2.かつての英雄は眠気に勝てない
入学式の会場は大講堂と呼ばれる場所だった。
学園の生徒達が全て入れるほどの広さがあり、その収容数は最大で千人を超える。
今日、入学する生徒達は皆、前方の席に座っている。
当然、そこにはレンシアもいた。
「本日君達は、この学園に入学して――」
学年主任の挨拶から始まり、入学式はおよそ一時間程度のスケジュールだった。
レンシアにとっての学年主任ではない事になるが。
レンシアの席は壇上の階段近く。異例の飛び級入学をしたレンシアが新入生代表に選ばれるのは必然だったと言える。
「――であるからして――」
(長いなぁ)
ふわぁ、と小さく欠伸をするレンシア。
次の項目に新入生代表の挨拶がある。
レンシアの出番は入学式で言えば丁度中盤くらいだった。椅子に座って話を聞くだけならばレンシアにもできる――そう思っていた時期があった。
「――以上だ」
「では、次に新入生代表の挨拶に移ります。新入生代表、レンシア・オルティナさん。前へ出てください」
会場にレンシアの名を呼ぶ声が響く。
視線は、壇上の階段付近の席に集中した。
椅子に座ったまま、レンシアは動かない。
「……レンシア・オルティナさん?」
二度目。レンシアの名前がまた会場内に響く。
少しだけ会場内がざわついた。
皆が一様にレンシアの方に視線が向く。
すると、レンシアの頭がわずかに動いた。
立ち上がる――誰もがそう思った。
「んっ……」
スッと少しだけ前に出たと思えば、カクンッと勢いよく頭が動く。
また同じ位置に頭が戻り、ゆったりと揺れていた。
――眠っている。
入学式が始まって半分程度。レンシアは眠気に耐えられなかった。
レンシアはまだ六歳で、体力は同い年の子の半分以下だ。
ここに来るまでに体力を使い果たしていたレンシアが眠りにつくのも無理はない。
「レンシア・オルティナさん!」
「――はっ!? 敵襲!?」
ガタリと勢いよくレンシアが立ち上がる。
会場内で何人かが笑いを堪え切れずに噴き出しているのが分かった。
レンシアは周囲の様子を窺う。
全校生徒の視線が、レンシアに集まっているのが分かった。
レンシアの名を呼んでいた司会の教師は苦笑いをしている。
レンシアはこほんっ、と小さく咳払いをすると、何事もなかったかのように壇上へと向かった。
「オルティナ家の娘さんだからどんな子かと思ってたけど……居眠りとかするんだ」
「意外というか……むしろすごいというか……」
「そもそも敵襲って何……っ」
そんな会話があちこちで繰り広げられていたが、レンシアは気にしない。
壇上を歩く姿には、やはり貴族としての気質が見て取れた。
レンシアは中央に立つと、一度全員を見渡して口を開く。
堂々とした立ち振舞いは、先ほどの居眠りを帳消しにするほどだった。
「……」
だが、レンシアは開いた口をスッと閉じた。何か言いたげな表情のまま、一度視線を下に逸らす。
若干、会場がざわつく。
またしてもレンシアの行動に皆が疑問を持つ。それも無理はない。
あれだけ堂々とした態度を見せて、いざ話すのかと思えば何も言わないのだから。
当の本人であるレンシアは――、
(やばい、なに話すか忘れた……っ!)
ギリギリアウトなところまで居眠りをしておきながら、考えておいた話を忘れてしまうという愚行。レンシアは表向きには清楚で可憐なお嬢様のイメージが強く持たれているが、中身ははっきり言ってしまえば残念だ。
だが、レンシアはすぐに落ち着きを取り戻す。新入生代表の話など、適当でもいいかと開き直ったのだ。
「……新入生代表として、この場に立たせていただいているレンシア・オルティナです」
鈴のような声が会場に響く。静まり返った会場内に、レンシアの声はよく届いた。
特に慌てる様子もなく、レンシアは言葉を紡いでいく。
「私のような者が代表として選ばれた事、まずは嬉しく思っております――」
(いや、待て……俺の話はいらないか)
「さて、これから私達新入生は上級生の方々と共に色々な事を学ばせていただく事になるかと思います」
軌道修正を加えながら、レンシアはしっかりとした口調で続ける。
その姿には、上級生や教師陣も感心しているようだった。
六歳の少女が、これだけの人数を前にして平然としているのだから当然だ。
「私もこれから色んな事を学びたくな――学びたいと思いますが、ここでできるだけ楽――できる限り楽しんで生活をしていきたいと思っています」
端々で本音を漏らしながらも、レンシアは無事代表挨拶を終えた。会場内では拍手が起こる。
どうにか、レンシアは大役を終えたのだった。
席についたレンシアは軽く息を吐くと、少しだけ胸を張った。
(何だかんだ言って完璧だったんじゃないか。俺だってやる時はやるからな)
ふふんっ、と言い出しそうな表情でレンシアは目を瞑る。
きっと、レンシアの貴族としての評価も上がっている事だろう。
レンシア自身、そこまで気にしないつもりではあったが、褒められる事については嫌いではない。
そんなレンシアに対する周囲の評価は――、
「あんなちっちゃいのに、ハキハキ話しててすごかったね」
「――っていうか、可愛かったんだけど」
「なんか背伸びしてる感がよかったよね」
貴族の娘ではなく大人の振りをした幼女へと評価がシフトしつつある事に気付かなかった。
その最大の原因は、最初の居眠りにある事は言うまでもない。
あれさえなければ、レンシアは未だに学園に来たばかりの大貴族のイメージが残っていただろう。
そのイメージが払拭されつつあるのはレンシアにとって良い事か悪い事か――それは分からない。
それでも、三つ飛び級をしているという事実がまだ、生徒達全体に与えるインパクトは大きかった。――少なくとも今のレンシアは自身の評価については気付いていない。
再び入学式のプログラムが進み始めると、皆が定期的にレンシアの方を確認するようになる。
その理由は、一つだった。
――カクンッ。また眠っている。
あれだけ勝ち誇ったような表情をしていたレンシアも、壇上に上がって話すという事にまた体力を使ってしまった。
気が付けば船を漕ぐように、こくんこくんと首が前後している。
そんな居眠りをしているだけのレンシアの動向が、いつの間にか注目されるようになっていた。
***
《神魔帝》アルト――神魔と呼ばれる魔導師達の頂点であり、アルトにできない事は他の魔導師にはできないとさえ言われていた。代表的な四属性から光と闇、呪術や死霊術にさえ精通していると言われていたが、アルトからすればそれは誇張だった。
他の魔導師よりも優れているが、決して何でもできるわけではない。ただ才能があったから、魔導師としての道を撰んだのだった。
その道の成功者には、約束された富と名声がある。
アルトにとって名声はなくても困らないものだが、富はあった方がいい。
なぜなら――働かなくていいから。若いうちから努力を重ねたのも、魔法を極めたのも、全ては大人になってから何の気兼ねもなく好きな物を食べたり昼寝をしたり、そんな毎日を過ごすためだった。
アルトにはそれが叶うだけの実力はあった。
実際には、アルトの実力があれば周りが放って置かなかったが。
そんな周囲からも逃げるだけの実力はある。
そろそろ、田舎に家でも買ってゆっくり暮らそう――そんな事を考え始めた頃に、《魔神》は現れたのだった。
神代を生きた魔獣の復活。放っておけば世界は滅びる――いくら働きたくないアルトでも、それを放っておけるほど愚かではない。
結果としてアルトは英雄となり、魔神を倒すための最大級の功労者として後世に語り継がれる事となった。
そんなアルトが、今は入学式で居眠りをする幼女になってしまっていると、誰が予想できただろうか。