休戦
「――――なる程。大体の事は分かった。リナとプリムラのキスが見られなかったのだけは心残りだが」
「ち、違うし! あれはキスじゃないし! ただの友愛の証だし!」
「凄く柔らかかった」
「アンタは黙ってる!」
オレ達は四人で輪を作って座り、グラシオスにこれまでの経緯を事細かに話していた。
グラシオスは耳を塞いでリナの抗議を受け流し、オレに視線を向けた。
「それはそうと。だらしないぞ、プリムラ。仮にもリーダーだろう。言い負かされてばかりだな」
「ぅっ……」
オレは口ごもってしまった。
確かにオレは言い争いになる度に何も言えずにいた。
何故だろうか。昔ならばきちんと反論できたはずなのに。
「まぁいい。オレの意見としてはリナに賛成だ。アルマの仲間を疑う姿勢には賛成できない」
「なぜ?」
アルマは不思議そうに首を傾げた。
対してグラシオスは勿体ぶりながら指を三本立てた。
「理由は三つ。俺たち以外が毒を入れた可能性がすぐに三つほど思いつくからだ」
「そんなに?」
「ああ」
グラシオスは楽しげに口を歪めた。
「一つ目。誰かがアルマの結界を抜け、見張りを突破し、リナの鼻を誤魔化して、場合によってはプリムラの気配察知まで突破して毒を盛った」
「あり得ない。難しすぎる!」
グラシオスの荒唐無稽な予想にリナとアルマは難色を示した。
しかし、グラシオスはオレに視線を向けた。
「どうだ、プリムラ?」
「で、できない事もないけど……」
「プリムラちゃんっ⁉」
リナは驚いた顔でこちらを向いたが、オレは頬を掻いて苦笑するしかない。
「でもほとんどあり得ないかな……。そんな事を出来るのはトップクラスの探索者の中でも隠密に優れた一握りだけだよ……」
できない事は無いが、限りなく不可能に近い。
そんな事が出来る超人がただの学生に毒を盛るなど、どれだけ運命が狂えば起こりうるのだろうか。
「ならば二つ目。隠密に特化した未知のユニークモンスター」
「……っ!」
その可能性を示唆されてオレ達は息を飲んだ。
「この迷宮は再編されたばかりだ。隠密に特化したユニークモンスターが生まれていて教師も見つけられなかったとすれば説明もつく」
「……待って。いくら何でもそれは……」
「何がおかしい? ここは迷宮だ。どんなことが起こっても不思議はないだろう?」
「おかしくはないよ……。おかしくはないけど……。それは他の可能性を全て潰してから考えるべきことだと思う」
ユニークモンスターを引き合いに出してしまえば、何でもありになってしまう。
何故なら、奴らはどんな荒唐無稽な能力でも持っている可能性があるからだ。
「そうか。では三つ目。事前にここを訪れた奴らの置き土産」
「……?」
オレ達が困惑していると、グラシオスはオレに視線を向けた。
「プリムラ、オレ達よりも先行しているパーティがあるって言っていたな」
「……うん」
「ならば簡単。そいつらが毒の付着した物資をここに落としていった。故意か事故かは知らん。オレはその何かに触れた手で食器に触って毒を飲んでしまった」
「……何か怪しいものに触れた心当たりは?」
「ない」
「……」
「そんな顔をするな。毒を床に溢したのかもしれない。それとも、人が関わっていたと考えるのが気に食わないのか? 迷宮中で服に毒が付着し、夕食後にそれに触れてしまったと考えてもいい」
その可能性も低いと思う。どうにもしっくりとこない。
それに毒が付着した物が見つからないグラシオスが倒れた時の騒ぎで汚れてしまっていたとしたら証明も出来ない。
そこまで言ったところで、グラシオスはふと首をかしげた。
「そういえばリナは毒がどこに付着していたか臭いで分からないのか?」
「無理ね……。別の臭いに紛れて分からないわ。ごめんなさい……」
「別の臭い?」
そう前置きしてリナはオレに向き直った。
「プリムラちゃんに毒の臭いがこびり付いていて判断が付かないの」
「オレっ⁉」
全く心当たりがない。
しかし、リナはフルフルと首を横に振った。
「疑っている訳じゃないの。毒の罠を解体した時に臭いがこびり付いただけよ」
「そ、そう……」
オレは安堵のため息を吐いた。また疑われるのかと思った。
「その毒の臭いが部屋のあちこちに移っちゃってる。それに、皆に染みついた血の臭いで、鼻が鈍くなってるの。あんまり当てにならないわ……」
リナは鼻を押さえて首を振った。
狼の獣人であるリナでも場所が悪くて判断が付かない。
余りの進展の無さに唸っていると、グラシオスはこの話は終わりと言うように手を叩いた。
「これ以上のこの視点から議論しても進展はなさそうだ。話は代わるが、ここに入ってから朝までこの部屋は密室だったと言ったな。それは本当か、アルマ」
「ええ、そう」
「いや、そこから間違えている」
グラシオスは片目を閉じてアルマに向き合った。自分の張った結界を否定されたアルマは無表情ながら不機嫌そうなオーラを垂れ流していた。
「俺は深夜に便所に行くため結界を出た。それはその時見張りだったアルマも見ている」
「……そうね。戻ってくるのが遅くて心配した」
「腹の調子が悪かったからな」
グラシオスはこめかみを押さえながら呟いた。
そうなのか。少なくともオレは誰も出て行くのを見ていない。
それにしても、腹の調子がおかしい? その時には既に毒を口にしていたのだろうか? けれど、少量でも激しい中毒症状が起こる毒のはずだが……。それとも、ただの偶然?
グラシオスは腹を下して、戻るのが遅くなるとアルマに伝えて結界を出た。安否が心配になる程には時間がかかったという。
しかし、モンスターに遭遇したら場合は助けを求める取決めだったのでそのまま見張りを続けた。
結局、グラシオスは無傷で戻ってきたらしい。
他にも、リナとアルマも結界を出入りしたそうだ。しかし、見張りがいる時のみの出入りで、監視の目が途絶えたタイミングは無かった。
「私たち以外には出入りしていないのは確か。実質密室」
アルマはこめかみを押さえて呟いた。
お花摘みの事情なんて誰も話したくないよな。
「まぁ、完全な密室ではなかったという事だ。俺たちの出入りの時に毒持ちの小型モンスターが紛れ込んでいてもおかしくない訳だ」
グラシオスは指でトントンと地面を叩いた。
「いろいろ言ってはみたが、正直オレも確率は低いと言っている。だが、ただ一つ言えるのは、毒を盛った人はこの中にはいないという事だ」
「……? その根拠は?」
「ただでさえ俺たちが生きて迷宮から脱出できる可能性が低いんだ。そんな状態で毒を使って仲間を暗殺するか? あり得ない。仲間割れを起こして全滅するだけだ。犯人自身も死ぬ。大体、このメンバーで迷宮に潜ると決めたのは探索直前だろう。毒を用意する時間は無い」
……確かにそうだ。
地下三十階のモンスターが使う毒は学園に保管されている。しかし、現存する毒は厳重に管理されていて、盗み出す事は難しい。購入するにしても許可が下りるまでの精査に時間がかかる。
一週間もかけずに入手するのは不可能に近い。
「……自分だけ脱出するアテがあるというのは……。いや、ダメか」
自分だけ脱出経路を知っているという事はあり得ない。迷宮は再編を完了したばかりの上、つい最近まで教師が調査していた。
迷宮内に教師が居なかったのは、調査終了から演習開始までの約一日のみ。
その短期間の間に見張りの目をかいくぐって忍び込めたとしても、下調べをするにはとても時間が足りない。
「納得しづらいだろうが、気が付かないうちに毒に触れていたというのが一番現実的だろう。ユニークモンスターなんてモノがいたのなら、オレ達はとっくに皆殺しにされているだろうしな」
誰もグラシオスの意見に反論する事は出来なかった。
確かにこのタイミングでの『毒』は不自然に過ぎた。
内部犯がいるのであれば、犯人は自分の身を顧みていない。そもそも、このメンバーになったのは偶然であるし、毒を用意する時間もない。恨みからの犯行とは考えにくい。
外部犯がいるのであれば、犯人にはあまりに高度な隠密スキルが求められる。そんな事が出来る大物がただの学生を狙うとは考えにくい。
未知の力を持ったユニークモンスターがいるのであれば、オレ達が生きているのはおかしい。迷宮の生物は人を殺すためだけに存在しているのだから。
偶然に毒が混入してしまったと言われる方がしっくりくる。来てしまう。
それでも、オレはどうにも納得する事が出来なかった。何かが引っかかる。今回の迷宮探索は何かがおかしい。
頭がごちゃごちゃして訳が分からない。
無言で髪を掻きむしる。
グラシオスはおもむろに立ち上がって安全地帯の出口を指さした。
「とにかく、迷宮探索を続けよう。毒は偶然入ったにしろ、犯人がいるにしろ出口が分からなければ生き残れない」
彼の言葉にリナとアルマが頷いた。オレもおずおずと頷いた。
毒の混入経路の特定も大切ではあるが、迷宮を進むことも大切なのだから。