‥‥そのせいだった。


「きれいだ」


 場違いにも程がある、それでいて空気の読めない科白。思わず零してしまった本音は、少女の耳にしっかりと届いていた。


「だれ‥‥‥?」


 泣きはらしたその紅い瞳は、どんな宝石よりも美しいと思った。

 夢など無かった心に、その時初めて未来が生まれた――そこに理由なんかいらなかった。

 けれど、運命とは酷い。まさかそんな大切な人と、身体と心が入れ替わってしまうなんて。

 でも、もしかしたら、ひょっとしたら‥‥‥そう思って期待してしまったのだ。


(僕を覚えていてくれているかも‥‥‥なんて)


「ぎゃああああ!!」


 刹那、心を凍らせる悲鳴が響き、スノウは剣を握りしめた。

 思考を無にし、たった今悲鳴が上がった方へと駆けていく。校舎の中に入ったスノウは、その酸鼻極まる後景に息を呑んだ。

 廊下に散った血痕と、力尽きた若き同僚たちの姿。荒らされた屋内の壁や床には血に濡れた爪痕がいくつも残されている。

 そばに魔獣の姿はない。獲物を探して場所を移したようだった。

 一瞬、躊躇したものの、騎士としてこれまでに何度も修羅場を潜ってきている。すぐに冷静さを取り戻し、スノウは倒れた仲間に駆け寄るとその安否を確認した。


(‥‥‥ダメだ、もう‥‥‥)


 やりきれなさに奥歯を噛み締める。倒れていた騎士たちはその全員が事切れていた。


(ごめん、みんな‥‥‥!)


 スノウはそっと目を閉じ、哀悼の意を示したがすぐに立ち上がった。仲間には申し訳なかったが、今は他の生存者を一人でも多く救わなければならない。至る所から聞こえる魔獣の声で分かるのだ。まだ他に助けられる人間がいるという現実が。

 後ろ髪を引かれる気持ちを押し殺し、血の跡を追って廊下をまっすぐに突き進んだ。


「ディアム!!」


 廊下を曲がった直後、見慣れた背格好を見つけてスノウが叫ぶ。騎士が一人、魔獣数匹を相手に必死で立ち向かっていた。


「おじょう‥‥‥ス、スノウ!?」


 瞬間、ディアムがポカンとスノウを振り返る。


 なんでここに!? そう言いかけたディアムの間合いに、スノウはすかさず滑り込んだ。


 隙をついて飛びかかってきた魔獣を剣で薙ぎ払い、動揺するディアムと問答無用で背中を合わせる。

 外套を脱ぎ捨て、剣を構え直したスノウは、魔獣を睨み据えたまま背後に問うた。


「無事か!?」


 当たり前のように訊ねるが、ディアムは納得できなかったらしく、「いやいやいや、なんで来た!?」


「助ける以外に理由があるか?」


「おまっ‥‥‥その身体はお嬢様のなんだぞ!? ――てか、そのお嬢様はどした!?」


「お嬢様はここにはいない! 気遣いは要らない! 無茶はしないつもりだ!」


「はぁ!? いやもうぜんっぜん無茶だろ!」


「お嬢様に許可は頂いた」


「ふざけんな帰れ‼」


「それは無理だ!」


 まったく動じず切り返してくるスノウに、ディアムは泡を食った。


(こんな細腕で何ができるっつーんだよ!!)


 頭二つ分は小さいうえに、細い身体。防具の一つもない身なりは完全に町娘風と、まったくもって戦場を舐めているとしか思えない装いである。

 しかも、剣が重いのか、片手持ちの剣を両手で下段に構えているという始末。


「どう考えても今のお前じゃ無理だ! 足手まといすぎる!!」


 ディアムは本気で吐き捨ててしまった。


「何匹いるか見当もつかない状況なんだぞ!」


 今でさえ、常時数頭の魔獣を一人で相手をするのはさすがに辛いのだ。


「お前を庇ってる暇なんか――」


 言い終わらないうちに、視界の隅で魔獣が跳躍するのが見えた。


 マズい――!! 


 ディアムはハッと我に返った。急いで剣を持ち上げたが、コンマ一秒、反応が遅れる。その一秒が、命とりだった。


 ――殺られる!!


 直感的に覚悟を決めた――その刹那、背後にいたスノウの剣が、迫りくる魔獣の首を貫いた。


 断末魔の咆哮を上げる魔獣の胴体に、次いでしなやかな蹴りが打ち込まれるのを、ディアムは呆然と目で追った。


「気を抜くな!!」


 凛とした叱声が、ディアムの中の失いかけた戦意を叩き起こした。

 床に放り捨てられた魔獣には目もくれず、スノウが次なる魔獣へと剣を振りかぶる。


 ええい! こうなったら――‼


 ディアムは今度こそ覚悟を決めた。


「スノウ聞け! この先にある大部屋がシェルター代わりだ! 動ける騎士は手分けして無事な人間を探している! ここは俺が絶対に守り切ると約束した! だからお前も絶対にここを通すなよ!!」


 それと! ディアムは一際大声で付け加えた。


「怪我なんかしたらお前を柱に縛り付けてでも止めるからな‼」


「――了解した!」


 言下、スノウが二匹目の魔獣を一刺しで仕留める。

 “剣を一度も握った事もない少女”という恐ろしいハンデをまるで感じさせない、一切無駄のない剣さばき。ディアムは思わず舌を巻いた。

 親友が乗り移っているとはいえ、身体は真実ただの少女にすぎないはずなのに。


(‥‥‥ったく! 才能っつーのはホントに不公平だよ)


 不満の一つも吐きたくなる。才能というのなら、むしろ自分の方が優れているはずなのだ。

 ディアムは再び集中力を高めた。内なるマナを足の先から指先まで行き渡らせていく。

 なにも、オーディン家でマナ操作ができる騎士はスノウだけではないのだ。


「‥‥‥くそっ! それにしてもこいつら、なんか妙じゃないか!?」


 次々に現れる魔獣を斬り倒していく最中、ディアムは無視できない違和感を相棒に打ち明けた。


「ハウンドなら遠征で何度か倒したことがあるけど‥‥‥こんなに脆かったか!?」


 互いに十匹くらいは仕留めただろうか、すると、息荒く肩を上下させていたスノウが小さく首肯した。


「本物じゃないんだ」


「‥‥‥なんだって!?」


 ディアムは目を丸くした。


「‥‥‥これが本物のハウンドなら、今の僕じゃ歯が立たなかった‥‥‥はずだ!」


 魔獣の頭を的確に貫きながらスノウは言った。


「どう考えてもおかしいんだ。ここに辿り着くまでにも街がある‥‥‥国境には砦だって――魔獣なんか出たら普通は大騒ぎだろう? それがないのは――」


 相棒の言葉の続きを察し、ディアムは顔を歪めた。すぐにピンときた。と、同時に内心あきれ果ててしまう。


 人の道理から外れた魔獣を意図的に出現させる方法なんて限られる。


 一つ目は、出現させたい魔獣そのものと契約して使役する――“召喚術テイマー


 二つ目は、出現させたい魔獣の遺体の一部を使い、その場限りで再現する――“復元召喚術サモナー”。


 三つ目は、屍自体に魔力を流して自由に操る――“傀儡術ネクロマンサー”。


 共通するのはどれも――


「魔法‥‥‥!」


 であることだ。つまり人為的なものであり、そしてその魔法が使えるのは基本、貴族のみ。

 だがこのうちどれにしても、高度な魔法技術が必須ではあるのだが――。


 辺り一帯に潜んでいた魔獣がいなくなったのか、襲撃がやんだ。

 静かになった廊下に二人分の荒い息遣いが響く。ディアムは渋い顔で嘆息すると、


「ミネルヴァか」


 小声でスノウに問うた。

 魔法が貴族の専売特許とはいえ、高等魔法を使える貴族なんてそうそういない。

 まさか、とこぼしたディアムに、スノウは「分からない」と言葉を濁した。


「断定はできない‥‥‥けど」


 怒りを露わにスノウはいった。


「関係のない人たちを傷つけるなんて‥‥‥!」


「‥‥‥お嬢様が城から出たところを狙ったのか、もしくは俺達(オーディン家)に過失か――いや、冤罪でも擦り付ける気かもな」


 考え込むふうなディアムに、スノウは強く首を振った。


「どちらにしてもこんな事、許されるはずがない!」


「奴ら上流階級にとって平民は虫けらくらいの価値でしかないってことだろ」


 言いながら、ディアムはそっと視線を床に移した。


「‥‥‥まともな人間ならこんな事‥‥‥仮に思いついたとしてもできやしない。本気でオーディン家を潰す気なんだ」


「だからって、どうしてここまでする必要がある‥‥‥!」


 背中を震わせるスノウに、ディアムは唇を噛んだ。

 そこら中に転がっている魔獣を見下ろし、破壊された壁や窓を見やる。


 ――何人もの住民が目の前で襲われた。命からがら逃げ惑う人々を命がけで守った騎士たちも同じように倒れた。

 どうしてこんなことになったのか、訳も分からないまま襲われた。


「どれだけ命を軽んじるんだ‥‥‥‼」


 激情を吐き出した少女の肩に、ディアムはそっと手を置いた。


「‥‥‥俺が悪かったよ、今考えるのはよそう。いらん推測より人命救助が優先だ」


 強張ったスノウの肩からフッと力が抜けた。


「‥‥‥‥そうだな」


 スノウがいった。――と、その時である。倒した魔獣たちの躯が溶け、突如ブクブクと音を立てて沸騰しだしたのだ。


「な、なんだ!?」


 ディアムが声を上げて驚く。みるみるうちに蒸発し、跡形もなくなっていく黒い骸。それを見たスノウが、


「――お嬢様だ」


 少しホッとしたように呟いた。




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