02.優秀な姉と妹
「……」
なんと表現していいかわからない、「重い」何か……それは責任と言う名の重責かもしれないし、ただただひどく疲れたせいで気が重いだけかもしれない。
虹色の四枚羽からこぼれる色とりどりの魔粒子を輝かせながら、フレイオージュの周囲を可憐に飛び回る妖精。
傍から見れば、信頼できる者にじゃれつく無邪気な妖精にでも見えるのだろう。
――でも、フレイオージュから見れば、小さな裸のおっさんが自分の周りを飛んでいるのである。なぜか真顔で。ずっと真顔で。真顔ではしゃいでいるのである。
馬車から飛び出し、道端にある花と戯れる真顔のおっさん。
犬に吠えられて、フレイオージュの上着のポケットに逃げ込み震える真顔のおっさん。
フレイオージュの目の前で「見て見て」と言いたげに不思議な踊りをキメてくる真顔のおっさん。
その態度だけ取れば、確かに可愛いのだろう。
そう、裸のおっさんに見えさえしなければ。
「――お嬢様! それは!」
オートミール家に帰り着くと、妖精を見て使用人たちが大騒ぎした。
さすがはフレイオージュ様だ、当然のように妖精護符が反応したか、と。
魔力が覚醒してからは、オートミール家はフレイオージュを中心に回っている。
両親がそれを望み、心血を注ぐようにして教育に力を入れたからだ。
使用人たちもそれに習い、フレイオージュが何をしていても常に目を光らせ、半ば監視するようにして見守ってきた。
過保護に育てられた。
だが甘やかされたわけではない。
過去の偉人らしく、美徳とされる献身的な心を持ち、心身共に清らかに。
魔帝ランクの魔力を持つ者として恥ずかしくない、いずれエーテルグレッサ王国の歴史に記されるような英雄になるように。
そんな期待を背負わされて、何をするにも注意や指示、あるいは甘言を受けて育ってきたフレイオージュは、「理想とする模範的行動」を押し付けられてきたせいか、己の要求や欲求というものが乏しくなった。
皆がそれを求めるならそれでいい。
強い力には責任が伴う、ゆえに力を持つ自分はその責任を果たす必要がある。
フレイオージュの根幹は、この二つでできていた。
「……」
だが、しかし。
使用人たちがあっという間に仕立てた、果実酒を浸ける瓶の中に作った妖精の家で、すでにくつろいでいる妖精。
中に設置された木の枝の上にごろりと横になり、なぜかこちらを真顔でじっと見ているおっさんを見返していると――
「……」
なんとも言えない気分になる。
落ち込むのと似ているが、それともちょっと違う気がする。
とりあえず「こっち見るな」と言いたくはなったが、たかが見ているくらいで文句を言うのも躊躇われる。それはひどく大人げない気がする。
まあ、少なくとも、この湧き上がる感情は、良い感情ではなさそうだ。
いつか遠い過去に置いてきた、心の底に沈めて忘れていた感情……それが蘇ってきそうではあるが。
「……」
――まあいいか……――
見た目はなんだかアレだが。
なんというかアレだが。
どんな姿形をしていても、妖精は妖精である。
神聖で、契約者を助けてくれるという、ありがたい存在である。
多くの者が契約したいと願い、しかし誰もが契約できるわけではない存在である。
今のところありがたみはまったくないが、それでもいずれありがたみを感じるはずだ。感じさせてくれるはずだ。感じさせてくれない気もしないでもないが感じさせてくれるであろうはずだ。正直感じさせてくれなくても構わないから今日の朝からやり直させてもらえないかと願いたいような願いたくないような。
奇妙の度が過ぎる同居人ができた気がするものの、フレイオージュは努めて気にせず着替えを始め、今日の鍛錬を始めることにした。
気にし過ぎたら、きっと、ダメだと思うから。
「――お姉さま! 一本お願いします!」
すっかり脳に焼き付いた妖精の綺麗な尻を忘れるべく、庭先で汗を流していると――
今年から同じ士官学校に入学したフレイオージュの妹・ルミナリがやってきた。
帰ってくるなり着替えを済ませてきたようで、いつもの訓練着に木剣を下げている。
ルミナリ・オートミール。
魔帝の妹にして、二色の魔力を持つ「魔鳥ランク」の魔法騎士志望である。
優秀過ぎる姉を持ったせいで何かと苦労してきたルミナリだが、姉妹仲は悪くない。
ルミナリの目標であり越えるべき存在であるフレイオージュは、それと同時に、誰に対しても誇れる身内、自慢の姉である。
そして、無口で感情表現が下手で意外と欠点も多い姉を理解し、陰ながら支えている者でもある。
「……」
「お願いします!」
木剣を構える姉に、ルミナリも構える。
その剣は、今日もまた届かない。
しかし、いずれは――そんな強い意志を宿した瞳で、果敢に挑むのだった。
「そういえばお姉さま、妖精と契約したと聞きましたが」
苛烈な、だが姉妹にとってはただの日常である訓練を終えると、疲労の濃いルミナリがそんなことを言った。
「……」
汗こそ掻いているが涼しげな顔のフレイオージュは頷く。
「やはりお姉さまはお姉さまだわ。ねえ、見に行っていい?」
拒む理由もない……いや、まあ、ちょっと自慢げに見せたい気はまったくしないものの、人間も妖精も外見ではない。
そもそも見る者によって姿形は違うのだ。
今のところ、なぜだかフレイオージュだけおっさんに見えているだけなので。だから拒む理由はない。
ただ、色々と引っかかることがないではないが。
心の中で「本当に見せていいのか? もしおっさんに見えたら妖精に幻滅しないか? 全妖精への風評被害になりやしないか? 人も妖精も見た目じゃないけど……」と、ちらっと思っただけで。
「……」
――まさか、妹にはあの妖精がおっさんに見えやしないか――
そんな不安もなくはないが、ここで断る方が不自然である。
それに、人間も妖精も外見ではない。
そう、外見ではないのだ。
嫌になるほどチラチラチラチラ脳裏をよぎる妖精の真顔と生尻に言い知れぬ苛立ちを覚えなくもないが、そう、外見ではないのである。
「これがお姉さまの妖精! うっ、美しい……!」
よかった。
ルミナリには、美しい妖精の姿が見えるようだ。
正直どう見えているか気になるところではあるが、どうせギャップに苦しむだけの未来しか想像できないので、あえて聞かない。
とにかく、真顔でセクシーポーズを取っているおっさんには、見えていないらしい。
ポーズを変えるごとに真顔でフレイオージュを見るのがなかなか苛立たせてくれるが、とにかくそういうアレには見えていないらしい。
「来年は私も妖精と契約します!」
それはそれは。
本当に、よかった。
――ルミナリの妖精に対する夢は、壊れなかったようだ。見た目ではないけど。
…………
いや。
やはり多少は、人も妖精も、見た目も関係あるのかもしれない。




