19.神の居城
「これハ……」
カーキルが周囲を見渡す。
真っ白な空に、同じように白い大地。そして、灰色の居城があった。
いくつもある建物には、人々が住んでいたような形跡すら見られる。
あちこちに見えるのは、カーキル自身とカーキルの操る魔虫。
「ようこそ――神の居城へ」
カーキルの前に立つのは幼い少女――レンシア。
百年以上生きたカーキルに対し、たった六年しか生きていない少女が作り出したのは、魔力によって構成された世界だった。
「神代魔法、と言いましたカ?」
「その通りです」
「そんな事ハ、あり得なイ」
「あり得ない、とは?」
「神代魔法――それは名の通リ、神々が生きた時代に使われた魔法。百年前で使えた者はわずか五人。現代でハ、一人もいないはずでス」
「目の前の光景が信じられませんか? あなただけを標的にするのに五分もかかってしまいましたが」
レンシアが両手を広げてくるりと反転する。
そして、スカートを少しだけつまんで持ち上げると、レンシアは行儀よく礼をする。
「良かったですね。その一人に会えて」
「フ、フフッ。そうですカ――思えバ、出会った頃からおかしいと思いましヨ」
カーキルもまた、楽しそうに笑う。
この状況でもなお、カーキルはレンシアと会えた事を嬉しそうにしていた。
「何がです?」
「そもそも、幼いあなたがワタシと渡り合えている事自体、でス。あなたは何者ですカ? 神代魔法を使える少女なド、あなたは一体誰に師事しているのでス」
「師事、ですか。しいて言うなら、私自身です」
「自分自身……?」
「その通り。才能の塊なんですよ? 私は」
謙遜する事もなく、レンシアが答える。
カーキルはそれを聞いて、今度は大きな声で笑った。
「フハ、ハハハハッ! いいでしょウ。この空間が何であレ、ワタシのする事は変わらないイ!」
カーキルがそう叫ぶと、周囲にいた虫達が集まってくる。
一体一体の魔虫のサイズはそれほどでもないが、それがカーキルの下へと集結すると大きくなっていく。
他にもカーキルと同じ姿をしたスーツの男が次々と崩れていき、その虫達も一人のカーキルへと集まっていく。
「蟲装擬態――《マンティス・コア》」
カーキルの姿は、異形の姿へと変貌した。
四本の足に、二本の大きな鎌。
二枚の羽も構成され、カーキルという人型の存在はもはやそこにはなかった。
漆黒の巨体が、レンシアと向き合った。
「これがワタシの最終形態でス。これデ、あなたの命を削り取りまス」
ズッと一歩、カーキルが前に出る。それと同時に、遠くから音が響いた。
ゴゴゴゴッと押し寄せるのは黒い水。
それは、白い大地を一瞬で黒く染めた。
レンシアはふわりと宙に浮いた。
「あなたのその魔法は、百年以上の時を経て手に入れた《固有魔法》ですね。それだけの力があれば――国一つを滅ぼす事も不可能ではないでしょう。ですが、この魔法がモチーフにしているのは、神々の住む居城が滅びた時の再現です」
「なに――」
ズシャリ、とカーキルの大きな身体が傾く。足元が水に濡れただけだったが、そこから足ひしゃげていた。水かさが増すごとに、その潰れる速度も増していく。
カーキルは咄嗟に大きな羽を動かし、身体を上空へと飛ばす――だが、身体が飛ばない。
「これ、ハ……!?」
「それはただの水ではありません。重力の水です」
「重力、だト?」
「そう――中に入れば身体は潰れ、一度浸かってしまえば、その水の中から逃げ出す事もできません」
周囲にある居城も、次々と崩壊を始める。
その時の滅びを、再現しているのだ。
カーキルは抜けだそうとするが、水の中から出る事は許されない。
この空間に入った時点で――カーキルの負けは確定している。
「これが神代魔法、ですカ……!」
「はい。神の居城と共に滅びてください」
「そうハ――行きませんネ!」
カーキルの巨体が砕け散り、霧散する。そして、空中で再び集結していく。
「《ビートル・コア》ッ!」
先ほどとは違い、今度は大きな角を持った魔虫の姿へと変貌する。
大きな羽で羽ばたくと、周囲の水が波打つ。
「あ、最終形態って言ったのに!」
「奥の手は最後まで隠すものですヨ! あなたさえ殺せバ、この魔法も終わル! そうでしょウ!」
「なるほど。ですが、奥の手については同意しますよ」
くいっとレンシアが手で合図をする。
ゆっくりとした動きだった黒い水は、柱のようになってカーキルを包み込んだ。回避する事すら許されない――カーキルは一瞬で重力の水に飲み込まれる。
カーキルの巨体が地面へと落下していく。静かだった黒い水は大きく波打つようになり、カーキルを押し潰していく。
「私が自由に操作できるんですよ」
ただ、魔力は異常に使う。
レンシアのお腹がたぽたぽな理由は、魔力増強剤を四つも飲んだからだ。
それでも神代魔法は異常なまでに魔力を消費する。
ただ、カーキルという存在を全て葬り去るためにレンシアは魔力を使う。
「フハッ――終わらなイ!」
中からカーキルが飛び出そうとする。
大きく波打ちながら、そして潰されながらもカーキルは抵抗をやめなかった。
「まだダァ!」
「大した生命力ですね。正直なところ尊敬に値するものです。それくらいの生命力があれば、私も魔神との戦いでは死ななかったのかもしれませんね」
「――なん、だト?」
ピタリと、カーキルの動きが止まる。
その一瞬で、黒い水がカーキルを飲み込んでいく。
レンシアの言葉を聞いて、カーキルはまた楽しそうに笑い始めた。
「フフッ、フハハハハッ! そういう事ですカ。あなたハ、そうなのですネ!? 神代魔法を使える魔導師の頂点――ゆえに《神魔帝》と呼ばれた男……まさか生きているとは!」
「生きているとは少し違いますけどね」
レンシアはアルトではない。
けれど、アルトとしての記憶も、人格も持っている。同一人物と言っても差し支えない。抵抗していたはずのカーキルは動きを完全に止めた。
「納得しましタ。そして、満足しましたヨ――ワタシの願いは叶ったのですネ」
「願い、ですか?」
「そう――魔神を打倒すほどの力を持ったあなたと戦えたのですかラ、これ以上の楽しみはないでしょウ。魔神をわざわざ復活させる必要も、なくなりましタ」
「やはり、そういう事ですか」
カーキルの言葉を聞いて、レンシアも納得する。旧帝国の目的は――魔神を復活させる事。そのための再生魔法だった。
おそらく、魔神の一部がまだ生きた状態で保管されていると考えられる。
再生魔法ならば、それさえあれば蘇らせる事ができるのだ。
けれど、カーキルは満足したように水の中へと沈んでいく。
「フフッ、まったくもって楽しいですネ」
「それは良かった――とは言いませんよ。ですが、お疲れ様でした」
その直後、周囲は漆黒へと包まれた。
***
パリン、と空間がガラスのように割れて、中からレンシアが現れる。
地面に着地すると同時に、レンシアは膝をついた。神代魔法は解除されたのではなく、崩壊したのだった。
レンシアには現状、維持できる時間が限られている。
カーキルを倒すには時間は十分ではあったが、それでもギリギリのところではあった。
「レンシア! 大丈夫!?」
リリナがレンシアの下へと駆け寄る。
だが、レンシアはそれを手で制止すると、
「う、おええ……」
特に前触れもなく吐いた。
お腹の許容量は限界を越えていたため、レンシアはいつそうなってもおかしくない状態だった。地面に綺麗な翡翠色の液体が広がる。
そのあと、レンシアはすくっと立ち上がる。
その表情はとても晴れやかだった。
「ふぅ……スッキリしました」
「本当に大丈夫、なの?」
リリナが様子を窺うようにレンシアに問いかける。
いきなり吐いたのだから引かれても仕方ない、と思っていたが、リリナの表情は真剣に心配していた。
レンシアは笑顔で頷く。
「はい。ちょっと胃が荒れましたが……あとおトイレにも行きたいです。というか漏らしました」
「漏らしたの!?」
「冗談です。とりあえずは、平気ですよ」
「そっか……でも、レンシアが使った魔法って一体……」
リリナにも魔法を使ったという事は分かるようだが、それが神代魔法だという事は特定できない。
おそらく、見ただけで特定できる者は限られてくるだろう。
神代魔法を使った、なんて説明するわけにもいかない。
「私の使えるちょっとした《固有魔法》みたいなものです」
「固有魔法って……そんな事までできたの?」
「生まれついての才能ですっ」
きりっとした表情でそう答えるレンシア。
固有魔法というものには、生まれつきの才能で手に入るものも存在はしている。
レンシアの様子を見て怪訝そうな表情のリリナだったが、少しすると小さく息をはいた。
これで一応納得はしてもらえたようだった。
「カーキルは……?」
「はい、今度こそ倒しました。肉片一つ残していません」
「肉片って……」
断定するには少し早いが、レンシアはそうはっきりと答える。
リリナを安心させるためだ。
「そう、なんだ」
それを聞いて、リリナは安堵した表情を浮かべて、レンシアを強く抱き締める。
「ありがとうね……それと、ごめん。何もできなくて」
「いえ、何もできないなんて事はないですよ。リリナは私の世話をしてくれるではないですか」
「あ、そう言って頼ろうとしてる?」
「もちろんですっ」
「……レンシアには感謝してるけど、サボるのとは別だからね?」
やはりそこは厳しかった。
レンシアのためを思っているからこそ、リリナはレンシアのサボり癖のようなところを直そうとしている。
ここで、「命掛けで守ったんだから、一生面倒見てくれ」とでも言えればいいのだが、さすがのレンシアもある程度の常識はわきまえている。
そんな事は言えずにしゅんとした表情で頷いた。
「もう一人の男の方は……」
「コリンが戦闘中なのは確認していましたが、虫もいなくなった今は問題ないでしょう」
(問題は……)
まだコリンにしか話していない、もう一人の敵の事だ。
ここに突如カーキルの魔虫が現れたのは、《召喚魔法》が使用されたからだ。
もちろん、カーキルがそれを使った可能性も考えられたが、その魔法陣はカムフラージュさらるように学園の敷地内に配置されていた。
ましてや、あれだけの規模の虫を操作しているカーキルに召喚魔法まで使う余裕があるとも思えない。
つまり、あと一人、学園内に敵がいる。
(来るなら今かと思ったが……)
レンシアがリリナと普通に話しているのは、油断した振りをしているため。
けれど、誰もここにやってくる様子はなく、殺気も感じられない。
むしろ、突然魔虫が消えたことで、避難中だった生徒達のざわめきの方が大きくなっていた。
「とりあえず、コリンとの合流地点に移動します」
「うん、分かった」
「ですので……おんぶしてもらえますか?」
「え?」
「屋上まで来るのに疲れたので……」
「……三階建てよ?」
「急いで来たから疲れたんですぅ」
「また甘えようと……あ……」
リリナが何かに気付いた。
レンシアの足が少し震えている。神代魔法の使用は、幼いレンシアの身体に高い負荷をかけていた。
闇雲に使用できるような状態ではないのだ。
レンシアはそれに気付かれないようにいつも通りの口調で話していたが、
「うん、分かった。今日は特別よ?」
「ありがとうございますっ」
(……気付かれてるな、これは)
リリナの表情を見れば分かる。
レンシアが隠そうとしている事を汲み取ってくれたのだ。
「それにしても、レンシアは本当に軽いわ」
「まだ六歳なので」
「でも、たまに朝食も夕食も食べない事あるでしょう?」
「そ、そんな事ないですよ」
「ダメよ、まだ小さいんだからしっかり食べないと」
「はい……」
なぜかそんな注意を受けながら、レンシアはリリナにおぶさる形となった。
リリナはレンシアを背に乗せて、屋上から移動を開始する。
カーキルとの戦いは、一先ずこれで終わりを迎えた。




