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21話 精霊と頑固ジジイ 上

 絵描きである彼の工房は、円形状の広々とした部屋だった。明るい木目状の床、周囲には沢山の絵画が置かれており、色の付いた作業台などがあった。


 メイベルは、ガラス窓の近くにある質のいい小さな丸テーブル席に案内された。普段から契約のある美術商や依頼主と打ち合わせする際に使っているとの事で、椅子もクッション部分が柔らかく座り心地が良かった。


「エインワースと最後に顔を会わせたのは、八年前にあった妻の一年忌の時だった」


 二人分の紅茶を出したところで、エリクトールが椅子にドカリと腰を降ろしてそう言った。


 無愛想な態度と違って、紅茶は丁寧に淹れられていてとてもいい香りがする。メイベルはティーカップを両手で持ち上げながら、どこかの不器用な若造とは大違いだなと、先日に会った孫を思い出した。


「精霊は『生物の死』を感情的には理解出来ないだろうが、こう見えて私も、唯一の理解者であった妻を深く愛していた」


 飲んでみると、それはとても美味い紅茶だった。

 妻に淹れてやっていたのだろう。女性が好みそうな風味である事を考えながら、「そうか」とだけ相槌を打った。


 数年でここまで上手く淹れられるものじゃない。だからこの男が、見目や雰囲気からはイメージがないほど、自分の妻を大切にしていたと分かった。


「――…………『想いの詰まった味』がする」


 つい、想像して、ぽつりと呟きをこぼした。

 どこか羨むような囁きだった。思い返すように顰め面を床に向けていたエリクトールが、足を組んだ姿勢のまま「ん?」と見やる。


「なんか言ったか?」

「何も。それで、話の続きは?」


 そう促してやると、彼が「そうだったな」と言って、再び言葉を探すように思案した。

 重ねていく時間を『感じられる』のは、人間だけだ。

 メイベルは、美しいティーカップを見下ろした。幼い手でも、しっくりと持てる大きさだなと思う。それから、ただただ美味い紅茶を堪能するように雑念を払った。


「ワシはその一年で、たった数枚の絵しか描けなかった。それでも気難しい頑固爺さんだ、誰もワシが一番悲しんでいるとは気付かなかった」


 でも、とエリクトールは一面の窓ガラスの方を見ながら言う。


「誰よりもきつく接した自覚があるのに、距離を置かないどころか……エインワースだけが気付いたんだ。葬式の日以来だったのに、あいつはワシの顔を見て『とても頑張ったんだね』と言った」


 久しぶりという前置きはなかった。まるで昨日も普通に接していた友人に対するような柔らかな声だった、と彼は語る。


「ワシは、あいつが泣いたのを見た事がない。打ちひしがれている姿も同様だ。奴の妻が旅立ったあの日も、エインワースはただただ静かに微笑んでいた」


 だって前日までに沢山泣いたから。


 メイベルは話を聞きながら、エインワースがそう言っていたのを思い出した。眠くなるまで話し相手になってくれないかと頼まれて、ふかふかの枕に頭を預けながら、語られる話にずっと耳を傾けていた。芯がとても(やさし)い男なのだろうとも思う。


「自分も妻を亡くして寂しいだろうに、奴は心からワシを励ますんだ」


 そう続けているエリクトールの眉間の皺が、当時を思い返したようにぐっと深まる。


「ワシはその姿を見て、カッとなってしまった。――もしワシが同じ立場だとしたら、そんな風には出来なかっただろう、と」


 大都市で会社を持っていたのに、妻のために自宅勤務へと変えた。彼女が両親から受け継いだというあの家を、今も大切にして、エインワースはずっと一人で暮らし続けている。

 思い出ばかりが溢れた家だ。子が出来て孫が産まれ、その過ごした全ての時間が刻まれてある。


「ふうん、なるほど。それで追い返したんだな。『お前だって他人に心を砕いている状態じゃないだろうに』と思いながら、エインワースを叱り付けたってわけか」


 メイベルは、ティーカップをテーブルに置いてそう言った。


 一瞬言葉を詰まらせた彼が、「……その通りだ」と白状するように答えた。組んでいた足を降ろし、テーブルへと向く。


「つまりワシは、自分勝手な激情で奴を怒鳴りつけたんだ。いいと許すまで、決して我が家の敷地に足を踏み入れるな、とまで言い切った」

「なるほど、さすが不器用なうえ頑固すぎるジジイだな」

「おい。お前さんは、もう少し本音を隠そうとは思わんのかね?」

「精霊にそのような配慮を求めるな、私達(せいれい)は『嘘は言わない』」


 ピタリ、と数秒ほど室内が静まり返った。

 ややあってから、そうだったな、と呟いて彼がティーカップを手に取る。


「一年ぶりだったのに、とお前は言っただろう」


 唐突に、メイベルはそう切り出した。


「お前が当時見た印象の通りだ。エインワースにとって、あんたは『ちょっとだけ気難しいところがある大切な友人』であるらしい。お前の悲しみに気付いていたように、あいつは怒鳴られた不器用な言葉の意味も察していたんだよ」


 メイベルは、見つめ返してきたエリクトールに続ける。


「だから、エインワースは機嫌さえ損ねていないんだ、爺さん。奴は『他に言い方があったのかもしれない』『すまない』と気に掛けて、心配しているわけだ」

「むぅ……。今度、手紙を出す努力はしてみよう」


 だが出来るかどうか、と彼がぶつぶつ言う。


 ようやく『ひとまずその件に関しては』解決かと思ったのに、ここへ来て渋られた。思わずメイベルは、「はぁ?」と露骨に言って、顔を顰めてしまう。


「直接顔を会わせて言うわけじゃないんだ、手紙くらいサクッと出せよジジイ」

「口が悪い精霊だ。ったく、お前さんは何故ワシが、八年も連絡一つ出来なかったか推測くらい出来んのかね」


 そんな事を言われても、分からないものは分からない。


 メイベルは、どういう事だ、と問うように眉を潜めて見せた。するとエリクトールが、「むぅ」と難しそうな声をもらし、視線をそらしてからこう答えてきた。


「素直になれんのだ」

「年頃の思春期のガキかよ」

「言い方がまたひっどいな」

「本当の事だろう。なんだよ『素直になれない』って」

「そういう性格なのだ。仕方あるまい」


 そう言って、彼が顰め面で紅茶を飲む。

 メイベルは、ふぅっと小さく息を吐いた。思案気な眼差しをよそに向けて、それから自分のティーカップを手に取った。


「私がこっちに連れてきてやる事も出来るが、まずはあんたから直接手紙を送ってやれ。私からの伝言だけじゃなくて、『本人から一報があった方が』喜ぶ」


 そこで、少しだけ紅茶を口にした。やはりとても美味い。


「エインワースは家族にも隠しているらしいが、ああ見えて足が悪いだろ。だから『手紙を一番楽しみに』している」


 エリクトールが、パッと顔を向けてきた。

 気付いていたのか、というような驚いた目を見つめ返して、メイベルはチラリと眉を潜めて見せた。


「私はあいつの『妻』なんだ、当然だろ」

「――……あ、そうか」


 彼は、今更思い出したように口にして、ティーカップをテーブルに戻した。すぐに目を上げず、じっくり考えるようにそこを眺めたまま顎を触る。


「なんだか、お前さんと話していると『奴の奥さん』である事を忘れるな……。言い方が乱暴で品がなくがさつで色気も皆無だし、あのクソガキな孫ならまだしも、エインワースが伴侶にするようなタイプじゃないだろう」

「おい、沈めるぞジジイ」


 紅茶を堪能しながら、ぴしゃりと言った。


 そのメイベルの横顔へ、エリクトールがゆっくりと目を向ける。


「信じられん。お前さんは、老い先短い老人に向かって、堂々とそう言えるのか」

「言える。私は容赦しない」

「ヒデー性格してんなぁ……」


 なんでエインワースはこんな精霊女と結婚したんだ、とエリクトールが実に不思議そうに呟く。


 メイベルはティーカップを置くと、自分の胸に手をあて「いいか」と前置きして述べた。


「私はこう見えて家庭的だ。料理も出来る、掃除も得意、洗濯物を溜め込んだ事はないし、手先も器用だ」

「精霊なのに、意外にも主婦だな……」


 そもそも精霊には必要のない技術では、と彼が唖然としたように言った。その褒められているのかどうか分からないニュアンスの感想を、メイベルは聞き流した。

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