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20話 町の頑固爺さん

「へぇ。家族じゃなくて『他人』か」


 次の頼み事を一通り聞いたところで、メイベルは意外だというように言った。

 皿を洗っていた手を、一旦止めて振り返る。食卓で珈琲を飲んでいるエインワースが、ちょっとだけ困ったように微笑んでいる姿があった。


 ああ、詳細を述べるつもりはないのか。そう察して「それで?」と促した。


「話を聞いているだけで分かるが、そいつはかなり頑固な爺さんみたいだな。毛嫌いされていて数年も絶縁状態、それなのにエインワースは『その爺さんが心配』であるわけだ?」

「彼はいい人だ。ああ見えて、何かと気にかけているところもあるんだよ」


 頑固というかなんというか、と人を悪く言わないエインワースが思案の声をもらす。ピンっと思い付いた様子で、調子よく人差し指を立てた。


「ただ『ちょっとだけ気難しいと』いうか」

「ふうん、『ちょっと』ね」


 メイベルは、その若者みたいな仕草の指先を見つめた。


「聞いた私のイメージからすると、お前とは正反対の頑固ジジイだぞ」

「あはは、出会い頭に『嫌いなタイプだ』とハッキリ言われたのは、彼が初めてだったなぁ」


 エインワースが、思い出すように笑った。


 それ、笑って言えることか?


 そう感じたものの、精霊の出入りが増えた環境でも呑気に過ごしている奴だ。指摘するのも面倒になってやめ、流し台に向き直って残っている二枚の皿へ手を伸ばした。


「ところでメイベル、浴槽に浸かっている『栗』がいたのだけれど」


 おかげで、日課の朝風呂は諦めたのだという。


 その話を背中越しに聞いていたメイベルは、最後の食器を洗ったところで水を止めた。エプロンで手を拭いながら、「ふうん」と金色の精霊の目を宙に向ける。


「勝手に人様の風呂に入るとは、けしからん奴だな。『妻がやっていた』という理由だけで、私が嫌々ながら準備しているというのに――なんで追い出さなかったんだ?」

「気持ち良さそうにしていたから、そっと閉めたんだ」


 申し訳なさそうに言ったエインワースが、悟ったような表情で珈琲カップに口を付ける。


 メイベルは「おい」と真顔で彼を呼んだ。


「そこは家の主人らしく堂々としていろよ」


 彼が栗に見えた精霊は、もう既にいなくなってしまっているだろう。そう推測しながらも、彼女は新しいお湯を張るついでに確認するため歩き出した。



 リビングから、メイベルの姿が消えて数分後。

 自宅に「ぴぎゃあああああ!?」と小人のような甲高い悲鳴が響き渡り、エインワースは「あらあら」と呑気に言ったのだった。


             ※※※


 立派な煙突を持った、大きな青い屋根をした家。


 目指したその家は、町の外れにある木々の向こうの丘の上の、ひっそりと開けた場所に建っていた。人嫌いという噂通り、家よりも随分手前に看板が立てられ『用もなく立ち入るな』とご丁寧に書かれてあった。


 一階建ての広々とした家だ。右隣の大窓ガラスの方が工房になっており、玄関を挟んだ左側が住居スペース。柵はなくて、敷地内の刈られた芝生面があるだけの味気ない庭があった。


 そこにあった木製のテーブル席に、細身の老人が腰かけていた。くしゃっとしたほとんど白くなっている髪、目立つ頬骨。かなりの痩せ型で、スケッチを取っている手の指も細い。


「噂は聞いてる」


 歩み寄っていると、彼がジロリとこちらを横目に見やった。目彫りも深く、太い眉は怒ったみたいな形をしていて『性格的にぴったりな自前の眉』だった。


「人間に化けている緑髪と金目の精霊――エインワースの新妻だろ」


 新妻、と呼ばれたのは初めてだ。何故かそのニュアンスの感じがぞわぞわして、うげぇっと声が出そうになったメイベルは、それを顰め面で隠した。


「正解だ」


 そう普段通り答える。すると、老人がこちらへ顔を向けて「ふうん」と疑い深い声を出した。


「それで? 奴の嫁がなんの用だ?」

「付き合いが長いとエインワースから聞いて、妻として『ちょっと挨拶』にきた。まぁこちらへ立ち寄る前に、ひとまず栗野郎は始末して捨ててきたけどな」

「…………栗……?」


 彼は、よく分からないとでもいうような目をする。メイベルは真面目な顔で「気にするな」と言ってから、軽く指を向けて本人確認をした。


「あんたは『画家の頑固ジジイ』で間違いないか」

「おい。心の中の呼称がまんま出ちまってるぞ。まさかエインワースの奴が、そう言っているわけじゃねぇだろうな?」


 メイベルは、んなわけないだろうあのエインワースだぞ、と表情に浮かべつつ「違う」と答えて首を横に振った。


 それを見た老人が、鉛筆を置いてから呆れたように顔を押さえた。


「ったく、挨拶にきておいて、目で威圧してくる奴がいるかよ。そのうえ『見事に女の子にしか見えない』ってのに口も悪い、精霊特有のものだったりするのかい」


 愚痴るような口調でぶつぶつ言われたメイベルは、何も答えなかった。彼から三メートルの位置で足を止めると、腕を組んで無表情のまま次の反応を待つ。


 髪の長さを短くしただけなのだが、幼い見目とズボンスタイルのせいか男の子に見える者がほとんどのようだった。それなのに、こいつもエインワースと同じく、女の子のままに見えるらしいと少し不思議に思う。


 顔から手を離した老人が、再び深々と息を吐きながら指を向け返してきた。


「いいか、エインワースの嫁。訪問するなら、相手の名前くらいは覚えておけ。俺は『画家のエリクトール』だ」


 顔の皺をくしゃりとして睨みつけると、それでも眉一つ動かさないメイベルに「んで?」と続けて問う。


「何しに来た」

「だから言ったろ。妻として挨拶に立ち寄っただけだ、と」

「夫の同行もなしにか?」


 そう言った彼が、すぐに「ふんっ」と鼻を鳴らして自分でこう続けた。


「まぁ、あいつが俺のところになんて来るはずもねぇか。ウチの女房の法事でキツく言って、二度とくるなと追い返した以来だからな」


 ふいっと顔をそらし、そのまま鉛筆を手に取ろうとする。


 それを見たメイベルは、くいっと顎を少し持ち上げて「おい」とやや強目に呼び掛けていた。


「それを気にしているのはお前だけだぞ、――画家の頑固ジジイ」

「ワシは『エリクトール』だ。さっき名乗ったろ。名前くらい覚えろ、エインワースの嫁」


 エリクトールは、全く礼儀がなってないんじゃねぇのかと愚痴った。鉛筆から手を離すと、椅子の上で身体を半ば向ける。


「ところで、お前の名前はなんだ。普通は先に名乗るもんだろうがい」


 叱り付けるような声で言われて、メイベルは「そうだったな」と気付いた。


「うっかり忘れていたな、『エインワースの妻のメイベル』だ」


 精霊として問われたわけではないので、そう教えてから話を再開する。


「もう一度言うが『そんな事を気にしている』のは、あんただけだよ。あいつは超が付くお人好しで、そのうえ能天気な阿呆だ。私もよく分からんし大変苛々する」

「一体何を――」

「あいつから、『あの時は、気遣ってくれてありがとう』『申し訳ない』って伝言を頼まれた」


 すると、彼がピタリと口を閉じた。


 なんだ言われていた通りの反応だなと、メイベルは少し面白くなくなった。とはいえ言われている行動に沿うべく、エインワースから聞かされた事を思い返しながら口を開いた。


「言っておくが、私は事情を知らん。伝言はした。お前が帰れというのなら、速やかにここから退出する」


 考える時間はあまり与えない。


 すると、彼が「待ってくれ」と思案したままの声で言ってきた。


「――事情を知らないから、お前さんは『あいつは気にしていない』なんて平気で言えるんだ、ならワシが教えてやる」


 彼が立ち上がって、こちらを見た。


「工房の方に移動しよう。そっちの方が涼しい」


 そう言って、こっちへこいというように片手を振ってくる。


 メイベルは、数秒ほどじっとしていた。訝ったエリクトールが「何してる」と少し機嫌の悪そうな声を出す中、話していたエインワースの声を思い返していた。



――このまま、もし私が死んでしまったとしたら、彼、とても悔んでしまうのではないかと思うんだ。素敵な絵を描けなくなってしまうほど、長い間一人で悲しむんじゃないかと思って……葬式で再会となったら、きっとボロボロと泣いてしまう。



 そんな事のために。


 不思議に思って、『エインワースが友として真っ先に名前をあげた老人』を見つめた。どうして長く顔も合わせず、話さないでいる人が大切な相手のままでいられるのだろう。


「なぁ爺さん。この町の人間が、精霊にはあまり関わりがないのは知ってる。でも」


 そういった感覚(モノ)はよく分からない。


 そう思って、メイベルは淡々と思考を切り替える。ここまでの流れが『エインワースの言った通り』だとしても、やはり納得出来ない部分があった。


「私が言うのもなんだが、あっさり家の中に招待していいのか? ――私は『精霊に呪われしモノ』だよ」


 その場合の反応は、だいたい三パターン。


 腐るほど思い返してきた事をそう浮かべようとした時、エリクトールが顰め面を返してきた。


「ふんっ。あのエインワースが『新しい嫁に』と決めて、こうして単身でウチにも寄越してきたんだ。お前さんが何者であれ、今のワシにとって害もクソもあるかよ」


 そう言うと、踵を返す。


「さっさと来い、精霊なら珈琲よりも紅茶が好きだろう。それを出してやる」


 家に上がれと手でも促されたメイベルは、ちょっとだけ目を落として――「そうか」と淡々と答えて後に続いた。

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