9話 訪問者と若き教授と精霊少女
「いや~、突然訪問して悪かったね、スティーヴ」
そう言ったのは、彼より少し年上そうな男だ。見目整ったハンサムな顔立ちをしており、くすんだ金髪をしっかりセットして紳士衣装に身を包んでいる。親しい仲のようで愛称名を呼び、ソファに座ってからも気を楽にして笑い掛けていた。
スティーブン本人は、それに対して引き攣った笑顔で応えていた。その隣に腰かけているメイベルは、彼がついでのように用意してくれた自分の紅茶を眺めている。
「今日も講演会の出席があったんだろう? お疲れ様。大学院を卒業してから、ますます人気者の君が羨ましいよ」
客人がそう言いながら、ティーカップを手に取った。仕草は品があったものの、節ばった筋の浮かんだ大きな手は、貴族というより研究熱心な学者のそれだった。
「この前も、一ヶ月の長期出張だっただろう? おかげで、君がいないけれど居場所を知らないかって、三人の人間に何度か尋ねられたよ。そんなに気になるのなら、魔法使いに依頼して手紙を送ればいいとは助言したけれどね」
「ああ、一つは届いていた。あの警部とゼーファ教授は、大の魔法嫌いだからな。帰ってきた駅で二人に突撃されたのは驚いた」
「はははは、野生の勘がすごいよねぇ。でもそこは君と同じだ」
「んな訳ないだろう。俺がいつどこで、そいつを発揮したって言うんだ、トム」
トムと呼ばれた男が「いつもさ」と楽しげに答えてから、紅茶を少し飲んだ。一息ついたところで、それとなく視線を動かして、先程から気になっていたようにメイベルへと目を向ける。
「それにしても、スティーヴが【精霊】を招いているなんて珍しいなぁ。顔はよく見えないけど、かなり人間らしく変身出来るタイプみたいだ。気配は人と違っているとはいえ、魔法でも隠せない『精霊の目』を見ないと判別が難しい種はそうそういないよ」
「は、ははは、まぁちょっとした理由があってな……」
その時、メイベルは少しだけ顔を上げた。先程スティーブンに言われた通り、髪が見えないよう配慮しながら俯き加減で「おい」とそっけなく呼ぶ。
「紅茶の淹れ方がなってないぞ。せっかくの香りが、残念すぎる感じになってる」
途端に、スティーブンのこめかみにピキリと青筋が立った。
「…………テメェ、やけにじっとしていると思ったら、ティーカップを眺めながら、ずっとそれを考えていたのか? あ?」
「全くもってその通りだが、――何か?」
メイベルはしれっと答えると、ようやくティーカップを手に取った。エインワースの自宅のものと違って、随分高価そうな陶器だと思いながら口を付ける。
その隣では、スティーブンが言いたいアレやコレやを堪えて、ぶるぶると震えていた。
「味もいまいちだな。これじゃあ、ただの『茶』の方がまだ美味い」
「あははは、人間の味覚もよく理解している精霊みたいだねぇ」
それもそれで珍しい、とトムが呑気に褒めた。
「そうなんだよ、大学時代に僕が淹れ方を教えてあげていたんだけど、彼ったら中々上達しなくてさ。珈琲は上手く淹れられるようになったんだけど、もういっその事、使用人を雇えばってアドバイスはしてる」
「なるほど。メイドを雇った方が、確実に美味い紅茶を飲めるだろうな」
「おや。『メイド』という言葉も知っているんだねぇ」
トムは、同じタイミングでティーカップをテーブルに戻し、どこか関心した様子でメイベルのフード頭を見やる。
言いたい文句を一旦腹に戻したスティーブンが、話をそらすようにこう言った。
「トム、こいつの事は気にしないでくれ。それで、何かまた困り事でも出来たのか?」
「今回は僕ではなくて、起業した頃に世話になったうちの一人でね。中立派の僕と違って、彼も君と同じく根っからの『摩訶不思議』嫌いでね――最近出来た、エドキンス博物館を知っているかい?」
そう確認するように尋ねた。スティーブンが顰め面で「エドキンス……?」と口にしたのを見て、トムはちょっと意外そうにする。
「君の事だから、仕事柄知っているんじゃないかなぁと思ったのだけれど。名門貴族のエドキンスが完全出資で立ち上げた博物館で、初めて屋内にカフェを設けた新しいやり方で客を集めているんだ」
「食べるためには入場料を払わないといけない、ってやつか」
「あれ? やっぱり知ってるの?」
「こっちにはまだないが、この前立ち寄った三大都市の一つ『エティエンヌ』に、飲食店と博物館が一緒になった施設があった。入場料が考古学会への寄付としていくようになっていて、随分助かっていると向こうの教授に聞いた」
「へぇ~、さすがはエティエンヌだね。集まっているのは成功者と富裕層だらけだし、『さぞ立派な』レストラン仕様なんだろねぇ」
メイベルは、やや俯き加減で話を聞いていた。トムのイメージからの感想言葉が笑えて、薄らと口角を引き上げるとこう口を挟んだ。
「エティエンヌは、湖の上に建てられた人工都市だ。もともと王侯貴族が憩いの楽園として設けていて、大抵の企業も飲食店も『招待』によって厳選されている。あそこは三つ星以外の店を受け付けていない」
つまり、と言って彼女は結論を口にする。
「『立派どころか』、王族御用達の一流シェフしかいないだろうさ」
つらつらと述べられた解説を聞いて、トムは呆けたような表情を浮かべていた。
「いや、まぁ、僕も『事実』くらいは聞き知っているけれど……」
そう言いつつも、親しい友人に尋ねずにはいられない様子で目を向ける。
視線を寄越されたスティーブンは、片手で顔を押さえていた。「なんでそう無駄に詳しいんだコイツは……」と呻く声は、向かい側の友人には届いていない。
「ねぇスティーヴ? この子、かなり知能の高い精霊みたいだね。人間事情にも驚くほど詳しい。一体そこにいる『彼』とは、どこでどう知り合ったんだい?」
「…………ちょっとした事情が、あるんだよ……うん」
実のところ俺にもよく分からない、とスティーブンが『頭が痛い』というニュアンスでぼやく。
メイベルは、興味がなかったのでそれを無視したうえで「それで?」と言って、トムに話を促した。
「『摩訶不思議が嫌い』な人間は、そのエドキンス博物館とやらで、何をどう困らされているんだ?」
「へ? ああ、エドキンス博物館は、エントランスにカフェを設けていて、そこから三つの展示フロアに抜けられるようになっている。カフェ側にも展示物が三つ置かれていて、それが一定時間ごとに入れ替えられるんだ」
長い指をテーブルに滑らせながら、トムが見取りと状況について説明する。
そこに紙があるわけでもないのに、メイベルは目を向けて話を聞いていた。同じように見ていたスティーブンが、ふと「ちょっといいか、トム?」と疑問を投げる。
「わざわざカフェの客向けに、各フロアに展示されている物を一つずつ『一定時間ごとに入れ替えている』のか? 貴重な歴史的財産だぞ、それを一日に何度も動かして大丈夫なのかよ」
「君ってさ、なんで経済学にも身を置いているのか分からないくらい歴史の価値に煩いよね……それは大丈夫だよ。君も知っているバーキンス教授も関わっていて、そこについてもきちんと指示がされているからね」
移動される物も選ばれており、振動でうっかり欠けてしまうような貴重文化財産は含まれていない。そう説明してから、トムは話の先を続けた。
「どうやら異変に関しては、展示物を入れ替える時に起こっているらしいんだ。『フロアに戻す』際には問題ないのに、『フロアから運び出』した一部の職員が冷気を感じたり、何かに触られた、と最近訴え始めているみたいでね」
「なんだそりゃ? 怪我をするだとか、展示物に異変が起こる訳ではなく?」
「僕も当初は同じように感じたのだけれど、話を聞かされた後で見に行ってみたんだ。そうしたら、彼らは『目に見えない何者かに触れられている』ようだった。不自然に髪が揺れたり、服の裾が引っ張られるのを、この目で見たよ」
つまりは、ナニかがいる。
テーブルに目をやったトムの眼差しは、どこか真剣そうだった。スティーブンが開きかけた口を一旦閉じた隣で、メイベルは『クソ不味い紅茶に砂糖をぶちこんで』、ぐるぐるとかき混ぜていた。
「僕が世話になったその人も、寒気のような違和感を覚え始めているらしい。でも彼も含めて『魔法使い嫌い』だ。そのうえ、幽霊の存在だって信じていない」
「つまりなんだ、以前うっかり魔法教会の連中と関わっちまった俺に、専門家を寄越すようお願いして欲しいって事か?」
推測したスティーブンが、かなり嫌そうに唇を尖らせる。
「アレは遺跡の件で勝手に協力者認定されただけであって、俺は連中と連絡を取り合うような仲になった覚えはないぞ。あれから魔法協会が推薦紹介しているとかで、『知らない魔法使い』がたびたび来て、かなり迷惑もしてる。そのたび追い返しているんだぞ」
「……君ってさ、ツンケンしているのに面倒見がいい所があるというか、根がいい奴なせいで、年々巻き込まれ率が上がってない? 関わったのは先月の事なのに、なんだかますます面倒な事になっているみたいだねぇ……」
トムは、それはそれで同情するという目を向けた。
「まぁ安心しなよ。魔法使いを紹介して欲しい、という推測については君の早とちりだ。実は昨日、僕がこっそり連れていったからね」
「へぇ、さすがは荒波を立てない中立派。魔法使いにもアテがあったって訳か」
「ある程度の社交は必要だよ。精霊も聖獣も、女神だけでなく呪いだって存在しているんだから、僕らのように古い歴史を扱う人間が、いつ巻き込まれたっておかしくない」
そう言ったトムが、「そういう事じゃなくて」と話を聞かない友人を困ったように見た時――
「魔法使いを連れていった。でも、『それで解決しなかった』って事だろう」
紅茶を少し飲んだメイベルが、ティーカップに目を落としたままそう口にした。
スティーブンが、ようやく気付いた様子で「あ」と言う。その向かいにいたトムが、呆けたように彼の隣へ視線を向けた。
「君、精霊なのにスティーヴより話がスムーズに出来るのが不思議……まぁ、その通りだよ。なんの解決にもならなかった。その魔法使いは『精霊の姿はどこにも見えない』と結果を述べて、首を捻っていた」
それを聞いたスティーブンが、凛々しい眉を顰めた。
「肉体を持たない精神体タイプの精霊が、お得意の【姿消しの魔法】でも使っているんじゃないか?」
「魔法使いは、精霊の魔力に半分頼っているところもあるから、気配があればすぐに察知出来るんだよ。連れていった魔法使いも、そこそこのベテランだ。だから僕も『もしかしたら本当に幽霊なんじゃないか……?』って、悩んでいるわけだ」
魔法使いが反応しなかったのであれば、呪いの類でもない。
メイベルは、そう教授達がすぐに浮かびそうな『広く知られている常識』を思い返した。すると、スティーブンと共に難しそうな表情で思案していたトムが、「あ」と言って視線を投げてきた。
「そうだよ。ここにせっかく精霊がいるんだから、この『彼』にも見てもらえば謎の正体も判明するんじゃないかな」
そうトムの口から提案が飛び出した途端、スティーブンが勢い余って、曲げていた長い足の膝頭をテーブルにガツンとぶつけた。
「はあああああああ?! おまッ、それ本気か!?」
「ねぇスティーヴ、君かなりガツンと打っていたけど、痛くないの? 君が学者の癖に喧嘩も強くて体力馬鹿なのは知ってるけど、今のは絶対かなり痛い――」
「魔法使いが駄目だったからって、コレに見せようって事か!?」
「何を慌てているんだい? だって【精霊の目】は、僕ら人間とは違うでしょ。異界関係であれば、その辺の仙人だとかいう怪しげな人間を連れていくより、『よっほどほぼ正確に見て判断出来る』と思うよ」
トムは、不思議そうに小首を傾げる。女性が好きそうな柔らかな金髪が、その形のいい青い目元にサラリとかかっていた。
「それでも俺は反対だ!」
「はぁ、スティーヴ、君の精霊嫌いは分かっているけどね。この子は精霊だけど、人間みたいに言葉が達者で、こっちの世界の事もよく知っているみたいだ。それなら解説者としても申し分ない事くらい、君にも分かるだろう?」
これ以上の名案はないと言わんばかりのトムを見て、この際なりふり構っていられるか、とスティーブンが立ち上がった。
「とにかく駄目なんだ! 他の肉体持ちの人型精霊ならまだしもッ、こいつは【精霊に呪われしモノ】なんだぞ!?」
そう言ったかと思うと、手を伸ばしてフードを勢いよく外した。またしても頭をガッツリ触られたメイベルは、「いてっ」と小さな声を上げた後、すぐ横から自分を指す彼をジロリと睨みつけた。
その緑色の髪を見たトムが、目をパチクりとさせた。彼は口の中で「【精霊に呪われしモノ】……」と反芻すると、いよいよ分からなくなってきたという表情をスティーブンに戻した。
「…………これ、一体どういう事?」
そう、彼は呆けた声を上げた。