05.妹と初めての買い物
「――では三日後の遠征の準備をするように」
士官学校の授業は、一年目とはがらりと変わった。
つい先日測定訓練をやったと思えば、早速遠征に出るという。
三日後の朝、士官学校に集まり、二十余名の中から組分けをして課題に当たることになる。
向かう先は当日まで教えられず、現役魔法騎士が採点のために同行するそうだ。
「……」
――いよいよか……――
フレイオージュも少しばかり緊張している。
毎年、士官学校の二年目にて怪我人が続出する。
死者こそ滅多に出ないが、怪我の影響で学校を去る者は毎年必ず現れるらしい。
気を引き締めて臨まないと、命に関わってくるのだ。
「……」
――それにしても……――
あれはいったいなんなんだろう。
ここ一級組では、フレイオージュと同じように、妖精護符で契約できた者が二人いた。
フレイオージュと同じように、彼と彼女の近くにも、妖精が飛び回っている。
そして今、教室のど真ん中の宙で、三体の妖精が固まって飛んでいる。
生徒たちの何人かは、それを見上げては微笑ましく見ているようだが――何に見えているのか知りたいとフレイオージュは思わずにはいられない。
何せフレイオージュには、二体の妖精に詰め寄られている妖精のおっさんが、胸倉を掴まれているようにしか見えないのだ。
その光景は、荒っぽい若者に路地裏に連れ込まれて絡まれているおっさんの図、である。時々ジャンプするのは「小銭があんだろ。てめえちょっと飛んでみろよ」とでも恫喝されているかのようだ。
悲壮感漂う光景でしかないが、如何せんおっさんが真顔なだけに、詳しい状況がよくわからない。
フレイオージュの見た限りでは、教室のど真ん中で堂々たるカツアゲが……という感じではあるが……
「……」
あと、ほか二体の妖精はちゃんと妖精に、それも若者の姿に見えることが、ある意味羨ましくてしょうがなかった。
教師ゼペットの説明が終わり、解散となった。
三日後の遠征までに万端の準備をしておくことも、士官学校二年生の授業の一環である。
フレイオージュが教室を出ると、おっさんが飛んできて上着のポケットに収まった。がたがた震えている。よほど怖い目に遭ったらしい。まあ、いつも通り真顔ではあるが。
「……」
――助けるべきだったか――
そんなことを思わないでもないが。
しかし、そもそも金銭のやり取りが本当にあったわけでもないので、あれは本当はなんだったのかが気になるところである。見た目はカツアゲにしか見えなかったが。しかし奪うものがあるわけでもなし。
いまいち妖精のやることはわからないな、と考え込みながら士官学校の校門をくぐったところで、「そういえば」と思い出す。
遠征の準備である。
これは将来魔法騎士となった時に、自分で身支度を整えられるよう課せられる課題の一つである。
準備なんて面倒なことは使用人に任せる、という貴族の令息令嬢の学生もいないでもないらしいが、フレイオージュは真面目なので自分でやるつもりである。
ただ、そうなると。
「……」
――買い物……したことがない……――
十年もの間、屋敷で生活していたこともあり、まだ日常的なことに未経験が多い。
買い物という概念は知っている。
硬貨の価値も知っている。
相場もだいたいわかる。
おつりをちょろまかす商人は殴っていいし、ぼったくりだと判断したら蹴ってもいいと父シックルも言っていた。
そして、魔法騎士を目指す者であっても、女性らしさを忘れてはならないと母アヴィサラも言っていた。
男に尻を触られそうになったら半分殺していいと言っていたし、いやらしい視線だと思えば目玉を潰して構わないと言っていた。なんなら魔法で治してやってからもう一度潰してもいいと言っていた。最終的に治せばいいから死ななければ何をしてもいいと言っていた。それはそれは真面目な顔で言っていた。嘘だろうと思わなくもないが、あの顔は嘘を言っている顔ではなかった。きっと本当のことなのだろう。
「……」
――そういえば、お金がなかったわ――
両親の教訓を胸に、いざ買い物へ……と思ったが、今は持ち合わせがなかった。
校門の前の道で待機していたオートミール家の馬車に乗り込み、一度屋敷に帰ることにした。
「え? お姉さま、買い物に行くの?」
午後から買い物に出るために、夕方の鍛錬を前倒しして帰るなり汗を流していると、一年生の授業を終えて帰ってきたルミナリが合流する。
が、これから買い物に行くからもう済ませた、と告げると、ルミナリは驚いたように目を見開く。
「え? え? 何を買いに行くの? 下着? かわいい下着を買いに行くの? お姉さまならちょっとセクシーなのも似合うと思うけど下着を買いに行くの? 服?」
「……」
なんだかすごい食いつきである。とりあえず下着は買わない……いや、丈夫そうな替えの下着を何枚かはあった方がいいかもしれないので、買うかもしれないが。
だが、セクシーなのはいらない。なかなか擦り切れない丈夫な物が望ましい。
――妹として、ルミナリは姉の出不精にはかなり心配していた。
確かに屋敷にいれば、必要なものは使用人に言えば用意してもらえる。
自分で買い物に出る必要は一切ない。
だが、それにしたってフレイオージュの外に出なさ加減はすごかった。
確かに両親が屋敷の敷地から出るのを禁止していた面もあるが――その言いつけを守り我慢しきった姉も、相当アレだと思っている。
ルミナリなんて、隙を見ては脱走して友達と買い食いしたり買い物したり芝居を観に行ったりと、身分も忘れてそれなりに遊んできたのに。
「そうだ、私もお供します! 一緒に行きましょう、お姉さま! ええそれがいいわ! 着替えて来ます!」
帰ってくるなり自室に戻って着替えて訓練着で来たのに、ルミナリはまた着替えるために自室に戻ってしまった。
「……」
――まあいいか――
正直、一人で買い物に行くのは少々心細かったフレイオージュは、妹の提案を受け入れることにした。
何人か半殺しにしないといけなくなるのが、心苦しかったから。
要領のいい妹なら、いい具合にあしらってくれるだろう。
「――お姉さま、お父様のはともかく、お母様の言うそれは嘘ですからね」
「……!」
嘘。
嘘だと。
まさか。
そんな思いが激しく胸中を駆け巡るが、妹の憐れみを含んだ目が間違いないと言っている。
どうやら尻を触られそうになっても、多少いやらしい目で見られても、半分殺したり目玉を潰してはいけないらしい。
最終的に治しても? と聞いても、憐れみの視線を向けられるばかりで、答えは一緒だった。