27話 休日×面倒な事になった孫
地方都市サーシスは、遠くから働きや勉強に来ている者もあって、週末は帰宅ラッシュでごった返す。それが過ぎれば、人の波もすっかり落ち着いて都心にも穏やかな空気が漂う。
貴族や社会的地位の高い者も、多く暮らしている土地の特徴もあった。公的機関も休みとなっている本日は、優雅な時間を過ごすべく、上品な外出衣装に身を包んだ男女の姿もよく見られる。
見事な晴れ空という事もあって、のんびりと散歩をする者の姿も見られた。この国では、都市においては『休日、空の景観を損ねることを禁ず』と法律で定められており、魔法使いは緊急事態を除いて各種の飛行を制限されている。そのため、美しい空をじっくり楽しめた。
そんな中、スティーブンは仕事や社交をしている時と同じく、きちんと身なりを整えた状態で、自身の事務所の応接用ソファに腰を下ろしていた。
あと数時間もしないうちに、学会関係者の昼食交流会の予定がある。世話になった恩師達にも会えるうえ話もじっくり聞ける機会だというのに――今の気分はドン底である。
愛想のないハンサムな顔には、最悪だと言わんばかりの表情が浮かんでいた。改めて相談し終えてから、組んだ手に額を押し付けてじっとしている。
その様子を、窓際に寄りかかったトムが、呑気な表情で眺めていた。大学時代の先輩であり、今や一番の友人である彼も、本日の昼食交流会に招待されて一緒に向かう事になっていた。
「まず、君の元に同時に届いた二通のうち、一つ目の手紙の件だけれど」
トムは、ようやく聞けた詳細部分について頭の中で整理し終えてから、そう切り出した。平日よりもお洒落なコートに身を包んでおり、くすんだ金髪も片方が上げられている。
「つまり君が送る前に、お爺さんの方から早々に手紙が送られて来たという事だろう? 別に何も問題ないじゃないか。その『画家のお爺さん』と仲直り出来たのが、よっぽど嬉しくてすぐにでも君に報告したかったんだと思うよ」
短くしたためられた手紙には、その事だけが書かれてあった。すぐにでも自分を知っている誰かに知ってほしいと、誰もが思ってしまうような喜びや嬉しさに溢れた手紙だった。
だというのに、この手紙についてスティーブンは、喜んだり考え込んだりと感情が極端に上下している。だからトムは、「よく分からないな」と首を捻った。
「いつもなら嬉しさ一色、喜び一色って感じなのに」
そう口にしたところで、彼は思い出したように乾いた笑を浮かべる。
「そもそも『重要な用件』よりも先に、お爺さんから手紙が来たと自慢してきた時の君、まるで別人みたいな笑顔炸裂の表情とか、ほんと気持ち悪――見慣れなさすぎて毎度ドン引きしそうになるんだよねぇ」
一応は配慮したつもりで、途中の言葉を言いかえた。それを聞いたスティーブンが、顰め面を向けて、普段の彼らしい苛々した声で「おいコラ」と言った。
「言い直すならもっと上手くやれよ。なんだ、俺が笑っちゃ駄目なのか? あ?」
「スティーヴ、君の場合はギャップがすごすぎるんだよ」
トムは先輩として親切に教えるように新愛を込めて彼の愛称を呼んだ。
「相手が祖父であるのを知らずに、自分にはそんな笑顔なんて向けられないって諦めていった女の子達が、何人いたと思ってるの」
そう言われたスティーブンが、眉間にいつもの皺を寄せて「?」と首を傾げる。それを見たトムは、この子本気でやばいんじゃないの、と今更のように作り笑いの下で心配した。
「君が仕事と祖父以外に、興味が持てそうな女性が出来るのか想像もつかない」
「オイなんだその目、俺は一体何を心配されているんだ?」
「そろそろお爺さんっ子も卒業してさ、少しは結婚の事とか考えた方がいいよ。普通に即答で断れているのがすごいけど、この前も大学長から『ウチの娘どうですか?』と言われていたじゃない。年頃も近いし、背もぐっと高くて君と並んでも絵になるナイスバディな知的美女だし、一回くらい食事でもしてみたら――」
唐突に、スティーブンが「はぁ」と大きな溜息を吐いて、どんよりとした空気をまとった。それに気付いたトムは、ふと話を切ってきょとんとしてしまう。
「急にどうしたの、もしや彼女本人からアタックでもされたとか?」
「爺さんに家に来てもらうとか、その画家のジジイが羨ましすぎる」
「うわー、気持ち悪い。僕の話を途中から全く聞かないくらいの落ち込みよう」
組んだ手を再び額に押し当てたスティーブンを前に、トムは心底残念そうに「それが気分の沈みの原因かぁ」と口にした。それから、ふぅっと吐息をこぼす。
「ねぇスティーヴ。その気持ちの一割くらいでも、異性に向けてみたらどうだい? 大学時代の同期の中で恋人無し・婚約者もいないのって、君と僕を含めて一割くらいなんだよ?」
「お前だっていないだろ」
「あははは、僕はそれなりに社交に出て捜してはいるからね」
笑って答えたトムを、スティーブンは胡散臭そうに見やった。窓際に寄りかかっている立ち姿も様になっており、髪型もバッチリ決めている事もあってより美貌が際立っている。
「お前の場合、ただ遊んでいるだけだろ。家の跡取りだってのに、親御さんが泣くぞ」
「頼んでもいないのに、見合いの写真は毎月届くよ」
さらっと両親を困らせている事情の一端を口にしたトムが、「女の子の知り合いといえば」と前置きして、話題をスマートに自分からそらした。
「君が珍しく一緒にいた『人型精霊のメイベル』だけれど。君がわざわざ急ぎ僕からの助言を求めてきた今回の依頼の件については、彼女に協力を頼んだ方がいいと思うよ」
口調は柔らかいものの、言い聞かせる声は真剣味を帯びてもいた。しっかり見つめ返してくる目元は、年上の一教授としての考えを述べるような雰囲気も漂う。
「君には、そっち方面に詳しい専門家の協力者だっていない。現地の専門書で都度調べるよりも、精霊事情にも人間魔法にも熟知している【精霊魔女】を連れる方が効率的だ。――冒険の基本は、『その手の危険性・及び緊急事態に対応出来る者』を付ける事だろう?」
ちょっと心配そうに笑いかけられて、スティーブンは難しそうな表情を浮かべて押し黙った。
かなり嫌な提案だが、きちんと考えたうえでのアドバイスであると分かっている。だから、文句を言い返したい気持ちを一旦抑えて、『その手の助っ人』について他の方法を考えた。
これもそれも、以前一度だけ関わってしまった魔法使い連中が発端であると考えたら、あちらに協力要請なんて絶対に出したくない。むしろあの時の魔法使い連中を見掛けたら、即ぶちのめしてやれる自信がある。
ぐぉぉと低い声をこぼしながら、スティーブンは頭を抱えて葛藤した。「どちらにしろ嫌だ」という低い呻きを聞いたトムが、乾いた笑みを浮かべてこう言う。
「うん、君には同情するよ。まさか急きょ届いた依頼が、ガッツリ魔法絡みだとはね。しかも断れない感じで既に決定事項になってるのも、すごい推しっぷりだよねぇ」
「くそッ、他人事だからと呑気に笑いやがって」
その澄ましたイケメン面を殴り飛ばしてぇ、とスティーブンが低い声で言った。トムが「殴らないでよ」と涼しげな表情で答えて、出発までの残り時間を腕時計で確認する。
「そもそも、『メイベル』っていう強力な助っ人候補がいるから、僕もこうして落ち着いていられるわけだよ。だって君、なかなか彼女と仲が良いんだろう?」
「は……?」
「君の口から、ずっと同じ女性の名前を聞いているのも初めての事なんだけど――うん? もしかして気付いてないのかい?」
そこでようやく、トムは腕時計から目を上げてスティーブンを見つめ返した。
「君、お爺さんのところから戻って来てから、僕と会うたび『あの精霊~』って愚痴ったりしてるよ。でも元気が戻ったのも彼女のおかげみたいだし、やっぱり相手は何百年も生きている精霊ってこともあって、実のところ頼れる『お婆さん』と思っているところもあるんだろう?」
「全っっっ然違ぇよ! アレはッ、ただ空気が読めない系精霊だ!」
力一杯否定されてしまったトムは、「あらま」と目を丸くした。
「僕がこの前見た時の感想だと、相性は良さそうだったけれど」
「どこが!? アレほど相性最悪な精霊も他にいないってくらいだぞ! あいつ俺の名前だけポカスカ忘れるし、お前の名前は呼べるのに俺は爺さん家でも孫呼びだしッ、とにかくもう人をめちゃくちゃ小馬鹿にするし憤死しそうだ!」
うっかり気持ちがこもりすぎて、スティーブンは若干涙目になりかけていた。本気の訴えであるのが見て取れたトムが、「そうは言ってもねぇ」と口の中にこぼして思案気に視線をそらす。
「まぁ確かに、彼女は人間の魔法まで使える【精霊魔女】というだけでなく、悪精霊だ。『人間と共存出来るくらい相性がいい』なんて、感じる方がおかしいんだろうとは思うよ」
「なんだ、よく知ってるな? 調べでもしたのか?」
「君が色々と言うから、僕なりに気を付けようと思って『少しだけ』ね――でも悪精霊であると考えると、あの時僕らが三人で普通に過ごせたのも、疑問に感じるんだよねぇ」
そう答えたトムの目は、珍しく深く考えるような気配があった。彼は窓の向こうを横目に眺めながら言葉を続ける。
「そもそも悪精霊って、ああやって人間と過ごせるものなのかな。食事方法や残酷な性質がよく知られている他の悪精霊と違って、彼女の場合『実害』が見えないでもいるというか」
「喰うのは寿命なんだ、あいつが危険なのは確かだろ。討伐課が派手に動いたって話は聞いてねぇし、それだけ警戒して、ようやっと注意書きの看板対応のみって事なんだろ」
今や野精霊もいなくなった近代都市だ。そんな大都会ルーベリアのド真ん中に、百年前の森林の一部が残されたままになっているのは【精霊に呪われしモノ】がいるせいである。
恐ろしい悪精霊の一つ。
近づかない、触れない、いても見えないふりをしなさい――。
そう子供達に教える教会も少なくない。わざわざ神父達が【精霊に呪われしモノ】について注意を呼び掛けているくらいで、それでいてルーベリアは現状維持が続いている。
「でも最近、やっきになって聞き回っている魔法使いがいるらしいよ」
ふっと思案顔を解いたトムが、いつもの調子でスティーブンの方を見てそう言った。
「ここに【精霊に呪われしモノ】がいただろう、ってルーベリアの知り合いが尋ねられたと言っていた。別の地区の討伐課のマークが入ったマントをした、大きな男だったそうだよ」
「は? ……おまッ、もしかして爺さんが再婚したのを教えたのか!?」
「ははは、君はそっちに反応するのか。僕は頼まれた通り、誰にも話していないよ」
窓際から歩き出しながら、トムは手振りを交えてそう言う。
「その知り合いも、いきなり店に入って来られたかと思ったら『精霊がいない』『どこだ』って問い詰められて、何がなんだか分からなかったらしい」
「単身聞き回っているって事は、ルーベリアの魔法協会を通していないって認識でいいのか」
「冷静に考えるとそうだろうね。教えてくれた彼らの話によると、魔法使いとしてというよりは、個人的な怨恨か何かあるみたいだったとか」
そう教えられて、スティーブンは「ふうん」と視線を流し向けた。
まだ出発までは時間がある。向かいのソファにトムが腰を下ろして、ゆったりと足を組んだ。
「だから同行させている間は、彼女の周りを少し警戒していた方がいいかもしれない」
「あ? なんだよ同行って」
ふと、ニッコリ笑いかけられた事に気付いて、スティーブンは顰め面を返した。
「彼女に協力を頼むんだろう? だって魔法関連はさっぱりな君にとって、経験豊富な年上の良きアドバイザーで、強力な助っ人としてはピッタリじゃないか」
「良きアドバイザーってなんだよストレスしか覚えねぇよ」
ピキリ、とスティーブンのこめかみに青筋が立つ。かなり嫌である事を一呼吸で告げた彼は、プライドによる葛藤と怒りでぶるぶると震えながらこう言う。
「俺は人外の臨時助手なんて認めねぇ」
「時間もあまりないし、そうも言っていられないと思うけどねぇ」
一時の休戦、一時的な協力を取るしかないよ、とトムは大学時代の先輩としてしれっとアドバイスしたのだった。