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第1章 空蝉の空論 : 第2話 合わせないアンダンテ


 他人と違うアンダンテ、決して合わせないようにしたアンダンテ。

 他人を傷つけてしまうからそうするのかい、アンダンテ。

 必要ないからだよ、アンダンテ。




 瞑っていた目を開けてみると、そこにはいつもと変わらない表情をした世界があった。

 いつだって変わらない表情を浮かべる世界にうんざりとしてため息をガムの様に吐き捨てると、私もまたいつもと同じように俯きがちに歩き始める。

 ひたすら雨の降り続ける鬱陶うっとうしい季節は夏に移り変わる準備を始め、今日も青い空が私の頭上に広がる。まだ数の少ない蝉たちは、その生を賛美するように鳴いている。

 よたよたと白線の上を踏み外さない様に歩んでいると、民家の窓ガラスに映った自分自身の視線に気が付く。

 ガラスに映った私は相変わらず疲れ切った顔をしており、目元にはクマをこさえている。

 白いと表すより青白いと呼ぶ方が相応しい肌、通っている高校の制服である黒いカッターシャツとひざ下丈の黒いスカートを身にまとっている私の姿はまるでこれからお葬式に参列するような恰好かっこうをしている。

 真夏日だというのに長袖のカッターシャツを着ているせいか、すれ違う人々から不思議そうな目でじろじろと見られる。

 他人からの視線と気温の暑さにより体中から吹き出し滴る汗が乾いたコンクリートの地面に零れ落ちる。


 「右に曲がります、ご注意ください。」


 それは聞き慣れたトラックのアナウンス。

 大型のトラックが、渡ろうとしていた目の前の横断歩道を猛スピードで通過していく。

 こんなにも大きいトラックにかれてしまえば安易に潰されて死んでしまえるのだろう。

 なんてくだらないことを考える、卑屈で曲がった日々を繰り返している。

 そんな日々にうんざりして苛立ちを覚えた私は足元に転がる石ころをなんとなく蹴り飛ばしてみる。

 勢いよく転がった石はやがて古い日本家屋の木製の塀にぶつかる。

 壁にぶつかった石を見つめていた視線は、やがて塀に無造作に貼り付けられたポスターへと移る。


 『命は大切に。』


 それは自殺を防止する電話相談のポスターのキャッチフレーズだ。

 命は大切に、という割にはいつ、何度電話をかけても繋がらないその電話番号。

 そのフレーズに無責任さを感じ、スカートのポケットに無造作に手を突っ込むと、ポケットに入っている音楽プレイヤーの音量をほんの少し上げた。



 三千世界のその中で、今日も生きている。

 私がこうして曲を一曲聞き終えている間にも、どこかで誰かがその人生に幕を下ろしている。

 黒いカッターシャツの袖口から少しだけ顔を出す包帯の下では、手首を絞られているような鈍い痛みが常に続いている。

 私は痛みを感じる度に生きている事を実感してしまうような愚かな人間だ。

 


 私、祀奇乃櫻しきのざくら さだめは、この街で一番大きい病院の医院長 祀奇乃櫻しきのざくら 正正ただまさの3番目の子供。

 兄と姉がいるが高校生になってから一度も会っていない。

 それもそうだ、家族どころか親戚にすら気味悪がられており、且つ自分たちと血の繋がっていない愛人の子供と家の外でわざわざ時間をいてまで会おうと思えるはずがない。

 そんな私を、家族とも親戚ともうまくできない汚点ともいえる私を、父は高校生になった途端に様々な理由をつけて家から追い出しひとりで暮らすことを強要した。

 父は家賃や生活費には不自由のないように仕送りをしてセキュリティのしっかりしたマンションに私を住まわせくれているが、未成年である高校生にひとり暮らしをさせるという事は、父も心の底では私のことを快く思っていないのだと思う。

 

 風に揺れる横髪を耳にかけ、見上げる。

 刑務所の様な膨大な敷地と建物、その建物を覆う厳重な柵とセキュリティ。

 この街の真ん中に堂々と聳え立つその建物は私の通う高校、私立雉鳴高等学園しりつきじなきこうとうがくえん


 本当はこの学校に入学したくなかった。

 本当は公立の高校に通って普通の人間として、平和で幸せな学生生活を送り、ごく普通な青春を謳歌おうかしたかった。

 何より、家柄など関係のない学校に通う事で愛人の娘という事を忘れて生きたかった。

 そんな私の思いは父には届くことはなく、父の病院の宣伝の為にお金持ちの子供たちが多く通うこの高校に入学させられた。

 その時のことを思い出しただけでもはらわたが煮えくり返るような苛立ちがこみあげてくる。

 苛立ちにより芽生える激しい衝動を抑え込むと、足早に下駄箱へと向かい上履きに履き替える。

 靴を下駄箱に仕舞っていると、ふと今日が日直であることを思い出して日誌を受け取りに下駄箱の正面にあるガラス張りの職員室へと向かう。


 職員室内の出入り口付近に各学年とクラス別に日誌をいれた棚があり、朝は必ずそこに日誌が入れられている。ふと今日の授業を確認したくなりその場で日誌を開けると、1時限目の授業がホームルームに変更されていた。


 「おはよう、祀奇乃櫻さん。」

 何故授業を変更されているのか疑問に思い首を傾げていると、日誌を受け取りに来た私に気が付いた担任の狐邑こむら先生が声をかけてくる。

 大人の色気と母性に近い優しさを持つ狐邑先生は、クラスメイトのみならず、他のクラスやほかの学年の生徒からも人気があり、生徒から個人的な相談も持ちかけられるほど信頼もされている。そんな先生のことを、劣等感からかどうしても好きになれない。

 「日直の仕事、今日一日よろしくね。」

 狐邑先生はポンと私の肩をたたくと、顔を覗き込むように目を見つめると冷たい目をしたまま微笑む。そんな狐邑先生の表情にどこか不気味さを感じて、全身に鳥肌が立つ。

 一時限目がホームルームになったことも気になるが、これ以上ここにいても精神的にしんどくなるだけだと考え、開きかけた口を閉じて先生に軽く会釈えしゃくをすると職員室を後にしてその足で教室へと向かう。


 一段、また一段と階段を上る。

 私の教室がある最上階である4階からの景色はなかなかいいもので、換気の為に開け放たれた窓から見える情景は何故か酷く新鮮に思えた。

 青い空、若葉の生茂る木、登校してくる生徒たち。

 そんな特別でも何でもない日常を映す窓を横目に、教室の扉を開ける。

 がらりと開く扉の先の光景に私は息を呑んだ。


 まだ朝休みだというのにクラスメイトの大半が何をするでもなく自分の席に着き、虚ろな目で何も書かれていない黒板を見つめている。

 そんな教室は夏だというのに異様に冷たく感じ、そしてとても静かだった。


 私のクラスはこんなに暗く不気味だっただろうか?と、異様な光景に首をかしげていると、足音がこちらに近づいてくる。


 「おはよう、教室の前で立ち止まってどうしたの?」

 良く透き通るはっきりとした少女の声が、お葬式の様な教室内の空気を切り裂く。

 少女の声に反応するかのように先程まで席に座っていた不気味なクラスメイト達が一斉に動き出すと、それぞれ仲のいいグループで集まって談笑を始めた。

 「ほら、行こうよ。」

 おかしな光景に目を点にしていると、はっきりとした声の赤髪の少女が私の手を握り教室へと導く。

 教室の窓から差し込む太陽の光が少女を包む。

 その光景はまるで彼女が光を放っているかのように見えて、とてもまぶしかった。

 私の眼球を潰してしまうのではないかと思うほど眩しかった。

 「何かあったら親友の私に何でも相談してね、力になるから。」

 中高生の間で横行する親友という名称のバーゲンセール。

 親友という関係はお互いの時間や行動を縛り付ける面倒な口約束にも関わらずみんなそう呼びたがるのは、心のどこかで誰かの特別な存在になりたいと願っているからなのだろうか。

親友の存在など大人になると忘れてしまう程度の関係のくせに、なんて滅多なことは言えずに言葉を呑みこんでありがとう、と微笑む。

 「そういえば、今日の一時限目が変更になったんだって。

 なんでもこんな時期に転校生が来たらしくて、急遽きゅうきょホームルームに変更になったって話。」

 良く透き通るはっきりとした声の少女の名前は クレナイ 柘榴ザクロ

 彼女は私の友人のひとりで、燃えるように赤い髪は後頭部でひとつに結われていて、その髪の束は動いても邪魔にならない様にバレッタで固定している。

 釣り目で気の強そうな眉と成人女性の平均身長よりもはるかに高い背、モデルだと紹介されても違和感がないくらい整ったスタイル。そんな見た目通りに勝気な性格で、頼れるお姉さんの様な存在である。

 「そういえば昨日のTV番組見た?」

 好奇心旺盛こうきしんおうせいな彼女の会話はすぐに移り変わる。

 好きでもない話、興味のない話に適当に相槌あいづちを打ち、笑いたくもないのに笑顔を作る。

 笑顔を作る反面で、心のどこかで何かが軋む音がした気がした。

 今この時間を素直に楽しみ、笑えるこの人達が羨ましいと思えた。

 

 父が私の意見を無視してまでこの学園に入学させた理由は父が医院長を務めている病院の宣伝の為。私が富豪や名家の子供が集まるこの高校で親しい友人を作ると、その友人の親族や知人が病院を利用してくれて儲かるとのことだ。

 父としては、少々金のかかる歩く広告としか思われていないのであろう。

 本当に醜悪しゅうあくな父親でいて、流石私の父親である。



 「おはよう、今日も柘榴は元気一杯だな。」

 友人たちの会話に適当に返事をしながら考え事をしている私の耳に落ち着いた低い少年の声が届く。

 その声の聞こえた方向へ反射的に視線を向けると、いつの間にか紅さんの背後に銀髪の少年が立っており、くしゃくしゃと紅さんの頭を撫でている。

 「私はいつだって元気よ。」

 頭を撫でられると髪がぼさぼさになると紅さんは拒絶しているものの、紅さんの頬は紅潮している。

彼は紅さんの幼馴染にして想い人である、式ノしきのかご はく

灰色の髪に凛々しく整った顔立ち、袖からすらりと伸びる長い腕や手指は男性らしくごつごつとしている。

 彼は剣道部のエースで次期部長候補とされていると紅さんから聞いたことがある。

 顔が整っていて身長は高く、成績も良い上に運動もできる。

 女性の憧れを凝縮ぎょうしゅくしたような彼は、噂によるとこの街を治めているヤクザの組長のひとり息子だとか。


 紅さんと式ノ籠は毎朝こうしてじゃれあっている。

 毎朝飽きることなく式ノ籠君が悪戯をして、紅さんに怒られたり追いかけまわされたり。

 これでいて2人は付き合っておらず、紅さんの片想いなのだとか。

 目の前で繰り返される茶番はなんとくだらなく無駄なものであろうか。

 抱えきれなくなった感情を抑え込むように、身体の後ろで左手の手首を強めに引っ掻いては握り絞める。

 


 鈴の音が授業の開始を知らせる。

 チャイムの音に慌てて自分の席に座る。

 私の着席と同時に扉が開き狐邑先生と見慣れない男子生徒が教室に入ってくる。



 「このクラスに新しく仲間が増えます、彼は 斐妥宗ひだむね めい君。

 みんな仲良くしてあげてね。」


 斐妥宗 明と紹介されるその少年は、男の子にしては長めの黒い髪と白い肌の色をしていて、顔は整っている。切れ長の目は鋭く、獲物を狙う獣の様にギラギラと光っている。

 「斐妥宗 明です、今日からよろしくお願いします。」

 容姿が式ノ籠君に負けず劣らず良い為なのか、先程まで静かだった教室がクラスメイト達の黄色い歓声を上げる。

 そんな光景に嫌気がさし、転校生には目もくれず机に突っ伏し目を閉じる。

 不眠症で眠れないことが多く、目を閉じるだけで夢の世界に引きずり込まれた。




 それから何度目のチャイムが鳴っただろうか、気が付けば走り抜けていく足音が放課後になったことを知らせる。


 「さだめ、また明日ね。」

 部活へと向かう紅さんに手を振り微笑む。

 彼女とはたくさん話すけれど一緒に部活に行かないし、一緒に帰らない。

 でも明日の為にさようならはする。

 明日も仲良くしてね、と。

 明日も、その次の日もきっとこんな日常が繰り返されるのだろうなと考えながら鞄に筆記用具や教科書を詰め込むと日誌を返却し下校するために教室を出る。

 


 「祀奇乃櫻さん、丁度良かったお願いしたいことがあるの。」

 教室を出ると偶然狐邑先生と出くわし声を掛けられる。

 「これから斐妥宗君を学校案内しようと思ったのだけど、急遽きゅうきょ出張に行くことになったの。今日の日直は祀奇乃櫻さんだったから代わりにお願いしてもいいかしら。」

 「わかりました、日誌は今お渡ししても大丈夫ですか。」

 「受け取っておくわ。」

 日誌を受けとると狐邑先生は耳元で囁いた。

 「良い子の内申点は上げないとね。」

 その言葉に全身に鳥肌が立ち、狐邑先生から距離を取る。


 職員室には生徒の目につくところに各先生の予定が書かれたホワイトボードがある。

 今朝確認した時にはそのホワイトボードに狐邑先生の放課後の予定は何も書かれていなかった。

 短時間に出張の予定が決まることなどこれまで見たことがなかった。

 そうなると、先生はこの広い校内を案内するのが面倒で、内申点を餌にして日直の私に押し付けたのだろう。

 もっとも、彼女は私の内申点を上げるとは一言もいないけれども。


 苛立つ感情をふさぐように自分の手首を強く握りしめると、転校生の居場所を聞き出し、狐邑先生に見送られながら転校生の待つ1階の応接室へと向かう。


 先程強く握りすぎたせいか、朝よりも手首の痛みが増していた。

 階段を一段降りる度に心臓が段々と騒ぎ出していく。

 この胸の中で騒ぎ出す心臓は、先程の狐邑先生に苛立ちを覚えて騒いでいるのか、それとも今日転校してきたばかりの斐妥宗君と会うに緊張して騒いでいるのだろうか。

 黄緑色の応接室の扉に向き合う。

 騒ぐ心臓を落ち着けるように深呼吸をすると、応接室の扉についている冷たいドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。

 応接室の扉を開けると、6畳ほどの狭い空間に置かれたソファーに腰かけていた斐妥宗くんと目が合う。

 「祀奇乃櫻 定さん、だよね。

 改めて 斐妥宗 明です。これからよろしく。」

 斐妥宗くんはソファーから立ち上がると、微笑み、右手を差し伸べてきた。

 「狐邑先生の代わりに学校の案内をする祀奇乃櫻です。

 こちらこそ、よろしく。」

 反射的に挨拶を返し、差し伸べられた右手を握る。

 そうして、自己紹介を済ませた私たちはどちらともなく、放課後の校舎へと足を進めた。

 

 

 私立雉鳴高等学園は最近できたばかりの歴史の浅い高校である。

 しかし富豪や名家の親からは人気があり、今や名門校として名を連ねている。

 その理由はこの学校の膨大な敷地と設備、なによりサポート面が非常に魅力的であった。

 まず、部活は一般的なものはもちろん、乗馬や弓道、フェイシングなど社交の際に必要なものを習える上にその部活にずっと所属しないといけないという概念がいねんが存在しない。その為、ある程度こなせるようになれば他の部活に移るという生徒もいる。

 完全下校時間は21時、校舎には授業に必要な共必以外にも食堂や塾、休憩室やシャワールームなどの設備もあるので一日の半分を学校で過ごす人もいるそうだ。

 そんな膨大なこの学校の案内にはかなりの時間がかかり、学校案内を始めて1時間ほど経っていた。


 他愛たあいもない話をしながら私と斐妥宗君は学校を巡り、校舎の案内は何事もなく終わった。そうして、私たちは下校するために下駄箱へと向かっていた。


 運動部の掛け声、吹奏楽部の演奏が廊下に響く。

 窓から差し込む夕焼けの赤い色が目に映る。

 ふいに窓の外に見とれている私の手首を斐妥宗君の手が掴む。

 「痛い。」

 手首を掴まれたことにより手首の傷が痛み、反射的に斐妥宗君の手を振り払ってしまう。

 「ごめんなさい。

  袖口から見えた包帯が気になってしまって。」

 斐妥宗君は焦って手を戻し、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。

 「これは、なんでもないの。」

 触れてほしくない話題に、私は口をつぐみしどろもどろになる。

 弁解しようかと斐妥宗君の目を見つめると、彼の目は今にも泣きだしそうなほど潤んでいることに気が付き不意に言葉が零れる。

 「斐妥宗君、あなたは一体?」

 彼の視線は私が何かしてしまったのではないかと不安にさせ、無意識に彼の目元に手を伸ばす。

 その手は彼に触れる前に斐妥宗君の掌に包まれた。

 「さだめさん、もう大丈夫だよ。」

 斐妥宗君は驚き言葉を失っている私の手に、紙切れを握らせる。

 「もう時間がない。いつでもいい、困ったら連絡して。」

 彼は小さく囁くと名残惜しそうに私の手を離し、迷路のような校舎の奥に消えていった。



 「あれ、さだめ?

 帰ったんじゃなかったの?」


 何が起こったのかわからず廊下に立ち尽くしていた私の耳に、聞き覚えのある声が届く。


 「あ、式ノ籠君。

 …実は転校生に校舎の案内をしていたの。」

 声をかけてきたのは袴姿の式ノ籠君であった。

「先輩、急に走ってどうしましたか。」

袴姿はかますがたの式ノ籠君に見とれていると廊下の角から別の袴姿の少年が現れる。

 「さだめ、紹介するよ。

 彼は部活の後輩の尾流びりゅう 葉風はかぜ

 葉風、この人は同じクラスの祀奇乃櫻 定さんだ。」

 尾流君ににこりと微笑むと、恥ずかしがり屋なのか軽く会釈を返してくれた後に顔を真っ赤にして式ノ籠君の後ろに隠れた。

 後輩だと紹介された尾流 葉風君は真っ黒なふんわりとした髪に、大きな目と小さな顔をしていてとても可愛らしいという印象の少年だった。

 「後輩君か、可愛いね。」

 「精神的にも肉体的にも強くなりたくて剣道部に入部してくれたんだ。」

 「そっか、剣道部に入るところまで行動できたのなら、君はきっと強い男の子になれるよ。」

 尾流君に向けて微笑むと、彼は満面の笑顔で返してくれた。

 「私はそろそろ帰るね。」

 「ああ、夏だから外はまだ明るいけど気をつけて帰るんだぞ。」

 式ノ籠君と尾流君に別れの挨拶を済ませると、下駄箱に向かう。


 

 下校するために下駄箱で靴を履き替えていると、紅さんも丁度帰るところだったようで私の隣で靴を履き替え始める。声を掛けないわけにもいかず、小さく深呼吸をして笑顔を作ると、部活はどうしたんですか?と尋ねてみる。

 「顧問の狐邑先生が急に出張とか言って、今日の部活が中止になったの。

  部活があると思って部室まで行ったのに無駄足だったよ。

  科学部だから先生がいないと薬物が扱えないから休みになって当然だけどね。」

 紅さんは苦笑いを浮かべながら靴を履き替える。

 「そうだ、帰る方向も同じだから一緒に帰ろう。」

 「…そうだね、一緒に帰ろう。」

 本当は音楽でも聴きながらのんびりと下校したかったが、嬉しそうに提案してくる紅さんを無下むげにできず一緒に帰る事にした。



 学校の外は蝉の鳴き声と元気に遊ぶ子供たちのはしゃぐ声、草木のこすれあう音と車の走る音、様々な生きる音が充満していた。

 活気と生気に溢れるこの季節の情景は陰鬱いんうつな私には眩しすぎて、思わず目を細める。

 「ちょっと待ってよ。」

 憂鬱な気分で足を進めていると、紅さんが私の背後で大きな声を上げる。

 振り返ると、私の数歩後ろで目を吊り上げてふくれっ面の紅さんが仁王立ちしている。

 「歩くのが早いよ、せっかく一緒に帰っているのだからゆっくり歩いて。」

 

 また、だ。

 

 「貴女はいつだってそう、移動教室の時も歩くスピードを合わせてくれなくていつも先に行ってしまうよね。

  私たち、親友でしょう?」

 恩着せがましいその親友という言葉によって気分が悪くなり吐き気をもよおすと共に、はらわたが煮えくり返る。

 「私はもっとさだめと仲良くなりたいの。」

 潤んだ目でそう呟く紅さんに、適当にそうだねと返事する声は自分でもわかるほど棒読みで、ふつふつと湧き上がる怒りの感情を抑えながら笑顔を作る顔がひくひくと痙攣けいれんする。


 歩幅を合わせながらようやく私の住むマンションの前に到着すると、彼女から逃れる様に駆け足で自分の部屋に入る。

 荒い呼吸を整えて深呼吸をすると、何事もなかったかのように冴えない声で誰もいない部屋に向かってただいまと呟く。

 本当は一人暮らしなのでただいまという必要はない。

 でもその言葉を言わなければ私がひとりぼっちで孤独な存在だと自覚してしまうから、それが嫌でただいまというように自分の中で義務付けている。

 

 玄関で靴を脱ぎ綺麗に揃えると、リビングのソファーに鞄を投げ捨ててその足でお風呂を沸かすためにお風呂場へと向かう。

 お風呂場の蛇口をひねると、勢いよく蛇口からお湯と湯気がバスタブに放出される。

 お風呂が沸くまで時間がかかるので部屋着に着替えようとしたとき、制服の胸ポケットから紙の擦れるかすかな音が聞こえ何気なくポケットの中をまさぐる。

 胸ポケットにあったものは校舎案内の帰りに斐妥宗君から手渡された紙だった。

 折りたたまれているその紙を開くと、綺麗な字で携帯電話番号が書かれていた。

 達筆で綺麗なその文字は、ずっと歩いていた学校案内の最中に書くことは不可能だと思った。そうなれば、彼はこの紙を元から渡そうと用意していた事となる。

 一体何の意図があってこの紙を渡してきたのかと私は眉をひそめる。

 

 そういえば応接室で斐妥宗君に挨拶をした時、何故か自己紹介もしていないはずなのに彼は私の名前をフルネームで知っていた。

 

 彼の謎の行動の理由を考えてはみたものの、今情報の少ない中で納得できる仮説を思いつくことはできないなとすぐに感じて、彼には細心の注意を払うことに決めた。

 答えが出るこのない無駄な考え事に時間を割くことをやめると早々に制服を着替えて、斐妥宗君のメモを寝室にある机の引き出しにしまってリビングへと向かった。

 リビングのソファーに腰かけるとTVの電源をつける。

電源のついたTVは待っていましたと言わんばかりに話し出す。



 今日は〇〇駅で人身事故があったらしいよ。

——…それは大変ね。

 俳優も〇〇さんが一般女性と結婚したって。

——…そう、おめでとう。

 〇〇市で老夫婦が何者かに殺害されたって。

——…へぇ、怖いね。

 ××県の通り魔が逮捕されたって、もう安心だね。

——…そうだね。



 TVと会話する毎日はとても虚しくて、孤独だ。

 そんな現実に目を背ける様にTVの電源を切り、お風呂に入る準備をする。

 バスタオルを用意し、必要のなくなったカラーコンタクトと両手首に巻いていた包帯をごみ箱に捨て、ウィッグを脱ぐとお風呂場へと向かい湯船に浸かる。


 父が実家から私を追い出した表向きの理由は、雉鳴高等学園に通わせるため。

 しかし私を実家から追い出した本当の理由は、兄弟や親戚、使用人がこの容姿を気味悪がるからだ。

 色のない真っ白な髪と燃えるような赤い瞳、この髪と瞳は母親から遺伝したものだと父は言っていた。

 こんな醜い姿をしている私を、友人達は一体どんな目でみるだろうか。

 …化け物を見るような目で見つめてくるだろうか。

 私の容姿は、自分から見ても禍々しく恐ろしく感じる。


 その日の晩御飯は喉に通らなかった。

 いくらひた隠しにしてもいつかはバレてしまう恐ろしい自分のこの容姿、その時の周囲や友人の反応を想像するだけで息ができなくなり苦しくなる。

 月も星もない都会の明るい夜空が、静かに孤独な私を見つめていた。



 

 

 他人と違うアンダンテ、合わせないようにしたアンダンテ。

 他人を傷つけてしまうからそうするのかい、アンダンテ。

 必要ないからだよ、アンダンテ。


 歩幅を合わせることで誰かを傷つけてしまうと思っていた。

 誰かを傷つけて悲しませてしまうくらいならひとりでいいと思った。

 だからひとりで歩く。

 誰かと歩いても決してその人の歩幅に合わせないアンダンテ。

 これまでそうしてきたように、これからもそうして生きていく。

 

少女は振り返った、数歩後ろの赤い少女は泣いていたんだ。


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