先行チーム
「はぁ、はぁ……」
ずりずりと足を引きずる音が聞こえる。
乱れた呼吸がすぐ横から聞こえてくる。
アルマは手にした剣を支えきれず、切っ先が迷宮の床で擦れていた。
額から血を流したオレは、リナに肩を貸してもらっている。
グラシオスが毒を口にしてから二晩が経過した。
彼が動けるのを確認してからは予定通りに迷宮の先に進むことになった。しかし、一度生まれた不信の念は簡単には消えてはくれない。
理屈では分かっていても、心はごまかせない。
特に顕著だったのはオレとアルマだった。
オレの援護の頻度はさらに増し、リナは背後から迫る魔術の援護に過剰に反応した。
不信の気配を感じ取ったリナもオレやアルマに警戒心を見せるようになった。
今も、リナはオレに肩を貸してはくれるが、いつでも離れられるように身構えてしまっている。
そんな不振が広がると、グラシオスの宣言通りに連携が崩れてきた。
さらに運の悪い事に、次の階は一本道であった。
敵から逃げる事は許されず、出現したモンスターは全て倒さなくてはならない。
被弾が増え、戦いごとに傷が増えた。
魔力が足りず、治療は最低限になる。
傷を負うと毒を警戒し、戦闘に対する集中力が低下した。
流れる血は少なくとも、流血が積もりに積もってオレ達の体力を奪っていく。
疲れてくると、さらに怪我を負いやすくなった。そして傷が増えると疲れやすくなる。
そんな悪循環に嵌まり、いつ瓦解してもおかしくない状態だ。
誰かが不満を爆発させればそれでパーティは終わりだ。
そんな中、誰もが不満を胸の中に押し込めて先に進めているのは、グラシオスのおかげだった。
彼だけは誰かを疑う気配を一つも見せない。
その態度が、不満の発露を寸前の所で踏みとどまらせていた。
けれど、それもいつまで持つか分からない。
命の危機に晒されてなお冷静さを失わない人間はそう居ないのだから。
「そろそろ安全地帯があってもいい頃だと思うが……」
血の滲んだ地図を見ると、前回の安全地帯から結構な距離が離れていた。
確かにいい加減、休憩が欲しいところだ。
皆がそう思い始めた時、リナの足がピタリと止まった。
「……どうしたの?」
「血の臭いがする……」
すんすんと鼻を鳴らしたリナが顔を顰めた。
オレ達はお互いに顔を見合わせる。
誰の顔からも不安が滲みだしていた。いつもは無表情なアルマでさえも顔色が悪い。
「……先に進もう」
全員の視線がオレに集った。
リナなどは露骨に乗り気ではない顔をした。耳も尻尾も丸まっていて露骨に嫌悪感を露わにしている。
「危険だ。わざわざ危険に飛び込む必要はないはずだが?」
オレは首を振ってその意見を否定する・
「……戦闘音は聞こえてこないよ。先に行った人が怪我で動けなくなっているのかもしれない」
もしそうならば助けたい。リナも耳を立てて確認したのか頷いた。
「……そうだな。ここで見捨てるのも目覚めが悪い」
唯一信頼関係の壊れていないグラシオスも同意したことで、オレ達は血の臭いに向かって歩き始めた。
そして――
――
――――
「これは……」
定期的にワーウルフが現れる道を踏破して辿り着いた安全地帯。
足の痛みを堪え、肩で息をしながら辿り着いた小部屋には、至る所にべったりと血がこびり付いていた。
血だまりの中に倒れているのは五人の少年少女たち。
オレ達と同じ、ティエラ迷宮学園に通う一年生だろう。
リナが口元を押さえてその場に崩れ落ちた。
意識が遠のきかけたオレは、壁に手をついて体を支える。
……居心地の悪い沈黙の後、グラシオスが口を開いた。
「ここまで、誰ともすれ違わなかったな」
「そう……、だな……」
オレはガリガリと壁に爪を立てて、意識を現実に繋ぎとめた。
処理限界を迎えて回らない頭なりに、彼の言葉を理解しようと脳みそを酷使する。
彼は鋭い目つきで小部屋の奥を睨み付けていた。
「ここまではしばらく一本道。俺たちはここまで誰ともすれ違っていない。……それじゃあ、これをやった犯人はどこに消えたんだ?」
「……」
……『犯人』。その言葉が出て来たことでようやく彼の言いたい事を理解した。
毒の件については事故やモンスターの可能性がまだあった。
けれど、これは違う。
モンスターではなく人の犯行だ。
遺体には深い切り傷がいくつもあった。
安全地帯であるこの場所に罠は無い。
珍しくモンスターが入り込んだとしても、この階にいるモンスターではこんな傷はつけられない。
邪妖精の爪はここまで深くない。上位種の魔法でもここまで派手に切り刻む事は出来ない。
ワーウルフの爪や牙も同様だ。
オレはグラシオスの腰にある剣に視線を向けた。
傷口の形が一番近いのは、人の使う剣だ。
グラシオスは先の通路を見据えていた。
重々しい空気がその先から流れてきているように思えた。
「俺たちは戻れない。ならば、大量殺人犯が逃げたであろうあの先に進むしかないんだ」
グラシオスが指摘したことはオレたちの誰もが理解していた。
理解していたが、明確に言語化するのを拒んでいた。
誰かが漏らした嗚咽がむなしく響き、空気は重々しい灰色に染まってゆく……。
――
――――
「何か分かったか?」
「うん。いくつか」
オレ達の体力は限界であった。
せっかくの安全地帯である。休みはしっかりと取っておきたい。
出来れば現場を保存しておきたいところではあったが、血と遺体の中で休むわけにはいかない。
皆が部屋の血を片付けている間、遺体を調べていたオレはグラシオスの問いかけに首を横に振った。
「見た目通り、この切り傷が死因だね。毒だとか絞殺だとか奇をてらった事はされていないよ」
「そうか」
被害者はオレ達と同じティエラ迷宮学園の一年生で間違いない。
彼らの持ち物を漁って見つけた生徒手帳に張り付けられていた写し絵と遺体の顔は一致している。
……被害者の中にはオレが罠の解き方を教えた女の子もいた。
次に合うまでに名前を覚えようと思っていたが、こんな再開になるとは思っていなかった。
オレ達の中で最も社交的だったリナは全員と交友があったようで、泣き崩れていた。
オレはテントで一人になっているリナ以外のメンバーと情報を共有する。
「遺体の状態から見て、殺されてから二日以上経ってるみたい」
「……? そんな事が分かるのか?」
「うん。時間経過で遺体の硬さは変わるんだ」
分からないのは死体が二日以上たっても残っている事だ。
二日もあれば遺体は迷宮に取り込まってしまう。にもかかわらず残っているという事は、何者かが意図的に魔力で遺体を保護した可能性が高い。
何のためにこんな事をしたのか分からない。
「他にも気になる事が。五人のうち三人が剣すら抜いてすらいないんだ」
一方で、武器を抜いている二人の鎧や体には傷が多かった。
よって、被害者たちは犯人を警戒していなかったと考えられる。
見張りの警戒しない人物、あるいは見張りの目を欺ける技量を持った人物が安全地帯に侵入し、見張りを殺害。
その後、眠っている被害者を一人ずつ減らしていくが、途中の物音や悲鳴で残り二人が目を覚まして交戦に入った。
しかし、善戦空しく敗北した……。
「さて、これをやった犯人がどこに行ったのかという話だが……」
「グラシオスは迷宮の奥と言った。けれどもそれは確実? 殺されてから二日も経っている。上層に戻る事も可能なはず」
「いや、それは考えにくい。というより、考えるだけ無駄だ」
「……なぜ?」
アルマが首を傾げた。
オレも首を傾げた。犯人が迷宮を戻った可能性もゼロとは言い切れないだろう。
「ここまでの道のりや上の階には誰かがモンスターと戦った形跡が無かった。犯行を済ませてから半日以内に上の階に上るような超人か、モンスターの目を全て誤魔化すような超人でもないと犯行は不可能だ。犯人がそんな化け物だとは考えたくないな。狙われればまず助からん。天災にあったと諦めるしかない」
「なる程……」
「俺たちは敵が常識的な力量に収まっているのを祈って行動する。道中で誰ともすれ違わなかった以上、犯人は先に進んだと考えるのが自然だ」
認めたくは無いが、彼の言には一定の理があった。
「正体不明の敵がいる中でどう動くべきか……。俺は無視して先に進むべきだと思う。さっさと迷宮を突破して学園に報告するべきだな。俺たちで犯人に挑むのはリスクが高すぎる」
「オレは反対かな……。こういう違和感を放っておいたら碌な目に合わない気がするんだ」
それこそ、今回殺された五人のように。
それに、犯人が見つかればこのギスギスとした雰囲気も解決できるだろうという打算もあった。
アルマはどっちでも構わないと言いたげに欠伸を漏らしている。
しかし、意見が分かれてしまった。
「――犯人を見つけるべきよ」
そんな中、これまでここにいなかった人物の声が聞こえた。
不自然に無表情なリナがいつの間にか背後に立っていた。正直ちょっと怖い。
「……犯人を見つけるべきよ」
彼女は自分に言い聞かせるようにもう一度呟いた。
グラシオスはガリガリと髪を掻きながらアルマに視線を向けた。
「……だそうだが?」
「そう。犯人を見つけて納得できるのならば捜しましょう」
アルマもこちら側に回った。三人の視線がグラシオスに集った。
彼はゆっくりと周囲を見渡して、一つ息を吐いて呟いた。
「そうか。では、犯人捜しを始めるとしよう」