52.いつも通りの、と妹は言った
年が明け、いよいよ士官学校の卒業が近づいてきていた。
まだまだ厳しい冬の寒さに、春を待つ草木や動物は眠っているようだが……
ちょうど一ヵ月後に卒業を迎える、本日。
遠くの山々から陽が昇り、遠くの空がまだ暗い早朝、旅支度をしたフレイオージュは屋敷の前で家族三人と向き合っていた。
「――行ってこい。胸を張って堂々とな」
課題が決まってから二ヵ月ほど、父シックルの気合いの入った訓練を受けてきた。
フレイオージュに魔帝ランクの魔力が覚醒した後の十数年は、この時のためにあったと言わんばかりに、それはそれは尋常ではないしごきを受けた。父の友人バーナードもちょくちょく参加しては厳しい指導をした。時々やり返して「やるじゃない」とか言わせたりもしたが、まあそれはそれとしておかげでしっかり仕上がったと思う。
現時点では、もっとも身体も感覚も仕上がっている。
厳しかっただけに、恐ろしく実戦に近い訓練は、実戦さながらに五感を鋭く研ぎ澄ませてくれたと思う。今なら小動物だって気配を感知できる自信がある。
「――気を付けて」
これまでフレイオージュの訓練や鍛錬には一切口出しをしなかった母アヴィサラは、今日だけは見送りに出てくれた。
後に「私は騎士にさせるのもつらい鍛錬をさせるのも反対だった。あなたが一言嫌だと言えばシックルとケンカしてでもやめさせるつもりだった」と語るのだが、今のフレイオージュが母の本心を知ることはない。
だが、遠征の時はたくさんの薬を持たせてくれる母の愛情は、いつだって感じていた。
「――お姉さま」
妹ルミナリは、真剣な面持ちですっと厚みのある封筒を差し出した。
「……?」
――なんだこれは、餞別か、と思いつつ受け取る。封はしていない。中には紙の束が入っている。
封をしてないだけに、誰かに渡せという意味ではないのだろう。
ならば事前にちゃんと物を確認しておいた方がいいと判断し、指を突っ込んで紙の束を出す。
「……」
――絵だ……――
輝く鎧をまとう凛々しい騎士たちの、姿絵だ。
これは……爆発的な人気で市販されている、エーテルグレッサ王国魔法騎士団の一番隊と二番隊に属する騎士たちの姿絵である。
年頃の王都の女子なら必ず一枚は、自分の好みの騎士の姿絵を持っている、とまで言われるほどのありふれた物だ。なんでも一番に応援している騎士は「推し」とかなんとか言うそうだ。
公式に販売されており、売り上げの一部は孤児院や貧しい人への補償に充てられているとか。
士官学校で、これを手に盛り上がっている男女をよく見ていたのでよく知っている。フレイオージュもルミナリに「あげる」と言われて何枚かは持っている。女性騎士の絵ばかりだが。
「サイン貰ってきて!」
驚愕である。
これから戦場へ向かおうという姉に、まさかこんな頼み事をするとは思わなかった。しかも男性騎士ばかりの姿絵を渡して。女性騎士はいいのか。女性騎士もいるのにいいのか。というかサインを求めなかった騎士たちに悪いとは思わないのか。一週間は一緒にいるのに。
「レオンヴェルト様とイーファ様とヴァイン様とユーリ様とアイリ様とフレンダー様とベルクオッソ様とハーレイツ様とミッドガル様とタンタン様とジーク様とダンテリア様のサインを貰ってきて!――いたっ」
母は愚かな妹を殴って止め、フレイオージュの手から姿絵と封筒を奪い取った。
「遊びに行くんじゃないのよ」
厳しい視線を向ける母に、妹は不満げに「わかってるよ」と応える。
「どうせ平気な顔で帰ってくるんだから、心配するだけ無意味でしょ」
――「お姉さまより強い騎士なんて一番隊にも二番隊にもいないよ、魔物だって同じだよ」と。
ルミナリは言い切った。
それは過信だ、と言いたくなるくらい、はっきりと言い切った。
「というかさぁ、お父様もお母様も気負いすぎでしょ。こんなのお姉さまにとってはいつも通りの課題でしかないじゃない」
――それはさすがに……いや――
確かに気負い過ぎなのかもしれない。
フレイオージュ自身も。
そう、平常心だ。
いつも通り行って、粛々とやるべきことをやる。
いつも通りの妹のように、自分もいつも通りでいい。
「……」
ふっと肩の力が抜けたフレイオージュは敬礼し、踵を返す。
行こう。
そしていつも通り帰ってこよう。
――馬の世話をしている使用人から手綱を貰い、愛馬に跨る。
馬の頭の上でくつろいでいた妖精のおっさんと目が合う。
いつも通り腹が立つ真顔を見ながら、蹄を鳴らして歩を進めた。
向かうはエーテルグレッサ城である。
人気の少ない早朝だけに、少しばかり早足で城へとやってきた。
陽が昇ってきている。
もうじき、エーテルグレッサ王国も起き出すことだろう。
「――通れ」
門番に、課題通告書と一緒に入っていた通行証を見せ、フレイオージュは中へと踏み込む。魔力が覚醒してから何度か検査で来たが、それ以来である。優に十年以上だ。
うっすら覚えているようないないような……そんなことを考えながらどこへ行けばいいのかと視線を巡らせると、馬に乗った者がこちらに向かってくるのが見えた。
「訓練生、フレイオージュ・オートミールだな?」
頷くフレイオージュは、その相手を知っている。
確か、去年一番隊に所属することが決まった、一番の新入りであるフレンダー・ジャックである。
まだ若干二十一歳。二十歳で一番隊に所属が決まった十年に一人の天才である。
「ついて来なさい」
精悍な面持ちのフレンダーは言葉少なに、来た道を引き返す。フレイオージュもそれに続く。
道中の会話はなかった。
それほど長い行程ではなかった、というのもあるが。
「……」
平常心。
己に言い聞かせる。
――向こうに整列する歴々……一番隊と二番隊の、この国で最強の騎士たちが鎧をまとい、待っている姿があった。
出立する時、凱旋する時の堂々たる彼らの姿は、フレイオージュも去年見たことがある。
薄汚れ、こびりついた血の痕をそのままに、討伐した魔物を荷車に乗せて帰ってきたその姿に国民は歓声を上げた。
己の軽装と違い、彼らの鎧姿は、正式の騎士のものである。
エーテルグレッサ王国の誰もが、一度はこの鎧に憧れるのだ。
鈍色に輝く鎧は輝いていて、しかし近くで見ると傷だらけだ。
それをまとうことは名誉であると同時と、民を守ろうという高潔な心の証なのである。
「訓練生を連れてきました」
一番隊と二番隊で、総勢四十名。
この国の英雄たちが、フレイオージュに注目している。
「――訓練生フレイオージュ・オートミール」
フレンダーが整列する騎士隊の列に戻ると、黒いマントを羽織った一際目立つ男……一番隊隊長レオンヴェルトが直々に声を掛けてきた。
彼は、正真正銘の王族である。
精緻を極める整った顔立ちに、願掛けをしているという有名な噂のある長髪は朝陽のような輝く金色。そして深い湖底のような青い瞳には怜悧な光が宿る。
こうして近くで見ると、抜き身の刃のような男と言われる意味が、よくわかる。
美しく、恐ろしい。
フレイオージュもそう思った。
二十七歳で一番隊の隊長に昇り詰めた彼は、間違いなく五十年に一人の天才である。
「通告書にはおまえの意思を問う旨の記載もあったはず。ここに来たということは、我々騎士と同じ扱いで構わないという意味でいいんだな?」
「……」
フレイオージュは敬礼を返す。
この男の雰囲気や威圧感に飲まれないよう、腹に力を入れて。
なおおっさんはすでにビビッて馬のたてがみの中に隠れて震えながら目だけ出してこっそり見ている。フレイオージュを真顔で。なぜこっちを見るのか。こっちを見るな。
騎士と同じ扱い。
それはつまり――戦場に出る以上、命の保証はできないという意味だ。
確かに通告書にはその記載があった。本当に危険だから嫌なら断れ、違う課題を用意するから、と。
そして、迷うことはなかった。
「――わかった」
最後の意思確認をしたレオンヴェルトは、騎士隊に向かって叫んだ。
「一番隊! 二番隊! これより出発する!」
「「はっ!」」
こうして、フレイオージュの最後の課題が始まった。




