17.会議室と六番隊隊長
魔帝フレイオージュの誕生は、上流階級に激震をもたらすものだった。
魔帝ランクを持つ者である、将来的にどんな功績を上げてどこまで成り上がるのか。
貴族の令嬢ならば、どこの誰が婿となるのか。
フレイオージュは、肩書きだけ見れば、生まれながらの勝ち組である。
仮に功績は上げないにせよ――女性だけに早く家庭に入ってしまうこともありえるが、魔帝ランクのブランドと、その血を後世に残すだけでも価値がある。
特に、魔帝の魔力が子供にも受け継がれるかもしれない。
この可能性は、無視できないほどに大きい。
数百年に一人というほどの逸材だけに可能性は低いが、でも無視はできないポイントである。
そういうわけで、フレイオージュ当人の知らないところで、圧力や権勢を振るう権力者たちの醜い攻防があったりなかったりしたのだが――
十年の空白があった。
肝心の本人が表舞台に出てこない期間、十年である。
オートミール家の家長シックル・オートミールは、過去、王族を庇うことで後遺症の残る怪我を負い、魔法騎士を引退した。
オートミール家自体は、家格はそう高くない。
だが、王族に恩を売った形での引退となれば、誰も強気に出られない相手となる。
こうして魔帝ランクの娘を屋敷に閉じ込めて、大切に大切に育てること十年。
断固として表舞台に出すことなく過ぎた、十年。
さすがの権力者たちにも、十年は長かった。
ようやくフレイオージュが表に出てくる頃には、権力者たちの攻防も落ち着き、結婚相手として有力な家は、ある程度限られてきていた。
まずは王族。
と言いたいところだが、なんだかんだで十五、六の娘に見合う年齢の者がいなかった。一番近い者でも十四歳は離れている。それも今は生まれたての赤子である。
さすがに魔法騎士志望の魔帝ランクを後宮に、妾に、というわけにはいかない。
それも父親は、王族に恩を売って引退した魔法騎士の娘である。王族の圧が通用しない。シックルに恩がある王族も認めない。
よって、婿候補となる有力者は限られるのだ。
上流階級。
それも高位貴族である。その辺の誰かが、ということで、一応の決着がついていた。
だが――それとは別口。
今、密かに、予想外の者が動き出そうとしていた。
「――フレイオージュは六番隊で引き受けたい」
エーテルグレッサ王国の軍事作戦会議室には、二十名もの隊長格と、それらを統べる総団長と副団長が集っていた。
メンツがメンツだけに、会議室はかなりピリピリした緊張感が満ちていた。
書類などの紙が捲れる音さえ憚られるほどに、発言と沈黙の落差が重い。
彼らは今、士官学校における第二期課題の班別けの最中であった。
二年生の一級組二級組を合わせた二十余名は、第一期課題の成績を考慮し、次の課題に振り分けをしているのだ。
現役魔法騎士たちにとっては、足を引っ張る可能性が高い、未熟な訓練生を連れて行く形だ。
当然引き受ける引き受けないは慎重になる。
そんな中、魔帝フレイオージュ・オートミールは、この場のすべての人物が注目している訓練生だ。
前評判から第一期課題で異例の単独班となり、その上で最優秀の金評価を取った今となれば、ますます注目せざるを得ない。
最初こそ未知数すぎて、班を組ませず単独で動かし実力を計る――という割り振りになったが、十七番隊隊長ディレクト・フェローの報告は「文句なしの金」だった。
特に、山賊が連れていた赤耳狼と遭遇し、問題なくそれをねじ伏せた実力だ。
不意の出来事――突然の実戦になんの気負いもなく対応したのは、ディレクトほか隊長格も、非常に高い評価を下していた。
こうなると、「まあとりあえずうちの隊に入れて様子を見たい」と思うのが隊長格たちである。
一番最初は、もし魔帝ランクに何かあったら色々アレだし面倒臭いし厄介事はひとまず誰かに押し付けるようにして様子を見てから、と。
そう思うのも致し方ない部分もある。
だが、一番最初の評価を聞いた今なら、なんの憂いもなく迎え入れられる。
大きな声を上げた六番隊は、完全にその口である。
――大半以上の隊長格が冷ややかな目を向けているが、名乗りを上げた六番隊隊長セレアルド・フォージックは、いつもの自信満々の顔である。
「何をさせるつもりだ」
総団長グライドン・ライアードの低く重い声が、ますます場の緊張感を高める。
そう、事は課題である。
今はまだ、無遠慮に欲しい訓練生の名前を挙げる場ではない。一緒に課題をこなす相手を決める場だ。
「身辺警護ですよ。何もなければそれがいい、何かあれば要人の盾となる誇り高い課題です」
聞えよがしに誰かが「馬鹿馬鹿しい」と漏らしたが、セレアルドはまったくめげない。
「おかしいな。要人を守るのも僕ら魔法騎士の仕事のはずだ。それをなぜ馬鹿馬鹿しいと?」
「――何も起こんねぇからだよ」
立ち上がったのは、四番隊隊長ソーディオである。
「訓練生には貴重な実戦の機会に、なんだって何も起こらねぇ優雅な茶会の警備なんてさせるんだ。引っ込んでろよ、平和ボケの坊ちゃん隊隊長」
「嫌だね」
「あぁ?」
「それこそ君のような粗野で馬鹿で無謀に突っ込むことしか考えていない隊長の率いる隊に、将来有望でしかない魔帝ランクを預けることなどできない。火に突っ込む鋼鉄猪にでもする気かい? そういうのは君の隊の愚か者だけで間に合っているだろう?」
「死にてぇのか?」
「いつから君は僕より強くなった?」
冷たい眼差しと、燃えるような敵意。
ますます会議室の空気が重くなったような気がする。
「――座れ」
睨み合う二人だが、総団長の絶対命令には即座に従う。まあ、まだ睨み合ってはいるが。
「セレアルド。ライフォー殿が魔材の採取に行くため護衛が欲しいと陳情してきている。六番隊で頼めるか?」
「ご命令とあらば。ちなみにどちらまで?」
「アテマス山」
「……長丁場になりますね。二週間といったところですか」
「ああ。第二期課題のため、フレイオージュ・オートミールを連れて行け」
「…! 了解しました」
いろんな意見が出て、いろんなことで揉めた。
だが、総団長の言葉は絶対である。
それがエーテルグレッサ王国魔法騎士団である。
「……ふふ、ついてるな」
解散の声とともに会議室を出たセレアルドは、ほくそ笑んだ。
――六番隊隊長セレアルド・フォージック。
六番隊は、ほぼ名誉職の色が強い。
隊員は全員いいところの貴族の息子や娘、関係者で構成され、基本的な業務は要人の警護。当然王都から出ることは滅多にない。
今度のアテマス山行きの護衛さえも、久しぶりの遠征になる。
そして隊長セレアルド。
フォージック侯爵の次男で、二十六歳。実力もあるが、それよりは口と要領の良さと甘いマスクで世渡りしてきた、ある種詐欺めいたところのある男。
彼は完全に、己の出世のために、フレイオージュを口説き落とす気だった。
自分に口説かれて落ちなかった女はあまりいない――いることはいるが、あまりいなかった。
そんな自負があるため、己がフレイオージュ……いや、十五、六歳、魔法騎士に憧れを抱く、夢見る小娘を口説けないわけがないと踏んでいた。
遠征である。
何日も一緒に行動するのだ。
これで落とせないわけがない、そう高を括っていたのだった。
――少なくとも、この時は。