群れる魔物
「うわぁ……。これは厳しいな……」
オレは先の光景を見て顔を顰めた。アルマも似たような表情だ。
しかし、それとは対照的にグラシオスとリナは目を輝かせて楽しそうにしていた。
地下四階。
迷宮に侵入してから三日が経った。
罠が張られ始めたことで探索速度が極端に落ちている。
先に入った生徒たちが罠を解体してはいたのだろうが、迷宮の罠は半日ほどで修復されてしまう。
オレ達も一から罠に挑まなくてはならない。
そんな中で辿り着いたのは一つの大部屋だった。
部屋の中では三十匹くらいのゴブリンたちがしゃがれた声を上げながら蠢いていた。
殆どのゴブリンは武器を持っていないが、杖を持った個体が一体混じっている。
上位種だ。
「プリムラ、何とか迂回できそうな道は無い?」
「今できている地図を見る限りは無いかな……。しばらく戻った所に分かれ道はあるけど、そっちが奥に続いているかは分からないし」
「つまり、この部屋を突破するしかない訳か」
大部屋を突破しないと先に進めない可能性が高い以上、先に進むための方法を考えなければならない。
しかし、無策に突っ込むのも厳しい。
勝てない事は無いだろうが……。かなり厳しい戦いになると思う。
「リナ、魔法でまとめて薙ぎ払える?」
「……。出来ない事は無い……、と思う。でもその後は戦えないわ。魔力が回復するまで半日は掛かるし……」
「魔術で吹き飛ばしたら、今日は先に進めないか……」
安全地帯まで戻ってリナの魔力が回復するまで待っていると、倒したモンスターが再出現してしまう。
大魔法で削れれば楽だと思ったが、これでは現実的じゃない。
「でも……。あ、いや、何でもない……」
リナは何かを言いかけて、首を横に振った。
「何か思いついたのなら、提案してくれると助かるんだけど」
「……アルマと協力すれば余裕を持って倒せると思うわ」
リナはぺたんと耳を閉じて歯を噛み締めていた。
剣士のアルマに頼るのを情けなく思ったのかもしれない。
しかし、視線を向けられたアルマは静かに首を横に振った。
「やりたくない。大魔法を使って消耗したら、前に出るのに支障が出る」
アルマは近接戦を得意とする戦士であるが、魔法での補佐を前提とした戦い方をする。
あまり魔力を消耗はしたくないのだろう。
アルマとリナが大魔法で一気に削るという案は無しになった。
「そうだ。プリムラの淫気で何体かずつ群れから引き離せないか? 淫気はあまり魔力を使わないんだろ?」
「でも、迷宮のモンスターは人に発情しないよ?」
「例え発情しなくても、異常があるのを確かめようとするだろう」
珍しくグラシオスがまともな事を言った。
三人の期待するような視線が一斉に集まった。
しかし、オレは弱々しく首を横に振ってしまう。
「制御が出来なくて、どばっと溢れ出ちゃうと思う」
「私が風で制御するのは?」
「……できなくはないかも」
淫気の制御に自信が無かったが、あれこれ話し合って、これが一番消耗しない方法だと結論が出た。
オレは最後まで渋ったが、グラシオスたちの後押しを受けて実際にやってみる事になった。
「……失敗したら頼むよ、アルマ」
「了解」
オレは敵に見つからないように注意しながら大部屋の中を確認し、手近にいる敵を探した。
そして、一番手前にいる三体のゴブリンに目を向けた。
大きく深呼吸をして呼吸をきちんと整える。
「……行きます」
普段は抑えている力を少しずつ開放していく。一気に溢れ出さないように、慎重に、慎重に……。
淫気は夢魔が食事をするために存在するものだ。
異性との性的な接触を通して命を吸い取る夢魔は、淫気で強制的に異性を発情させる。
オレの周囲に淫気が満ち、熟れた果物のような甘い香りが漂った。
なぜか淫気を受けないグラシオスと、淫気の影響を受けない同性しか周囲にはいない。他にはモンスターだけだ。
「……うっ」
オレは額に汗を浮かべてうめき声を上げた。
少しずつ淫気を出しているつもりではいるが、壊れた蛇口から溢れる水のように漏れ出した。
周囲に漂う催淫効果のある匂いが一気に濃くなったような気がした。
このままでは大量のモンスターに気付かれてしまう。
「『ゲール』」
オレが苦しい顔をしている所に、アルマが小声で風の魔術を行使した。
小さな風を起こして余分な淫気が大部屋に流れ込むのを防いだ。
けれどもその代償に、濃い淫気がオレ達の元に流れ込んでいた。鼻がいいリナは、甘ったるい匂いを大量に浴びて顔を顰めた。
さて、アルマの協力を受けて少しだけ淫気を大部屋に入れる事に成功した。
すぐ近くにいるゴブリンはおもむろに動きを止めて周囲を警戒し出した。そして、原因を調べようとしたのか、のこのことオレ達が潜んでいる通路に向かって歩いてくる。
角を曲がってきた所を切ろうとアルマが剣を構えて……。
――何か、ぞくりとした感覚を背中に感じた。
長年探索者をやっていると自然に身に付く”勘”とでもいうものだろうか。
根拠は何もないが……。とにかく、何か悪い事が起こるような、そんな予感がしたのだ。
「……っ⁉ 避けて!」
オレはアルマの首根っこを掴んで手元に引き寄せた。
次の瞬間、曲がり角の付近で爆発が起こった。
間一髪、アルマは爆発の直撃を避ける事が出来た。けれども、顔や腕に火傷の跡が残った。
衝撃でオレの淫気を抑え込んでいたアルマの魔法が解けた。
オレもすぐには自分の淫気を押さえる事が出来なかった。
結果、ゴブリンが密集している大部屋の中に大量の淫気が流れ込んでしまう。
確実に全てのゴブリンに気付かれた。
「逃げよう! 纏めて来られたら厳しい!」
「言われなくても!」
オレ達は踵を返して迷宮内を走り始めた。
背後から、ぎぃぎぃと声を上げてゴブリンが湧きだしてくる。あんなのと正面からやり合いたくはない。
「安全地帯へ!」
オレ達は罠を解除してある道を逆走し、迷宮内にあるモンスターが出現しないポイントに向かう。
安全地帯はモンスターが生まれないだけではなく、モンスター中々寄り付かない場所でもある。
そこまで逃げ切れば安全だろう。オレ達は偶然遭遇するモンスターには目もくれずに安全地帯を目指した。
走りながら、額から血を垂らしているアルマが苦々しそうに呟いた。
「さっきのは……」
「群れに混ざってた上位種の攻撃だと思う! 見つかったみたい!」
こっそりと大部屋の中を見ていたとはいえ、こちらから向こうが見える以上、向こうからも見えたという事だろう。
本職の斥候もいないしこんな時もある。
オレ達は半日程度かけて進んだ道を引き返した。
キツイが、やろうと思えば休まずに走り続けられる距離だ。罠が無いと分かっているだけで、こんなにも動きが速い。
戦闘を回避できない敵のみを切り伏せて、今朝に出発した安全地帯に転がり込んだ。
結構離れたが、まだ追ってきているのだろうか? 安全地帯はモンスターが出現しないだけで、外からモンスターが入ってくる事はある。
……息を殺しながら周囲を警戒すると、どたどたと通路を進むゴブリンの足音が聞こえた。
足音が複数の方向から聞こえる事を考えると、どうやら手分けをしてオレ達を探しているようだった。
様子をうかがっていると、ゴブリンの足音が近づいてきた。
周囲には他の足音は無い。どうやら一匹だけのようだ。
オレ達は息を飲んで身構えた。
そして、ゴブリンが安全地帯の中に入ろうとしてくる。
壁に張り付いているオレ達の姿は、中に入るまで見つけられないはずだ。
ゴブリンが部屋の中に入った瞬間に倒せるように息を整えた。
そして、ゴブリンが安全地帯に入り込んだ瞬間、一番近くにいたオレは、そいつの口を手で塞いで壁際まで引きずり込んだ。
「――っ! ――――っ!」
ゴブリンは目を丸くして暴れようとしている。
がりっと音を立てて、口を押えていた手に噛みつかれた。
肉が抉れ、血が地面に滴った。
けれども、武器を持っていないような下位のゴブリンが本気で暴れても、その程度だ。
オレは鈍痛のする手に力を込めて抑え込んで、短剣で喉元を引き裂いた。
ごぽりと血が溢れて、ゴブリンの体から力が抜けていく。
完全に抵抗が無くなってから腕の力を抜くと、力の抜けたゴブリンの体がどちゃりと地面に落ちた。
オレの着ている治癒魔術の白いローブが真っ赤に染まっていた。
「『ゲール』」
「『アイスグランド』」
アルマが風で血の臭いを部屋から漏らさないようにし、リナが通路まで血が溢れないように凍らせた。
他のゴブリンが近づいてこないのを確認し、オレは水筒の水で傷口を洗ってから魔術で治した。次に、アルマの火傷も治療した。
そして、オレ達はようやく肩の力を抜く事が出来た。
「……このゴブリンは運がいい。死に際にプリムラの胸の感触を楽しめたのだから」
「そんな余裕なかったと思うけどね……」
グラシオスの軽口に返事をして息を吐いた。
皆疲れているのか、あまり口を開かない。
「……これからどうする?」
しばらく誰も言葉を口にしなかったが、グラシオスが息を潜めて呟いた。
オレはしばらく考え込んで、これからの行動を決める。
「……先に進もうと思う。今ならあの大部屋の先に進めるはずだ」
「それもそうね……」
「ああ、俺も賛成だ」
「明日またこの群れに追いかけられるよりはマシ」
満場一致で先に進むことが決まった。
ゴブリンたちがオレ達を諦めるまでここで待っていても意味は無いだろう。また大部屋を封鎖されるだけだ。
しかし、今なら大部屋にはゴブリンがいない。
道中、オレ達を探しているゴブリンに遭遇しても、纏まった数で行動していない今ならば、ほとんど消耗せずに勝てる。
オレ達はそれぞれの武器を手に、再び迷宮を攻略し始めた。