正しい未来の選び方 ~ライノルトの場合~
13の時に出会った彼女。
それこそが自分の運命。
真実愛した唯一の人。
だからそれを、そして自分の価値観を、ぐらぐらと揺るがす16の時に出会った少女を見ないようにした。
ライノルトはウルボス侯爵家の嫡男として生まれた。
王族が国のトップに立ち、貴族が領地を治めて王家に忠誠を誓っている。そんな制度の中で、ライノルトは生まれながらの強者であった。
彼の母は寝物語にいつも決まって自分たちの恋物語をえらぶ。
身分差はあったけれど、出会った瞬間に恋におちた。
手が触れるだけで鼓動は早まり、互いを強く知りたいと思った。
けれど侯爵家の嫡男であった当時の父には婚約者がいた。
「彼女は親が決めた婚約者。そこに自分の意思はひとつもない。」
婚約者のことを語る冷めた声、冷めた瞳。
自分に向けるものとは違うその温度を確認したくて、何度も何度も婚約者の話をせがんだ。
身分差の恋は親や友人全てに反対される。
けれど若い二人の恋は批判を受けるほどに燃え上がる。
周囲の目を憚らずに逢瀬をかさねる二人に、とうとう婚約は破棄される。そうして無事に愛する二人は結ばれた。
あなたは私たちの愛の結晶。
とても大切な宝物。
あなたもいつか恋をして、愛しく思った運命の相手と結ばれる。
そうなったらお父さまのように、一生をかけて愛しなさい。
ふわふわとした言葉。年齢を感じさせない甘い雰囲気の母は、自分たちの恋物語を頬を染めながら紡ぐ。ライノルトはその声と、温かな手のぬくもりを感じながら眠るのだ。
成長するにつれて、昔は見えなかった綻びが目につくもの。
「お父さまはなぜ家にいないの?」
「領地でのお仕事もあってご多忙なのですよ。」
家のことを取り仕切っている家令に聞くと、当たり障りのない言葉を聞くことができる。しかしそこには自分に伝えたくない何かがあることも、表情からは伺えた。
身分差を越えた恋で結ばれた美しい侯爵夫妻。社交場ではそのイメージ通りに振る舞うものの、一度家に帰ると父はほとんど姿を見せない。
ライノルトが幼い頃は、外で見せる相愛ぶりを家の中でも見ていた気がする。
父の変化に母は少しずつ壊れていったように思う。
家にいない父を、まるで常に一緒にいるかのように錯覚する。
そうして作り上げた妄想を、貴婦人が集う茶会で惚気る。
寝所を共にすることもないのに、初夜のような夜着をまとう。
心もとない夜着のままバルコニーで佇む母を見ると、ライノルトはその儚さに恐怖した。
「お父さまは、私の明るくて前向きで飾らないところが好きだったのですって。」
だからこそ、ライノルトの母は壊れていっても明るく前向きで飾らなかった。
父との幸せな日常を、歌うように紡ぐ母。
だからこそライノルトや近しい使用人以外は、父の心が離れていること、そして母の心がぽろぽろと崩れてきていることに気が付かなかった。
不在の父に不安定な母。それなのに外に出ればおしどり夫婦の愛し子として羨まれる。
そんな歪な日々は、ライノルトが学園に入ることで終わりを告げた。
貴族の子息が多く通う学園は、入寮が義務付けられている。不自由することに慣れない少年たちは、これを嫌がるものだ。しかしライノルトにとっては救いでしかなかった。
壊れていく母を見捨てるような罪悪感はあったものの、これで歪な恋物語の結末を見守る必要がなくなったと安堵したのだ。
学園生活は退屈で怠惰で自堕落で、だからこそ最高に楽しく感じられた。
そうして過ごしていた13歳の秋。
ライノルトは運命と出会った。
授業を面白いと感じることもなかったライノルトは、頻繁に学友と街へ繰り出していた。その日は収穫祭で、街全体が浮かれて浮き足立っているようだった。
友人たちと広場の露店商を眺めていたところ、音楽が鳴り出しダンスが始まった。慌てて端へ寄ろうとしたが、二の腕をぐいっと掴まれてダンスの輪の中へ。慌てて掴まれていた手を振りほどき、目の前にいる犯人に抗議しようと前を向いた。
「一緒に踊ろう!」
そこには全力で微笑む可愛らしい少女がいた。文句を言うつもりだった口は、ぶつける先を見失いモゴモゴとしてしまう。
「あれ、踊らないの?音に合わせて身体を動かすだけよ。」
少女は俯いてしまったライノルトの顔を、不思議そうに覗きこむ。踊るために握られた両手は、驚くほどに温かかった。
笑う少女につられて少しずつ身体を動かす。
リズムをとって、跳ねて笑う。
くるくると回って、また笑う。
知っている曲なら口ずさみ、知らない曲なら適当に。
「ルールなんてないわ!楽しむのだけが決まりごと。」
片目を瞑り、そう言いながらくるくると回る少女から、ライノルトは目をはなすことが出来なかった。
(胸が苦しい)
それは踊りすぎて鼓動が早くなっているからだけではなかった。
ライノルトは幼い頃から何度となくダンスをした。
相手とは適度な距離で、優雅にリードする。微笑みを絶やさず、目があえば相手への賛辞を。
お決まりの作法にお決まりの言葉。
だからこそ、生まれて初めて体が踊りだすという感覚を感じた。
どれだけ踊っていたか覚えていない。
汗か、まわりから浴びせられる酒か。とにかく全身はびしょ濡れで、笑いすぎて頬は筋肉が強張るほど。
ぐしゃぐしゃの髪は花びらが纏わりつき、油や酒、汗の匂いにまみれた自分は最悪な状態だ。
それなのにライノルトは、これまでの人生で一番『生きている』そう感じたのだ。
目の前にいる少女も同様で、見るも無惨な格好。それなのに強く惹き付けられ、ライノルトはどうやっても目をはなせないことに驚いていた。
「お互い酷い格好。良ければ家でお湯を使う?」
クスクスと笑いながら彼女が提案する。
「いや、いきなり知らない人間を連れ帰るとご家族も心配するだろう。」
「大丈夫。私ひとりぼっちなの。」
普通ならば断る提案。それなのについ頷いてしまったのは、ついさっきまで朗らかに笑っていた彼女が「ひとりぼっち」と言った瞬間、瞳が暗く濁ったからだった。
夕暮れ、祭り終わりの寂しい空気。
そんな街を、少女の背中を追って歩く。
体は疲れてヘトヘトで、できることならその場で蹲ってしまいたい。
それでも目の前の少女の小さい背中を見失いたくなくて、無言で見つめ、歩いていく。
コツコツと石畳を靴が蹴る。細い路地を進み、見通しの悪い角を何度か曲がる。
「お待たせ。ここが我が家です!」
ニコリと微笑んだ彼女の後ろには、粗末な集合住宅が見えている。
「見たところ良いとこの家のお坊ちゃんみたいだけど、こういう所は初めて?」
「あ、ああ。」
「私たちみたいな庶民はこういとこで暮らしてるの。何もないけどとりあえず、身ぎれいにして帰ったほうが良いでしょ?」
そう言いながら、再び少女は歩きだす。トントンと軽やかに階段をあがり、三階の角部屋の扉を開く。
お湯の準備が整うと、少女はライノルトを浴場へ押し込んだ。
「いや、君は女性なのだから先に。」
「ハイハイ。お坊ちゃんに心配されるほどやわじゃないわ。」
クスクス笑う彼女にむっとするけれど、何か言う前に扉を閉められてしまう。
浴場は湯船などは無く、桶にためているお湯をかけるだけの簡素なもの。家でも学園の寮でも湯船でたっぷりのお湯を使うライノルトとしては環境の違いに驚いてしまう。
さっとお湯を使い浴場の外に出ると、体を拭く布と簡素な服が用意されていた。
(かなり大きな服。父親のものか?手も足もあまってしまう。)
思春期の少年としては借りた服が大きすぎるといのは恥ずかしいもの。それでもそれ以外に着るものもなくしぶしぶ部屋へと戻った。
「あら、あがったの?やっぱり服、大きかったかな?父さんすっごく体が大きかったから。」
どこか懐かしさを感じさせる声で少女が話す。切なげで、なぜだかこの名前も知らない少女のことをライノルトは強く愛おしいと思ったのだ。
だからこそ、手を引いて腕の中に閉じ込めてしまったのは必然だった。
「え?どうして?」
「ごめん。なんだか泣いている気がして。」
「泣いてない。」
「なんでだろう、そう見えたんだ。」
「見えたの?」
「うん。」
「見えちゃったか。」
「ああ。」
「ああ、泣けてきちゃったじゃない。」
「ごめん。」
ライノルトの借りものの服が少しずつ濡れていく。
「ほんと、どうしてくれるのさ。泣きたくなんてないんだから。」
「うん、ごめん。」
「君は優しいね。」
「ライノルト。」
「え?」
「僕の名前、ライノルトだ。」
「そっか。私はシャナ。こんな近さで自己紹介するなんてね。」
シャナが泣き笑いの顔でそういうと、ライノルトもくしゃりと顔を崩し、年相応の顔で笑った。
ライノルトがお湯を使っている間に体を拭いていたようで、シャナからはハーブの心地よい香りがした。
その夜、ライノルトは寮に帰ることは無く、シャナと体を重ねた。
お互い欠けたものを取り戻すようにぴったりとくっついて、人の肌の温かさに涙を流す。
狭い部屋、ミシミシと音をたてる粗末なベッド、今日初めて会った二人。
間違いだと、軽率だと気づいていた。
それでもお互いの心を癒すには、これ以上の方法が無いと知っていた。
月明かりの下で見るシャナは、昼に見たときよりも大分幼く見える。栗色の艶やかな髪にクルクルと指を絡めながら、ライノルトはシャナを見つめる。
「ごめん。」
この状況に、見えない未来に、何への謝罪か分からないままにライノルトは謝った。
「やめて。私もライノルトと一緒にいたかったんだから。」
「そっか。シャナ、会ったばかりなのにこんなこと言うのも何だけど、好きだ。」
「好きじゃないなんて言われたら叩きだすところよ。」
ヘーゼルの瞳を細めてクスクス笑いながらシャナがからかう。
「こんな気持ち、初めてなんだ。僕の初恋の人。」
「ねえ、初恋って叶わないものらしいよ?」
「そんなこと言わないでくれ。僕は絶対叶えるよ。」
お互いに笑い合いながら手を絡める。頬を寄せ、すり合わせ、甘えるようにシャナはライノルトの胸に頭をうめる。
少しパサついた髪、ほんのり頬にあるそばかす、家事でかさついた指、膝や腕にある打ち身の痕。
貴族の娘ならありえないそれが、ライノルトの心をギュッと縛る。
少しでも日々の苦労から救ってやれたらよいのに。
傲慢なその気持ちはライノルトの歪な心を不思議なほどに満たしていった。
寂しさを抱えたひとりぼっちの二人。
狭い部屋の簡素なベッドで戯れる様子は子猫がじゃれ合うようだった。
その日以降、ライノルトはシャナと新婚夫婦のように過ごした。
一応見放されない程度に学園に通い、シャナの元に戻る。
ライノルトに与えられるお小遣いは平民にすれば大金のようで、シャナの暮らしも一気に安定した。
おままごとのような生活だと、ライノルトもシャナも気づいていた。それでも今まで失っていた人肌の温もりがあれば、他に怖いものなどないように思えた。
恋なのか、寂しさなのか、抱える感情は分からない。それを恋情と思いこみ、二人は生活を続けた。
ライノルトはそんな生活を続けていても父母から何も言われない。いっそ自分のことも忘れてくれたら良いのにと思うのだった。
そんな生活がしばらく続いた16歳の春。
珍しく両親に呼び出され、引き合わされたのがガレノス伯爵家の娘、リーティアだった。
波打つブロンドにあたたかなエメラルドグリーンの瞳。はちみつ色の睫毛はバサバサと可憐な瞳を守り、唇は果実のようなみずみずしさ。頬をほんのりピンクに染めてライノルトを見つめる。
「お初にお目にかかります。ガレノス伯爵家の娘、リーティアにございます。」
指先までしっかりと管理された美しい礼は、わずか12歳とは到底思えない淑女ぶり。
光の中にしっかりと一人で立つ。
そんなリーティア・ガレノスの姿はライノルトの心をぐらぐらと揺さぶった。
ライノルトとシャナ、二人で一つでようやく立てる、そんな姿を嘲笑われているように感じる。
何よりも、美しく輝くリーティアに見惚れてしまいそうになる自分が汚らしく、思わず目の前にいる12歳の少女を睨みつけてしまった。
彼女を睨みつけたのは、自分の中にある感情がかき乱されたから。
温かい湯の中で揺蕩う、そんなシャナとの穏やかな時間から無理やり引き上げられたような気分になったから。
つまり八つ当たりだということには気が付いていた。
自分の気持ちのままに12歳になったばかりの少女を睨みつけた。その瞬間、穏やかに微笑んでいた彼女の瞳にうっすらと涙の膜が張ったのだ。
完璧な小さな淑女を自分の気持ちのままに傷つけた。
たったそれだけのことなのに、背中からゾクリと何かが駆けあがってくるような愉悦を感じた。
これ以上この場にとどまってはいけない。なけなしの理性をかき集めて、そっけなく踵を返した。
その出会い以来、愛しいシャナと会っていてもどこか焦燥感に駆られる自分がいる。
違う。
違う。
自分は父とは違う。
好きになったその人と、ずっと一緒にあるのだ。
いつか子を成して、その子に愛されて生まれてきたことを伝えるのだ。
そう思ってシャナを掻き抱くのに、チラチラと脳裏には意志の強いエメラルドグリーンの瞳がよぎる。
自分が傷つけ、遠ざけた彼女。
自分とシャナの日々を脅かす外敵。
一人で立つことができる、幼いながらも完璧な淑女。
リーティアへの態度の贖罪をするかのように、シャナへの愛を紡ぐ。
いつしかシャナも何かに気付き、こぼれるような笑顔ではなくどこか悲しさをたたえた微笑みをするようになっていった。
違う。
違う。
そんな顔をさせたい訳じゃない。
愛しているはずなのに。
違う。
違う。
狂いそうな気持ちをたまに会うリーティアへと向ける。
そうすると彼女は美しいエメラルドグリーンを曇らせる。
もっと、もっと傷つけば良い。
あてつけだと分かっていた。
それでももう後には引けなかった。
あなたもいつか恋をして、愛しく思った運命の相手と結ばれる。
そうなったらお父さまのように、一生をかけて愛しなさい。
母の言葉がライノルトを縛る。
父のようにはなりたくない。
一生をかけてシャナを愛したい。
シャナを母のようにしたくない。
リーティアのことを憎みたい。
ぐちゃぐちゃになってしまった気持ちを整理することなく、ライノルトはリーティアと結婚した。そしてより捻じれた日々をおくるようになる。
リーティアを傷つけることで、自分たちの変わらぬ愛を確かめようとする。
その歪さに気付いてはいても、もう後戻りはできない。
リーティアが婚姻という枷をぶち壊し、歪んだ関係から抜け出した後に残るのは、果たして愛かそれとも恋の抜け殻か。
ただ一つだけ確かなことは、リーティアが手元からいなくなり、ようやく彼女の幸せを願えたということ。
13の時に出会った彼女。
それこそが自分の運命。
真実愛した唯一の人。
ライノルトは未だこの言葉に囚われる。
主人公視点で見たライノルトは最低男でした。(もちろん多少理由はあっても最低男に変わりはありません。)
ただ歪んだ思想、刷り込みのような初恋で身動きがとれなくなってしまったという少し可哀そうな一面もあります。
だって初恋を終えて、次に好きな人ができることってあることじゃないかなと思うんです。
それを浮気心だと嫌悪感を感じてしまう、青臭い16歳のライノルト青年です。
無関心な父親、壊れた母親、腫れ物に触るように接する使用人に育てられたライノルトは完全に悲劇のヒーローです。主人公から一撃くらったことで、少しは前に向けるのか?
ただ馬鹿な男にしたくなく、ライノルトにもいろいろな事情があるとしてしまいました。スッキリしない!モヤモヤしたぞ!と感じた方がいらっしゃったら申し訳ありません。