25話 少年団の団長マイケル
庭が見えるテラス席に、二つの大きなアップルパイと三人分の紅茶が並べられた。メイベルがエプロンを外して着席したところで、午後のティータイムが始まった。
だが開始早々、先程まではしゃいでいたマイケルがむっつりとした。気付いたエインワースが、「おや?」と言って目を向ける。
「どうしたいだい、マイケル? さっきまでは上機嫌だったのに」
「エインワースの爺ちゃん、俺、ケーキを食べにきたんじゃなくて悪い精霊を倒しに来たんだ――って、こいつが戻ってきてから思い出した」
答え返すその表情は凛々しいものの、若干悔しそうに身体がぷるぷると小さく震えている。
問い掛けたエインワースは、薄い青の目を見開いて「おやおや」と言った。どうしたものかねぇと空を見やって、これといって深刻そうでもない口調で呟く。
「私の『妻』を倒してもらっては困るのだけれど、――メイベルは、マイケルにとってまだ『悪い者』なのかい?」
「だって、母ちゃんも近所の人も、みんなそう言ってるんだもん」
「ふうむ、なるほど」
エインワースは、チラリと目を向けた。視線を送られたメイベルは、知らないふりをして紅茶よりも先に手を付けたケーキを、パクパクと食べ進め続ける。
「そうだなぁ……。ああ、早く食べないとなくなってしまうよ?」
「へ?」
そう言われて、マイケルがようやく『宿敵』の方を見やった。
さっき自分たちにケーキを切り分けたはずの彼女が、既に二切れ目のアップルパイを食べている姿に気付いて目を見開いた。嘘だろという表情で、少しだけ腰を浮かせて言う。
「うわっ、大人げないくらいめちゃめちゃ食ってる!? というか、なんで自分の分だけそんなに大きくカットして皿に取ってるんだよッ」
「私が私のケーキをどうしようと勝手だろ」
「えぇぇっ!? いやお前のじゃないだろ、これはエインワースの爺ちゃんが作ってくれたケーキだぞ!」
「残ったのは全部食っていいと言われた」
メイベルは、口をもぎゅもぎゅしながら視線を返した。
つまり残ったと思われたら全部食べられてしまう。そう察したマイケルが、本気の涙目になって「俺の分は渡さないんだからなッ」と怒ったように主張し、素早くフォークを手に取って食べる事に集中した。
「あっそ。なら、頑張れば」
メイベルは、しれっと言って自分の皿に目を戻す。その様子を眺めていたエインワースが、ふふっと笑って「素直じゃないんだから」と微笑んだ。
まだ温かいアップルパイを口に頬張ると、マイケルは途端にだらしない笑みを浮かべた。
「やっぱりエインワースの爺ちゃんのアップルパイって、最高だなぁ」
「どっかのクソ孫が知ったら、全力で大人げなく悔しがりそうだけどな。――おい『少年団のガキ』、ほっぺたにまでパイ生地を付けるな、ゆっくり食え」
「俺には【マイケル】って名前があるんだぞ! チクショーそれからありがとう!」
濡れ布巾で頬を拭われたマイケルが、怒鳴り返した勢いのまま感謝を述べる。フォークの握り方も少々あやしい彼は、その後もお代わりのケーキをメイベルに切り分けてもらいながら、口の周りや服にこぼれ落ちたパイ生地を、エインワースに払い落されたりしていた。
数十分も経つと、大きなアップルパイのあった皿は二枚とも空になった。マイケルが最後の数口を頬張っているのを見て、メイベルは少なくなった紅茶を新しく出し直した。
「メイベルにほとんどの支度をしてもらったから、皿は私が片づけてこよう」
食後の紅茶の用意が整ってすぐ、エインワースがそう言って一旦を立っていった。席に腰かけたメイベルは、なんだかなと思いながらその姿を見送った。
「紅茶よりも皿の方が重いのに――おい『少年団のガキ』、横目に見えているぞ、カップの中をぐるぐると混ぜるんじゃない」
「うぐッ、母ちゃんとおんなじことを言うなよ! ちなみに、さっきも言ったけど俺には【マイケル】っていうカッコイイ名前があるんだからな!」
頬を膨らまして、マイケルが抗議する。
少し紅茶を飲んだメイベルは、ティーカップをテーブルに戻した。頬杖をつくと、すぐそばで普通に座って、ぷんぷん怒っている子供をぼんやり眺める。
「知っているか? 名前を呼ぶほど、記憶に刻まれる」
「なんだよ突然。もしかして『精霊の言葉遊び』か? 学校の授業でもそうだから分かるぞ、繰り返し声に出したらすっかり覚えるんだ」
「そうだろうな。記憶に残ると、ソレはもう、『お前にとって知らない物じゃなくなる』」
促されたマイケルが、両手でティーカップを持った状態で数秒ほど考えた。それから、半ば難しい様子で「まぁ、そうだな?」と分かった風に言う。
「で、結局のところ、それと俺の名前とになんの関係があるんだ?」
「それくらい自分で考えろ、ガキ」
「くっそー! よく分からんけどムカツク……っ!」
マイケルは叫んだものの、ジタバタすると紅茶がこぼれてしまうと察して、ハッと動きを止めた。タオルを手に用意したところだったメイベルは、「ふうん」と言う。
「なんだ、自分でちゃんと気付けるところもあるんじゃないか」
そう言って、少しだけ意地悪そうに口角を引き上げた。
先程からずっと、飲み食いのたびに散らかしている。そのため新しく用意されたタオルを、メイベルがテーブルに戻す様子をマイケルは目で追う。不思議そうにしながら、見よう見真似でチビチビとティーカップに口を付けた。
「…………なんか、母ちゃんたちが言ってた『悪い精霊』っぽくない」
ぽつりと彼が呟いた。
その時、エインワースが戻ってきた。ふふっと笑って椅子に腰を降ろすと、「そうかい」と相槌を打ち、一息つくようにティーカップを手に取ってマイケルに訊く。
「じゃあ、今のマイケルにとって、メイベルはどういう感じなんだい?」
「うーん。なんかさ、精霊ってそんなに危なくないモノなんじゃないか、って?」
それを聞いて、メイベルは頬杖を解いた。目も向けないまま「それは危い考えだぞ」と口を挟む。
「精霊は危険なものさ。その教えは、『ほぼ正しい』」
そう言いながら、口が暇をしたとでも言うようにティーカップを両手で持つ。
「人に近い習性を持ち、人間のように言葉を駆使するモノも、人とは全く違う世界の常識で物を考えている。甘く見ると、取り返しのつかない痛い目に遭ったりする」
「どうして、痛い目に遭わせるのさ?」
「それが人にとって『痛い事』だと、彼らが『知らないでいるから』さ」
メイベルは、金色の精霊の目を向けてそう返した。ふわりと風が流れ込み、緑の髪をサラリと揺らしていく。
「私だって精霊だよ、マイケル。悪精霊に分類されている【精霊に呪われしモノ】で、人は私を『悪い精霊』や『悪い精霊魔女』と呼ぶ」
そう聞かされたマイケルが、両手でカップを持ったまま「うーん」と言って首を捻る。
「俺、その精霊名を聞いた時から、ずっと疑問だったんだけどさ。それって、精霊の中でも一番呪われている精霊って意味の名前なの? だから、近づいたら駄目ってみんな言うのかな?」
問い掛けられたメイベルは、思案げに紅茶へと目を向けた。
「――『呪われているのか』と言われれば、それもまた間違いでもない言い方だ」
そう答えて紅茶を飲む。
エインワースが、目を右へ左へとゆっくり動かして、二人のやりとりを見守っていた。マイケルは「ハッキリした言い方をしないなぁ」と呟くと、片頬を膨らませる。
「じゃあ、それが俺らにも影響するって事?」
「場合によってはそうなる」
「もうっ、よく分かんない! じゃあ、こうして座って紅茶を飲んでいる今は!?」
「……今……?」
そんな問われ方をしたのは初めてだ。
メイベルは少し考えて、「――ない」と答えた。
「なんだ、じゃあいいや」
マイケルはティーカップをテーブルに置くと、スッキリした様子で調子よく椅子から降りた。エインワースが、「おや」と言って呼び止める。
「マイケル、もう帰るのかい?」
「うん。エインワースの爺ちゃん元気そうだし、メイベルって意地悪で口も悪いけど、俺の兄ちゃんより全然怖い感じしないもん」
「ほぉ。なら、退治話はお預けかな?」
「退治なんてしないよ」
当然じゃん、とマイケルがキッパリと言う。
「だって、メイベルは悪い精霊じゃないんだもん」
そう言われて、メイベルの手がピクリと小さく反応する。冷静な表情のまま見つめられているマイケルは、エインワースに「だってさ」と続けていた。
「爺ちゃんも、一人だった頃より元気で楽しそうに笑ってるし。それってさ、今が『充実』してて『幸せ』って事だろ?」
俺、子供だからよく分かんないけど、とマイケルがちょっと自信がなさそうに言う。
その様子を見つめていたエインワースが、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「その通りだよ、マイケル。君は賢くていい子だ」
「えへへ、なんか褒められちったな……んじゃっ、俺帰るよ! 母ちゃんには、元気だったって伝えとく!」
そう言った彼が、バタバタと走り去っていく。
メイベルは、ティーカップの中に目を落とし、離れていくその音をしばらく聞いていた。――俯いたその表情は、しおらしいただの女の子にも見えた。