第1章 空蝉の空論 : 第8話 来年の花火も君と見たい
この身を焦がすほど欲していた、幸せな日々。
信頼できる優しい友人たちに囲まれ、恋人に愛されるありふれた幸せ。
どれ程背伸びしても努力をしても、化け物の様な容姿をした最低な母親から生まれた子供には到底手に入らない普通の幸せ。
存在自体がイレギュラー、存在しているだけで罪だと後ろ指をさされる存在。
貴方はそんな私に幸せになっていいと、生きていていいと教えてくれた。
その時私は初めて生きたいと声にした。
誰も私を責めることなく、その言葉を受け入れて肯定してくれた。
私の冷たい手に人の温もりというものを教えてくれた。
私は生きたいと強く思った。
長い長い夏休みが残り4日になった8月20日の晩、今日も相変わらず暑い一日だった。
少しだけ明るくなったリビングでドラマを見ながら、アイスを齧っていた。
今年の夏休みは今までの人生の中で一番楽しかった。
お泊り会をしたり、天体観測をしたり、皆の宿題を手伝ったり、遊園地に行ったり。
思い出すだけでも自然と笑みが零れる。
明日は皆と何をしようかな。
そんなことを自然と考えられる幸せが、今ここにある。
今日はこの街で最後に行われる夏祭りで街は賑わっていた。
柘榴の手によって浴衣に無理矢理着替えさせられた私は、履き慣れない下駄を鳴らしながら珀君との待ち合わせ場所を目指していた。
珀君と付き合ったことを柘榴に伝えたらどんな反応をするのか不安だったが、反応は予想以上にあっさりしていた。
『おめでとう!』
まるで自分の事の様に喜ぶ柘榴の表情に安堵し、私は柘榴に聞かれるままに付き合った経緯等を話した。柘榴は最初の方は羨ましそうに話しを聞いていたが、最後には私はもっと素敵な恋人を見つけてやるんだから、と意気込んでいた。
失恋直後だというのに心配させまいと明るい笑顔を向けてくれる彼女は本当に心から誇れる恋人だ。
私は浮足立つ足取りのまま、初デートの待ち合わせ場所に到着した。
「珀君、おまたせ。」
「さだめ、今日は来てくれてありがとう。…浴衣、似合っているね。」
浴衣姿の私を見て、珀君は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「とりあえず露店を回ろうか。」
そうだね、と微笑み珀君から差し伸べられた手を取ると、手をつないで露店を回る。
金魚すくい、的あて、くじ引き、ヨーヨー釣り、綿あめ、タコ焼き、かき氷、焼き鳥。
カラフルな露店を見ながら祭囃子の鳴り響く狭い道を練り歩く。
時折人が多くてはぐれそうになったが珀君はしっかりと私の手を握っていてくれた、そのおかげで私たちはずっと一緒にいることができた。
「お、金魚すくいがあるな。」
ふと珀君は金魚すくいの露店の前で足を止めた。
「金魚すくいすきなの?やってみる?」
そう提案してみると珀君は「見てて」と意気込み、腕まくりをして金魚すくいを始めた。
一見するとクールな珀君だが、所々に子供っぽいところがあって時々可愛いなと感じてしまう。
「お兄さん、金魚すくい上手だね。」
金魚すくいの露店の店主が感心したようで声を掛けてくる。
広い水槽から珀君の手元にあるケースに次々と金魚が捕らえられていく。
「———っあ、ポイが敗れた。」
大きな出目金を掬おうとしたところでポイはあっけなく破れ、出目金は大きな水槽の中へと戻っていった。
「お兄さん残念だったね。」
店主はなんだか満足そうに笑いながら、珀君の手元のケースの中にいる金魚をビニールの袋に移して珀君に渡した。
「惜しかったな。」
珀君は残念そうにしながら貰った金魚を一瞬見つめると、私に差し出してきた。
「さだめは一人暮らしだから、金魚でもいたら少しは寂しくないだろ。」
彼は本当に優しい人だ。
「ありがとう、時々この子たちを見に来てね。」
「ああ、約束だ。」
日々増える約束、あっという間に過ぎていく時間。
この幸せがずっと続けばいいのに、なんて独り言のように呟く。
「続くよ、この先もずっと。
約束する、来年も二人で花火を見よう。」
小指と小指をつなぐ。
約束だよ。
来年もまた。
大きな爆発音。
大きな花火が空に咲く。
この景色をまた君と見たい。
おそろいの思い出を作っていこう。
もう怖くない、もう一人じゃないから。
夏休みが終わりを告げる。
幸せを手に入れた少女の世界。
…しかし、少女の世界は残酷なほどに平等であった。
嗚呼、なんということだ、この世界は悲劇で溢れている。
この身を焦がすほど欲していた、幸せな日々。
信頼できる優しい友人たちに囲まれ、恋人に愛されるありふれた幸せ。
どれ程背伸びしても努力をしても、化け物の様な容姿をした最低な母親から生まれた子供には到底手に入らない普通の幸せ。
存在自体がイレギュラー、存在しているだけで罪だと後ろ指をさされる存在。
貴方はそんな私に幸せになっていいと、生きていていいと教えてくれた。
その時私は初めて生きたかったと声にした。
誰も私を責めることなく、その言葉を受け入れて肯定してくれた。
もうすぐで人ではなくなる私のこの冷たい手に人の温もりというものを教えてくれた。
私は生きたいと強く願った。




