34話 教授と精霊助手、バルツェの町へ 上
バルツェを通過する最後の列車に間に合い、夕刻よりもだいぶ早い時刻に到着した。
「地下屋敷、ねぇ……。そもそも人工的じゃなくて魔法作だろ、そんなもの見た事がないからイメージが掴めん」
人の少ない駅を出たところで、一旦足を止めてホテルまでの道のりが載った地図を広げつつ、スティーブンが今更のように資料を読み込み込んだ感想を口にした。三十分もない短い区間走行の中で、彼は黙々と集中して全ての資料を読み終えていた。
「【呪いの屋敷】で登録されているヴィハイン子爵邸。双子屋敷という言い方もされていて、敷地内に地下が出来ていて、そこにもう一つ全く同じ屋敷があった、と。今もなお地上のものと違って劣化もせず、埃の一つさえ被っていない」
情報を整理するように言葉を続けたスティーブンが、「というかな?」と言って疑問の目を向けた。
そこには、数歩先に立つメイベルの姿があった。彼女はローブのポケットに両手を入れ、農具用の荷馬車やボコボコ音を立てて走る自動車、まばらに町人が行き交う様子を眺めている。
「地下屋敷は幻覚でもなく『実在している』んだろ? そんなものを魔法で作ることって、出来んのか?」
「精霊と『取り引き』をしてデカい魔法をやれば、それくらいの規模の地下空間を一つ作るくらいは容易だ。屋敷に関しては、そっくり『写し取って』具現化したんだろう。だとしたら、それはもう『実在している現実の物』だ」
そう教えたら、後ろから「はぁ?」という反応が聞こえた。
メイベルは、ようやく彼の方を振り返ると、深く被ったフードの下から金色の精霊の目で見つめ返した。意味分からんぞ、と彼の表情から見て取ってこう言った。
「人間の魔法ってのは、基本的に世界の法則で発動する。でも精霊の魔法ってのは、『でたらめな奇跡』を起こすみたいなもんなんだよ。たとえば火、それは空気がないと起こせない。けれど精霊は、たとえ水の中だろうがそうしてしまえる」
「それは有り得ないだろ。火は水で消えちまうんだから」
「だから、その『有り得ない』を可能にしてしまえるんだよ。まず、魔法使いはそれを学ぶ。自分達では不可能な魔法を起こすため、彼らは精霊の力を借りるのであって――」
そう口にしたメイベルは、ふと気付いたように言葉を切った。
少し思案気な表情をしているのを見て、スティーブンが顰め面で「どうしたんだよ」と言いながら歩み寄る。
「途中で説明を中断されたら、気になるだろうが」
「――と、言われてもな」
目の前まで来た彼を見つめ返して、首を少し傾げる。
「さっき言った通り、魔法使いが始めに習うものの一つなんだ」
「ふうん。それで?」
「それでって……それでもお前、聞きたいの?」
今度はメイベルの方が、疑問なんだがという表情を浮かべていた。てっきり毛嫌いもあって拒絶反応が出ると思っていたから、教えてもこの反応であるのも意外だった。
するとスティーブンが、ますます眉間に皺を作って距離を詰めてきた。
「ここで中断される方が嫌だ。分かりやすい『たとえ』を交えて続けるつもりだったんだろ? とっとと説明しろ」
「学者って、みんなこんな面倒な奴ばっかなのか?」
毛嫌いはしているけれど、分からないままは気持ち悪いということなのだろうか。協力者として寄越されているから、彼がいいというのなら、こちらとしては魔法について簡単に語るのも構わないのだが。
メイベルはよく分からんなと思いつつも、手ぶりを交えて説明した。
「その地下屋敷だが、まず、人間が地下空間を作ろうとしたら、土を処理するための魔術も組み込まなければならない。それをどの元素で消失させるのか、それとも分散し大地へ戻すのか――魔法だって頭で考えて、魔法陣を組み立てるというわけだ」
「とすると、精霊の魔法が使われていた屋敷の件の場合、その分の手間はあまり要らなかったってことか?」
「だいたい手順の七割くらいは不要になる。精霊は文字通り『要らない土を消した』んだよ。だからどんなに年月が過ぎようとも、その土がその空間に返って来ることはない」
話を聞いたスティーブンが、しばし頭の中で情報を整理するような間を置いた。
「『魔法も頭で考えて組み立てる』、か……空間って言い方からすると、埃も被らずそのままなのは、土を退かしたのと同じ原理が、そのまま作用しているという解釈でいいのか?」
「理解が早いな、その通りだ。精霊は単純に土を消して、その当時の空気や状態を『丸ごとコピーして屋敷を写し取った』んだろう。だから環境状態においては、時間が止まっているようなもんだ」
棺桶を運び出せた事、その中にある死体が遺骨化していた事から、空間維持という強力な魔法や、時を止める魔法などは使われていないと分かる。
そう考察を話すメイベルを、スティーブンが少し感心した様子で見下ろしていた。そもそも精霊は『難しい事』はしないし、考えない。精霊の魔法で『ふた』をされて隠されていた理由の一つとしては、単純に、死体から出る匂いを遮るためだった可能性も考えられた。
「とはいえ、地下屋敷を作るような魔法は、今の時代ではもうされていない……と思う」
「珍しく曖昧な発言だな?」
「実を言うと、資料から察するに、それは古い精霊しかやらないような大規模魔法だと感じた。そういった高位精霊たちは、こっちで『遊びつくして』みんな精霊界に引きこもった」
これは私の推測になるが、と前置きしてメイベルは指折り続ける。
「たとえば、屋敷が入るほどの地下空間となると【土地の大精霊】だろ。それから、なんでも複製してしまう【異空間の大精霊】、そして全てを現実のものにしてしまえる【創造の大精霊】――と、かなり大掛かりで大規模な魔法と契約が行使されたんだろうと思う」
「…………突っ込みたい事は山ほどあるが、やっぱり魔法だとか精霊については聞きたくないような気がしてきた」
じわじわと脅威を覚えたような表情を浮かべて、スティーブンがぼそりと言う。
「もしかして子爵は、かなりの魔法使いだったりするのか? 資料の家族構成を見ても、魔法使いとの繋がりは見られなかったんだが……」
「代償はかなりのものだが、魔法使いでなくとも契約する方法はある。――まぁなんによせ、今も朽ちることなく存在し続けている不思議な地下屋敷は、精霊と人間作の立派な歴史的財産ってことさ」
その契約事情の云々については説明せず、メイベルはあっさり話を締めた。もうしまいだと伝えるように雰囲気を変えて、「で?」と問い掛ける。
「ホテルはどっち方向だ。お前の質問タイムのせいで足留めをくらっているわけだが、このままつっ立っているのも飽きたぞ」
「くッ、事実で言い返せないのが癪だ」
ようやく、片手に持っていた地図の存在を思い出したようだった。直前までのうまい説明に流されていたスティーブンは、ちょっと悔しそうな声で「右だ」と答えた。




