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80話 準備を手伝わされているスティーブンは 上

 メイベル達がテント設置を手伝い出した中、スティーブンは、体力に自信のある若い男達がやっている舞台建設の作業へと加えられた。


 祖父に「頼れる」「ありがとう」と褒められて嬉しさ半面。ニヤリとして見送ったエリクトールには、「ちくしょーあのジジイ……」と個人的な嫉妬やらで、ぐちぐち呟いてもいた。


 誰もがメイベルからは距離を取った。


 目を向けて慌てて視線をそらす町人の姿も多く見られた。メイベルがエインワースを手伝うように、出た空袋やら紐やらをまとめている間、エリクトールだけが「こっちも頼む」と、彼と一緒になって普通に手伝いを振っていた。


 その光景は、スティーブンがいる舞台側からでも、少し浮いて見えた。


「おい兄ちゃん。その木材、軽く五十キロ近くはあるんだが……」

「さっきの砂袋も、本職のベインズさんより持ってたなぁ」

「エンワースの孫、立ち止まってどうしたんだ?」


 つい、運び途中で足を止めたスティーブンの背中に、三十代の男達が声を掛けていく。


 じっと思案顔で向こうを見つめていた彼は、彼らが首を捻った後、歩き出しながら他の男達と合流しつつ話す声を聞いて耳を傾けた。


「それにしても、怖いなぁ」

「【精霊に呪われしモノ】か……エインワースさんが心配だよ」

「どれくらい近づかなければ大丈夫なんだ?」

「さぁ……。あまり目に留めない方がいいらしい、とウチの女房は聞いた事があるらしい」


 でもどうなんだろうな、と彼らの話す声がする。


「ビルドさんのところは、スーパーで毎回レジ打ってるんだろ?」

「まぁ、恩があるエインワースさんの買い物だし、初日に『よろしく』と言われたら、入店を断るのもなぁと彼も口にしてはいたよ」


 その日以降は、メイベルが一人で買い物に来ているらしい。先日までプツリと姿が見えなかった際には、近くの商店街にエインワースが顔を出していたのだとか。


「確か他の従業員にさせるわけにはいかないと、代表して彼が対応しているらしいが、今のところビルドさん自身が病気になったり、店の売り上げが減少したりだとかいう不幸もないみたいだ」

「居合わせている状態って、大丈夫なんだろうか?」

「さぁ、悪霊だとか悪精霊だとか、色々あってよく分からんなぁ」

「でも怖い感じは、まぁ、しないけど」

「いや。姿は小さいが、やっぱり怖い感じがするよ。存在感が違う」

「『よく分からんが』、ひとまずは近付かなければいいさ」


 その声を聞きながら、スティーブンは持っている木材を移動させるべく歩き出していた。苛々してしまって、ついでにそばに置かれてあった重し用の砂袋も片手に持つ。


 よく分からないのに腫れ物扱いするのか?


 なんだか腹の中がむずむずした。初めてメイベルを前にした時、自分も彼らと似た感覚であったと、最近になって自覚したせいだろうか。


「なんであのチビ精霊で、こんなに苛々すんだよ」


 あのふてぶてしい感じで永遠を生きると思っていた精霊が、実のところ、何故か死に向かっていると知ったせいか?


 放っておいても死ぬ――でも、それはいつまで残されている時間なんだ?


 あの討伐課の魔法使いとメイベルの話を盗み聞きした後、もしかしたら明日や明後日の可能性もあるのではないだろうか、と、乗り込んだ帰りの列車の中で、ぐったりしているメイベルを見て思った。


 自分は、魔法使いではないから、よくは分からない。

 でも、うつらうつらしていた彼女を見た時、死ぬ数ヵ月前の祖母の事が思い出された。もしや素人目では気付かないだけで、精霊としては弱っているのではないだろうか……?


「ちくしょー、腹ん中がムカムカするッ」


 知らないところで、また魔法を使うような問題事に突っ込むんじゃないだろうか、だとか気になって、祖父からの手紙に気付いて即、里帰りの準備に入っていただなんて自分がよく分からない。


 スティーブンは持っていた荷物を降ろすと、ズカズカと次の荷物へ向かい、ストレスを発さんするがごとく「うおおおおッ」と持ち上げた。


「ひぇ、エインワースの孫が百キロ級の荷物を持ち上げたぞ!?」

「あいつの孫、昔から思ってたけど人間か!?」

「ちょ、頼むから急に方向転換するなよ孫――うわっ」

「あの孫って確か、学者になったとかじゃなかったのか!?」


 いまだ信じられん、と、ルファの町の中年や老年達は、チビの頃から馬鹿力を発揮しているスティーブンに「デカい荷物を持って走るな!」と、ひとまず暴走を止めにかかったのだった。


             ※※※


 ひとまず舞台を作るための荷物を全て運び、大きな骨組みや支えまで組み立てたところで、ぶっ通しで動いていたスティーブンは一旦休憩を言い渡された。


 半ば押し付けるようにして手渡されたタオルを、首から引っかけて、休憩用の小さなテントに出来た日陰の芝生の上に座る。


「チッ、疲れてねぇっつってんのに」


 流れてくる汗をタオルで拭いながら、ぶすっと呟いた。


 向こうには舞台場。少し視線をずらせば、祖父達が組み立てにあたっている運営用テントの方が見えた。


 そこには夏衣装の人々の中、重そうなローブを羽織った小さなメイベルの姿がある。降り注ぎ続けている日差しを遮るためか、いつの間にかフード部分を頭に被っていた。


 彼女は一旦暇になったのか、やる事もなくローブのポケットに手を入れて佇んでいる。


「…………やっぱ、避けられてんなぁ」


 苛々、と言葉が口からこぼれ落ちる。


 こちらから見える彼女の横顔は、静かにエインワースとエリクトールの方を眺めているようだった。無関心を装う人々を気にしている様子は、全くない。


 頭に被ったフードからは、彼女の緑の髪が覗いていた。柔らかく吹き抜けた夏風に揺られているのを、スティーブンは立てた膝の上で頬杖をついて、不思議と見つめてしまう。


 そもそも、あいつはなんで日中はローブをしているんだっけか?


 祖父の家に泊まった際、日が暮れて風呂上りはローブなんて着用していなかった。昨日の夜も、あの年頃の女の子なら着そうな、一般的な就寝衣装のままだった。


 気のせいか。自分はあの時、彼女の頭に親愛のキスを送った、ような……。


 スティーブンは、触れた髪の感触を思い出して唇をなぞった。


 どうしてか、彼女がとてもとても寂しそうで――その横顔が、独りぼっちを選んでこっそり泣くんじゃないかと、そんな想像までよぎって。


 それが彼女の本心の一つなのではないかと思ったら、たまらなくなって頭を抱き寄せていたのだ。きっと祖父にとっては珍しくない事なのだろうけれど、あのメイベルが、自分の前で本音のように作っていない表情をしてくれた事に、どうしてか不謹慎にも胸がいっぱいになってしまったのだ。


 その時、近くから澄んだ高い少年の声が聞こえた。


「ローブをしているのは、【精霊に呪われしモノ】が夜の精霊だからだよ。日差しに含まれる人間世界の魔力が、夜の精霊世界に属している彼女達には『やや冷たく』感じるのさ」


 その声には聞き覚えがあった。思わず「まさか……」とげんなりとして目を向けてみると、そこには祖父の家を訪れた際に見た、頭に兎耳のはえた少年『グリー』が立っていた。


「僕ら昼に属する精霊が、夜の闇と月光をそう感じるのと一緒」

「…………」

「あら。もしかして僕の事、忘れちゃったの?」


 その少年の姿をした精霊が、愛想たっぷりに小首を傾げてくる。


 スティーブンは、ますますげんなりとした表情を浮かべてしまった。すると彼が、にこっと笑って、自分を示すように頬に指をあてて主張してきた。


「僕は可愛い兎耳がチャームポイントの、【子宝を祝う精霊】の『グリー』だよ!」

「帰れ」


 直後、スティーブンは冷たく言い放っていた。


 そばまでもう数歩、グリーがぴょんっと寄ってきた。可愛いと自覚している姿を存分に利用するのように、子供らしい愛らしい仕草で彼を覗き込む。


「『エインワースの孫さん』は、初めから冷たいよねー。僕、何かした?」

「テメェに優しくする理由もねぇし、仲良くする義理もねぇ」

「そーお? 僕はね、エインワースのお爺さん共々、君とも仲良くしたいなぁ~と思ってるよ」


 彼が金緑の『精霊の目』を、きゅるんっとさせた。


 その途端スティーブンは、条件反射のようにピキリと青筋を立てた。不機嫌な表情で、タオルをギリィッと力いっぱい握り締める。


「今すぐテメェを、その辺の兎みたく締め上げて、ぶん投げてやってもいいんだぞ」


 その眼差しには殺気しかなく、脅し文句ではなく本気の『予告』だった。

 目に留めた【子宝を祝う精霊】のグリーが、愛嬌のある目を見開いて「わーお」とひょうきんな声を上げる。


「可愛い兎そんな事をしようだなんて、容赦がないなぁ」


 そもそも、こいつは本当に兎なのか……?


 スティーブンは、ふっとそんな疑問を覚えた。頭にはえているのは『兎の耳』だが、彼はそもそも精霊はほとんど知らないので、人型で現れているソレの精霊姿が分からない。


「僕は、人間世界の兎と形はほぼ一緒だよー。魔法で人型を取ってる精霊なの」


 声に出していないのに、勝手に精霊(グリー)が楽しげに答えてきた。


 お前いったい何歳なんだよ、という疑問を覚えているせいか、自分の頬に指を向けて「えへっ」と可愛い子ぶっている少年姿の精霊に、なんだか一層腹が立ってきた。


「それやめろ、かなり腹が立つ」

「あらあら、僕かなり嫌われてない? そんなこと言って、『メイベル』がやったとしたら怒らないんでしょ?」

「なんでそこで、あいつの名前が出てくんだよ」


 スティーブンは、やれやれと肩を竦めているグリーに眉根を寄せた。そもそも彼女がするのを想像出来ない。


「というか、ここは爺さんの家でもないのに、なんでお前が――」

「【精霊に呪われしモノ】を嫌っているのは、この世界の『神様』と人間だけ」

「あ?」


 なぜ自分の目の前に現れたのか、という疑問を問い掛けた矢先、唐突にそんな事を言われてスティーブンは訝った。

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