10話 教授と精霊
スティーブンが「実は……」と説明した後、メイベルの姿はエドキンス博物館に入ってすぐのカフェコーナーにあった。仏頂面で腰かけて珈琲を待つ彼のそばには、紳士らしく背筋を伸ばしてきちんと座るトムがいる。
「なるほど、この子は『彼』じゃなくて『彼女』で、そしてお爺さんの『再婚相手』なんだねぇ……。君のお爺さん、なかなかやるね」
「そこじゃねぇだろ」
他に何か言う事無いのかよお前、とスティーブンは半切れ状態の顔を向ける。
「わー、すごく不機嫌そうな面だなぁ。一体何を苛々しているんだい、スティーヴ?」
「苛々もするわ。お前、俺がこいつの正体を打ち明けたってのに、なんで当たり前みたいに『それじゃあ行こうか』って連れて来るんだよ。コレが、どういう存在なのか分かってんのか?」
「僕だって知っているよ。【精霊に呪われしモノ】は、有名な悪精霊の一つに数えられている種族だろう?」
その時、女性店員が珈琲とケーキを運んできた。彼女は三人分の珈琲を置くと、フードまですっぽりと被ったローブ姿のメイベルの前に、注文通り五種類のケーを並べてから去っていった。
スティーブンは、品もなく椅子に座って太腿に片足を上げていた。シロップもミルクにも手を付けず、ブラックのまま珈琲を口にする。
「そもそもな、トム。お前は呑気過ぎるところを、少しどうにかした方がいいぞ」
「あははは、君みたいなタイプをよく怒らせるよねぇ」
「自覚があるなら直す努力をしろよ」
「無理だよ。君が捻くれ者で、いっつも眉間に皺を寄せているのと一緒さ」
それを聞いたスティーブンが「てんめぇぇええええ!」と叫び、友人の胸倉を掴んで揺らした。トムは笑いながら、「ここ、館内なんだから静かにしようよ~」と言う。
メイベルは、丸々一個分のシロップを足した珈琲を飲んでいた。珈琲カップをテーブルに戻すと、凛々しい表情でまずは一つ目のケーキ皿を引き寄せる。
「スティーヴ、ひとまずは落ち着こうよ。展示物の入れ替えまで後少しだ。それまでに追い出されたりしたら大変だよ? あ、それとも少し見に行ってみるかい?」
「ふんっ、興味はない。あの展示品を見る限り、生活様式の品々がほとんどで、年代も数百年代のものだろ。そのあたりの物は見飽きてる」
「わーぉ。それ、うっかりでも関係者には言わない方がいいよ。陶器類に興味がないってストレートに答えて、学生時代にも準教授を怒らせてたでしょ」
その時、二人は同席者が静かな事に気付いて、ピタリと動きを止めた。ちらりと目を向けられたメイベルは、その視線も気にせずケーキをパクパク食べ進めている。
「…………彼女、びっくりするくらい食べてるねぇ」
「…………ただひたすら、黙々と食ってるな」
そう相槌を打ったスティーブンは、トムの胸倉から手を離した。
椅子に座り直してから、自分よりも随分低い位置にあるメイベルのフード頭に目を向けて「おい」と声を掛けた。
「お前、味を分かって食ってんだろうな――」
「お代わり」
メイベルは、最後の一切れを口に放り込んだところで、口許をもぎゅもぎゅさせながらそう主張した。
「マジかよ!? もう五個も食っただろ、しかも最短時間で!」
「何を怒っているんだ? 『俺は金に困っていない教授だからな。別にいくら注文してくれても痛くない』と、阿呆みたいに勝手に自慢して『オーケー』を出したのは、お前だろう」
「くそっ、なんか分からんが、優越感を覚えるところか上手くあげ足を取られた感じで、腹が立つなッ」
スティーブンは、テーブルに拳を押し付けた。顔を伏せてぶるぶるとしている彼を見て、メイベルは真剣な表情のまま「で?」と言う。
「追加注文していいのか、悪いのか。どっちだ孫――」
「店員さん追加注文をお願いします!」
孫扱いの発言を阻止するべく、スティーブンは恥も捨てて立ち上がり挙手した。ゆとりある間隔が置かれていた向こうのテーブル席で、貴族風の婦人たちが「あれって、あの有名な教授じゃない……?」とこそこそ話し出す。
「ははは、なんだかスティーヴがすっかり面白くなってるねぇ」
トムが頬杖をついて、おかしそうに感想を述べた。片手で顔を押さえながら「くッ、ひとまずもういっそ全種類一通りください」と店員に伝えたスティーブンが、ドカリと椅子に尻を落とした。
それからしばらくもしないうちに、テーブルにはギッシリとケーキが並んだ。さすがのトムも、想定外だった様子で「うわぁ……」とぼやいて口に手をあてる。
「意外と種類豊富だったんだね、見てるだけでちょっと吐き気が……」
「現金払いじゃなくて、銀行引き落としにするか」
「真顔でさらりとそういう事言っちゃうの、さすが稼いでいるだけあるよね。……まぁ、それがいいだろうけれど」
そう彼らが話す間も、メイベルはケーキをフォークで一口サイズ分切り取って、淡々と口に運び続けていた。
呆気に取られてばかりのトムが、「はぁ。なんだかすごい光景だ」と呟く。
「こんなにバクバク食べる精霊もいるんだねぇ」
「別の意味で、爺さんが心配になってきたな……」
そのタイミングで、メイベルは続いてチョコケーキを手前に引き寄せていた。それにフォークを刺しながら、目も向けずにこう口を挟む。
「エインワースは、一人前の頃からずっと鍋で作ってるって言ってたぞ。ちなみに料理は私もやっている」
「おまッ、精霊の癖に人間の料理まで出来んのか!?」
「美味いものを食うための努力なら惜しまん」
「そこまで食い地が張ってるのかよッ」
「今のところ、家事の七割は私がやっているんだ。そもそもな、紅茶もろくに淹れられん奴と一緒にするな」
「くそっ、いちいち嫌味をちょいちょい混ぜやがってッ――」
そうスティーブンが言いかけた直後、メイベルは「あ!」と大きな声を上げた。怒鳴ってやろうとしていた彼が、ビクリとして動きを止める。
「な、なんだよ、いきなり叫ぶな――」
「見てみろっ、こっちのケーキの飾り付けの中に、見事なエンドウ豆があった!」
「もうチョコケーキを完食したのか!?」
「あんなもん数口で食い終わる。ってそうじゃなくて、ほら!」
メイベルは、金色の『精霊の目』をキラキラとさせて、フォークの先端で刺したぷりっとした緑の豆を至極真剣に掲げて見せた。それを覗き込んだ二人の男たちが、理解し難い様子で「……?」と首を傾げる。
「…………おい。ここ一番のテンションみてぇだが……ただの緑豆だろ?」
「…………ただ蒸されただけのエンドウ豆だね」
「良いエンドウ豆だろう。ぷりっとして艶もいい、しかも『きちんとイイ下湯で』だ、一見して中がふわふわで柔らかそうな感じだぞ! こんなに美味そうな見事な豆が、他にあるか?」
「いや、そんな力説されてもよく分かんねぇよ……」
スティーブンは、そう言いながら顔の前で手を振った。言うだけ言って満足したメイベルは、そもそも彼らの反応など興味もないと言わんばかりにエンドウ豆をパクリと食べる。
先程まで無表情だったのに、今にも鼻歌を歌いそうなほど上機嫌なのが表情から伝わってくる。そんな様子を、トムはテーブルに腕を乗せてしげしげと眺めた。
「こうして見ると、全然精霊っぽい感じがしなくて不思議だなぁ。ただの子供みたいだ」
「なんで緑豆に異常に反応するのか分からん……」
短い間に疲れ切ったスティーブンは、椅子にぐったりと背を預けて『今はそんな事どうでもいい』という表情だった。前髪をくしゃりとかき上げたところで、ふっと思い出したように高すぎる天井を見やる。
「そういや俺が小さかった頃、爺さんがよく『緑豆』でジャガイモのスープを作ってくれていたっけな。あれで豆類が食べられるようになったんだ」
「ぶふぅッ。君、苦野菜もその手で克服されたんでしょ?」
「おい。なんで今笑った?」
「僕は幼少時代の君を知らないけど、きっと眉間に皺を刻んで『別に嫌いじゃないけど俺は食べないッ』とか言っていたんだろうなぁと想像がつくし、ふふっ、さぞご両親は育てるのに苦労しただろうね」
「だから、なんで笑ってんだ、あ?」
口許を押さえているトムの目は、もう笑いたくて仕方がないという感じだった。彼は怪訝そうに表情を浮かべているスティーブンに、指を向けてこう教える。
「だってさ、スティーヴ。結局のところ、苦手な物のほとんどを祖父たちにどうにかされた男なんて、僕は君以外には知らないよ」
言われたスティーブンは、仏頂面で腕を組んで黙り込んだ。
メイベルは、ふわふわのクリームが乗ったチーズケーキを口に入れたところで、目を動かしてその様子を何気なく見やった。気付いたトムが、口許から手を離すと面白そうにこう続けてくる。
「彼、世に言う『お爺さんっ子』なんだよ」
あ、精霊にソレが分かるはずもないか……トムは言ってから気付いた様子で、そう呟いた。困った風な表情で笑うと、話を終わらせるように珈琲カップを手に取った。
「――……知ってるよ。だから、エインワースはとても心配しているんだ」
自分がこのままの状況で死んでしまったら、きっと彼は、今の輝かしい人生をしばらく駄目にしてしまうのではないか、と。
メイベルはそれを思い出しながら、誰にも聞こえない囁きを口の中に落とした。唇の端についてクリームを、舌先でチロリと舐め取ってから溜息をもらす。
「ほんと。甘くて、馬鹿な男だよねぇ」
きっと後悔する。そのためだけに『再婚』して、一途に愛している最初の奥さんの名前があった項目欄に『メイベル』という名を刻むなんて。
ずっと残る記録なんでしょう? 人間にとっては、大切な事なんじゃないの?
その時、スティーブンがこちらを振り返ってきた。チラリと顰め面を浮かべたのを見て、メイベルは『馬鹿』発言が聞こえたらしいと察した。けれど慌てず、視線をその奥の向こうに投げる。
「あれって、これから展示物を移動するんじゃないか?」
そう言って、フォークを持っていない方の手で指した。