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第1章 空蝉の空論 : 第1話 緋色の面影



 ある年の夏終わり、新学期が始まろうとしていたその日に悲劇と呼ぶには残酷すぎる事件が起こった。

 その事件の中心人物となった少女の名前は、祀奇乃櫻しきのざくら さだめ

 不思議なことに、彼女について調べた警察やマスコミは皆、口を揃えてこう言うのだ。

———…彼女は本当にこの世界に存在していたのか、と。

 

 彼女の写った写真は愚か、住民票や出生届すらもこの世に存在しなかったのだ。

 では、彼女は偽名を名乗っていたのか、それとも大きな力が働いて彼女の生きてきたあかしを消し去ってしまったのか。

 そんなことを考えても意味はない、何故なら誰も彼女が本当に存在していたかどうかの真実を必要としていないのだから。

事件に何の関わりもない野次馬やじうま達は皆、彼女を哀れむことなく彼女の存在を都市伝説の様に面白可笑しく取り上げ、各々話のネタにしたり、食い物にしたりしていた。

世間は彼女をとむらい、安らかに眠らせる気など全くない。

 好き勝手騒ぐ世間に不快感を抱くものの、彼女を見捨てた上に弔う事もせず、身一つでこの街から逃れようとしている僕はそんな世間と比べ物にならないほどに自分勝手で醜悪だ。

 そんな僕の自分勝手な行動に痛む良心を落ち着けるために心を掴もうと、胸の辺りを必死にいじるがいくら探しても手に触れるのは汗でじっとりと湿ったシャツだけだった。

人は何故、胸に心があると思ってしまうのだろうか。

 

 轟音と共に目の前に強風が吹き、目の前の線路を猛スピードで電車が通過していく。

 電車の立てる大きな音に、はっと我に返ると頭上の電光掲示板を確認する。

あと数分もすれば今立っているホームに、この街の外に向かう電車がやってくる。

 「もうすぐ、もうすぐでこの街から、この生簀から逃れられる。」

 恐怖心と焦燥感によってカタカタと小刻みに震える身体を宥める様に爪を噛む。

 

 『怖いね、不安だよね。

貴方は私にとって大事な人だから特別に教えてあげるよ、

この怖くて悪い夢から逃れる方法を。』


 聞き覚えのある声に驚いて顔を上げると、見覚えのある顔が向かいのホームに見える。

 そいつは人間にしてはやけに歪なシルエットをしており、全身が血に染まっていることを脳が理解した瞬間、心臓が一瞬動きを止め、全身から血の気が引いていく。

 そいつはせわしなく行き交う人々の隙間からこちらを恨めしそうに睨みつけてくる。

 

 『死ねばいい。死ねばこの怖くて悪い夢から、その苦しみから解放されるよ。』

 

 ついさっきまで仲間として共に過ごしていたそいつを、今はもう化け物としか思えない。

 例え、そいつがいびつなシルエットをしていなくても、きっと僕はそいつを化け物としてこの目に映していただろう。

 

 『大丈夫、怖くないよ。』

 そいつはこちらにおいでと言わんばかりに血塗れの両手を広げる。

 

 「君が僕たちの犯した罪をゆるしたとても、僕は僕たちの犯した罪を赦さない。」

 

 向かいのホームにいるそいつに視線を奪われていると、聞き覚えのある優しい声が耳元で聞こえる。

 その刹那せつな、背中をとても強い力で押されてこの身体はバランスを崩してプラットフォームから線路に落下する。

「地獄に落ちろ。」

強い衝撃と共にもう這い上がることのできない奈落の底に落ちて、どうすることもできなくなった僕は声の主を確認するため、本能のままに振り返る。

 そこで目にした光景に驚きと恐怖を感じ、身体は石になってしまったかのように硬直する。

 

 「どうしてお前がこんなことを———…。」

 

 言葉は途切れ、自分の立っていた場所を電車が通過する。

 何かが砕けてすり潰される音と鉄の臭いがあたりに充満する。

 電車はブレーキをかけることもなく、ホームを通過していく。

 その場にいた誰も悲鳴を上げることなく、ただ、いつも通り電車を待っている。

何事もなかったかのように静かなホームに街の外へと向かう電車が到着すると、大量生産されたような顔の人々が足並みを揃えてその電車に乗り込んでいく。

 もとは人間だった者の血を、肉を、屍を間接的に踏みつけていく。

 この人たちはこの時間の電車に乗るとプログラムされているから電車に乗り込んだだけでそこに意思など存在しない。

 この町はあの子のために用意された生簀。

 

 「かえしてくれ。」

 両手で顔を覆い隠す優しい声の持ち主は、肩を震わせ嗚咽おえつする。

 

 その光景を最後に世界は暗転し、視界の中心に『GAME OVER』という文字が浮かび上がると同時に不快な電子音が耳元で流れ、ゲームの終わりを告げる。

 

 この世界は、少女 祀奇乃櫻しきのざくら さだめの人生が終わったことで始まってしまった悲劇の物語。

 そこに真実はあるのか、全てを疑え。


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