31話 (めちゃくちゃ嫌なそうな顔で)孫、来訪
教授として受けた相談依頼は、かなり急ぎのものでもあったらしい。
魔法で手紙の返事を送ってすぐ、迎えの日程についての返答が送り返されてきた。そして一番早いスケジュールでもって、翌日の午後二時過ぎに旅支度を整えた彼が来訪した。
ノックがあって玄関を開けると、実に嫌そうな顔をしたスティーブンが立っていた。
「爺さんが出で来るのを期待していたのに、小さな足音だけでテンションが沈んだ」
「ひどい言われようだな。爺さん、お前のために焼いたスコーンを自ら取り出してセッティングしているというのに。そうか、そんなに私が準備して紅茶まで淹れればよかったか――」
「よし、お前が出て完璧だった。爺さんのスコーンと紅茶とか素敵すぎんだろ」
彼が凛々しい表情で、メイベルの向こうを見据えて言う。
以前のお泊りで、エンドウ豆入りのスープについて文句を言っていたのを覚えていたから、煩くされるのも面倒で気を遣ってそう仕向けてやったのだ。エインワースも、またこうして短い期間での訪問が嬉しかったようで、時間に間に合うよう紅茶休憩の用意を進めていた。
確かにエインワースのスコーンは美味だ。彼がオリジナルで作ってくれるようになったエンドウ豆入りスコーンは、とくに最高である。そう思い返していたメイベルは、漂い始めた紅茶の香りに気付いて「で?」と声を掛けた。
「なんで急に協力なんて?」
「フッ……、俺だって避けたかった」
途端に現実を思い出した様子で、スティーブンはそっと目をそらした。
「土地の呪いやら魔法だらけの不思議屋敷とか、今は何も考えたくない」
「なるほど。魔法嫌いのお前に、ガッツリそれ関連の依頼があった、と。で、それにはその手の危険が付いていて、保険としても私の『知識』と『精霊の目』が必要になったわけか」
「くそッ、人間世界側の事情なのに、物分かりが良すぎて嫌になる……!」
じゃなければ、私になんて協力要請を出さないだろう。メイベルはそう思いながら手を差し出そうとしたところで、ピタリと止めた。
「――ほら、早く上がってこい。エインワースが待ってる」
そうぶっきらぼうに声を投げて、そのまま踵を返した。
きっとエインワースのせいだ。彼が私を、人間の家族みたいに日頃から扱うせいだろう。
メイベルはそう思う。だって触らない、近づかない、恐れ嫌われている【精霊に呪われしモノ】である自分から、自分を嫌っている『人間』に触れようとするなんて、馬鹿な事をしようとしたもんだ。
リビングに戻ってみると、こちらを見たエインワースが薄いブルーの目に一層慈愛を浮かべた。孫の来訪がとても嬉しかったようで、テーブルに紅茶を置いた彼がさっと歩み寄ってくるのを見て、メイベルは『慣れない人間の反応』に反射的に足を止めてしまう。
「ああ、今日はとてもいい日だね。天気もいいし、旅の出発にも最適だ――メイベル、スティーヴの出迎えをありがとう!」
「なんで嬉しそうな顔でぐんぐん迫ってくるんだよ。そこで止まれ。いいか、私はお前の『妻』として玄関を開けに行ってやっただけで、別に礼を言われるほどじゃな――」
後ずさりする暇もなく、ぎゅっと抱き締められた。
嬉しさ爆発を態度で表すの、どうにかならんかなとメイベルは思う。本当に子供みたいな人だと、少し年下の弟みたいにも思えてきている彼の腕の中で力を抜いた。
じんわりと高い温もりが伝わってくる中、平然を装うとしても勝手に自分が落ち込んでいくのを感じてもいた。こんな穏やかな『あたりまえ』を知ってしまったら、独りになったらきっととても寂しいだろう。
彼が妻の隣で、安らかに眠るのを見届けてやりたい気持ちはある。それでも最近は、『精霊の命の主従契約』でも結んで、彼と一緒に自分も『終わり』たい気持ちもあった。
その時、後ろからどさっと音がした。
思い出して振り返ってみると、一緒にリビングまできていたスティーブンが、大きな鞄を床に落として思考が停止したような表情を浮かべていた。
「…………落ち着け、俺。まずは落ち着こう。爺さんと『夫婦』なんだから、別に何が変でもないだろ――ぐぇっ」
「スティーヴもよく来たね! 相変わらず元気そうで良かった」
エインースが、満面の笑顔で続いて自分の孫を抱き締めた。「ちゃんと食べているかい」「昨日はしっかり眠れた?」と質問しながら背中をバンバン叩かれたスティーブンが、直前の事などどうでもいいかと感激して頷き返す。
言葉も出ない様子を見て、メイベルは心底残念そうな表情を浮かべていた。テーブルをチラリと確認し、角砂糖と檸檬の輪切りがまだ運ばれていないのを見て歩き出す。
「エインワース、私が残りのやつを持ってくる」
「あ、大丈夫だよメイベル。これから持ってこようと思って、すぐそこ置いてあるから私が取ってこよう」
言いながら肩をぽんっとされて、エインワースがそばを通り過ぎていく。その背中から楽しげな気持ち伝わってきて、メイベルは意図を察して舌打ちしそうになった。
「これも『妻』で『やつの祖母』の役目か」
そう口の中で呟き、面倒そうにスティーブンの方を振り返った。
「お前の席は、窓際側の一組分のティーセットが置かれているところだ」
「爺さんの真正面がいいんだが」
「中央だばかやろー」
アンバランスになるだろ、とメイベルは言い返した。
「お前がエインワース側の正面にいてくれた方が、私だって視界にあまり映さなくて済むんだが、あいつがせっかく考えて配置してんだから動かすんじゃないぞ」
「おい、堂々と視界から排除したいと伝えてくんなよ」
「しょうがないだろう。お前がいちいちエインワースに少年顔を晒して、頬そめて、目がキラキラしているのが気持ち悪い」
メイベルは、キッパリと伝えた。その回答を受けたスティーブンが、ピキリと青筋を立てて「俺、お前とは絶対馬があわねぇわ」と言いながら鞄を手に取った。
そのままソファに向かう彼が通り過ぎるのを、横目に見つつそれとなく少し距離を置いた。嫌がられるだろうし、ぐちぐち文句を言われて相手をするのも面倒だし、エインワースが戻ってきたら私も座るか――と考えていると、すぐ後ろで彼が足を止めて肩越しに振り返ってきた。
「なんで避けるんだよ」
「嫌だろうと思って」
「はぁ?」
いいからとっとと座ってろ、と伝えるようにメイベルは手を動かして「しっしっ」とやった。ローブから覗く華奢な子供の白い手を、彼はじっと見て「……ふん」と歩みを再開した。
その数秒後、ソファの脇に鞄を置いたスティーブンの悲鳴が響き渡った。
「おいいいいいいッ栗に足が生えてんのが俺の皿のスコーン齧ってんだけどおおおおおおお!?」
元々声はハキハキとしていて大きい方だから、その叫びはかなり煩い。しかもエインワースと違って、先日もいちいち精霊に騒いでいた魔法・精霊嫌いの男である。
それを思い出したメイベルは、苛々しながらスタスタと歩み寄った。
「チッ、またお前か」
テーブルにいた卵サイズの『栗』を、ガシリと鷲掴む。ビクッとしたその精霊の顔をこちらに向けさせると、殺気を込めた目で威圧して「おいコラ」と低い声を発した。
「もう来んなっつっただろ、あ?」
「それ子供には見せられない悪党面だぞ。精霊の神秘らしさの欠片もない脅しだ」
スティーブンがそばから指摘する中、ガッタガタ震えている『栗』が、スコーンを抱えたまま「だって」とぶるぶるした声で言った。
「だって、【精霊に呪われしモノ】、ココにいるもの」
「…………」
「お爺さんと、ココで二人暮らし」
小さな点のようなその精霊の目が、夜の色を深めて瞳孔を開かせる。近くからそれを見ていないスティーブンが、その言い分を聞いて疑問顔で首を捻った。
「ココに、いる。それなら、守――」
直後、メイベルは一気に走り出すと「ふんっ」と、『栗精霊』を窓から勢いよく放り投げていた。キラリと青空の彼方に消えていったのを見て、スティーブンは「ひっでぇ!」と声を上げた。
「なんでいきなり放り捨てた!? あいつ、まだ喋っている途中だったろッ」
「私はこの家の主の『妻』だ。不法侵入は、何者だろうが許さん」
メイベルは答えながら、付いた塵でも落とすみたいに手を払った。
「妻というより護衛隊長みたいな言い分だな……」
思わずといった様子で口にした彼が、テーブルへと目を戻した。なんとも言えない表情で佇んでいると、エインワースが角砂糖と輪切り檸檬が載った小皿持って戻ってきた。
「おや、どうしたんだいスティーブ?」
「……俺のスコーン、精霊に一個横取りされた」
「あらま。それなら一つ追加しておこうか」
やんちゃな精霊さんだねぇ、とエインワースが笑いながらスコーンを追加した。メイベルは、この前お前の一番風呂を奪った栗ヤローだよ、とは面倒になって教えなかった。
※※※
次の駅の便の時間まで、そんなに猶予はない。
スティーブンはここを出るまでの間に、食える分だけスコーンを食って紅茶を楽しもうと決めていた。相変わらずよく分からないのは、エンドウ豆スコーン、という妙な発案スコーンをバクバク食べている精霊のメイベルである。
お前、エンドウ豆の精霊でも知ってんの、というくらいたびたび『緑豆』を褒める。ポロッと皿からこぼれ落ちると、指先で丁寧につまんで上機嫌そう口に放り込む。
表情はクールなので、恐らくは上機嫌なのだろうな、という感じでは見ている。
何しろ眉間に皺はないし、馬鹿を見るような目をしているわけではない。こちらがじっと観察しているのも気付いていないのか、ふだんの口の悪さや態度とは少しアンバランスさを覚えるほど、エインワースが淹れ直した紅茶も丁寧に飲んでいる。
「なぁ、お前さ――」
先程、玄関で彼女が手を引っ込めたのには気付いていた。こっちは成人してもう七年も経つというのに、子供に対して『おいで』とやるように手を差し出そうとしていたらしい。
でも途中でやめるのを見て、なんだ引っ込めてしまうのか、と思った。
子供扱いだとかそういった事は関係なく、ただただその手が取れなかったのが、残念で。
だが声を掛けかけたスティーブンは、ハッと我に返って口を閉じた。いやいやなんでそんなこと思ってんだよ。相手は、悪精霊の中で五本指の中に入るくらい危険だとされている【精霊に呪われしモノ】だぞ。
関わらない、近づかない。そして――『触らない』。
そう思い返し、ふと、後になって気付いたものの何も起こらなかった日々を思う。魔法や精霊に関しては素人なので詳細不明だが、運が悪くなるだとか体調不良だとかもなかった。
その時、玄関の方から訪問を知らせるベルが上がった。
メイベルが不機嫌そうな顔をして、口をもぐもぐ動かしながらそちら目を向けた。エインワースが「誰だろうね」と言って立ち上がろうとする気配を察し、スティーブンは先にさっと腰を上げた。
「どうしたんだい、スティーヴ?」
「ちょっと水をもらうついでに、俺がみてくるよ」
大量のスコーンが次々に消費されていく状況に、なんだか胃もムカムカしていたところだ。ちょうどいいタイミングで席を立てると思い、エンドウ豆スコーンの前から動く気がない精霊にコノヤローと思いつつも、尊敬する祖父に愛想笑いを返して一旦リビングを出た。
玄関の前に立った時、まるで気付いたかのように外側からノックされた。
「こんにちはー。メイベルと『エインワースのお爺さん』いるー?」
なんだかやけに馴れ馴れしい少年の声だった。不審に思いつつ扉を開けたスティーブンは、そこに立っている少年の頭に兎耳がついているのを見て、げんなりとした表情を浮かべた。
「また精霊かよ……」
以前、ここへ来た際、他の精霊が好き勝手出入りするようになっている現状を聞いていた。こうして人型の精霊まで前にして、うんざりな気持ちだった。
何せこんな風に人間の言葉を美味く話すタイプの精霊は、人間をおちょくるのが好きだとはどこかで耳にした事だ。だから恐らくは、エインワースが目的なんだろう。
「あらま。見ない顔だ。でも匂いが『エインワースのお爺さん』と同じと言う事は、孫か何かかな?」
兎耳の少年が、きょとんとした表情で言って首を傾げる。
なんだか、わざとらしいくらい愛想たっぷりだった。本当は知っているけど、わざと知らない振りでそう口にしているみたいな印象を覚えて、メイベルと話している時には感じないような感覚がせり上がって神経を逆撫でされた。
とはいえ、先程の『栗』や彼女と違ってまぁまぁ礼儀はある。玄関を開けた者が応えるまで律儀にも待つ姿勢を見て取り、スティーブンはこのまま追い返してやりたい気持ちをぐっと抑えると、「で?」と険の滲む声で問い掛けた。
「ひとまず聞くが、お前は『一体なんの精霊』なんだ」
「僕は【子宝を祝う精霊】だよ」
「帰れ」
彼は即、扉を閉めた。




