12 新生活始めました その3
一般人が貴族に対しよく、「ティーカップや羽ペンより重いものなど持ったことが無い奴らだ」なんて笑うが、正直なところ「確かに‥‥‥」と、スノウは身に染みて実感していた。
お世辞にも「そんなことはありませんよ」とは言えない。揶揄なんてするつもりはないが、非力なのは間違ってない。
リチアの身体がまさしくそうだ。ちょっと走っただけなのに既に筋肉痛が起きている。
本来のスノウのようにマナで肉体強化も出来ないところがまた致命的だった。
‥‥‥何が言いたいのかと言うと、このままでは危機に直面した時に何もできずに死ぬかもしれない、ということだった。
隙を突かれれば最後‥‥‥ということも全然あり得る。
で、現在。さもありなんという状況に陥っている真っ最中だった。
「何ですかこの状況は‥‥‥」
スノウは今、バスルームの中にいる。恐らく全裸で、何故か両手に拘束を受けている。
恐らく、というのは目隠しのせいだった。つまり視界ゼロ。この状態にされるまで口まで塞がれていた念の入れようで、スノウはもう、降参するしかなかった。
風呂に入ると言ったが否や、リチアとティティに羽交い絞めにされ、今の状況になったのだ。持ち前の非力のせいで、さっそく裏をかかれたわけだった。
「動かないで」と命じられたスノウはただただじっとして背中を洗われている最中で、すると後ろにいたリチアが厳しい口調でこう言った。
「着替えなら百歩譲って我慢するわ。でもね? いくらなんでもお風呂は無しよ、お風呂は」
「そうは言いますけど、さすがにコレは‥‥‥何も手まで塞がなくても」
スノウの控えめな反論を、リチアは「何言ってるの?」とピシャリと撥ねつけた。
「生真面目だろうと大人しそうな見た目だろうと、うっかり魔が差さないなんて保証はないんだから!」
「う‥‥‥まぁ不安も分かりますけど」
「それに、シルベットがいつだったか言ってたの。男はみんなケダモノだから気を付けなさいって」
「ケダモノ‥‥‥」
「これから毎日私とティティが洗うから――あと、私に黙って着替えちゃダメよ?」
「えっ」
「着替えは必要最低限。事前に私かティティに報告してちょうだい。必ず目隠しでティティに着替えさせてもらう事。勿論お手洗いに行くときはティティ同伴よ。長時間一人で個室に籠るのも禁止!」
「わ、分かりました」
「――あ! それから明日のディナーで、料理長にイチゴのケーキをデザートに作るようお願いしてきてくれる?」
「ケーキ?」
「髪を切る道具を借してくれたメイドへのお礼よ。とびきり甘くて冷たいものを用意しておいてね」
「はぁ‥‥‥承知しました」
「それと」
「‥‥‥まだ何か?」
「目が覚めた時に見ちゃったんだけど‥‥‥アレ、寝てる時っていつもあんな風なの?」
「アレ? 何のことです?」
「‥‥‥し、下よ、下のこと」
「下‥‥‥? ‥‥‥‥‥‥っ゛!!?」
直後、スノウは真っ赤になって絶句した。
♢♢♢
「‥‥‥ちょっと、そんなにクヨクヨしないでくれないかしら?」
波乱のバスタイムを終え、自分の為に用意された食事をスノウの身体で味わっていたリチアは、ソファーにて撃沈している自分の姿に呆れた視線を投げた。
先ほどのリチアの質問がかなり堪えたのか、シルクの寝間着に身を包んだスノウは俯いたまま動かない。
「食べないなら私が食べちゃうわよ?」一応声はかけたのだが、かれこれリチアが食事を始める前からこれである。
――そんなにショックなの?
リチアは、むしろ私の方がショッキングだったわよ、なんて思っている。起き抜けであんな凶器を拝ませられた(自分で見た)上に、それがまさか自分の身体で起こっていた事だなんて。
当事者である私の方がよっぽど衝撃的だったと思うわけで。だから「もうお嫁にいけない」みたいな顔で凹むのは本当によしてほしい――リチアはうんざりとした顔でカトラリーを置いた。
「いい加減にしてよスノウ! 何であなたの方がそんなにショックを受けてるの! 普通、そういう問題は私の方が凹む立場にあるでしょう?」
そう捲し立てつつリチアはテーブルナプキンを卓上に投げつけた。グラスの水をグイっと煽ってからドン!と叩きつけるように置き、彼女は腰を上げるとつかつかとスノウの前に移動した。
尚も撃沈し続ける情けない己の姿を上から見下ろし、腰に手を当て強く非難する。
「ちょっと恥ずかしい思いをしたくらいでこの世の終わりみたいな顔をするのはやめてくれる!? あなたそれでも男なの?」
「‥‥‥今は女性ですけどね」
食器を片していたティティが小声でツッコんだ。
「見た目の話じゃないわよ! ――とにかく、あんな風にならないようにするためにはどうしたらいいのかを知りたいの。自分の体の事じゃない、スノウなら分かるでしょ?」
詰問するリチアに、ティティは憐憫の眼差しでスノウを眺めた。
(彼が落ち込んでいる理由はそもそもお嬢様のせいなんですけどね‥‥‥)
国唯一の聖女としてもそうだが、一般人の感覚から隔絶された環境下の中で育ったお嬢様にして元王太子の婚約者であったリチア。
そういった方面ではある意味清く正しく育ってしまった彼女は、まさか自分がセクハラ発言をしているとは少しも思っていないのだろうな、とティティは同情を禁じ得ない。
(同い年くらいのお友達でもいればいいんですけどねぇ)
そうであれば、少なくともこういった考えなしの言動は出なかったのではないだろうか。
過去に一度開いたサロンをミネルヴァ公女に台無しにされて以来、リチアは自らサロンを開催しないどころか他の御令嬢の集まりに参加すらしなかった。言わずもがな、同年代の友達などいるはずもなく――異性との交遊などもちろんない。
(それにしても、彼の凹みようは何でしょうね‥‥‥)
そりゃあ、男にだって女性に見られたくないモノの一つや二つあるだろう。
(けれど、なんとういかこれは‥‥‥)
「スノウ! ねぇちょっと聞いてるの?」
「‥‥‥それ以上聞かないで下さい」
尚も追及を止めないリチアと、今にも灰と化して消えてしまいそうな雰囲気のスノウを、ティティは少し不安な気持ちで眺めたのだった。
♢♢♢
時間も遅くなってきた頃、「そろそろ寄宿舎に戻った方が良いのでは?」とティティに促され、リチアは渋々と寄宿舎に戻ってきた。
「スノ‥‥‥じゃなくて、お嬢様! 探しましたよ!」
スノウの私室の扉を開けると、リチアの帰りを中で待っていた者がいた。
「あなた‥‥‥ディアム?」
後ろ手で扉を閉めつつ、リチアはギョッと目を見開いた。床に座っていたディアムが、一見誰か見分けがつかないほど汚れていたからだ。
どちら様? 思わずそう言いたくなるような変わりよう。ものすごく汚い。砂塵に塗れている上に、髪が逆立つほど乱れている。かなり疲れているのか頬がげっそりしていた。
「まるで狩りでもしてきたみたいね‥‥‥何をしてきたの?」
「団長から命じられた橋の修繕ですよ、これがもう本当に大変で――じゃなくて! お嬢様すみません! 今すぐ城門まで来てください! 俺も行きますんで」
慌てたディアムに両肩を掴まれ、強制的に回れ右をさせられる。そのまま扉に向かって背中を押され、リチアは何事!? と戸惑った。
「ちょ、ちょっと!」
かかとでブレーキをかけつつ、首だけ回してディアムに見る。
「いきなりなに!? 城門って、説明くらいしてくれる!?」
するとディアムは一瞬我に返ったかのようにハッとすると、リチアの背中から手を放した。
「‥‥‥来たんですよ。スノウが目覚めたって一報を気の利く同僚が送ったらしくて」
ディアムが気まずそうに肩を竦めた。
「来た? ‥‥‥誰が?」
嫌な予感しかしないけども。聞かないわけにはいかない。
「スノウの、です」
「‥‥‥え? なに?」
「スノウの、家族です」
うわぁ‥‥‥やっぱり聞くんじゃなかった。
リチアは激しく後悔した。
スノウのフリをして彼の家族に会わなければいけない――つまりそういう事だった。