5.同室の彼女
「いいですか? 学園の敷地内に勝手に小屋を建てたりしてはいけませんよ?」
「はい、ごめんなさい……」
女性の教師、エルナ・タッカーに手を引かれながら、しゅんとした声でレンシアは答える。
エルナは生徒が問題を起こした、あるいは巻き込まれた場合に対応する教師であり、この学園での勤続年数もそれなりだった。
怒られた――と言っても、子供に対して終始諭すような口調ではあった。
まだわずか六歳という年齢を考えれば普通の対応だったが、レンシアが驚かれたのはわずか六歳にして小屋を建てられるだけの魔法を使える事だった。
工房構築――小屋という小規模ながらも自身の拠点となる場所を魔法で作り上げる事ができる。
それはレンシアがすでに魔導師としてある程度完成された実力を持っているという事を示した。
だからこそ教師側からも怒りはするが、レンシアのこれからも考えた叱り方をする。
(はあ、結局歩いて帰る事になるのか……)
当の本人は、手を引かれながら歩いて寮に戻る事に億劫になっていた。
ただ、エルナもそんなレンシアの事を気に掛けてか、ペースは非常にゆっくりとしたものだった。
もう夕日も沈みかけており、学園の敷地内とはいえ、レンシアのような幼い少女を一人で歩かせるのは危険だと判断したのだろう。
実際、レンシアを一人にするとまたどこかで小屋を作りかねないと思われているのかもしれない。
入学前からレンシアは教師陣からも一目置かれている。
三つの飛び級に大貴族の娘――注目するなという方が無理な話だ。
「レンシアちゃんは魔法が好き?」
「はい、好きですよ」
レンシアはそう答えるが、好きか嫌いかで言えば人並みだ。
レンシアとしては、魔法がなくとも働かずに過ごせるのが一番いいと思っている。
「そう、なら先生も安心したわ」
「え?」
「魔法が好きなら、レンシアちゃんは間違った使い方はしないものね」
エルナは本当にレンシアの今後を心配しているらしい。
ニート思考のレンシアには少し眩しいくらいの人だが――
(まあ、こういう人がいるなら死んでよかったかもな)
レンシアがそう思う事がある。
魔神との戦いで、一度は失った命。あの世があるのであれば、そこでゆっくりできるかな、なんて軽く考えていた。
こうして平和になった世界を見るのも悪くはない、とレンシアは感じていた。
(それでも俺は働かない事を目指すけどね……っ!)
ただし、根は変わらない。
寮が近づく頃には、周囲はもう暗くなっていた。
「ん……?」
ピタリ、とレンシアが足を止める。
エルナに手を引かれていたため、少しバランスを崩した。
「あっ、大丈夫?」
「はい。平気です」
「どうしたのですか? 突然止まったりして……」
「いえ、何でもないです。それよりも先生、ここまで来ればもう一人でも帰れますから」
「え? ここまで来たのだから、最後まで送りますよ」
だが、レンシアはエルナの手からさっと離れる。
少しだけ前の方に進むと、くるりと反転して笑顔で答えた。
「大丈夫です! 私が子供じゃないってところ見せないといけないですから」
そう答えると、エルナは安心したように頷いて手を振ってくれた。
レンシアの姿が見えなくなるまで、エルナは見送ってくれたのだった。
だが、エルナの姿が見えなくなると同時に、レンシアは再びエルナと別れた場所に戻ってくる。
「……やれやれ、また見つかったら怒られるな」
そう呟きながら、レンシアは魔法を発動した。
魔法には詠唱と魔法陣を描く二種類の発動方法がある。
ただ、魔法によってはその発動の仕組みを理解することで、どちらも省略する事は可能となる。
魔法のレベルについては下級、中級、上級、超級、神級の五つに分類される。
種類で言えばさらに多く存在するが、大まかな分け方で言えばそれだ。
レンシアは神級魔法まで使用する事はできるが、今のレンシアにはいくつかの制約がある。
まともに無詠唱で発動できるのは上級までの一部の魔法だ。
特に、自身を強化するタイプに限られる。
「ま、それだけあれば十分だけど――《風の鎧》」
ふわりと身体が浮くような感覚に包まれる。
風属性の中級魔法、《風の鎧》。
名前の由来は神代に存在したと言われる風の精霊である《シルフ》が身にまとっていた風をモチーフにしているという。
使用者の身体を魔力の風が包み込み、下級魔法程度なら無効化。
軽く地面を蹴れば数メートル近く跳躍する事もできる。
今の体力のないレンシアにとっては、非常に重宝する魔法だ。
走るのも疲れるから嫌――そんなレンシアにとって、この魔法は走る代わりになる。
「よっと」
トンッと地面を蹴ると、ふわりとレンシアの身体が浮かぶ。
そのまま、近場にある木の枝の上に着地する。
大人が乗れば折れてしまいそうだが、レンシアならば問題なかった。
そこから、レンシアが気にしていた方向を確認する。
視界の端に映った赤い光を、レンシアは気にしていた。
本当にわずかな光で、レンシアも見間違いか何かだと思っていたが。
「いるな……」
木々の陰に隠れるように、それはいた。
暗がりで姿まではよく見えないが、赤い二つの光が見える。――目だ。
木々に張り付いているところを見ると、
「虫型の魔物……それも羽虫か?」
学園内の敷地には自然が溢れている。
森というほどではないが、寮の付近は木々に囲われていた。普通の虫くらいならば住み着いてもおかしくはないが、そのサイズは普通とは違う。魔物と断定できるタイプのものだった。
魔神が討伐された後――魔物の数も種類も増えたらしい。
それによって、元々は各地を旅する《冒険者》という者達が、気付けば魔物討伐も依頼によって代行する事が増えてきていた。
王国に所属する騎士だけでは対応しきれない事もあるという。平和になったとはいえ、そういう問題は少なからずあった。
ただ、それは魔神が現れる前からもあった問題だ。
そこまで気にするような事ではないのだが――
(この学園は管理も行き届いてる。あんな大きい魔物が野放しで住み着くとは考えにくいが……)
どのみち、あんなものに住み着かれては森の中でお昼寝も満足にできなくなってしまう。
レンシアの努力の方向性は基本間違っている。
自身の平穏を乱す可能性のある者の排除には、力を使う事は厭わなかった。
トンッと足場を蹴り、レンシアは距離を詰める。その姿をレンシアは視認した。
やはり羽の生えている、虫型の魔物だ。
その魔物は静かに動かず、まるで何かを見ているようだった。
(……? 寮の方でも見てるみたいだな。まあ、動かないなら《魔眼》を使う必要もないか)
レンシアはすっと手を前に出す。
中指と人差し指を重ねると――カスッ!
「……」
カスッ、カスッと二度、三度繰り返して指を擦り合わせる。
そう、指をパチンと鳴らしたいのだが鳴らないのだ。
レンシアが簡易的に魔法を発動させるために用意した魔法陣――それは、指と指に極小の魔法陣を刻み、指を鳴らす事をトリガーにした即席魔法だった。
右と左でそれぞれ別の魔法を仕込んでいるのだが、まさかの発動率三割以下という低確率だった。
(これだから子供ってのは……っ!)
お風呂場で練習した時は鳴らせたのに――とそんな事を考えるレンシア。
ようやく、五度目にしてレンシアの指からパチンッと音が鳴る。
それと同時に、一つの魔法が発動した。
「ギ――」
ボンッという音と共に、虫の魔物の身体が破裂する。
火属性の中級魔法、《爆破の炎》。
威力も調整し、目立たないように攻撃を可能としている。
「ふう、やっと発動したか」
すとん、と地面へとレンシアは降り立つ。
虫型の魔物の身体は、レンシアの魔法によってバラバラに砕け散っていた。
「この辺り、昼寝するには丁度よさそうだからな」
寮に荷物を置きに来た時に、一度確認している。
他にも今のような魔物はいないかと確認したが、
「大丈夫そう――だが、今度結界でも張っておくか」
魔物を探知するタイプの目に見えない結界魔法がある。
レンシアの大事な休憩場所を守るためならば、それくらいの事はする。
「ふわぁ……魔法を使うのも疲れるなぁ。早く部屋に帰って寝よう……」
ちらりと寮の方を見る。
ほとんど目の間にあるが、レンシアの部屋は寮の五階――つまり、階段を五階分昇らなければならない。
「……うん、跳んで帰ろう!」
風の魔法を身にまとったまま、レンシアは地面を蹴って跳躍する。
五階の自室のベランダにレンシアは着地した。
高さはそれなりだったが、レンシアならばこれくらいどうという事はない。
もうすでに眠気は相当溜まっている。
(風呂は……明日でもいいかな)
寮では風呂の時間もある程度決められている。
まだ日も暮れたばかりだが、レンシアはもう寝る事を考えていた。ガチャリと窓に手を掛ける。
「ふわぁ……」
欠伸が抑えられない。
こちらには来たばかりだが、ベッドの寝心地はとても良かった。
レンシアはすぐにでもベッドに潜り込むつもりだったが――
「……?」
ガチャ、ガチャ。
「…………っ」
ガチャ、ガチャガチャ。
「……ばかなっ!?」
鍵が締まっている。当然と言えば当然だが、レンシアは閉めた記憶がない。
いざという時のために、窓は常に開けているからだ。
(なぜだ!? 掃除のおばちゃんか!?)
正直なところ、そのまま下りて五階まで階段で上がれば問題はないのだが、レンシアはもうすぐにでもベッドに入りたかった。
鍵の構造はシンプルに引っかけるだけの方式だ。
(どうする……風の魔法ならやれるか……? それか魔力だけ操作して直接――)
「誰っ!?」
レンシアが悩んでいると、サッとカーテンが開かれた。
部屋の中は暗く、誰もいないかと思っていた。
そこにいたのは、一人の少女だった。
その顔には見覚えがある。
「あっ」
近くで見たわけではなかったが、教室でレンシアに助け舟を出してくれた少女だった。
(ん、え? まさか……)
どこかで見覚えがある――そう思っていたが、近くで見ると分かってしまう。
六年以上見ていないとはいえ、その少女はまるで《導きの聖女》と呼ばれたマリンを幼くしたような姿だったからだ。
レンシアも思わず驚いたが、それ以上に驚いていたのは少女の方だった。急いで鍵を開けると、
「あなた……ずっと外にいたの!?」
「え?」
「ずっといないと思っていたけれど……鍵開いていたから閉めてしまって……ベランダには誰もいないと思ったのに」
「あ、ああ! そういう事か――ですか! 私はお昼寝をして今起きただけなので、大丈夫ですよ」
何とか誤魔化しに入る。魔法で五階まで来た、というのを他の生徒に知られるとまずいと判断した。
ましてや、彼女は一見するだけでも分かる規律に厳しそうなタイプだ。
また先生方に報告されるような事があっては困る。
「そうなの……? でも、閉めてしまったのは私の不注意だわ」
「大丈夫ですから、気にしないでください――というか、どうして私の部屋に?」
「聞いていないの? ここの寮は二人で一部屋なの。新学年になって部屋代えがあったのだけれど、私はあなたと同じ部屋なのよ」
「あ、そういう事ですか!」
先ほどまではベッドが一つだったが、今見ると新しいベッドが増えている。
一人にしては部屋が広いとは思っていた。
新しいベッドの方が、レンシアの物なのだろう。
レンシアが朝方部屋にいた時はまだ一人部屋だったが、昼寝している間に少女が引っ越してきたらしい。
すでに色々と小物が配置されていた。
特に、書物類が目立つ本棚が彼女の性格を物語る。
(見た目はマリンなのに、性格はライナみたいな感じか……)
《導きの聖女》――マリン。
彼女は誰よりも優しく、温厚な性格をしていた。
女神の信託を受けたという彼女が持つのは魔法というよりも《異能》――《魔眼》と同じように特殊な能力に数えられるものを持っていた。
《銀の剣聖》ライナは五人で組んだチームのリーダーだ。
誰よりも優れた剣技を会得し、銀色の閃光にしか見えないほどの素早さを持つ。彼女と向き合って戦うとなれば、《神魔帝》と呼ばれたアルトでも開幕の速度によって敗北しかねない。
そう思わせるほどの強さがあったが、非常に真面目な性格な彼女は対人戦で不意をつくような事はしないかもしれない。
そんな二人を足したような少女だった。――というより、ここまで似ているという事は、自ずと彼女の正体は何となく分かってしまう。
彼女はきっと、マリンの子孫なのだろう。
「私はリリナ。あなたと同じクラスだけど、まだ名前は言ってなかったよね?」
「そうですね。私は――」
「知っているわ。レンシア・オルティナさん。知らない人はいないと思うけど」
「そ、そうですか?」
「当たり前でしょう。飛び級入学したオルティナ家の娘――知らないなんてどこぞの田舎者と言われてしまうわ」
実際、まだ幼いからと催事には参加しないだけで、オルティナ家の長女であるからには国のイベントには参加する時は来る。
病欠とかできないかな、とレンシアは思っていたが。
一先ずは挨拶を終えた――相方がいるのは予想外だったが、特に問題はない。
レンシアはよほど煩いいびきでもない限りは寝られるからだ。
「じゃあ、私はそろそろ寝ようかと思うので……」
「え、さっきまでお昼寝をしていたんでしょう?」
(しまった……)
昼寝をしていたのにまた寝るのか、と怪訝そうな顔でリリナに見られる。
寝る子は育つから――そう言い訳するのでも良かったが、自分で言うのは憚られた。リリナはさらに、
「オルティナさん、夕食はまだでしょう?」
「え、まだですけど……」
「ちょうど夕食を終えたばかりだけれど、今ならまだもらえると思うわ」
「い、いえ、あまりお腹空いてないので……」
「ダメよ。少しは食べないと。あなた、まだ小さいんだから」
「あとでパンだけでももらってきてあげる」とリリナは言う。
少し棘のある性格かと思ったが、何かとレンシアの事を心配しているような感じだった。
オルティナさん、という呼び方には少し距離はあるが。
リリナは次いで、思い出したように続ける。
「そうだ、この後お風呂の時間よ? せっかくだから一緒に行きましょう」
「あー、今日はその、いいかなって……」
「……? もしかして体調でも悪いの?」
そう言って、リリナはすっとレンシアの額に手を当てる。
だが、レンシアは熱があるわけでも何でもない。
「特に熱はないみたいね。ここのお風呂は広くてリラックスできるから。せっかくだし入りましょう?」
「あ、その……はい」
面倒臭いから入りたくない、とは言えなかった。
リリナはすでに風呂に入る準備をしていたらしい。レンシアにも準備をするように促してくる。
面倒だから、とレンシアはまだ荷物も片付けていない。
大きな荷物の中から、タオルや下着だけを取り出すと、
「それじゃ、行きましょうか」
「は、はい」
(ああ、ベッドが離れていく……)
すっと自然に手を握られて、レンシアはエスコートされるような形で風呂場まで連れて行かれる。
随分と、リリナは慣れているようだった。
「今の早い時間だと、まだ人がいないと思うわ」
「そうなんですか?」
「そ、何だかんだ中盤くらいの時間が一番多くて、少ないのは早い時間と遅い時間ね」
そんな話をしながら、階段を一歩一歩下りていく。大浴場は寮の一階にある――つまり、これから毎日入るたびに行き来しなければならない。
夕食も、それは同じだった。
せっかく面倒だから、と魔法を維持したまま五階まで上がったのに、それを下りていくのはレンシアにとってはきつかった。
一段下りるごとにレンシアのテンションが少しずつ下がっていく。
(くっ、せっかく上がったのに……)
そんな気持ちではあったが――もう下りてしまっては仕方ない。
大浴場は、寮の人数に対して考えてもとても広かった。
レンシア自身、面倒ではあると思っているが風呂自体は嫌いではない。
リラックスできるのは事実だし、広い風呂ならばなおさらだ。
(ここまで来た以上は仕方ない……精一杯くつろがせてもらう……っ)
「待って、まだ身体を洗ってないでしょう」
「……あ、そうですよね」
早々に風呂に入ろうとしたレンシアを引きとめるリリナ。
もうすでに、レンシアは確信した。
リリナはどこまでも真面目であり、今後のレンシアのゆったりとした生活に彼女がどこまでも障害になってくるという事に――




