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16 救世主 その2

 スノウとリチアを乗せた馬は、風のような速さで早朝の市街地を駆け抜けていった。


 人の往来が少ない通りをスノウが先導し、その後を離れない距離でディアムが追いかけてくる。


 その手の道はどうやら知り尽くしているらしい。スノウの道案内には迷いが無かった。


 乗馬とは無縁な華奢な身体が嘘のように、完璧な手腕で馬を扱う。たとえ中身が変わっても、将来有望な騎士スノウとしての能力は遺憾なく発揮されているようだった。とはいえ、


(気を抜いたら振り落とされそう‥‥‥!)


 そもそも初心者のリチアはこっち、必死である。前に跨ったスノウの、細くて今にも折れてしまいそうな柔らかい腰だけが頼りだった。


 軍馬持ち前の優れた脚力で市街地の壁をいとも容易く飛び越えていく。


 二頭はあっという間にオーディン領内を突破した。


 あとはブレア地区に向かって一直線に駆けるのみ。


「――はっ!」


 掛け声とともにより速度が増すと、リチアは反射的に腕に力を籠めてしまう。すると前から「うぐっ!!」と潰されたカエルのような音が聞こえた。


「おじょ、さま‥‥‥ぐるし‥‥‥っ!」


 馬蹄の音に紛れて途切れ途切れに呻き声が聞こえてきて‥‥‥他でもない、スノウからだった。リチアは「あ、ごめん!!」と慌てて腕の力を緩めた。


(‥‥‥し、死ぬかと思った!!)


 青い顔でスノウが口元を押さえた。


 ――危ない、今何か戻しかけた気がする。


「ちょ、スノウ、大丈夫!?」


 耳朶に響く焦った声音。スノウは少しだけ駆ける速度を緩めた。


「‥‥‥そろそろ、着きますから、もう少し‥‥‥辛抱してください」


 バチッと、顔半分だけ振り向いた彼の切実な瞳とぶつかる。


 あくまでこちらを気遣ったつもりか、頑張って平気そうな振りを装おうとしている美貌が苦悶と微笑みの間で歪んでいて――その嘘くさすぎる空元気を見て、リチアは微妙な顔で押し黙った。


 ほどなくしてスノウの云う通り、ブレア地区に繋がる大きな街道が見えてきた。


「――お? あれって!」


 後方を駆けてきていたディアムが何かに気付いて街道の先を指差した。


 リチアも追って目を凝らすと、緩やかに走る騎馬の後ろ姿であることが分かった。


「うっそだろ!? 本当に間に合ったぞ!!」


 よっしゃぁ!とディアムが歓声を上げる。


 喜ぶ彼に、スノウは「ディアム!」と呼びかけながら腕を前後に振り、隣に来いとジェスチャーをした。


「先に行っててくれ、直ぐに行く!」


 素早く言うと、ディアムは了承した、と言わんばかりに片手を上げた。


「了解、テキトーに言い訳してやるから、あんまり遅くなんなよ!」


 言い終わるなり、はっ!と手綱を捌いて速度を上げる。


 まっすぐ集団に向かって離れていくディアムを見送りつつ、スノウは街道から膨らむようなかたちで付近の雑木林を目指した。


 ♢♢♢


 あたたかな木漏れ日が射し込む林の中。スノウの手を借りて馬を降りたリチアは、そのままへなへなと草の上に座り込んだ。


「‥‥‥はぁ‥‥‥怖かったぁ」


 人生初めての乗馬だった。地上に降りた今でさえ心臓がまだバクバクとしている。凹んだように大きく溜息を吐き出すと、馬を木に繋いでいたスノウがぎこちなく謝罪してきた。


「すみません、荒っぽくて‥‥‥」


 額に汗を滲ませ、苦しそうに言った。よく見ると唇が少し青くなっている。


「スノウ、あなた‥‥‥顔色悪くない?」


 見たままに指摘すると、彼は苦い笑みを口元に浮かべた。


「‥‥‥どうやら少し酔ったみたいで」


「まさか‥‥‥馬酔い?」


 リチアはそこで、はっとする。


 乗馬どころか、普段はほとんど運動などしてこなかったっけ。


(私の身体でいきなり馬になんか乗ったら‥‥‥)


 逆に、リチアは至って元気である。


 すると前かがみにお腹を抱えたスノウが苦し気に呻いた。さきほどきつく抱き着いてしまった時のダメージがまだ残っているらしい。


 それでもスノウは眩暈でふらつく身体を根性で奮い立たせ、リチアに手を差し出した。


「急ぎましょう、みんなが待ってます」


 その震える白い手を、リチアはじっと見つめた。


「‥‥‥私は平気よ」


 静かに断り、一人で立ち上がる。それからおもむろにスノウの肩に腕を回し、細い身体を自分の方に寄りかからせた。


「あの、お嬢様?」


 驚くスノウに、リチアは手の焼ける子供でも見るような顔をしながら言った。


「今はあなたが私でしょ? ここから少し歩くなら、しばらく肩を貸すわ」


 ――ちなみに、彼がこうなった原因の半分はリチアにあるのだが。


 しかし、スノウは何故か呆けたような表情でリチアを見上げてきた。


「‥‥‥ありがとう、ございます」


「ええ‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥」


 しばし視線が交差して、微妙に気まずい空気が流れる。


(‥‥‥なんでそんな目で見るの?)


 まじまじと見つめられてしまい、何故か酷くいたたまれない気持ちになった。


 ‥‥‥そんなに私の行動は意外だったのだろうか。リチアは少しムッとした。


「なんでそんな顔するのよ、私だってそこまで薄情じゃないわ」


「――いや、そうじゃなくて」


「じゃあ、なに?」


 するとスノウは急に黙り込んでしまった。


「‥‥‥いいえ、いいんです‥‥‥‥なら」


 少し俯き、小声で何かを呟いた。


「ん? なに? 何て言ったの?」


 リチアは聞き返したが、


「いえ、なんでもありません」


 スノウはそれ以上語らず、曖昧に視線を逸らしただけだった。


 ♢♢♢


 ブレア地区は言わば農村だった。


「水が綺麗で資源が豊か、土地も開けているので農業には最適。街道は直接王都に繋がっているので、王都ではここで採れた作物が沢山出回っているそうですよ。ここ二年間は‥‥‥ミネルヴァ公爵家の出資で酪農まで始めているとかで、魔道具を沢山取り入れてオルタニカ産の商品を国外でも取引ができるように色々な開発を進めているみたいですよ」


 スノウの丁寧な説明を聞き、リチアがふぅんと小さく相槌を打つ。


(なかなか綺麗なところね)


 周囲を見渡したリチアは、素直に感嘆していた。


 広い畑に、こじんまりとした民家がまばらに建っている。まだ朝だというのに楽しそうに走り回る子供達と、名前も分からない道具を手に働く大人達。リチアが暮らしてきたどの景色とも違っていて、のどかで静かな場所なのに、どこか活気のようなものがあった。


 そして緑が多いせいだろうか、空気が澄んでいるのがよく分かる。


(空気が美味しいって言葉、こういう時に使うんだわ、きっと)


 時間がゆっくり流れている気がした。つられて自然と遅くなるリチアの歩みを、時折スノウが「お嬢様」と穏やかに促してくる。


 別邸を建てるなら、こういうところも悪くない‥‥‥気持ち穏やかに過ごせそう。リチアは思った。


(ミネルヴァ家の出資うんぬんの話が無かったらだけど)


 そこだけが一つ残念だが。


「ところでスノウ、あなたブレア地区にすごく詳しいわね。あなた実はここの生まれだったりするの?」


 前を歩くスノウにそう訊ねると、彼は「いいえ」と穏やかに否定した。


「普通の人が知っている以上の事は何も。僕は生まれも育ちもオーディン領ですよ」


「ふぅん‥‥‥じゃあ、こういうところで働いたことはないの? これだけ広い農地だもの、お手伝いに雇われたりとか」


「今は魔道具がありますからね、あまり人手は要らないんです。それと、こういう村で暮らす人たちは農閑期‥‥‥つまり冬になると住む場所を変えるので、もし雇われたとしても自分のような生まれの人間は彼らに付いていけないんですよ」


 リチアは首を傾げた。


「どうして?」


「冬に帰る場所が無いからです」


 ためらいもなく出てきた率直な言葉にリチアは閉口した。


「ごめんなさい‥‥‥悪気はなかったの」


 彼の口調には何の含みも無かったけれど、謝らずにはいられなかった。 スノウは苦笑し、「謝ることなんてないのに」とリチアを振り返った。


「だからこそ僕たち家族を助けて下さった旦那様とお嬢様には感謝しかありません」


 和やかに微笑まれてしまい、釈然としないリチアはやや困惑気味に彼の眼を見返した。


「‥‥‥そう、なの‥‥‥?」


「僕のような生まれの者にも差別なくチャンスを与えて下さるんですから、当然です」


 しっくりこない。何故そんなにはっきりと言い切れるのだろう?


(お父様に感謝するのは分かるけど‥‥‥いいえ、そもそもスラが増えているのはお父様や私のせいなのに)


 オーディン領で生じている富裕層とそうでないものとの格差はまだまだ広がり続けている状態だった。子供が学校も行かずに働くのも、今や珍しいことではない。


 一説によると、領内の下層階級は農村部よりも貧窮状態が深刻だと言われているくらいで、貴族たちの過分な搾取により家計を逼迫し、崩壊している家庭も少なくはない。


 そしてそれを食い止めなければいけないのが本来領主の役目である。


 貴族の横暴を黙認する領主とその娘。不本意だが、そう思われても仕方がなかった。


「あぁ、そうだ。お嬢様にマナの使い方を少し覚えてもらおうと思っていて――」


(私は感謝されるような事なんて何もしてないのに)


 しかもスノウとは、身分の差はあれどずっと近くで暮らしてきた。それなのに彼の顔さえ知らなかった。


(どうして‥‥‥?)


 知らぬ間に恩でも売っていたのだろうか‥‥‥いつ?


 考えあぐねていた、その時だった。


「‥‥‥なんだ‥‥‥?」


 スノウから笑みが消え失せた。急に足を止め、周囲を警戒する。


「どうしたの?」


「なにか、今まで感じたことのない気配がして‥‥‥」


 酷い胸騒ぎがする、とスノウが呟く。


「気配?」


「‥‥‥何だろう、物凄く嫌な感じです。“僕だった”時に感じてた殺気や気配とは全然違う――!?」


 不穏な気配の源を探すように辺りを見回していたスノウが、不意にとある場所を凝視して、固まった。


「何だ‥‥‥あれ」


 驚いた表情のまま、数歩前に出る。視線の先には、私塾らしき木造の校舎があった。


「何か見えるの?」


 訊ねたリチアに、スノウは怪訝な顔で振り返った。


「黒い靄のようなものがあの建物の向こうに‥‥‥」


 直後、リチアの表情が強張った。

 スノウの言葉が意味するものを素早く悟ったのだった。


 神の目、というものがある。極少数の人間が持つ闇の力を見抜く目のことだ。


 神官や聖職者は厳しい修行によってその力を手に入れるが、聖女は別で、生まれつき普通の人間には見ることができない不浄、穢れ、呪い‥‥‥闇の力の類を感知、視認することができる。


 リチアも何度か見た事がある。その時の光景は、今スノウが言ったこととほぼほぼ一致していた。 


「まさか‥‥‥邪気!?」


 リチアの声に答えるように、校舎の奥から悲鳴が響いた。

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