14 本音と建て前
それはスノウの妹弟たちと別れた後の出来事である。ようやく一息つけるわ、なんてリチアが思っていた矢先の出来事だった。
帰宅していく家族らを城門の橋から見送っていた時だった。真横にいたディアムが何故か真顔でこんなことを訊いてきた。
「そういえば、お嬢様。馬には乗れますか?」
「‥‥‥いきなり何の話?」
笑顔で手を振っていたリチアは、ギギギ~とぎこちない動きで首をディアムの方に回した。
「とてつもなく重要な話です。で? 乗れますか?」
真顔で聞かれる。どこか疑っているような二ュアンスだった。ただの確認といったところだろうが、そこはかとない圧を感じる。
”乗れるわよ?”
‥‥‥そう言ってほしいのだろう。リチアは口を開いた。
「それはもちろん――」
言いかけると、ディアムの表情が僅かに明るくなった。そして次の瞬間、
「乗れないけど?」
リチアは言い切った。
「‥‥‥俺の期待を返してください」
ディアムはがっくりと肩を垂れた。
――筋金入りの運動嫌いであるリチアにとって、乗馬などもはや論外である。
苦手な上にとにかく大嫌い。ちなみに、運動のくくりで格付けをするならば、その中でも乗馬は迷わずダントツ一位と言えるくらい嫌いだった。
「お嬢様! 今から乗馬の特訓をしますよ! ほら!」
寄宿舎に逃げ込もうとするリチアの腕を、寸でのところでディアムが捕まえる。
必死の抵抗を見せるリチアをディアムが厩へと引きずった。
「こ、こら、離してっ! 無礼者って叫ぶわよ!」
「もう叫んでるじゃないですかっ! もう時間が無いんですよホント! 素直に練習してください!」
本気で嫌がるリチアを容赦なく引っ張りながら言う。
(乗馬だけは死んでも嫌っ!)
リチアは当然猛抗議をした。
「乗馬だけは無理! 絶対ムリ! ホントにムリ! 百パーセントできないって断言しても良い! 昔から乗馬だけはどうしてもダメで」
「だとしてもダメです!!」
リチアの猛抗議をディアムはバッサリと切り捨てた。
「ど、どうしてよっ!?」
「今朝の団長の話を聞いてました!? 明日のブレア地区は遠いんですよ? 馬が必須なんです!」
「‥‥‥そ、そんなぁ!」
抵抗もむなしく、結局リチアは明け方まで乗馬の特訓をする事になった。
♢♢♢
「これが‥‥‥朝食?」
それはスノウの予想を上回る豪華さだった。
目の前に並べられた『朝食』を見て、まず思ったことは『誰かの記念日?』である。
呆気にとられるスノウを横目に、侍女のティティは淹れたての紅茶をテーブルに置きながらこう述べた。
「目覚めたばかりのお嬢様の体の為にできるだけ胃に優しいものを用意してもらいました」
お嬢様の体、という部分をやけに強調された。そこに関してはまぁ、そうだろう。真実この身体はリチアのものであるため、スノウはいちいち嫌味に思ったりはしない。それよりも――。
(胃に優しい? どの辺が?)
朝からステーキが出されるなんて。スノウは言葉を失った。
平皿の上に上品に乗せられていたのは小さくカットされた肉のソテーだった。一目でわかる高級感ある肉の上には、数種類のキノコを使ったソースがかけられている。もう何て言うのだろう‥‥‥盛り付け方がさながら芸術品のような一品だった。
他にも二皿メインがあって、主食となるパンは全部で三種類もあった。とろみのある乳白色のスープはお椀ではなく上品な平皿にいれられており、サラダも生ではなく湯通しして何かのソースと絡められている。見た目にも鮮やかなフルコースだった。
「当たり前だけど寄宿舎とは全然違うな‥‥‥」
騎士団の食事は基本的に質素で、肉といえばジビエのみ。日頃から遠征に備えて必要最低限度の食事に調整されていた。
年に一度だけ、建国記念日に振舞われるお祝いの料理に高価な肉が出るのだが、正直それよりも断然豪華である。スノウからすれば正しくご馳走だった。
嬉しい反面、心配事が一つ。
「すみません‥‥‥とても美味しそうなんですけど、朝からこんなに食べなくちゃいけないんですか?」
正直、見ているだけでお腹いっぱいである。
おずおずと訊ねるスノウに、ティティはやんわり「いいえ」と否定した。
「お残しになっても構いません。むしろ余るぐらいで丁度いいと思って下さい。完食するのはレディとしてあまり良いものとはされませんので」
そもそも完食することは前提条件に含まれていないらしい。‥‥‥勿体ない。ますます驚きだ。
「そうですか‥‥‥ところで、普段からお嬢様は一人で食事を? 旦那様は?」
「旦那様は既に王都へ立たれました。お嬢様が無事お目覚めになったことを陛下にご報告に行かれるんだとか。普段は何もなければ旦那様とご一緒に食べていますよ。何もなければ」
何もなければ――か。
訳あって、臣下と主人の立場だが、スノウは幼い頃からハインツとは交流がある。年頃になったリチアとたびたび口論になると、その後ハインツにこっそり呼び出されては心の叫び延々とを聞かされるような関係だった。本当は全部、愛娘の為を思っての事なんだ、と。
おおむね、リチアから同席を拒否しているのだろう。実は日がな娘の事で頭がいっぱいのハインツが「一人で食べろ」なんて、まさか言うはずがない。
スノウはそれとなく料理の方に視線を戻すと両手を合わせた。
「それじゃあ、いただきます」
「その挨拶は外ではしないで下さいね」
すかさずティティから指摘をされてしまった。
「うっ‥‥‥すみません」
厳しい視線で見守るティティを横目に、スノウはぎこちない手付きでカトラリーを持った。
‥‥‥起きた時からこんな調子である。
隙あらばマナー講師役のティティから「そうじゃない」「こうじゃない」とツッコまれるので、もう気が気ではない。
普段は食べられない豪華な料理も、こう緊張しながら食べるのでは味わうことなんてできやしない。
(お嬢様も楽じゃないな)
しみじみと思う。それにたった一人でご飯を食べるのも落ち着かない。同僚たちの賑やかな声の無い、しんと静まり返った部屋で淡々と食べ進めるのは酷く味気なかった。
(お嬢様の方は大丈夫だろうか‥‥‥)
逆の立場であるリチアの方はどうなっている事だろう。不安でならない。
「‥‥‥そういえば、今日はブレア地区に派遣される予定だったな」
ふと呟いたスノウに、皿を下げていたティティの手がピタリと止まった。
「派遣? それはお嬢様の事でしょうか?」
やけに真剣な顔で聞かれてしまい、スノウは決まり悪く頷いた。
「はい。例の事件のあおりで世間の僕達騎士団への評判は結構深刻らしくて‥‥‥要は罰みたいなものですよ。ブレア地区の橋の修繕をすることになったんですが――」
「あなたが行くはずのところに、入れ替わってしまったのでお嬢様が代わりに行くと?」
「‥‥‥その通り」
飲んでいた紅茶が一気に冷めたような気がした。淹れ立てのはずなのに。
「ブレア地区‥‥‥たしかオーディン領から近い国有地でしたね」ティティが静かに言った。
「王都から離れた国有地は四大公爵家が二年交代で管理をしているとは聞いていますが、今年からはオーディン家の管轄でしたか」
「橋の修繕といっても多分ほとんどは職人任せですよ。僕達素人は資材運びや雑用など、その時の親方次第ですが大体は重労働に駆り出されます」
「‥‥‥そう、ですか」
ティティは少し考え込む風に腕を組んだ。
「その、ブレア地区までの移動の手段は馬ですか?」
意外な角度からの質問をされ、今度はスノウが考え込んだ。
「領地から外れた場所ですし、さすがに徒歩は無理があるんじゃないですかね‥‥‥」
するとティティは、はぁ‥‥‥とあからさまに重い溜息を吐いた。
「なるほど――それは困りました」
「‥‥‥なにが困るんですか?」
オウム返しにスノウが問うと、ティティは何か不安そうに自身の腕を擦った。あまり表情を崩さないイメージの彼女にしては、珍しくも戸惑うように瞳が揺れ動く。
「お嬢様にはトラウマがあるんです。乗馬の‥‥‥」
本当に心配そうな声音である。
「トラウマ? ちなみにどんな?」
「‥‥‥馬に、触れないんです」
そう白状したティティに、スノウはキョトンと目を瞬いた。
「はい?」
「お嬢様は過去に乗馬のレッスンでそれはもう酷い目に遭いまして‥‥‥それが原因で馬が苦手なんです。指一本まともに触ることができないような人が一人で騎乗しなければならないなんて、絶対にできないと断言できます」
「‥‥‥そんなに?」
一体過去に何があったのか。気になるスノウであったが、ふとティティの真後ろにあった彫刻時計が目に入って。それを確認した直後、「まだ間に合うかもしれないな」と意を決したような顔でティティを見上げた。
「‥‥‥ティティさん、できるだけ動きやすい服と大きめの外套を貸していただけませんか?」
そう言いながら立ち上がったスノウを、やや驚いたようにティティが見つめる。
「‥‥‥なぜ急にそんなことを?」
「もしお嬢様がまだ出発されていないのなら――自分が行きます」
決まっていますよという顔で答えたスノウに、ティティはポカンとした。
「は‥‥‥?」
「街道に出るルートから少し外れますが、市街地を全速力で駆け抜ければ何とかみんなに追いつけるはずです」
「まさか、あなたが行くつもりですか? 行ってどうすると‥‥‥」
「僕の‥‥‥お嬢様の予定は特にないんですよね?」
言葉を遮りながら早口に言うと、ティティが困惑気味に頷いた。
「ええ、まぁ‥‥‥」
「じゃあ何でもいいので動きやすくて目立たない服をお願いします。もとはと言えば僕が受けるはずだった罰ですし‥‥‥遅れてさらにペナルティーを貰うような苦労をお嬢様にさせるわけにはいきません。僕がお嬢様を現場まで送っていきます」
「はぁ‥‥‥でもねスノウ、問題は馬だけではなく、お嬢様は労働自体初めてなんですよ? 分かっ
てます?」
いぶかしそうに瞳を瞬かせているティティに、スノウははっきりと述べた。
「その事も含めてできるだけお嬢様が苦痛にならないよう僕なりの責任はとるつもりです」
「責任?」
ティティは首を傾げた。
「あなたの代わりにお嬢様が労働をしに行くから?」
「それもありますが‥‥‥」
――それ“も”?
じゃあ他にはどんな責任があって? そう訊ねようとしたが、腹をくくったような顔をするスノウに、ティティはただならぬ予感を感じて黙り込んだ。
責任というか、もしかしたら『理由』があるのではないだろうか。長年リチアの側使えをしてきた身としては、あまり良くない想像しかできなくて不安になる。
「あなたもしかして‥‥‥」
思い切って口を開いたものの言葉に詰まる。そんなティティに対し、スノウは悟ったように少し苦笑した。
「お嬢様を守り切れなかった自分への責任です。そんな顔しないで下さい、ちょっとしたコツを教えるだけですから‥‥‥あぁ、ところでティティさん」
「‥‥‥何でしょうか?」
まだどこか疑り深い顔のティティに、スノウは言った。
「一つお願いがあるんですが――いいですか?」