ブルさん水中戦
ブルさんは常々、冒険者に必要な資質は三つあると思ってきました。
『用心深さ』
『周到さ』
そして『思い切り』です。
ブルさんは、竜車に取り付けたモンスター除けの音叉を力いっぱい鳴らしました。
近くにいたバグが一斉にピョンピョン飛びのきます。
ちょっとしたショーでも見ているようで、ブルさんは「HoHo~!!」と歓声を上げました。
首長竜も警戒したのか、長い体をくねらせました。
その動作が起こした思いがけず高い波が竜車を持ち上げましたが、かまわず一気に首長竜まで距離を詰めます。
首長竜の全身に凄い数のバグがひしめき合うように取り付いているのが見えましたが、音叉の音が近づくと、一斉に離れていきました。
上半身がだらりと水に浮いている横に竜車をつけると、改めて見るその大きさにキュッと奥歯を噛み締めます。
水中の見えていない部分まで入れれば、突撃モードの今の竜車の全長を軽く超えるでしょう。
「お嬢さん! すぐ助けるよYo!」
首長竜自身の抵抗も当然考えていましたが、相当弱っているのか今は大して暴れるそぶりもありません。
ただ、のたりのたりと弱々しく体をくねらせています。
ブルさんは牽引ロープの片方を首長竜の背に投げるともう片方を握り、躊躇なく水に飛び込みました。
ロープを架けさえすれば、後は客車のウインチで引っ張り上げる作戦です。
水中は流れ出した血液で随分濁っていました。
急がなくてはなりません。
首長竜の反対側にプハっと首を出したブルさんは、背に回したロープの先端の輪っかに、握っていたロープを通しました。
これで引っ張ればしっかりロープが締まります。
息を吸い、もう一度首長竜の下に潜りました。
そこでブルさんは異様なものを見ました。
さっきは気がつきませんでしたが、水中に沈んでいる首長竜の後びれから尻尾の先端まで、光に反射する糸のようなものが絡み付いているのです。
それを追って水底に目をやれば・・・。
巨大なクモの巣・・・。
とてつもなく巨大なクモの巣が、視界のはるか先、水中の端々まで広がっていました。
首長竜は、そのほんの一部に捕らえられていたのです。
次の瞬間、ブルさんの全身に、音として聞こえるほどの野太い悪寒が走り抜けました。
水底から、巨大な白いクモがシャカシャカと脚を動かしながら、不気味な速度でこちらに向かってきていたのです。
「ぶはっっ!!」
全力で竜車に戻ったブルさんは、乗り込む間もおしく強烈に手綱を叩きました。
「岸へ戻れえ!」
叫びながら首長竜を縛ったロープを客車との連結金具に引っ掛けます。
シャープとフラットは勢いよく全身をくねらせました。
竜車がもどかしくゆっくりと動き出します。
―― 追いつかれる!
なんとか竜車によじ登ったブルさんが後ろを振り向くと、ギョッと体を強張らせました。
すでにそこには、全く表情を宿さない八つの赤い目が水面に浮かんで、ジッとブルさんを見据えていたのです。
キシキシキシキシ・・。
嫌な音を立てながらクモの全容が水面に浮かび上がってきます。
やがてアメンボのように水面に立ち上がった巨大グモは、ガチン、ガチンと硬質な音で凶悪なアゴを鳴らしました。
身長二m近いブルさんでも、クモからしてみれば手ごろなおつまみみたいなサイズでしょう。
水グモ・・・。
以前、迷宮の地底湖で見たことがありました。
水面からも水中からも、群れ成して迫ってきた姿はそれはそれは不気味な光景でしたが、一匹一匹の大きさは、せいぜい両脚広げて1mくらいのものでした。
今、目の前にいるのはその20倍や30倍はあるでしょう。
その巨大さにブルさんは、久しぶりに尻尾が後ろから股グラに収まるのを感じました。
それでもブルさんは目を逸らさず、手の感覚だけでゆっくりと御者席の座板を上に上げると、中から鈍色の缶を二つ取り出しました。
缶の上蓋部分を親指でグッと押すと、無造作に立ち上がり、水グモの頭上目掛けてホイっと放り投げます。
刹那、強烈な閃光が爆ぜました。
閃光弾。
短時間ですが、閃光と高温を発して燃えるアイテムです。
常に崩落の危険を孕む迷宮内では、爆発物の類はよほどのことでないと使えませんが、光を嫌うモンスターが多いため、戦闘時にも撹乱用にも重宝する一品です。
水面でグッと体を縮めたところにさらにもう一発、今度は顔面めがけて投擲フォームもすばらしく全力のストレートを投げつけました。
―― ギャシャアアアア !
おぞましい高音の大音声を上げた水グモは、巨体からは想像できない俊敏さで、するりと水中に潜り込みました。
「今だ!」
改めて手綱を叩きます。
水グモが潜る際に起こした渦に引っ張られましたが、それでも竜車は進み始めました。
もともとそれほど離れていなかったおかげで岸はすぐそこです。
客車の窓に張り付いて、必死の形相でこちらを見ているチェロの顔が見えました。
あと五m―― 。
ガクンと、竜車が揺れました。
グーンと引き戻される感覚がします。
振り返ると、首長竜に巻きつけた牽引ロープが伸びきり、首長竜の体も水面に長々と伸びていました。
首長竜の体は水グモの巣の糸に捕らえられたままだったのです。
シャープとフラットは派手な水しぶきを立てますが、竜車は進みません。
水中を掻く前足の動きで、水底の泥をもうもうと巻き上げています。
岸までホンの少しです。
「くそ!」
ブルさんは席の下から取り出した斧の背を口にくわえると、糸を断つべく再び水中へ身を躍らせました。
そこへ。
凶悪な鉤爪のついた白い丸太のような脚が、目の前にズルリと伸びてきました。
ブルさんをかすめるように伸びてきた二本の脚は、竜車を抱き取るように掴むと、凄い勢いで水中へ引きずり込みました。
とっさに牽引ロープを掴みましたが、みるみるうちに水面が遠ざかっていきます。
すぐ目の前に水グモの顔がありました。
閃光弾のダメージは見あたりません。
相変わらず表情のない目が、こちらを見ています。
―― なら!
ブルさんは右手をロープに絡みつけながら左手で襟元を探り、ペンダントを引っ張り出しました。
鎖から引きちぎると親指で折り、それを水中に放ると、素早く両耳を押さえて体を丸めます。
― VIN!
体を押し潰すような衝撃が走りました。
与えた衝撃を超音波として増幅反射する特殊な金属を暴発させたのです。
水中なのでさらに威力は倍増したようです。
水グモの脚が離れました。
さすがのブルさんも一瞬意識が飛びましたが、幸運にもなんとか水を飲まずに済んだようです。
頭上に目をやれば、竜車はタイヤの浮力で浮上しているところでした。
竜車を追って必死で水を掻きます。
音の衝撃のせいでしょう、首長竜と同じようにシャープとフラットもグッタリとして動きません。
水面のきらめきが近づいてきました。
鼻先を空中に突っ込むような勢いで、水から顔を出したブルさんは、盛大に息をすると同時に位置を把握すべく目を動かしました。
その目が限界まで見開かれます。
視線が捕らえたのは、太陽を背にした真っ黒で巨大な影が、今まさに落下してくるところでした。