13 家族
オーディン家居城の周囲を囲む庭園はとにかくだだっ広い。東西南北それぞれ違った趣向で造られていて、植えられている花は四季になぞらえて咲くように配置されている。
その外側を高い城壁が囲っているのだが、塀の直ぐ外側、真下には堀があって川のようになっている。当然部外者を阻むために建設時に造られたもので、敷地内に入るには必ず北か南の城門のどちらかを通らねばならなかった。
それは城主だろうと国王だろうと同じ。城内で働く臣下の身内も当然。スノウの家族とやらも門の前で息子の到着を待っていた。
魔導式街灯の明かりに照らされた城門の下、背の高い門兵二人の間に挟まれて五人の子供らしき姿があった。
――間違いなくあのコたちね、確実に。
リチアがそう思った時だった、嫌々ながら城門に現れたスノウ(リチア)の姿を見て、「兄さん!」と声が上がったのを合図に、すかさず五人中四人の子供たちがダッと駆け寄ってきた。
「お兄ちゃん!」
「生きてる!」
我先にと胸辺りに抱き着かれ戸惑ったのも束の間、勢いに押されたリチアは後ろに派手にすっ転んだ。
「ちょっと‥‥‥お、重っ!」
子供とはいえ決して幼くはない年頃四人に押しつぶされてしまった。こちらを覗きこむ顔を見てみれば、それぞれ年にして十歳前後といったところだろうか。
「う、ぐるしぃ‥‥‥っ」
もみくちゃにされたリチアは助けを乞うように背後のディアムを見上げた。
ディアムは冷や汗を垂らしながらあらぬ方に目線を切っている。
(ちょっと! 助けてくれないの!?)
リチアが睨むが、ディアムは気まずそうに肩を竦めただけで手を貸してはくれなかった。
この兄の中身が実は、「この方は公爵家御令嬢である! 控えよ!」と明かす訳にもいかないせいか、ディアムは狼狽えるだけで動かない。
(私を無理やりここまで引っ張ってきたのはこの子達に泣きつかれたからだったのね?)
面倒なことになったらどうするの?何やかんや理由を付けて帰ってもらいなさい。きっぱり言いつけたリチアに「少しだけでも! お願いします!」そう頭を下げたディアムの気持ちを、半泣きになりながら抱き着いてくる子供たちの顔を見て何となく察する。
家族にとっては感動の再開に違いない。
‥‥‥彼の気持ちはまぁ、分からないでもない。リチアは内心溜息を吐いた。
(それにしても‥‥‥どうしよう。何て言えばいいのかしら‥‥‥)
何も言い出せず困り果てるリチア。すると、遅れて近寄ってきた五人目の少年が、安堵の苦笑を浮かべながらリチアに言った。
「びっくりするのも分かるけど、さすがに分かってほしいなぁ。兄さんを待ってた俺達の気持ちをさ。もう身体は平気なの?」
心配したんだよ? そう言ってくしゃりと微笑んだ少年は、スノウとよく似た面影があった。
しかし、優しい面差しの兄と比べて、こちらは少々勝気な眼差しをしている。髪や目の色は同じだが、全体的に生意気な印象だった。
(ええっと)
リチアはやっぱり困ってしまう。こんなことなら「会いたくないわ」なんて愚痴ではなく、名前くらい聞いておけばよかったと心底後悔した。
一応、スノウは一番上の兄だとディアムから事前に聞いている。とすると‥‥‥
(私と同じくらいだから‥‥‥に、二番目?)
抱き着く他の姉弟と眼前の彼とを見比べ、とりあえずそう判断した。
「ごめん、心配かけたみたいで‥‥‥もう平気」
何か言わなければ。思い切って口を開いてみたはいいものの、リチアの言葉は微妙にカタコトで。スノウの口調を真似しようとしたつもりだったのが、よくよく考えてみればスノウの事など何一つ知らなかった。
(家族の前ではどんな喋り方してるの!?)
案の定、不思議そうに首を傾げた弟に、リチアは内心ドキリとした。
「兄さんさ‥‥‥急にどうした?」
まじまじと見つめられ、問われる。
これにはリチアとディアム、二人してびくっと肩が跳ねた。
「な、なにが!?」
何故かディアムが返事をしてしまい、リチアは咄嗟に彼を睨んだ。
(こら! 何であなたが反応するのよ!)
(す、すみません!)
(今のは絶対不自然すぎるわ!)
(ついうっかり‥‥‥)
そんなやり取りを目線で交わす二人。ところが二人の不安を他所に、弟は予想外の指摘をしてきた。
「いや、その‥‥‥髪」
「かみ!? ――あぁ、髪ね!」
リチアは咄嗟に自分の頭を撫でた。
なんだそっちか‥‥‥。リチアはホッと息を吐いた。
「兄さんいつも適当だったから。縛る方が邪魔じゃないからって前髪も切らずに伸ばしっぱなしだったじゃん。どんな心境の変化?」
「あぁ~いや、別に大したことは‥‥‥」
心境というか深層が変化しました――とは言えない。
「変‥‥‥かな?」
ぎこちなくリチアが訊ねると、
「いや? イイと思う」
「お兄ちゃんイイ!」
「カッコいい!」
思いのほか絶賛である。抱き着いていた姉弟達も目をキラキラさせてリチアを見つめていた。
(せ、セーフ‥‥‥! 無駄にヒヤヒヤさせられたわ‥‥‥)
ここであっさり事実を知られてしまうわけにはいかない。
(とにかく、早いとこ帰ってもらわないと‥‥‥ボロが出る前に)
リチアはそう心に決めると、さり気なく四人の姉弟達を退かして立ち上がった。兄だと信じて疑わない嬉しそうな瞳に、若干心苦しさを覚えながらそれとなく切り出した。
「みんな来てくれてありがとう。でも、今日はもう遅いからその‥‥‥早く、帰ろう?」
我ながらぎこちなさすぎる。しかもストレート。もっと気の利いた文句でも言えれば良かったのだが。
当然、「え~!」とごねられた。
「せっかく来たのに!」
「もう行っちゃうの?」
「もう少し!」
「お兄ちゃんとこ泊まれると思ったのに‥‥‥」
(そ、それは凄く困る!)
リチアは己の頬が引き攣るのを感じた。
困るのもあるけど‥‥‥あんな狭い部屋に五人も泊まれるわけがない。ただでさえ粗末で居心地が悪い所に六人すし詰め状態で一晩明かすなんて考えられなかった。
「お兄ちゃんの部屋は凄く狭いし‥‥‥ホラ、ベッドだって無いから‥‥‥ね?」
「え~!」
そもそも勝手に泊めて良いのかも分からない。寄宿舎が城壁の中にある以上、上官かそれより上の立場の者が許可しなければ敷地内には入れないはずで。どうしたものかとリチアが考えていると、二番目の弟が「こら」と他の姉弟達を窘めた。
「病み上がりの兄さんをあんまり困らすな! 父さんが家で待ってるし、明日学校だってあるだろ?」
「え~っ!?」
「セイル兄さんってば本当にケチ!」
「たまには遅刻したっていいじゃん!」
「ダメに決まってるだろ。俺達の為に働いてくれている兄さんと、学費を貸してくれている領主様に失礼だ」
(この子セイルっていうのね‥‥‥ていうか、学費を貸すって? まさか借金!? 領主って‥‥‥お父様のこと!?)
――それも五人分!? 聞いてない!
唖然としてしまったリチアに、セイルが苦笑した。
「大丈夫だよ兄さん? そんな顔しなくてもちゃんと帰るからさ」
「う、うん‥‥‥」
「あ、そうそう、あとさ」
セイルはズボンの後ろポケットから何かアクセサリーのようなものを取り出した。
「王宮への派遣が決まったってこの前手紙で言ってただろ? だからそのお祝いに、俺達全員で作ったんだ」
そう言って差し出されたアクセサリーを、リチアは受け取り己の手に乗せるとしげしげと眺めた。
(凄く綺麗だけど‥‥‥これ、何かしら?)
青いガラス玉と銀色の房紐が二本付いたキーホルダー。これに反応したのはディアムだった。
「おぉ! これ剣穂じゃないか!」
リチアは首を傾げた。
「けんすい?」
「剣の柄頭に付けるもので、眼暗ましの効果があって相手に剣筋を読まれるのを防ぐことができるんですよ!」
「へぇ‥‥‥」
「しかもまた偉く良い素材を‥‥‥お前たちなかなかやるなぁ」
感心するディアムに、セイルはフッと鼻を鳴らした。
「俺だってもう働いてるんだから、これぐらい当然だよ」
「なにっ!? ちょっと前まで雨に濡れるとす~ぐ風邪をひいてたお前がかっ!? なにかっちゃぁ『兄さん兄さん』って言ってた、あの鼻水垂れのお前が!?」
「そ、それは昔の話だろ!?」
やいのやいのと言い合うディアムとセイルを横目に、リチアは剣穂を困った顔で眺めた。
(なんか物凄く悪い気がしてきたわ‥‥‥)
本当はスノウに送られる筈だったもの。しかも昇進のお祝いなのに、その話がどうなるのかも分からない状況であることをこの子供たちは知らない。
リチアは後ろめたい気分になった。
「‥‥‥気に入らなかった?」
姉弟のうち一番背の低い妹が不安そうな表情でリチアを見上げてくる。
「その紐エルが選んだの。本当はみんな青が良いって言ってたんだけど、エルはお兄ちゃんの髪の毛の色が良いって思ったから‥‥‥ダメだった?」
自分の事をエルと言った妹の髪の毛だけは、他の姉弟達とは違い小麦色だった。
ややそばかすの浮いた頬とくりくりとした目が可愛らしい。しゅんと肩を落としかけてしまうエルに、リチアは笑いかけた。
「ううん、嬉しいよ。ありがとね?」
――せめて本人にもそう伝えておかなくちゃ‥‥‥
内心気まずく思いながらも、リチアの言葉にエルと姉弟達はパッと顔を綻ばせた。かえってその笑顔でますます居心地の悪い気分になったのだが、リチアは曖昧に笑うことしか出来なかった。
(‥‥‥もし一生元に戻れなかったら、ずっと嘘を吐き続かなければいけないのね‥‥‥この子達に)
それにスノウが下民だということは、この子達も同じく下民であるはずだ。
セイルは働いていると言っていたが、大人でもない彼が就ける職業といったら限られる。どこかの屋敷の下働きか、はたまた物売りか‥‥‥上手く雇ってもらたとしても日雇いの不安定な仕事ばかりだろう。その上、重労働のわりに収入は雀の涙程度のものが多い。
父親を含めて六人分の生活費‥‥‥スノウは必死だったに違いない。
まだ騎士として昇格できる可能性があると聞いた時の、あのスノウのホッとした顔。‥‥‥リチアは胸が痛んだ。
王家の騎士団は並みの努力で入団できるような甘い軍ではない。
それこそ血の滲むような努力をしたのだろう。守るべき家族の為に。
早くこの子達と離れなくちゃいけない--そう思っていたのに。
「もう少しだけ‥‥‥一緒にいようか」
リチアは自然とそう言っていた。
自分自身に呆れたのも束の間。この提案を予想以上に喜んだエルたちによってリチアは再び背中からひっくり返ったのだった。