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9.戦う少女

「まったく、人が気持ちよく寝ていたというのに……」


 レンシアは眠そうな目で状況を確認する。

 レンシアが眠っていたのは学園の《訓練場》と呼ばれる場所の屋根の上――誰かに絶対に発見されないように寝ていた。

 結界を無理やり刺激されて、レンシアは目覚めたのだった。

 元々は魔物が住み着かないようにと三日前に張ったものだったが――


(魔物というか……異形だな、これは)


 見た目こそまだ人の形をしているが、結界が探知したのは数十匹にも及び虫の魔物。

 つまり、目の前の人型の男は、すでに人間という存在を超えている事になる。

 なぜリリナが侵入者に捕まっているのか分からなったが、少なくともレンシアがここでやる事は決まっていた。


(ここでは平穏に暮らしたいと思っていたんだが……)

「おや、これまたさらに小さなお嬢さんが来ましたネ。ワタシの聞き間違いでなけれバ、あなたがワタシの虫を殺したト?」

「そう答えたんですよ、虫野郎」

「レンシア、さん……逃げ……」


 もうほとんど、リリナは意識のない状態のようだった。

 それでも、絞り出した言葉はレンシアを心配する言葉――レンシアは男の方を見る。

 以前、離すつもりなどないといった様子だった。


「随分と口のきき方の悪いお嬢さんですネ。あなたの事は知っていますヨ? レンシア・オルティナ――大貴族のご令嬢がワタシの虫を殺したなド、おかしな事を――」

「あなたは口の減らない虫ですね」


 瞬時にレンシアは距離を詰める。

《風の鎧》はすでに発動している。

 男もレンシアの動きを読んでいた、と言わんばかりに動こうとした。


「……!」


 だが、男は動かない。

 その隙に、レンシアはリリナを奪い返す。首に痣ができてしまうほどに、強く握られていたらしい。

 それでも、他に外傷は見られなかった。

 一先ずレンシアは胸を撫で下ろす。


「驚きましタ――その赤く光る瞳……《魔眼》ですカ」

「さて、どうでしょうね」

「フフッ、とぼけても無駄ですヨ」


 レンシアの左目は先ほどから赤く輝いている。

《神魔帝》と呼ばれたアルトの持つ能力の一つ――魔眼。

 その名の通り、魔法と同じ効果を持つ眼の事だ。

 レンシアは片目だけだが、その能力を引き継いでいる。

 魔眼の能力は――レンシアと目が合った者の完全静止。

 それは目が逸れた後もしばらくは続く。

 一対一の戦闘において、一秒でも動きを止められるというのは致命的になる。

 レンシアはその致命的な状態を強制的に起こす事ができる。

 ただ、今のレンシアにはそれを持続させるだけの力はない。

 眼の色はリリナを取り戻すと同時に、徐々に輝きを失っていた。


「なるほド、持続はしないというわけですカ」

「あなた程度に使う必要がないと判断しただけです」

「そうですカ。そういう事にしておきましょウ――ですが、油断はいけませんネ」


 レンシアが脇腹を抑える。ぬるりと濡れている感触が伝わった。

 ちらりと横目で確認すると、出血している。

 徐々に痛みがやってきた。


(魔眼で動きは止めたはずだが――そうか。人型をしているだけで、人ではないからか)


 人の形をしているだけで、中身は数十という虫で構成されていると考えられた。

 すれ違う瞬間――その時をついて、レンシアに反撃をするくらいの事はできてもおかしくはない。


「フフッ、あなたの血はおいしいですネ」


 ずるりと、スーツの間から出てきたのは刃のように鋭い虫の腕。

 そこから、血が滴り落ちていた。

 男はそれを口元まで持ってきて舐めとる。


(……気付けなかった、という事は少なくともこいつの方が今の俺よりは強いって事か)


 そもそも、人型をしていないとはいえ、間違いなく目の前にいる男は魔導師だ。

《操虫法》という特殊な魔法がある。

《魔虫》と呼ばれる魔力を餌にするタイプの魔物に、自身の魔力を注ぎ込む事で操作する魔法だ。

 男はその魔法の使い手である事は明白だった。


「あなたはワタシの事を虫野郎と呼びましたネ。ワタシの身体の構造を理解していル――実に興味深い子供でス」

「そうですね……私も少しばかりやる気を出さないといけないみたいです」

「フフッ、少しでいいのですカ」


 レンシアはリリナをそっと自身の後方へと寝かせる。

 防御魔法をすでに展開している――これでリリナが咄嗟の攻撃で傷つく可能性は低い。レンシアが負ければ話は別だが。


「背中を見せるとハ、やはり子供ですネ」

「見せてあげたというのに、攻撃しなくてよかったんですか?」

「言ったでしょウ。ワタシはあなたに興味が出てきた、ト。ひょっとしたら、あなたもワタシ達の求めるものを持っているかもしれないのデ」

「求めているもの……?」

「フフッ、何だと思いますカ?」

「――いえ、興味ないです」


 レンシアは懐から一本の瓶を取り出す。

 中に入っているのは翡翠色の液体。

 キュポンと蓋を取り外すと、レンシアはその液体を飲み干す。


(一本で十分か)

「何ですカ、それハ?」

「ドーピングですよ」


 レンシアがそう答えると、再び眼の色が赤に染まる。

 咄嗟に、男がレンシアから視線を逸らした。

 魔眼の特性について、ある程度理解しているようだった。見られるだけで動けなくなる可能性と、目を合わせる事で動けなくなる可能性。

 前者はすでに、レンシアに反撃できている事からないと判断したのだろう。

 その一瞬――レンシアは空中に魔法陣を描き出す。魔力によって空中に刻まれた魔法陣に、魔力を注ぎ込む事で魔法は発動する。

 男も攻撃態勢に移る。上着が盛り上がったかと思えば、中から出てきたのは触手のようなものと、それに付随する刃――肉体が完全に虫のものと化している。


「《岩石の檻》」


 ドォン――という大きな音と共に、男を瞬時に岩石の牢屋が包み込む。

 男の攻撃はそれに阻まれて、レンシアには届かない。魔法が発動するまでおよそ一秒弱――さらに、この地属性魔法は上級魔法だが、追加で相手を仕留める方法が存在する。


「《針地獄》」

「ご、ほ……」

「自分で言っていたじゃないですか、油断はするなと」

「……返す言葉モ、ありませんネ」


 男の全身を、岩の針が貫いた。周辺に飛び散るのは緑色の液体。

 男がすでに人間ではない事を示すものだった。

 そう思っていたが――


(いや、こいつは……)

「フフッ、やられてしまいましタ」


 全身を貫かれながらも、男はそう話した。

 まだ死んでいないのではなく――そもそもここに男は存在しない。その身体自体が、どこか遠くから操作されているものだとレンシアは理解した。


「ワタシを倒したあなたにハ、覚えておいてもらいましょウ。ワタシの名はカーキル。次に会う時は――どちらかが死ぬ時でしょウ」


 そう言って、男――カーキルの身体は崩れ去った。

 その身体はやはり、本物ではなかった。

 異形と化したわけではなく、異形の身体を作り上げて、それを操作していたという事だ。

 ただし、それができるという事はカーキルという男がそれだけの実力を持つ魔導師であるという事を示す。


「……はあ」


 レンシアが大きくため息をついた。

 少なからず、カーキルを倒さない限り、レンシアに安息がない事が分かってしまったからだ。

 さらに、カーキルには何か探すものがある。

 この学園かどうかは分からないが、その目的も気になるところではあったが――


「とりあえずリリナは無事だったわけだし……リリナの治療をして寝よ……」


 生まれ変わってから、初めてそれなりに戦闘をこなしてしまった反動は大きい。

 大きな欠伸をしながら、気絶しているリリナを抱えて運ぶのだった。

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