前編
人間関係において相性が一番大事だと、この頃よく思う。
身分違いという言葉をよく聞くけど、その意味は、家の格や血筋や地位やら色んな意味合いがある。だが、私は一番重要なのはお互いの『価値観』だと思う。
価値観は身分違いとは違うと思われるかも知れないが、生まれや育ちが違うと、考え方も違ってきて、自然に価値観も違ってくるので、価値観も身分違いの意味合いの中に是非とも入れてほしいと私は思う。
価値観が違うと他が釣り合っていても、全てがずれてきて、全てが違ってきて、そんな人と会話することほど辛いものはない。
結局何が言いたいのかと言えば、そんな居心地の悪さを感じながら、私は今日も婚約者殿と会わなければならない……ということなのだ。
* * *
「ごきげんよう、アリシア様」
「ごきげんよう、ユーリック殿」
ユーリック殿は私の婚約者である。
私はこの国の第三王女、ユーリック殿はレングラッド公爵家の長男。
歳は私が十六歳、ユーリック殿が十四歳。
絵に書いたような、釣り合いの取れた組合せである。
だが、私とユーリック殿には様々な問題がある。
まず一つ目は、ユーリック殿が美し過ぎるということ。
「アリシア様、僕は最近、剣の練習をし始めました。アリシア様を守れるように頑張ります」
目を輝かせながら、私を守ると豪語するユーリック殿だが、どちらかと言えばユーリック殿の方が守られる側に相応しい容姿をしている。
キラキラと煌めく金色の髪に宝石のような青い瞳。肌は白くまるでミルクのようだ。睫は人形のように長く、唇はチェリーのように赤くみずみずしい。
よく母上や姉上がユーリック殿を見て「食べちゃいたいわ~」とキャッキャッ言っている。
この肉食女供め!と心の中で舌打ちすること数十回。
だが、それほどにユーリック殿は美しい。
神の寵児と謳われるほどの美貌をしているユーリック殿に、私は会う度に、会う度に……この子とは合わねぇ、と思ってしまうのだ。
自分(女)より天使な婚約者(男)を持つということは問題の一つとしてカウントしてもいいと思う。
二つ目は、育ち方が違うということ。
私は小さい頃病弱だった。
どこがどう悪い、ということはなく、よく熱を出したりすぐ風邪を引いたり食が細かったりと、虚弱体質な子供だったのだ。
そして、とうとう宮廷医師から「アリシア王女殿下が大人になるのは難しく……」と、遠回しに「この子、早死にする可能性大ですね」と宣告されてしまったのだ。
死の宣告を受けた両親はそれはそれは悲しんだそうだ。
そして、一計を案じる、というか賭けに出た。
『この子を王宮から出し、自然の豊かな地で暮らさせよう』と。
そんな無謀な案の犠牲になった五歳の私は乳母や数人の侍女と一緒に王都から遠く離れた離宮に移った。
そこは馬車で二週間ほど掛かる、ヨーシェンという地だった。
ヨーシェンは自然が豊かな地だった。
王宮の堅苦しさもなく、私はのびのびとそこで過ごすうちに最初は宮の中を、次に庭を、最終的に野山を駆け回るようになった。
丈夫に育ってほしいと願った王女が肌を焼くほど駆け回る姿を誰が咎めることが出来ただろう。
地元の少年たちと一緒に狩りをし、獲物を仕留め、捌き、焼き、食す。
普通なら叱られるところだが、弓矢の腕が上がる度に、獲物を持って帰る度に、乳母や侍女たちは「こんなに丈夫になられて」と涙を流しながら喜んだ。
(護衛騎士たちは微妙な顔をしていたが)
おかげで私は、王女と名乗るのが恥ずかしいほどのお転婆娘になってしまったのだ。
だが、私はそれでもいいと思っていた。
このまま、この地で暮らし、死ぬ。
遠い王宮のことなど忘れ、ヨーシェンの土になると疑うことなく過ごしていた私だったが、現実はそんなに甘くなかった。
二年前に健康になったからと王宮に呼び戻されて、王宮に馴染めないままユーリック殿との婚約を一年前に父親である国王から言い渡された。
王女を辞めたいとまで考えていた私に公爵家の跡取り息子との縁談を持ってくるとは、あの父親は鬼畜である。が、娘を政治の駒に使うくらいの度量がなければ国王など務まらないだろう。
そう割り切らなければと思うが、それでも腹が立つので、腹の中では「あの狸親父めっ!」と何度も罵ってやった。
父上は昔はスマートな美男子だったらしいが、今は叩けば響くほどの立派な腹をしている狸に成り下がっている。
「ストレスだよ」なんて、ふざけたことを抜かす軟弱者は蹴りのひとつでもお見舞いしてやりたくなる。
話が脱線してしまったので、元に戻そう。
他にも私とユーリック殿の間には問題があり、例えば……そう!この目の前のチーズケーキ!
私とユーリック殿に用意されたチーズケーキだが、その大きさはホールの十分の一。
私なら一口で食べれるくらいの大きさを、ユーリック殿はさらにフォークとナイフを使って小さく小さく切って、ゆっくりゆっくり口に運ぶのだ。
初めてその光景を見たときは、「天使が薔薇の滴を舐めているのか?!」と、ガン見してしまったほどだ。
大体、この小さなケーキにフォークとナイフがいるのか?!
ザクッとフォークを突き刺して、そのまま口に放り込めばいいじゃないか?!
何なら、手で食べてもいいじゃないか?!
あまりのショックに私はぐるぐると目が回った。
父上や兄上達はそんな食べ方はしていなかった。
これぐらいの大きさなら、サクッと半分に割って食べていたように思う。
つまり、ユーリック殿の食べ方は、その……女性的な食べ方で、あの肉食女たちの食べ方と同じなのだ。
(ユーリック殿の方が天使度が高いが)
それは、この一年間全く変わっていない。
可愛いと言えばそれまでだが、狩りをして、獲物の丸焼きを友人たちと食べていた私にとっては、十四歳の男のその食べ方ははっきり言って、蕁麻疹ものだ。
イーってなる。イーって。
最初の頃は、「男ならもっと豪快に食べなさいよ!」って、喉まで出かかった言葉を何度も飲み込むのに苦労した。
でも、一年経って、この食べ方にも慣れた。
ユーリック殿は男じゃない。
天使なのだ。地上に舞い降りた天使。
そう思うと心が清々しくなるというものだ。
今も小さく口を開けてちょこちょこケーキを食べて、「いつ食べても王宮のチーズケーキは美味しいです」と天使は喜びながら食べている。
本当に剣の練習をしているのか疑ってしまうほどに、その笑顔が眩しすぎる。
結論から言えば、ユーリック殿は大変素晴らしい人物である。
普通の女性ならその美貌の虜になるだろう。
だが、私は無理だ。
どう逆立ちしても無理だ。
よって、私はユーリック殿との婚約破棄について真剣に考えて始めている。
* * *
「という訳で、スリーファはどう思う?」
スリーファは私の乳母だ。
私が産まれてからずっと一緒にいる。
私のヨーシェン時代の黒歴史(私はそう思っていないが、世間ではそう思われているらしい)の全てを見てきた女性だ。
「どう思うも何も、アリシア様とユーリック様の婚約は国王陛下がお決めになったこと。それを相性が悪いといって無しにすることなど出来ません」
スリーファはピシャリと私を付き放した。
だが、その意見はもっともだ。
「分かっている。分かっているが、何かよい案がないか考えてほしい」
無理を承知で尋ねているのだと説明する。
すると、スリーファは少し考えてからこう言った。
「無くもないですが、この場合、どちらも無傷という訳にはいきません」
「無論そのつもりだ。というか、私が全面的に悪になるつもりでいる」
私の個人的感情で婚約破棄するのだ。
非難は受けるべきだろう。
「潔いと申しますか……なぜ、その潔さを結婚という方向に向けて下さらないのでしょう」
「それは無理だ。合わない人間と結婚して一生一緒に暮らすなんて絶対に無理だ」
「何をもって無理と言い切れるのでしょうか。やってもいないことを無理だ無理だと駄々を捏て。少し我が儘が過ぎます」
方法があると持ち上げておいて、結局教える気がないのか、私が我が儘だと結論付けるスリーファに私は少しムッとする。
「私が我が儘なのはスリーファも責任があるのではないか。ヨーシェンでは私が何をしても怒らなかったし、元気になったと泣いて喜んでいたではないか」
私が我が儘なのは私だけの責任ではないと抗議してみる。
「それは…否定できません。せめて、宮から飛び出した時点でアリシア様の奔放ぶりを止めるべきでした。そして、王女としての教育に力を入れるべきでした」
抗議は失敗した。
よ、よ、よ、と身を崩すスリーファに申し訳なくなる。
病弱な王女に付き添い、九年間も離宮で私の世話をしてくれたのだ。私が思っているよりも、ユーリック殿との婚約を喜んでいるのかもしれない。
「悪かった。今の話は忘れてほしい」
ハンカチで涙を拭うスリーファに謝り、私は部屋を出た。
ああいう場面に私は弱いのだ。
ばつが悪くて、私は母上の元に向かった。
母上なら良い知恵を授けてくれるかもしれない。
スリーファの気持ちを考えると大人しく結婚した方が良いのだろうが、私もそう簡単に割りきれない。
* * *
「という訳で、どうすればよいと思いますか?」
「どうって……私の方がアリシアに訊きたいわ。ユーリック殿の何が気に入らないの?」
質問に質問で返されても困る。
我が母ながら、意地悪な方だ。
「それは、先程申し上げました。母上は私の話を聞いていましたか?」
「もちろん、聞いていたわよ。でも、性格が合わないからって結婚できないっていう理由がまかり通ったら国が滅びるわよ」
私の結婚と国の存亡を同レベルで語らないでほしい。
ものすごく壮大な問題のようではないか。
「それは、大袈裟だと思いますが……」
「そんなことないわよ。どんなに小さな問題に思えても、それが国の存亡に関わる重大な問題になりかねないのよ」
だったら、私とユーリック殿の結婚は私の知らない重大な意味があるのだろうか。
「そんなに難しい顔をしないで、アリシア。お母様も貴方には自由に生きてほしいと思っていたのよ。病弱だったとはいえ、離宮で九年間も貴方を一人にしていたのだから。でも、健康に過ごしていると報告を受ける度にアリシアを王宮に呼び戻したら、また病弱になってしまうのではないかって、怖かったの。だから、遠く離れていても健康で過ごしているヨーシェンにいた方がいいのでは、と陛下と話していたのよ。さすがに狩りを始めたと聞いた時は心臓が止まるほど驚いたけれど」
すみません、母上。
普通、王女が狩りはなんてしないですよね。
母上を死ぬほど驚かせたことを反省しつつも、母上がそんな風に私のことを心配してくれていたのかと、私も驚いた。
「…ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「アリシアが謝る必要はないわ。こうして元気になって、私の所に戻って来てくれたのだから。 でも、もっと早くに呼び戻していたら……」
「…呼び戻していたら?」
「ううん、何でもないわ。 ただ、アリシア、貴方はとても真っ直ぐ優しく成長したわ。だから、もっと自信を持って。貴方はどこに出しても恥ずかしくない立派な王女よ」
私は母上の言葉の意味をよく理解できなかった。
私は別に自分を卑下しているつもりはないし、でも、褒められていることは嬉しくもある。
どう、返事をしてよいか分からず、私はそれには触れず、母上の部屋を後にした。
* * *
「アリシア、そんなところでどうしたんだい?」
母上の部屋を辞した私は庭のベンチに座っている。
王宮にある数ある庭の中で、私はこの庭が一番好きだ。理由は離宮の庭に似ているからだ。ということは、私は離宮が恋しいのだろうか。
私は離宮に帰りたいのだろうか。
母上の言葉で、私の心がもやもやし出しので、落ち着こうと思ってここに来たのに、離宮のことばかり考えている。そうしていたら、不意に父上から声を掛けられた。
父上がここに来るなんて滅多にないのに珍しい。
「父上。 いえ、別に。ただの散歩です」
真面目に答えるのもめんどくさい。
私はめんどくささを全面に押し出して、父上を突き放した。
私は今、物思い耽っているのだ。
狸親父は去れ!
「そんな冷たい言い方しなくてもいいだろう~なんだ、何か悩みでもあるのか?お父様が相談にのろうか?」
国王とは暇なのだろうか?
にやにやしながら隣に座る父上よ、座る許可を出した覚えはないぞ。
「悩みなどありませんので、父上は仕事に戻ってくださって結構ですよ」
「お父様は優秀な国王だからね。仕事なんてもう終わったよ。娘とこうして話をする時間ぐらいあるさ」
つまらないことで威張るな、狸親父!
「私は話なんて……ありません」
「そうかなぁ。アリシアがここに来るときは離宮が恋しくなった時だろう。
離宮に帰りたくなったかい?」
バレていたか。
狸親父よ、中々鋭いな。
「帰りたいと言えば帰してくれますか」
うんと言え、狸親父。
「う~ん、それは無理かなぁ」
やっぱりな。
「だって、可愛い可愛い娘がやっと帰って来たんだよ。もう、手放せないよ」
んん、今、なんと?!
可愛い娘とは私のことか?!
怪訝な目で父上を見てしまう。
それでも、父上はにこにこ笑っていた。
狸親父よ、威厳がないぞ。
「シェルナが心配してたから、私も気になってね」
シェルナとは母上のことだ。
母上は私がユーリック殿と婚約を破棄したいと思っていることを父上に話したようだ。
婚約を決めたのは父上だから、怒っているのかもしれない。
「すみません。父上が決めたことなのに……」
勝手に決めて!と言ってやりたいところだが、いくら父親とはいえ国王にその言い草は良くないだろうと、不本意ながら謝罪の言葉を口にした。
「謝らなくてもいいよ。婚約を決めたのはお父様とお母様だからね」
えっ、母上も?!
母上もユーリック殿との婚約に一枚噛んでいたとは知らなかった。
やはり、ユーリック殿が天使だから選んだのか。
あの母上ならあり得る。
「アリシアはどうしてユーリック殿が婚約者に選ばれたと思う?」
急に聞かれて、私は一瞬戸惑う。
だが、その答えは一つしかない。
それを、私は正直に答えた。
「それは、ユーリック殿がレングラット公爵家のご子息だからでしょう」
理由はそれしかなかった。
国内で一番の財力と権力と歴史を持つレングラット公爵家。
その公爵家と王家が婚姻によって両家の関係を強固なものにしようという思惑があるのだろう。
そんなことは、いくら田舎育ちの私でも分かることだ。
「ブブー、ハズレ。その答えは違うよ」
私は真剣に答えたのに、父上はふざけた感じでハズレだと言ってきた。
殴ってやろうか、狸親父。
「では、何故ですか?」
他に理由があるなら言ってみろ!という風に私は父上を少し睨む。
父上はそんな反抗的な私の態度を気にも留めずに、正解を教えてくれた。
「ユーリック殿がね、アリシアのことが好きで好きで仕方がないからだよ」
一瞬耳を疑った。
私の耳がおかしいのか、父上の頭がおかしいのか。
私は、絶対にあり得ないことを言う父上を見つめたまま動けなかった。
「吃驚したかい。でも、本当のことだよ。
私とシェルナはね、健康になったアリシアをヨーシェンでこのまま過ごさせてあげたい気持ちと、早く手元にという気持ちの間ですごく悩んだんだ。そして、社交界デビューする二年前、つまり十四歳に王宮に戻すと決めた。やはり、いつまでもヨーシェンに置いておく訳にはいかないし、二年あれば王宮にと慣れると思ってね。
そして、アリシアが王宮に戻ってすぐだよ。ユーリック殿が私に謁見を求めてきたのは。ユーリック殿はレングラット公爵家のご子息だし、私はすぐに謁見を許可した。そして、ユーリック殿は私にこう言ったんだ。『僕はアリシア様のことが大好きです。僕をアリシア様の婚約者にしてください』と」
私は頭が真っ白になった。
父上の話を上手く整理することができなくて、そして、信じることができなかった。
黙ったままの私にさらに父上は語りかける。
「私も吃驚してね、十二歳の少年が会ったこともない王女の婚約者にしてくれなど。ましてや大好きと、ふざけたことを言うなと思わず怒鳴ってしまったよ。私に怒鳴られて、ユーリック殿は目に涙を溜めてその日は帰って行ったが、それから、毎日のように私に謁見を求めてきた。 もちろん最初は謁見を許可しなかったが、それでもあまりに熱心に通うものだから、謁見を許可して、色々話して。 そして、私はユーリック殿をアリシアの婚約者に決めたんだ」
私はまだ、父上の話をすんなり信じることはできなかったけど、ユーリック殿が父上と何を話たのかすごく気になっていた。
「ユーリック殿は父上に何を話したのですか?」
「気になるかい?でも、それは内緒だよ。気になるなら直接、ユーリック殿に聞いてみるといい」
ここまで話しておいて内緒とは。
やはり父上は狸親父だ。
「怖がることはないよ、アリシア。アリシアは私とシェルナの自慢の娘だ。自信を持って」
そう言うと、父上は私のおでこにキスをした。
「じゃあ、お父様は戻るね」
父上の背中を見つめながら、私はおでこに手を当てる。
いつもなら嫌だと思っていた父上のキスだけど、今日は嫌じゃなかったと思っている自分が不思議で仕様がなかった。