44話 メイベルが思う、その子爵邸は
ヴィハイン子爵邸を一通り見て回った後、メイベルとスティーブンは一階のメインフロアへと戻った。
「結果を述べると、霊や、そういったモノが動いた気配はいない」
立ち止まったところで、メイベルは屋敷内の今回の調査について結果を述べた。気になって目を留めた箇所もなく、かかった時間も想定していたより短く済んでいた。
元々、霊に関しては信憑性をあまり持っていなかったスティーブンが、その結果を受けて「なるほどな」と思案顔で腕を組む。
「全くないのか? 可能性も無しと取っても?」
「ああ。私が見る限り、殺された家の者たちの魂は浄化されていて、一人もここにはいない。ただこの屋敷が過ぎた月日を記憶していて……、欠片のような『想い』だけが少し残されている」
でも、きっと人間には見えない。
メイベルはそう思って、口をつぐんだ。金色の『精霊の目』をぼんやりと上げてみれば、先程からずっと囁き続けているモノたちの『想い』が、その生前の姿をゆらりと現す。
目に映ったのは、長い髪の幸せそうに微笑む女性の姿だった。
彼女は祈るように手を組み合わせていて、ふわりと舞い降りてくる。その長い柔らかな髪が頬を透き抜けるのを感じながら、メイベルは死後も愛していたその想いを聴く。
『あなた、どうか、どうか幸せでいてください』
殺された時の恐怖も浄化され、残ったのは心の底に残されていた最後の願い。そうやって彼女は、この世を去ったのだろう。
すぅっと消えていくのを、メイベルはじっと見つめてしまっていた。すると気付いたスティーブンが、ちょっと眉を寄せて声を掛けてきた。
「どうした?」
「いや…………子爵は、とても愛されている優しい男だったんだろうな、って」
ずっと、温かい想いで名前を呼ぶ『声』がしている。
でも聞き取れないのは、彼らが既にこの世界から魂さえも離れてしまっていて、その相手もまた存在していないせいだろう。
多くの命を断ってしまった者は、彼らと同じところへは行けない。
そして呪う代わりの代償として、その罪が許されるまで地に縛り付けられる。
来世ではどうかと願ってしまうのは、人間寄りすぎる考えだろうか。気が遠くなるほどの時間がかかってしまうだろう。けれどメイベルとしては、彼らがまた空の向こうで再会が叶えばいいのにと願って、胸の中で鎮魂の黙祷を捧げた。
優しい、という感想に疑問を抱いたような顔をしたスティーブンが、「行くぞ」と言ってメイベルを促した。屋敷を出て扉を閉め、預かっていた鍵を胸ポケットにしまう。
「あの地下屋敷は、今のところ問題ないんだな?」
正面扉から少し離れたところで、スティーブンは立ち止まってそう質問した。今後の動きを計画立てるように考えている彼を見て、確認されたメイベルはコクリと頷く。
「さっきも言ったが、あの屋敷は強固な封印がされていて、一切の気配さえ漏れ出さないようになっている」
「封印ねぇ……いまいちピンとこねぇんだよな」
魔力を一切感じ取れない彼が、疑わしげな口調で言う。
「俺としては、進んで近づきたくはない、とは思わされる。強い魔法とやらで作られたと聞いた時は半信半疑だったが、まぁ、必要がなければ入りたくはない」
「ここまで完璧に『蓋』がされていても尚、異様な気配を伝えてくるのは、それほど呪った怨念が強く、儀式に使われた者たちの死の気配も濃く残されているからなんだろう」
つまり、とメイベルは簡単にこう述べた。
「とてもじゃないが、まともな人間がは居続けられない『家』だ」
「へぇ。となると屋敷を複製した理由の中には、隠れ家的な意味合いは微塵にも含まれていなかったってわけか?」
「呪術のためだけに作られた場所だ。だから、人間が暮らせる暮らせないは全く配慮されていない」
そう答えたら、スティーブンが「ふうん」と言って思考を寄り道させるような表情を浮かべた。何が興味深いのか分からなくて、メイベルは顔を顰めてしまう。
「何をそうしげしげと考えているんだ?」
「いや? 現状【呪いの屋敷】には、様々な説があるとされているんだよ。だから、それをフォード委員長側に教えたら新発見になりそうだなって」
メイベルは、その返答を受けるなり「なんだ下らん」とキッパリ言ってのけた。
「謎は謎のまま残しておけばいいんだよ。世を呪って作っただけだと教えたら、ヴィハイン子爵が可哀そうだ」
ピタリ、とスティーブンが身体ごと思考を止める。それから、しばしの間を置いて、彼はゆっくりとメイベルを見た。
「『可哀そう』……?」
「だってそうだろ、彼がいない時に家族は殺された。それは首謀者達が、わざわざ彼にもっともひどい仕打ちをしたくて、彼の他を皆殺しにする暗殺計画を練ったからだ」
メイベルは想像して、ふいと視線をそらして屋敷へ向けた。
「そうだとすると、彼が戻ってきた屋敷の惨状は、もっともひどい状態にされていたと思う。たとえば愛する者たちの死体が、処刑だと分かるよう残酷な死にざまで、ご丁寧にフロアに並べられていたらどうだ? 使用人たちも一人残らず殺されている風景の中で」
悲劇に襲われていると知って屋敷の玄関を開け放った時の、彼の絶望は想像を絶するだろう。そう思いながら、メイベは視線を落として小さな声で話した。
「信じて仕えてきた者に裏切られて、家族を皆殺しにされて。優しい男が初めて世界を呪うほどに、この国と多くの人間を怨んで、精霊と魔法に手を出した。――でも、結局は犯人達の他には殺さず、ただただこの地に呪いを刻みつけただけで」
不意に、そこで一度、言葉が途切れる。
「彼、とても優しい人だったんだろうね。誰かを傷付けたこともない人」
ポツリと、普段の強さもなくなった呟きが落とされる。それは普段の男の子口調と違って柔らかくて、ただただ女の子が話しているみたいな印象をスティーブンに残した。
ぼんやりと足元を眺めていたメイベルは、思い耽ってしまっていると気付いた。いつもの無愛想な無表情に戻して、なんでもないように話を締める。
「だから非道の悪役で片付けられてしまうのは、あまりにも悲しすぎるだろう」
そう口にしたところで、ふと、スティーブンが妙な表情を浮かべて口許を押さえているのに気付いた。
「なんだ?」
「いや……その、『悪い精霊』にしては、少し違和感を覚える感想というか、なんというか……」
彼自身もよく分かっていない様子で、口の中で何やらもごもごと言う。
一体何が『悪い精霊』らしからぬのか分からない。自分が『そうでいなければならない』のだと思い出しながらも、メイベルは小首を傾げてしまう。
すると、スティーブンが一度視線をそらして、ガリガリと頭をかいた。
「あーっと、つまり今のところ、地下屋敷は気にしなくていいってことだろ」
意識を調査へ戻すような声を上げて、彼はメイベルへと目を戻す。
「んでもって、屋敷の中に見られる影ってのは、仕掛けられている魔法が発動したせいでもないし幽霊現象とも関係がない、と」
「そうだな、今のところ私の目から見ると、屋敷内は関係がなさそうに思う」
「なら、屋敷の外で起こっていることの考察は次にして、先に屋敷の中が無関係であることを事実確認する」
ぴしゃりと言い切ったのを見て、メイベルは「へぇ」と感心とも続観察とも取れる相槌を打つ。
スティーブンは、自分の意見の正しさを主張するようにこう続けた。
「同時に考えようとすると、ごちゃごちゃになるだろ。だから、ひとまずは現状と過去の状況を照らし合わせて、屋敷の中のことを把握したうえで無関係であることを自分に納得させる」
「さすが『教授』。全部をやろうとすると『謎』のまま片付けてしまう者も多いし、まぁ、いいんじゃないか?」
メイベルは、別にどっちでも構わないけどという口調で言った。メインで動いているのは彼であって、自分はただのサポート役なので行動指示に従うだけだ。
すると、ピキリ、とスティーブンのこめかみに青筋が立った。
「…………やっぱりなんだか苛々する、俺を肩書の方で呼ぶな」
てっきり適当に答えたのが気に障ったのかと思ったら、呼び方が気に食わなかったらしい。メイベルは、ふぅっと吐息をこぼして首を左右に振って見せた。
「気難しい年頃なんだな。はぁ、遅れてやってきた反抗期の延長線か?」
「おい。思ってることが全部口から出てんぞ」
せめてしまえよ、わざとなのかお前、とスティーブンの顔に立っている青筋が増えた。
「とりあえずは、異変が起こる前後を知っている役所の担当者でも探してみるか」
彼は気を取り直すようにそう言うと、メイベルを連れて歩き出した。




