初登板
九回の表ツーアウト。 走者二塁。
そこで東京ティターンズの投手コーチ尾高晋作がアンパイアにピッチャー交代を告げて、東京ティターンズの中継ぎ投手・門倉はマウンドから降りた。
「ピッチャー門倉に替わり、三沢幸四郎。 背番号二十八番」
と、アナウンスが東京ドームに響き渡った。
俺は小型のリリーフカーに乗り込み、マウンドに向かった。
マウンドには、尾高投手コーチとティターンズの正捕手・城田健三郎さんが待っていた。 俺はリリーフカーから降りて、マウンドの上でボールを受け取った。 尾高コーチが俺の顔をまじまじと見ながら――
「三沢! お前、これが初登板だよな?」
「はい」
「なら全力で打者を抑えろ。 一昨年のドラフト一位の力を見せてみろ!」
「はい!」
そういって尾高コーチがマウンドからベンチに引き上げていく。
そういやそうだった。
一昨年の俺ってドラフト一位だったんだよな~。
それがペナントレースの優勝が決定した消化試合で、
初登板とはどうにも冴えない話だ。
ちなみに今年の優勝チームは我が東京ティターンズ。
もっとも俺は何の貢献もしてないから、俺が威張る事ではない。
こう見えても俺は一昨年の夏の甲子園大会の準優勝投手だった。
直球は常に150キロ以上。
得意な変化球は良く曲がるスライダーと打者のタイミングを外すカットボール。
マスコミは俺の事を「超高校級投手」などと言って騒ぎ立てた。
そして運命のドラフト会議で希望球団の東京ティターンズに一位指名された。
マスコミ、野球ファン、高校の同級生からも祝福された。
俺自身、この夢のような展開に有頂天になりかけた。
だが俺はプロ入り一年目の春季キャンプで右肩を痛めて、
一年以上のリハビリ生活を送った。
元々、甲子園の連戦連投で右肩が時々痛んでいたが、その痛みが限界に達した。
そして右肩を手術。 地道なリハビリ。 苦痛の日々だった。
次第に俺の後を追うマスコミの数も減り、今では誰も俺を追わない。
世間では俺を「期待外れのドラフト一位」とか「契約金泥棒」など、
と言っている事も知っている。 まあその暴言あえて受け入れよう。
だが俺はこのままで終わるつもりはねえぜ!
「……い。 おい! 三沢っ!」
「え?」
「え、じゃねえよ。 俺の話、ちゃんと聞いてるのか?」
「す、すみません! 緊張して聞こえませんでしたっ!?」
気が付いたら、目の前に捕手の城田さんが立っていた。
城田さんは呆れ気味に小さく嘆息した。
「お前、緊張しているの?」
「ええ、多分そうです」
「ふうん、ドラフト一位の癖に気が小さいんだな~」
今の言葉にはちょっとむっときた。
だが今の俺には言い返す資格はない。
「お? ムカつたいか? 少しは男らしいところあるじゃねえか。
いいぜ、俺はそういう投手嫌いじゃねえぜ」
「は、はあ」
「それじゃあ話を戻すぞ、お前の球種は?」
ああ、そうか。 球種の確認か。
一人で考えて込んでて、うっかり忘れていたぜ。
「変化球はスライダーとカットボール、それにカーブが投げれます」
「球種は四つか、んじゃ基本的に俺のリード通りに投げろ。
ただ状況によっては、首を振る事も許してやる。
とにかく初登板だ。 思いっきり腕を振って、球を投げろ」
「はい!」
球種の確認を終えると、城田さんがホームベースに戻っていった。
城田さんは既に腰を落として、ミットを構えている。
ウェイティング・サークルでは今夜の対戦相手である大阪ジャッカルズの
三番打者・真柴俊治がゆっくりと木製バットを振り回している。
大阪ジャッカルズのこの遊撃手とは、
甲子園でも何度か対戦した経験がある。
右投げ右打ちの攻守走の三拍子揃った好打者だ。
昨年まで一年間みっちり二軍で鍛えられ、
今年になってショートのレギュラーの座を掴んだ。
現在打率三割一分八厘、本塁打二十一本、盗塁三十二個。
今年の新人王の最有力候補だ。
年齢は俺と同じ二十歳。 だからこいつには負けられない。
俺は十球の肩慣らしを終えて、マウンド上から真柴を睨みつけた。
すると打席の中で真柴が少しだけ笑った。
まるで「もうお前なんか眼中にねえよ」みたいな冷笑だ。
ムカつくが、今の状況では俺に怒る権利はない。
だがその代わりにこの打席は必ず打ち取ってみせる。
俺はセット・ポジションで二塁ランナーの位置を確かめ、
城田さんのミット目掛けて、渾身のストレートを投げた。
外角低めギリギリに決まり、まずはワンストライク。
球速は152キロ。 うん、調子は悪くないな。
打席の真柴が「へえ」みたいな表情をする。
やっと全盛期と同じレベルの速度が戻ってきた。
俺は今年に入って、二軍の試合で徹底的に鍛えられた。
高校時代は面白いように三振を取っていたが、
プロの打者は二軍といえど、俺の球を簡単に打ち返してきた。
正直何度心が折れたか、覚えていない。
でも俺は諦めなかった。
何度も何度も投げ込みをして、暇さえあればグランドを走った。
二軍の試合場の客席から罵声を浴びせられても、耐えた。
そんな俺を陰で支えてくれたのが、高校の同級生の彩だ。
彼女とは中学からの付き合い。
彼女も野球が大好きで中学までは、女子硬式野球をやっていた。
その後、俺と同じ高校へ進学。
そして男子硬式野球部の女子マネージャーになった。
俺は初めて甲子園の出た高二の夏に彼女に告白した。
そしてそれから彼女と付き合うようになり、三年の月日が経った。
彼女は今、大学二年生だが、時間のある時は二軍の練習場や試合を
観に来てくれる。
甲子園で投げていた頃は彼女も俺の事を誇らしく思っただろう。
だがプロ二年目の今、俺は崖っぷちの状況に居る。
今年でクビはないと思うが、来年以降は怪しい。
このまま一軍で何の成果も残せないままプロのユニフォームは脱げない。
だから消化試合だろうが、なんだろうが、俺は全力で投げる!
再びセット・ポジションから二球目。
弧を描いたカーブが大きく外角に逸れた。
だが城田さんは飛びつくように球を捕球する。
しかし今の球は城田さんのサイン通りだ。 あえて外したのだ。
城田さんが腰を下ろして、サインを出した。
今度の球はインコース高めにカットボール。
俺はサインに頷いて、全力でカットボールを投げた。
真柴が渾身の力で木製バットを振った。
快音が響き渡る。
スタンドから悲鳴のような声がどっとあがった、
打球はレフトスタンドに向かって飛んでいくが、
ギリギリのところでファールになった。
インハイのカットボールを引っ張ってあそこまで飛ばすのかよ!
ストレートならスタンドまで持っていかれたかもしれん。
少しだけ曲がった分、僅かにミートポイントがずれたようだ。
やれやれ、命拾いしたぜ。
これでカウント・ツーワン。
四球目の城田さんのサインは内角低めのストレート。
ただしボール一個分外せ、と城田さんが右手の人差し指でジェスチャーを出す。
インコースか。
もしここで真柴に死球を与えたら、
俺はジャッカルズファンに罵倒されまくるだろう。
だが俺はそんな事でびびらない。
俺は城田さんのサインに大きく頷いた。
そして思いっきり右腕を振り渾身のストレートを投げた。
それがインコース低めに決まる。 注文通りにボール一個分外した。
「ボール!」
アンパイアがそうコールした。
球速は154か。 全盛期の155キロに迫る勢いだ。
うん、やはり調子は悪くないぞ。
これでツーエンドツー。
そして次のサインはインコース高めのスライダー。
悪くないリードだ。 だが俺はあえて城田さんのサインに首を振った。
一瞬、城田さんの動きが硬直する。
ど新人の投手が大ベテランの正捕手のサインに首を振ったんだ。
そりゃ城田さんからすれば、腸が煮えくり返る思いだろう。
だが俺もこの初登板に人生をかけている。
だから先輩だろうが、遠慮なく首を振る。
やや間が合ってから、城田さんが再びサインを出した。
今度もコースはインハイ。 ただし球種はストレート。
そう、俺はストレートで勝負したいのだ。
この真柴をストレートで打ち取れるか、
どうかで俺の今後の野球人生が決まる。
果たして俺の右腕は全盛期まで戻ったのか。
俺はセット・ポジションから全力でストレートを投げた。
球に指先が綺麗にかかり、絶妙のタイミングでリリースできた。
そして放たれた球は高速でストイクゾーンの右上隅に迫る。
真柴は既にバッティング動作に入っていたが、真柴の木製バットは空を切った。
「ストライク、バッターアウト!!」
アンパイアがややオーバーアクションでそうコールした。
球速は157キロ。 全盛期の155キロを上回る球速だ。
俺はようやく全盛期に、いや全盛期を超える事が出来た。
全身に熱い感情が伝う。
そして俺はマウンド上で小さくガッツポーズした。
「いい球だったぞ。 次の回も投げてみるか?」
「はい、行かせてください!」
俺は尾高コーチの問いに大きな声でそう返した。
すると尾高コーチは満足そうに頷きながら――
「しかし城田のサインに首を振ったのは驚いたぞ?
城田も明らかに怒っていたぞ。 だがピッチャーはそれぐらいでいい。
これからはドラフト一位の名に負けないように一軍で頑張れ!」
「はいっ!」
そうだな、後で城田さんに謝っておこう。
次の回からは、城田さんのサイン通りに投げるぜ。
だが残念ながら次の回の登板機会は巡ってこなかった。
何故なら城田さんが九回裏にサヨナラソロホームランを打ったからだ。
そのおかげで俺は初登板で初勝利となった。
無言でダイヤモンドを一周する城田さんをチームメイトが手厚く迎えた。
皆が両手を上げて、城田さんが一人づつハイタッチしていく。
そして俺も同様に両手を上げるが、俺の目の前で城田さんが立ち止まった。
「ふん、初登板で俺のサインに首を振るなんていい度胸してるぜ、お前。
でも俺はそういう生意気なピッチャーは嫌いじゃないぜ」
「すみません、今後は気をつけます」
「ふん、まあ今後は一軍の戦力になれるように頑張れや」
「はい!」
そう言葉を交わし、俺と城田さんはハイタッチを交わした。
こうして俺の初登板は初勝利という結果に終わった。
プロ入りして以来、鳴かず飛ばずの俺だったがこれで少しは自信がついた。
だがこれで終わりではない。
これは始まりに過ぎない。
今後は一軍に定着して、まずは中継ぎ。
そしていずれは先発ローテションに加わりたいと思う。
その為には今後はもっと頑張らないといけない。
だが今夜だけはゆっくり休もう。
そして俺は城田さんをはじめとした一軍のレギュラーの先輩に
プロ野球選手行きつけの高級焼肉店に連れていってもらった。
それから初勝利記念という事で一杯だけビールを飲んだ。
初勝利の美酒。
だが正直苦くて、あまり美味しくなかった。
どうやら俺の舌はまだまだお子様のようだ。
でも初勝利の味としては、けっこう悪くなかった。
『初登板・おわり』
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