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15 救世主

 

 風の噂で『リチアお嬢様は乗馬が嫌いらしい』と、聞いた事がある。


 嫌いねぇ‥‥‥とまぁ、その時点で確実に得意ではないことくらいは、察してはいたディアムだが――その読みがいかに甘かったのか、彼は本気で後悔することになった。



 公爵令嬢リチアと騎士スノウの中身が入れ替わってから二日目の朝を迎えた。


 先日のリチア襲撃事件で、犯人をまんまと逃がしてしまったディアムたち護衛にあたった騎士たちにはその罰として苦役が課せられている。今日からそこに、スノウも加わることになっていた。


 もちろんスノウといっても、その実中身は“リチア”である。彼女にとっては人生初の労働でもあった。


 そんな日に限ってまだ朝だというのに、いっそ嫌になるくらい暖かすぎる陽気だった。春のくせにまるで初夏のような青空を見上げたディアムは憂鬱そうに目を細めた。


(勘弁してくれよ‥‥‥)


 内心でそう愚痴るが、なにも気候のせいではない。


(これ苦手とかそういうレベルの話じゃないでしょうよ‥‥‥ねぇ!!)


 ディアムは、もうどうにでもなれ、と半分やけくそな気分で厩を振り返った。


「ダメ! それ以上近づかないで!」


 ほとんど悲鳴に近い喚き声。


 厩の陰から半分だけ顔を出したリチアが、離れた距離で寂しそうに嘶いている馬を震えながら睨み付けていた。


(誰か何とかしてくれ‥‥‥!)


 途方に暮れたディアムが祈るように再び空を仰ぐ。そのかたわらでは、待ちくたびれたのか、ゆっくりと瞬きをしているもう一頭の馬が眠たそうに欠伸をした。


 ‥‥‥ちなみに、リチアを寂しそうに見つめている方の馬だが、スノウが仔馬の頃からよく面倒を見ていた馬だった。一番のご主人様たるスノウからの突然の拒絶に、馬ながら動揺が隠せないらしい。


 さっきからブルル、と切なそうに嘶いては、どこか気まずそうに俯き気味で地面を前脚で引っ掻いている。「どうしたの、ご主人様?」と甘えた目で時折リチアの方へ近づこうと試みるが、その度に例によって「ダメ! 来ないで!」と悲しくもフラれ続けていた。


 ――で、呆れた事に、かれこれ何時間もこの状態である。


(お嬢様も大概だけどさ‥‥‥お前もぜんぜん諦めないよなぁ)


 思わず馬に同情する。


 冷たいリチアと違って、健気で愛情深いその様子に何度胸を打たれたことであろうか。ついでに、一睡もせず朝食まで我慢して付き添っている自分を誰か褒めてほしい、本当に。


 イライラと膝を揺らしていたディアムは、とうとうしびれを切らしてしまった。


「あー、もう、そろそろ限界だ!」


 自身の馬の手綱を放り出し、肩を怒らせながらリチアに詰め寄った。


「いつまでそうしているつもりですか!? このままだとお嬢様のせいで俺まで大遅刻ですよ!」


 すると、厩の柱を盾にとっていたリチアが憤慨しながら叫び返してきた。


「‥‥‥なっ、私のせいにする気!?」


 心外だわ!と言わんばかりである。


「その通りでしょう!?」


 ディアムはきっぱりと言い放ち、かわいそうな馬を指差した。


「鞍をつけてから一体何時間経ったと思ってんですか!」


「だから私は最初から嫌だと言ったのよ! それをあなたが無理やり特訓なんてさせるから! 無理なものは無理なの!」


「なの、じゃないですよ! なの、じゃ! 本当ならもう街道に出ていたっておかしくないってのに‥‥‥日が暮れますよ!? 大目玉じゃ済みませんよ!? 団長に殺されますよ!? いいんですか!?」


 う、と詰まるリチアだが、すぐに開き直った。


「そ、そんなに言うなら私を見捨てていけばいいじゃないっ!」


「俺の屍をこえていけみたいな言い方しないでくれます!?」


「おれの、なに? ‥‥‥い、言ってないわよ! そんなこと!」


 一瞬きょとんとしたリチアだったが、また思い出したような顔で怒り出す。ディアムは盛大に溜息をはいた。


 冗談抜きで、時間的にもうヤバいのだ。


 しかももっとまずい事に、さっきから遠巻きに視線を感じる。周囲を見渡せば、何人か使用人と近衛兵の姿があって、ひそひそと何かを囁き合う者もいれば、こちらをじろじろと窺っている者もいる。


 さもありなん。この光景を見て変に思わない方がおかしい。


 ばっちり騎士団の制服を着た人間が、馬と長時間“だるまさんが転んだ”を繰り広げているなんて。何やってんだよ、とならない方がありえない。


「‥‥‥お嬢様、せめて城外には出ないと。触れなくとも手綱を引っ張るくらいは我慢してやってください、マジで!」


「う‥‥‥分かったわよ‥‥‥」


 渋々といった感じでリチアが肯く。


 しかし、やっと手綱を持ってくれたことが嬉しかったのか、猫のようにすり寄ろうとした馬にリチアがビクッとして離れてしまう。


(あーもう!)


 うんざりとした、その時だった。


「‥‥‥フォスター卿」


 唐突に呼びかけられ、ディアムがはくっと息を止めた。それは久方ぶりに聞く、自身のファミリーネームだった。


「誰だ」


 いきなり冷え切った声を出したディアムに、リチアが驚いた顔をしていて。剣呑な視線で声のした方を辿ると、そこには若いメイドの姿があった。


「ディアム・フォスター卿ですね」


 女性が淡々とフルネームを述べる。


「ティティ!?」


 声を上げたのはリチアで、するとティティと呼ばれたメイドは慇懃な態度で礼をした。


「お二方ともこちらへ――案内人(・・・)がお待ちです」


「案内‥‥‥?」


 ディアムは眉を顰めた。だが、ティティがそれに答えることなく、二人に背を向けると速足に歩き出してしまった。





「ティティよ、私の侍女」


 歩きながらリチアがこっそりと説明してくれる。


「あなたと同じ、私が入れ替わっちゃったことを知っているの。も、もちろん侍女の中ではティティだけよ? 他の人は知らないわ」


「そうすか‥‥‥へぇ」


 上の空な相槌をうちつつ、ティティの真っ直ぐな背中を用心深く眺めた。


 なんだこの女は。隙の無い歩みで中庭を行く侍女は、どう見ても只者じゃない。


 結局二頭の馬の手綱を引くことになってしまったディアムは、ちらりと横目でリチアを窺った。


 ‥‥‥リチアは何も感じないらしい。むしろティティが来てくれたおかげか、さっきより断然顔色が良くなっていた。リチアにとっては大変心強い存在のようだ。


(‥‥‥専属の侍女か。ということは今はスノウの側使えだけど‥‥‥)


 悶々と考えていると、城門が見えてきた。


 昨晩はよく見えなかった石造りの立派な小尖塔(しょうせんとう)アーチ。その手前にある広場に入る寸前、生垣の前でティティはピタリと足を止めた。


「どうしたの?」


 リチアが訊ねる。するとティティは周囲をサッと見渡してから「お連れしましたよ」と何処へともなく声を掛けた。


「――助かりました、ティティさん」


 鈴を転がしたような苦笑とともにそんな声が聞こえて。生垣の隙間から、外套で全身すっぽりと身を隠した小柄な少女らしきシルエットが歩いてきた。


「おいおい‥‥‥まじか」


 声を聞いて察しのついたディアムが呆れたふうに呟いた。


「知らないぞ? 勝手に外へ出て叱られても」


 言いつつ、本音はちょっとホッとしたディアムである。


 少女がフード代わりにしていた外套を背中に落とすと――案の定、本物のリチアの姿があった。


「まだ間に合うから一緒に行こう、ディアム――お嬢様も」


 まごうことなくリチアの声。だがこの中身は同僚でもあり一番の親友でもあるスノウだ。


 スノウはディアムの手から素早く手綱を攫うと、迷うことなく鞍に飛び乗った。そして、さぁ、とリチアに片手を差し伸べる。


「わ、私はその、馬にはちょっと」


 顔を引き攣らせながら数歩下がるリチアに、スノウは優しい笑みでもって述べた。


「お嬢様、目を閉じてください」


「は? なんで‥‥‥」


「大丈夫ですから」


「なによ急に‥‥‥」


 戸惑いながらも、言われた通りに目を閉じた。その直後だった。


「――わわっ!」


 すかさずリチアの脚に腕を回したディアムが、そのままグッと上に持ち上げたのだ。そして驚いたリチアの手をスノウが掴み、素早く引き上げる。

 見事な連係プレーであった。


「ちょ、ほんとにダメっ‥‥‥!?」


 あっさりと鞍の上に跨ってしまった自分に驚き、リチアは思わず目を瞬いた。


 嫌なものは嫌だ。けれど、


(嘘‥‥‥乗れた!?)


「そのまま離さないように、かなり飛ばすので」


「‥‥‥え、ええ‥‥‥‥」


 戸惑いがちにリチアが肯く。


「やっと出発できるわけだけど‥‥‥これ、ほんとに間に合うか?」


 次いで騎乗したディアムがぼやく。


「ていうかそっち、思いっきり二人乗りだけどさ――スノウお前、後で妙な噂立てられんぞ」


 外套で眼暗ましはしているけど、シルエットは完全に女だしな、とディアム。


「病み上がりに女連れ込んだとか‥‥‥団長に知れたら大目玉だな?」


「そこは問題ないんじゃないか?」


 スノウはさらっと応じた。


「そっちに関してだらしのない君と一緒に出発するわけだし」


「な‥‥‥おい!? ちょっと待て‥‥‥おいこらスノウ!」


 ディアムの反駁をナチュラルにスルーし、外套をかぶり直したスノウがさっさと馬を駆る。


「お気をつけて、お嬢様」


 しれっとした顔で主人を見送るティティを尻目に、ディアムも慌てて馬を走らせた。






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