47話 夜のヴィハイン子爵邸の森
夜を待って、再びヴィハイン子爵邸へと向かった。
向かう道中の町の様子は、夜もまだ早い時間だというのに、ひっそりと静まり返っていた。怨霊が蘇ったのではないか、という噂のせいだろうか。小さな店も明かりが消え、家々のほぼ七割が消灯してしまっている。
日中に見た時のイメージと違って、森は不気味なほど真っ暗で、おどろおどしさを漂わせているようにも感じた。ひんやりと湿った霧が出ていて見通しは悪い。
「まぁ、確かに不気味だが、これといって不思議現象もなさそうだけどな」
道沿いから森を眺めやったところで、スティーブンがそう言った。
「俺としては、幽霊火だとかはまるで期待していないわけだが。動物の死骸が埋まっていたって事は、それを埋めているあやしい人間がいるって事だろ?」
「殺して掘って埋める、となると生きた人間の犯行だろうな」
「幽霊騒動の印象が強いだけに、そういう別件も一緒くたにされて謎が一部複雑化しているんだろ。そいつを現行犯でとっ捕まえられれば、動物の死骸は今回の件から除外出来る」
そもそも動物を虐待するなんて反対だ、と言いながら彼が森に踏み込む。メイベルはその後に続きながら、考える眼差しでぼそりと呟いた。
「――別件で起こっているという、単純な話であればいいんだけどな」
霧が漂う暗い森の中を進んだ。
道沿いに比べて霧は若干薄く、細い三日月の光が頼りなく降り注いでいる。やはり、どこからともなく異臭が立ち込めていた。
ひとまず隠れて様子を見る事になった。ちょうど良さそうな木を探すと、その上に登って丈夫そうな幹に二人で腰かける。
ほんのりと体温が伝わってくる近い距離で、しばし隣り合って座っていた。
会話のない時間が過ぎるごとに、スティーブンが「ぐぅ」と呻るような表情をした。次第にこらえるような姿勢になる。
「………………お前さ、女なんだから、もう少し恥じらいくらいもって離れろよ」
スティーブンは、ちょっと面白くない声でそう言った。
「もうちょっと向こうに寄れるだろ」
「何故そうしなければならないんだ?」
「真っ暗な夜なんだぞ。そんな中で二人きりになるとか、世の淑女だったらひっくり返るくらいなんだからな」
今更のようにそう説かれた。年頃でない幼い女の子も、夜の出歩きは控えるものであるのだとか。
つまりは夜の散歩や外出も、本来であれば頂けないものだと叱られているらしい。とはいえメイベルは、少し前まで日中に出歩く事の方が滅多になかった身である。
「そもそもな、そんな事を夜の精霊の私に求められても」
それに男の格好だってしているのに、と考えたところで、メイベルは馬鹿にするような笑みをニヤリと浮かべた。
「まぁ、あごにちょっと触っただけで騒ぐ、クソまずい紅茶を淹れる男の意見らしいと言えば、そうか」
「おい、まだ紅茶のネタをひきずんのかよ。しかも、あれはたまたまだっつってんだろ。沈めんぞマジで」
マジ切れ数秒前という顔で、ギロリと睨まれてしまった。
けれどちっともダメージになっていないメイベルは、面白がってニヤニヤしていた。
「こちとらエインワースの妻で、お前にとっては『祖母』だというのに。孫の立場で面白い事を言うもんだ」
「つい最近、爺さんと結婚したってだけだろ。そもそも、その見てくれで言われても――」
ふっ、とメイベルは口角を引き上げ、スティーブンの前に手をかざして台詞を止めさせた。
いい機会だ。他の人間と違って距離感を取ろうとしないこの『エインワースの孫』には、改めて忠告し警戒してもらおう。
それがもっとも安全で、身を守ってくれる最善の策だから。
「勘違いするなよ、『人間の教授』。私は悪精霊だ」
含んだ不敵な笑みを浮かべ、人外の気配をまとって言い聞かせる。
「人間ではなく精霊なんだよ、お前も以前口にしていたように本来この大きさでもない。人間は【精霊に呪われしモノ】である私を、悪い精霊魔女だともいう」
改めて教えてやると、警戒を煽られたようにスティーブンがやや身を引くのを感じた。それでいい、と、メイベルはニッと不敵な笑みを浮かべた。
「言っておくが、私はお前よりも長く生きて色々と経験もしているんだぜ、坊や。こうやって二人きりになった男が、エインワースやお前だけだと思うのか?」
ナメられないのも大事だ。そして、この状況を人間と同じように考える必要はない、と、いちいち気にしているらしい彼を配慮してそう伝えるべく言った。
すると彼が、警戒ではなく強い困惑を浮かべた。
「え……ちょっと待て、まさか精霊なのに魔法使いと……? いやいやそれはないだろ、俺とたいして歳の変わらない誰かが、まさか精霊と恋人関係にだなんて」
スティーブンは、ぐるぐると考えていた目をメイベルへ戻す。
「…………つまり、お前、過去に男が……?」
かなり混乱しているらしい。こいつ、かなり初心なのかとメイベルは思いつつも、その『精霊への質問』が、どの方にでも解釈が取れる言い方であるのを考えて、ニヤリと意地悪く笑ってみせた。
答える気がないようだと分かったのか、スティーブンがゆっくりと視線をそらして頭を抱えた。
「……駄目だ想像できん。こんな女っ気もない幼い姿のせいか、余計にイメージが……」
ぶつぶつと口の中で呟いている。
その時、メイベルは、よく見える『精霊の目』に動くものがあると気付いた。そちらに目を向けた途端、直前までの『どうでもいい』やりとりなぞ忘れて、一気にテンションが上がった少年の笑みで隣の彼に言った。
「期待はしていなかったが、出たぞ!」
「あ? 出たって、何が」
少し遅れて、スティーブンが顰め面を上げる。
「お前が見ようとしていた『目撃のあった幽霊火』だ! ほら、とっとと行くぞ!」
のろのろすんなよと伝えるように発破をかけ、メイベルは木の下に飛び降りた。
しばし混乱していたスティーブンが、森の奥でゆれる小さなあやしい明かりに目を留めた。慌てて「ちょっと待てよッ」と地面に着地し、バタバタとローブを揺らすメイベルを追う。
「霧のせいで明かりがおぼろげだな」
メイベルの隣に並んだ彼は、正体を掴もうとするかのように目を凝らした。
「揺らいでいる感じからすると、火である気はする」
「あの光に魔力は感じられない。だから幽霊火か、人間が起こした松明かのどちらかだろうと思う」
「今、判別するのは出来ないのか?」
「霊魂や霊力ってのは、魔力とはまた別次元のモノなんだよ。本物の幽霊火かどうかは、近くまで行かないと判別出来ない」
走りながら、メイベルは隣に返答を投げた。
不意に、向こうにぼんやりと浮かんでいた光がパッと移動した。ふよふよ漂っているだけかと思ったら、こちらから離れるように旋回して別方向に動いて行く。
高さは一定だ。恐らくは、人の頭くらいの位置。
二人で揃ってそちらへと方向転換しつつ、スティーブンがハッとしてこう言った。
「おい、これって! もしかして気付かれたとかいうやつじゃないか!?」
「私にも、そういう風に見える――だとしたら、ますます人間説が強まるな」
幽霊火は、人間の存在を感知して動きを変えたりはしない。そもそも木の葉の下を『走っている』というのも、考えてみれば妙であると今更のように思い至る。
先程まで、明かりが浮かんでいた場所を通過した。
チラリと目を向けてみると、薄暗いとはいえ掘り返された痕跡が目に留まった。相手は『作業中』にこちらの存在に気付いたのか、小さな動物の足がまだ完全に隠れていない。
「つう事は、やっぱり動物の死骸を埋めているヤローか!」
よっしゃとスティーブンが、俄然走る速度を上げる。
そのこめかみには青筋が立っており、ぜってぇ掴まえてやる、と緊張と共にやる気満々の表情を端整な横顔に浮かべていた。メイベルは口の中で詠唱し、足に強化の魔法を掛けて彼の横に並ぶ。
霧の中でぼんやりと浮かぶその一つの明かりが、木々を抜けた。
向こうに、やや開けた風景が見える事に気付いた。いつの間にか、自分達が入ってきた場所とは別方角の森の端まで走って来たらしい。
その時、風圧が起こる音がした。
僅かな魔力の発生を感じて、メイベルはハッとする。
「スティーブン待――ッ」
言葉は間に合わなかった。勢いよく駆けていた足を止める事も出来ないまま、ヒュッと動く風の音を聞いた直後、紫色をまとう光の風が向こうから放たれて土の上を走り抜けてきた。
風というよりは、突風をまとった閃光が通過したみたいだった。
一瞬後には、まるで足払いをされるような衝撃がしていて、走っていた勢いで「うわっ」と前方に身体が飛んだ。『風』に足を引っ掛けられたメイベルとスティーブンは、そのまま森の外にべしゃっと転がり出てしまう。
その時、転がった二人の前で、カジュアル靴が戸惑いがちに地面を踏み締めた。
「え……、え? なんで精霊さんと教授さんが……?」
かなり困惑した少年声が降ってきた。
目を上げてみると、そこには喫茶店『ポタ』の若き店主マクベイ・シュダーがいた。十八歳には見えない少年容姿の彼が、目を丸くしておろおろしている。
エプロンを着用し、片手にフライパンを持っている姿は、何もないこの道ではかなり違和感を放っていた。転がっているスティーブンが、彼を見て呆気に取られたようにこう言った。
「……いや、お前こそ、なんでここにいるんだよ」
「なんでと言われても……あの、僕、お店で仕込みをしていたはずなのに、なんでここにいるんでしょうか?」
困惑しきった様子で尋ね返されて、スティーブンが「は?」という顔をした。その質問そっくりそのまま返したい、と疑問でしかないという表情を向けている。
その隣に倒れ込んでいたメイベルは、事態を察して手をぎゅっと握り締めた。
「畜生、――逃げられた。『入れ替え転移』の魔法だ」
「は……? 入れ替え?」
よく分かっていないスティーブンが、言葉を反芻しつつ目を向ける。
唐突に巻き込まれてここに出てきたマクベイからも、一体何が起こったのか分からないという同じ目を向けられて、メイベルは身体から緊張を解いて手短に説明した。
「A地点にある物体と、B地点にある物体を交換する魔法だ。基本的に『人間同士を入れ替える』場合、魔法もしくは霊的に受信しやすい人間に標準があてられてしまう、というのは聞いた事がある」
「霊的に受信……? 僕は、ふっと幽霊が見えるくらいですけれど」
「波長が合いやすい、つまりは憑依体質ってやつだ。『見る目』以外にも、肉体的にも霊と交渉できる才能があるって事さ」
メイベルは、質問してきたマクベイにそう教えて吐息をこぼした。
「あの状況で、魔力調整の難しい『入れ替え転移』をするとはなぁ……。そのまま転移魔法を発動するより、消費される魔力は最小限で済むから遠方感知を免れる」
「つか、そもそもさっきの風みたいなのも人為的だったよな?」
一通り話を聞いていたスティーブンが、メイベルと同じく身体を起こすのも忘れてそう言った。彼女は視線を返すと、「ああ、そうだ」と答えた。
「つまり、あそこにいたのは魔法使いだったって事だよ」
埋められていた動物の死骸は、人間の仕業で、そして『魔法使い』だった。
今回の件から除外出来るどころか、余計に謎が増えたという表情を浮かべたスティーブンが、「なんでここで『魔法使い』が出てくんだよ……」と地面に突っ伏した。




