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75話 三人での食卓で

 どうやら近付いてきていた人間の気配は、やはり彼のもとを訪ねようとしていた老人メンバーであったらしい。


 夕食が始まった席にて、話を聞いてメイベルは外出して正解だったな、と思った。


「画家の頑固ジジイは、悔しがっていたか?」

「え? どうして?」


 エインワースが不思議そうに尋ね返してきた。


 メイベルは、彼の手製のスープに感激している孫、スティーブンを横目にチラリと見て「――いや、なんでも」と答えた。やはりこいつの心が狭いだけか。


「お前、器が狭いと恋人の一人も出来ないぞ」


 眺めて思っているだけでいようと考えていたのに、じぃっと見ていたら、うっかり思ったまま指摘の言葉が口から出てしまった。


 夕食メニューを堪能していたスティーブンのこめかみに、途端にピキリと青筋が立った。


「おい。いきなりなんで俺を(けな)してんだよ」

「好きな女が出来たら、束縛しそうだな、て」

「するかよ。というかだな、そういう事を異性に堂々と言うなよ」


 私は精霊なんだが、とメイベルはエンドウ豆を混ぜたシーザーサラダを口に放り込みながら思った。冷水につけていた野菜は、シャキシャキとして美味しい。


 するとエインワースが、フォークを持っていた手の人差し指を、ピンっと立ててこう言った。


「案外、スティーヴはぞっこんになって、そばから離しそうにないかもしれないねぇ」

「爺さんまで……。俺はそんなに子供じゃねぇよ」


 ガリガリ、と頭をかいて彼がパンを手に取る。


「適度な距離くらい分かってる。手紙でも言ってるが、今は仕事一本で結婚にも興味がないしな」

「ふふっ。そんなこと言って、いつか、ソファでも離したくない人が出来るんだろうねぇ」

「なんだ、経験からの話かエインワース?」


 メイベルは、ニヤニヤして尋ねた。


「今だから白状するけれど、私は膝抱っことかしてみたかったねぇ。恥ずかしがり屋だったから、妻にお願い出来なくて」

「嘘付け、お前なら堂々と甘えてそうだ」

「さて、どうだったろうね――メイベルやってみる?」

「却下だ。私を子供扱いするな」


 プチトマトを刺したフォークを、ビシリと向けて断った。やりとりを聞いていたスティーブンが、何故か力が有り余って、パンをぶちっと半分にちぎっていた。


「いや、落ち着け俺……これはアレだし……うん……」

「何ぶつぶつ言ってんだ?」


 訝ってメイベルが目を向ける。


 以前、初めてやってきた際と少し反応が違う。エインワースがちょっと考えて、にこにこと知らぬ顔でチキン料理を自分の皿へと移し出した。


「なんだ、エインワースの話にドキリとでもしたのか? ったく、顎にちょっと触っただけで動揺するガキなところ、いつか心配されそうだな」

「だから、あれはたまたまだっつってんだろ沈めんぞマジで」

「まぁ怒るなよ。祖母としてアドバイスしてやってるだけだ――孫」

「祖母なら孫の名前忘れねぇだろ、あ?」

「スティーヴ、パンを焼いたのは久々だったけれど、美味しいかい?」

「すごく美味しいぞ爺さん」


 ころっと雰囲気を変えて、スティーブンが凛々しくエインワースに即答した。別に仲裁しなくとも私達の仲は最悪だぞ、とメイベルは薄ら笑いで思っていた。


 三人での夕食の時間は、ある意味で賑やかに過ぎていった。祖父と孫の会話を邪魔しないよう、というより加わるのが面倒でメイベルも食事を堪能出来た。


 やがて、食卓に並んでいた料理も全て胃に収まった。


 食器が下げられて、エインワースの希望で食後にコーヒーが出された。スティーブンも、しばしブラックコーヒーで食べ過ぎた腹を落ち着けていた。


「…………緑豆の混入率が、異様に高かったな……」


 ぼそり、とスティーブンは今更のように感想を口にした。


 少し甘くしたコーヒーを飲んでいたメイベルは、チラリとエインワースの方を確認した。このタイミングなら不自然ではないし問題もないか、と散歩の時に見付けた『家』について尋ねてみた。


「廃墟?」


 エインワースが、不思議そうに見つめ返してきた。


「近くを通って、見た」


 メイベルは、言葉短く答えた。


 祖父を心配させないようにと考えたのか、続いて確認するように目を向けられたスティーブンも「――一緒に遠目で見掛けたんだ」と落ち着いた口調で言った。


「木の向こうに見えた。一面の花の中に、建物がぽつんとあった」

「ああ、それはオーウェンさんのところの家だね。随分前に、持ち主の彼が亡くなって以来、そのままにしてあるんだ」


 エインワースが微笑む。


「しばらくはずっと一人で、あの家で暮らしていてね。花が咲き続けている間はそのままにしておいてくれないか、と、彼の妹と弟が頼まれたらしいんだ」

「花……?」

「スティーヴも見ただろう? 見事なロクメイの花だよ。不思議な事にね、人の手が入らなくなってからも彼の家では、一面見事なロクメイの花が咲き続けているんだ」


 そこで目が合ったメイベルは、「確かに見事な花だった」と彼に返した。


「ふふ、実はね、昔から彼の家には、守り神が住んでいるとも伝えられているそうだ。私もここに引っ越してきてから、妻とその両親から話を聞かされたんだよ」

「ふうん。守り神、ね。一族の者はそれを信じている、と?」

「昔からずっと信じられてきた。だから、一族は都会へと移っていっても遺言を守っているんだ。まるで今しばらく神様が居座っていて、不思議な力でも働いているみたいだよねぇ」


 そう口にして、エインワースがコーヒーカップを口許に運んだ。


 ああ、こりゃ神様にたとえられている『ナニか』がいるんだろうと、私という精霊を知ってから推測に至ってる感じだな、とメイベルは察した。


 普段から、ぽやぽやとしているようでいて敏い男だ。それでいて好奇心から追求してこないという事は、他にも何かしら色々と察している部分もあって、考えた末に黙っている事にしたのだろう。


 今しばらく居座っている神様。


 でも、いずれはいなくなってしまうのだろう。


 エインワースの静かな微笑からは、そんな思いも見て取れるような気がした。終わってしまう互いについて、ほんの少しだけ話した時と、眼差しの感じが似ていたから。


 メイベルは、つられたようにしてコーヒーカップを手に取った。


 その中を見下ろせば、子供にしか見えない自分の顔が映っていた。しおらしい表情をしてはいけないと思うのに――、今は眉間に皺も作れなかった。


「…………もし、来年咲かなかったら」


 ぽつり、と呟いた。


 エインワースは、それでもやっぱり事情は訊いてこなかった。僅かな彼の反応から、聞こえていただろうとは分かったのに、コーヒーのお代わりを求めて立ち上がると、


「君がしたいように」


 独り言か、内緒話でもするみたいに通りすがり囁いていっただけだった。


 メイベルは、キッチンへと向かうその大きな背中を見つめた。もし私が、と問い掛けた言葉を、今は二人ではないと気付いて途中で呑み込んだ。


 たとえ確認したとしても、彼は「私は眠る時はぐっすりだからね。知らないだろう」とでも言うのだろうけれど。


「コーヒー、飲まないのか?」


 不意に、問われる声が聞こえて、持っていたコーヒーカップを揺らしてしまった。


 考えていた最中だったメイベルは、見開いた目をパッと向けてしまう。すると目が合ったスティーブンが、珍しいもんを見たと言わんばかりの表情をした。


「え。あ、何?」

「何って、コーヒーだよ。持ったまんまだぞ」

「飲むよ。飲もうと思って手に取ったんだから」


 頬杖をついて覗き込んできた彼が、指を向けてきた。だからメイベルは、自分に言い聞かせるように答えると、両手で持ったコーヒーカップを動かして少し飲んだ。


「じっと見てくるなよ」


 飲みづらい。メイベルはすぐにコーヒーカップを口から離すと、チラリと軽く睨み付けた。


 スティーブンは頬杖をついたまま「ふうん」と、少しだけ首を傾げる。風呂を済ませてセットもされていない前髪が、さらりと切れ長の目にかかった。


「なんか、お前が両手で持つとコーヒーカップが大きく見えるな、って」

「手が小さいのをここで馬鹿にするとか、さすがだな『教授』」

「何が『さすが』なのか分からないんだが、とりあえず教授呼びから離れろチビ精霊」


 数秒、互いが睨み合っていた。


「で? 来年咲かなかったらって、どういう意味だ?」

「別に」


 メイベルは、キッチンからエインワースが戻ってくる気配を感じて、再びコーヒーを飲んだ。


「なんだよ。爺さんには話せても、俺には話せないってか」


 どうしてか、スティーブンがぶすっとして座り直していった。


 エインワースが席についても、しばし彼は仏頂面でよそを見て苛々した様子でコーヒーを飲んでいた。よく分からん孫だな……とメイベルは思った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] メイベルとエインワースの間に流れるのはあくまで家族としての親愛だとは思うのですが(今回の話を読む限り『同志』でもあるのでしょうか)、『秘密』を共有しているからか、どこか秘めやかで色っぽい所…
2020/04/24 22:18 退会済み
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