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軋轢の毒

「よく眠れたか?」

「……そこそこ」

「……」


 迷宮探索開始から七日目。

 オレ達は前日からのギスギスとした空気を未だに引きずってしまっていた。

 リナは不機嫌そうに昨夜の残りの鍋を温め直しており、アルマは切り分けた肉を無言で鍋の中に入れていた。

 オレとグラシオスは並んで鍋の前に座る。


「……」


 ひとまず全員分の食器を手前に置いた。

 それ以降は誰も口を開こうとはしない。

 打ち合わせをしないといけないとは思うが、空気が重くて口を開くのが億劫だ。


「……煮えたぞ。喰うか」

「そうね。そうしましょうか」


 鼻をぴくぴくと動かしていたリナが、グラシオスの呟きに同意した。

 オレ達は適当に食器を手に取り鍋から肉を掬って自分の皿に盛りつける。

 それぞれの祈りを捧げてスープに口を付けた。


「……味が薄くないか?」

「うーん。ちょっとだけ……。水を足しすぎちゃった?」

「本当ね」

「……私はこれくらいで構わない」


 アルマ以外は物足りないようだった。オレ達はアルマに許可を取って、調味料を少し加えた。

 オレが鍋を混ぜている間、口元が寂しいのかグラシオスは水筒を取り出してチビチビと水を飲んでいる。

 リナはまだ眠そうに欠伸をしている。アルマは調味料を加える前に分けておいたスープに口を付けていた。


「……よし。出来た」


 スープを少し飲んで味が整った事を確認し、リナとグラシオスの皿に注いだ。

 二人は軽く礼を言って再び食事を続ける。特にグラシオスは急いでかき込んだのか、咳き込み始めた。


「……けほっ、けほっ」

「あんまり急いで食べるなよ……」


 オレ達が呆れた視線を向けている前で、グラシオスは何度も咳を繰り返した。

 そのうち、彼は皿と水筒を地面に落としてしまった。苦しそうに蹲ったグラシオスは延々と咳をし続ける。


「お、おい……。グラシオス……?」


 じわじわとスープが床に広がっていく。グラシオスは青い顔で咳をし続けた。

 そして、彼は胃の中の物をぶちまけた。


「ちょっとそれ……」

「グラシオスっ!」


 オレはようやく異常事態に気が付いて彼の状態を確認する。

 顔色が悪い。目を観察すると瞳孔が異常に開いている。口を開かせると、目に見える速度で粘膜が変色していく。

 さらには、吐しゃ物の中に赤黒い血が混じってきた。


「これ……っ、毒っ⁉ なんでっ⁉」

「プリムラ! 早く治療っ!」

「う、うん……っ!」


 毒の種類にアタリを付けて魔法を詠唱する。

 学園の迷宮三十層に現れるユニークモンスターの毒がこのような症状を引き起こしたはずだ。

 知っている毒だ。

 詠唱を何重にも重ねなければ治せない強力な毒だ。


「――――――――――。間に合ってくれ……っ! 『キュア』……っ!」


 オレは医学の神、自然の神、魔術の神に祈りを捧げて両手をグラシオスの胸に当てた。

 両手に魔力が集まり、色白い輝きがグラシオスに吸い込まれていく。

 それに合わせて少しずつ彼の顔色が良くなっていく。


「あとは……、水、水……」

「水が必要なのねっ⁉」


 オレの呟きに対してリナが自分の水筒を差し出した。しかし、オレは首を横に振った。

 毒をどこで盛られたか分からない以上、手持ちの水は使えない。

 それではどうするべきか――


「そうだっ! スープ!」


 オレ達は同じ鍋をつついていた。

 鍋を食べて倒れたのはグラシオスのみ。

 ならば、毒はグラシオスの食器か水筒の中に混入していた可能性が高い。

 スープに毒は入っていない。


 オレは自分の食器を使って、スープをグラシオスの胃の中に流し込んだ。胃の中の毒を希釈した後、呼吸をしやすいように体を横にさせる。


 それから彼の症状が安定するまで軽い回復魔法を使い続けた。

 何度も何度も繰り返すうちに荒かったグラシオスの呼吸が落ち着いてくる。


 命に別状が無くなったのを確認してオレは尻もちをついた。

 冷や汗を拭って呼吸を整える。


「……どう?」


 見上げるとアルマが首を傾げて問いかけた。リナも不安そうに尻尾と耳を閉じている。

 オレは引きつった笑みを浮かべて頷いた。


「大丈夫……。ひとまず一命は取り留めたよ」

「そう……。良かった……」


 リナはほっと息を吐いて安堵した様子を見せた。アルマも無言で頷いている。


「……吐しゃ物を片付けよう。他の物には触れないでくれ」


 オレ達は黙々と掃除をし始めた。

 グラシオスの使っていた食器と水筒は吐しゃ物の中に沈んでいる。

 これではどこに毒が盛られていたのか分からない。


 気まずい雰囲気の中、オレ達は手を動かし続けていた。




 ――

 ――――


「それで、さっきのは……?」


 いまいち状況を掴めていない様子のリナは不安そうに呟いた。アルマもじっとりとこちらを見つめている。

 オレはため息をついて口を開いた。


「グラシオスの食事に毒が盛られてた」

「はぁっ⁉」

「うるさい。グラシオスが起きる」


 リナは諫めるアルマを睨み付けた。しかし、突っかかる事はせずに口を食いしばってオレに視線を戻した。


「毒は食器か水筒の中に盛られてたんだろう。鍋の中はあり得ない。オレ達全員が中身を食べていたんだからね」


 実際にどこに毒が入れられていたのかは推測するしかない。グラシオスが食器と水筒を吐しゃ物の中に落としてしまったからだ。

 今は食器にも水筒にも毒が付着してしまっている。


「問題は、この毒が即効性の毒って事だ。さっきの毒は口にしてから症状が現れるまで時間差がほぼないんだ」

「……なる程。そう言う事」


 アルマは事の重要さを理解したのか、珍しく表情が歪んでいる。リナは状況が飲み込めないのか疑問符を浮かべて首を傾けた。


「毒は即効性だから、昨日の夕食以降に混入したんだと思う。昨日は誰も倒れなかったからね」


 遅効性の毒ならばいつでも、誰にでも混入させることが可能性である。しかし、即効性の毒ではそうはいかない。

 特に水筒に毒を盛ったのなら犯行時間はさらに狭まる。深夜にグラシオスは水筒に口を付けていたのだから。


「……昨晩、安全地帯に辿り着いてすぐに私が結界を張った。その後は誰も安全地帯に出入りしていない」


 アルマの言う通り。この部屋は入った時から今に至るまで密室だった。

 毒を盛ったと思われる時間にこの部屋に居たのはオレ達だけ。

 つまり、毒を盛った犯人はオレ達の中にいるという事になる。


「そんな……っ! そんな卑怯な事……っ!」

「……」


 リナは人に毒を盛るという行為自体が信じられないようで、髪を神経質そうに掻きむしっている。

 アルマも唇を噛んで頭を押さえながら、じっとりとした視線をリナに向けた。

 オレはひとまず口を開いた。


「どうやって毒が混ざったのかを考えよう。まず、毒がどこに付着していたかだ」

「……でも、この様子じゃ確かめようもないわ」


 オレの言葉にリナは首を傾げた。

 毒が混入した候補である食器と水筒は汚れて手掛かりにはならない。

 しかし、その他の状況から考えられる事はある。


「たぶん、毒は食器に塗られていたんだ。何故なら、オレはグラシオスが水を飲んでいるのを昨夜見ているから。それに昨日はオレ達のテントに誰も近づいていないよ。だから、水筒に毒を入れるタイミングは無かったはずだ」


 夢魔の特性でオレは就寝中でも気配に敏感だ。生半可な隠密では誤魔化せない。

 しかし、リナは不満そうに牙を剥いた。


「でもプリムラちゃんが犯人ならどう? いつでも毒を入れられるわよ?」

「……そこは信じてもらうしかないけど」


 オレ自身は自分が犯人だと知っているが、犯人でないと証明する手段は無い。

 オレも疑われる対象だと失念していた。

 リナはばつが悪そうに頭を掻いた。


「……ごめんなさい。仲間を疑うのは探索者として失格だわ。忘れて頂戴」

「いや、疑われてもおかしくない状態だし……。別にいいよ……」


 本音としては疑われたくはないのだが。

 困って髪を弄っていると、黙っていたアルマが呟いた。


「……プリムラが水筒に毒を盛る事は無いと思う」

「何でよ」


 オレにとってはありがたいアルマの発言だったが、リナにとっては気に障る発言だったようだ。耳と尻尾を逆立てて唸っている。

 仲間を信じるんじゃなかったのか。それともアルマに否定されるのが気に食わないだけなのだろうか。


「毒の種類を特定したのはプリムラ。即効性の毒なんて言ったら、グラシオスと一緒のテントにいたプリムラが真っ先に疑われる。もしも私が犯人の立場なら、遅効性の毒だと発言する。いつ毒が盛られたのか分からなくすれば、犯人だと絞り込まれにくくなる」

「むう……」


 リナが反論できずに押し黙った。オレは自分から疑いの目が逸れてほっと息を付いた。

 アルマは指を一本上げて話をまとめる。


「プリムラが犯人ではないと仮定する。すると、毒を盛るタイミングが無かったという事になる」


 オレが犯人ではないなら、証言通りに毒は即効性だと確定する。そして、オレとグラシオスのテントに近づいた人間はいないという証言も信用に値する。つまり、即効性の毒を水筒に入れるタイミングが無くなってしまう。

 アルマは指をさらに追加して続きを語った。


「プリムラが犯人だと仮定する。彼女が犯人なら、即効性の毒なんてまず言わない。つまり、プリムラが犯人だという仮定が間違っている」


 即効性の毒だと混入した時間が特定されやすくなる。時間が特定されるという事は、犯人の目星がつけやすくなるという事だ。犯人がわざわざそんなリスクを負う事は無い。


「以上の事から、水筒に毒は混入されていなかった可能性が高い」

「……なる程?」


 リナは頭に疑問符を浮かべながらひとまず頷いた。本当に分かっているのか心配だ。

 しかし、アルマは困ったようにため息を吐いた。


「でも、これ以上は絞れない」

「確かに。食器に毒を塗るなら、誰にでもできるもんね……」


 食器は乾かすために部屋の隅に纏めてあった。個人のバックパックの中には戻していない。

 つまり、見張り番の間なら誰でも毒を盛る事が出来た訳だ。


 険悪な沈黙が辺りを包む。

 オレ達全員の目に疑いの色が浮かび上がっている。いや、リナだけは別か。仲間の中に毒を仕込んだ犯人はいないと思い込もうとしている。

 誰も彼もが自分以外を信用していない。全員にアリバイが無いせいで誰もが怪しく見えてくる。

 連携が出来ずに不満をため込んでいた所にこれだ。

 そんな中、誰もが思っていて、それでいて誰もが口に出さないようにしていた事をアルマが口にした。


「私はこれから誰も信じない。連携は取るけど、妖しいと思ったら勝手に動く」

「ちょっと待てよ。いくら何でもそれは……」


 オレは彼女の意見を否定しようとした。しかし、強い言葉は出てこない。

 なぜなら、心の底では彼女の意見に賛成している自分がいる事に気が付いたからだ。


 しかし、それを許さない人物がいた。


 ぱんっという破裂音が響いた。

 立ち上がったリナがアルマの頬を叩き、牙を剥きだしにして唸っている。


「ふっざけんじゃないわ……! 迷宮で一番大事なのは信頼でしょうっ⁉ 仲間を信じないで何が迷宮探索者よっ!」

「……馬鹿? この安全地帯は私の結界で覆われていた。全員で見張りもした。それに君も獣人なら臭いで分かるでしょう? 外から誰もこの部屋には入ってきていない。ならば犯人は私たちの中にいる。そんな事も分からないの? 自分の身は自分で守るしかないの」

「それでも……っ! それでも仲間を信じるのが迷宮探索差でしょうっ⁉ なんでそんな事も分からないのっ⁉」

「くすっ、ふふっ……。ねぇ、リナ。本当に私を信じられるの? 君、私の事嫌いでしょう? ねぇ、プリムラからも何か言ってあげて?」


 一緒に行動をして初めてアルマが笑みを浮かべた気がした。

 けれども、その笑みは嘲笑に濡れたもので、決して友好的なものではなかった。

 その事が、ひどく悔しい。


「……オレは、リナに賛成だ。身内で疑い合うなんて間違っている」

「ふふっ、あははっ! あははははっ! ひぃ、ぃひっ……っ! おかしくてお腹捻じれそう……っ!」


 オレの絞り出した答えに、アルマはお腹を押さえて地面に座り込んだ。

 その今までのアルマの態度とはかけ離れた様子にオレは黙り込むしかなかった。


「……何が可笑しいのよ」

「だってっ、だって……っ、だって……っ! ぃひひ……っ! こほっ、こほっ! プ、プリムラは……、ぃひっ、ひぃっ、プリムラは……、ごほっ、ごほ……っ!」


 皮鎧から覗く白いお腹を押さえながらオレ達を見上げるアルマの目には、笑いすぎて溢れた涙が浮かんでいた。

 何やら喋ろうとしているがその度に咳き込んで何も言えないでいた。

 アルマはお腹を押さえて地面を転がった。

 リナは無表情でアルマの前に立った。


「ぃひっ、ひひっ……」

「……わたしはアンタが嫌いよ」

「くっ、くひっ、それはそうでしょう……。私も君が嫌い。大っ嫌いっ!」


 リナは自分の目を見ようとしないアルマの胸倉を掴んで彼女と視線を合わせた。

 アルマも憎々し気な目でリナを睨み付けた。


「はぁっ、はぁ……。な、何あの戦い方。獣人なんだから、殴った方が早いでしょう? 魔術も無駄が多すぎ。わざわざ非効率な戦い方をする意味が分からない」

「アンタこそ。せっかくたくさん魔力を持っているのに剣を振るうなんてわたしへの当てつけ? 全然筋肉ないのよアンタ! 魔術なんて便利なモノを捨てるなんて理解できないっ!」

「はっ、魔術なんか使わなくても敵は殺せる。複雑な魔術を長々と練るよりも、鉄塊でも振り回していた方が効率的。何でわざわざ非効率な魔術を使わないといけない?」

「楽をしたいがために自分の強みを捨てるなんてほんと馬鹿ねアンタ。それに魔術はカッコいいモノなのっ! 人がとてもかなわない化け物を殺せる可能性を持っているっ! いずれ行き詰る剣よりも未来があるわ! 浪漫溢れるモノなの!」

「……」

「……」


 二人は唐突に黙るとお互いに睨み合った。

 けれども、リナはため息を吐くとアルマの口元を舐めた。アルマは驚いたように目を見開いた。


「わたしはアンタが嫌いよ。でも信頼してあげる。だってアンタは探索者なんだもの。それだけで信用できるわ」

「……ほんと馬鹿」


 アルマはよろよろと後ずさると、疲れたように肩を竦めた。


「……それでも、わたしは全員を疑い続けるわ」

「あぁ、もう、どうしてこう強情なのっ⁉」

「プリムラ。わたしが倒れたらリナが犯人。口移しで毒を盛られたと考えていい」

「何でそうなるのよーっ⁉」


 リナが涙目でアルマに掴みかかった。けれどもアルマは涼しい顔で彼女の文句を受け流していた。


「――――うるさい。目が覚めただろう。げほっ、げほっ」


 そんな折、背後から四人目の声が聞こえた。


「――グラシオスっ!」


 オレは起き上がろうとする彼に駆け寄って背中を支えた。

 彼はまだ本調子ではなさそうだが、心拍は安定している。

 グラシオスは残念そうに顔を歪ませた。


「おい。こういう時に駆け寄ってくる女は泣いて縋りつくもんだろう。何で笑ってんだ」

「うんっ、それだけ軽口叩けるなら大丈夫だねっ!」

「うごっ⁉」


 顔を顰めていたグラシオスから手を離すと、支えを失ったグラシオスが頭を打って悶え始めた。


「目が覚めたのね。グラシオス」

「僥倖。僥倖」


 言い争っていた二人も戻ってきた。

 頭をさすりながら起き上がったグラシオスは片目を閉じて囁いた。


「――さて、俺が寝ている間に何が起こったのか、一切合切話してもらうぞ」


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