おばけの国、最終話 「おかしのにおい 月のかおり」
「やー! こえがいー!」
ピアノはワッタワッタと手足を上下に振るいながら抗議の声を上げました。
「・・・仕方ないなあ・・でもせっかくのお祭りだよー。 ピアノ、前からこのスカート楽しみにしてたじゃない」
「こえが! いい! のー!」
「もう! わかったわよ」
根負けしたピアニカさんは素晴らしく品の良いえんじ色のスカートを、肘を使ってスッとたたみました。
ピアノが手にとってガッツポーズと共にかかげているのは、毛羽立ってボロボロになった大きな白い布切れです。
真ん中に三つも大穴が開いて端っこは破れてバラバラと糸を垂れた、みすぼらしいだけのボロキレですが、ピアノにとっては歴戦の騎士が羽織るマントと同じくらい価値のあるものなのです。
そう、このおばけ布は!
おばけ布をかぶってピアニカさんと手を繋いだピアノは、玄関を出る時からすでにご機嫌でスキップしています。
ちなみにおばけ布の下はシンプルな白いワンピースと白いスパッツ。
おばけは白さが信条なのです。でも赤いお靴はご愛嬌です。
お家の小さな門を出ると、街路樹の隣に聖騎士の白い制服を着たサロンさんが立っていました。
「しゃおんしゃーん!」
「お待たせしました」
気軽に手を上げるピアノと、深々と頭を下げるピアニカさんに、サロンさんもピシリと礼を返し、
「いえ、わたしも今来たとこですから」と涼しげに微笑みました。
本当に今来たところのようです。
キチンと整えたであろう黒髪はバラバラと乱れ、前髪は額に張り付いています。
平静を装っていますが、荒く上下する肩を無理やり抑えているのが丸分かりでした。
「では参りましょう」
それでもサロンさんは、優雅にマントを翻しました。
街は大わらわでした。
ただでさえ年に一度の豊穫祭に沸き立っている最中に突然お城から御触れが出されたのです。
「十万人前のお菓子を大至急こしらえるように。お客様が大挙していらっしゃいます」とまあこんな感じの御触れでした。
各地の国庫が開かれ、お菓子の材料になりそうなものは片っ端から街に運び込まれました。
今やどこの家からもかまどの煙が立ちのぼり、街中にびっくりするほど甘い匂いが漂っています。
ピアニカさんもおしゃれは二の次の動きやすい格好で、左手にも背中にも様々な調理器具を目いっぱい持ってきています。
これから商工会の大かまどで、おばけカボチャのお菓子を作るのですから。
大通りはすごい賑わいで、朝から開いていた焼きそばや焼き鳥の屋台まで商品の傍らお菓子を焼いているようです。
街行く人々はえらいこっちゃと走り回っていますが、それでも声を荒げたり怖い顔ひとつせず、陽気な声を上げてはこの緊急事態を楽しんでいるような雰囲気でした。
いつもの角を曲がったピアノは、道の向うの待ち合わせ場所にコントさんとウルルさん、そしてもうひとりのおばけを見つけ、タッと駆け寄りました。
「ちぇおちゃ~ん!」
「ピアノちゃーん!」
チェロもやっぱりおばけの格好をして、ピョンピョンと飛び跳ねて手を振りました。
手を繋いで大聖堂の広場までやってきたチェロおばけとピアノおばけは、大聖堂の正面から半円状に張られた立ち入り禁止のロープの前でワクワクしながらその瞬間を待っていました。
後ろにいるウルルさんはニコニコ、サロンさんはちょっと緊張して赤くなった顔でウルルさんと広場の間をチラチラ目線でいったりきたり落ち着きません。
ふたりはチェロとピアノの保護者代わりです。
ピアニカさんはおかし作りに、街の役員でもあるコントさんは「おばけがくるけど怖くないから」と街中に触れ回っているのです。
大聖堂の周りは神官や修道士たちが忙しそうに走り回っています。
御触れを聞き、その「お客様」を一目見ようと集まってきた人たちで、広場は早くもギュウギュウ詰めの大賑わいでした。
集まってきた人たちは口々に、
「お客様っておばけのことなんだろ?そんなこといわれてもな」
「いや、昔からそういうことになってたろ?」
「おばけこわいよ~」
「ウチの王さま、結構シャレ好きだからね」
なんて好き勝手ワイワイいっていますが、おばけがやってくるということにはみんな半信半疑の雰囲気です。
事情を知っているチェロたちはお互いの顔を見ながらこっそりクスクス笑いました。
「楽しみねえ」
チェロの肩に優しく手をおいたウルルさんは、いつものように素早く口角を上げてニッコリ笑います。
薄手のサファリジャケットとジーンズにハーフブーツというシンプルな装いで、金髪を結い上げて動きやすそうなチョイスです。さらにベルトにはさりげなく長めのヌンチャクがはさんでありました。
ウルルさん曰く、「人混みに出るときのタシナミ」なのだそうです。
さっきそれを聞いたコントさんは、「美人はタイヘンですなあ」と呆れて笑いましたが、ホントは今日の影の主役である、「チェロとピアノのボディガードだから」という意気込みゆえでした。
自分も主役のひとりだなんてことは忘れちゃってますが。
「ね・・ねえあなた!」
サロンさんがツンとした硬い声でウルルさんに呼びかけました。
腕を組んだまましきりに目線をウルルさんの顔と足元を往復させています。
「どうしたのサロちゃん?」
「サ・・サロちゃん!?」
サロンさんの強張った赤い顔がさらに赤くなります。
ふたりとも今日の出来事はみんな覚えているのです。
特にサロンさんは、今朝はツンツンした態度をとったことも、子どもになって泣きじゃくっていたことも、ウルルさんが必死で守ってくれたことも全部覚えているってことがもう恥ずかしくて堪りません。
―― ん~! もう! もう! もう!
恥ずかしくて、照れてしまって、うまく接することのできない自分に煙が立つほど焦れていました。
子どもだった自分はすっかりウルルさんを頼りにしていたし、なにより大好きになっていました。
だから、「ありがとう」って言いたかったのです、「お友達になって」って言いたかったのです。
なのに恥ずかしくて言えませんでした。
大人に戻ってしまった今となっては、もっともっと恥ずかしくて、もっともっと言えないのです。
なのにウルルさんはシレッとしておまけに、「サロちゃん」なんて呼びます。
サロンさんにはそのなんでもない姿が、子どもだったときも今も変わらないその態度が、嬉しくてうらやましくて、そしてなぜかちょっと悔しくて内心、「うがー!」ってなりました。
「ゥ・・ウルルさん・・ところであなた、おいくつなのかしら?」
「え? 22よ」
「同い年じゃない!」
「なんで怒ってるのよ?」
「べ・・・別に怒りゃしないわよ・・・」
サロンさんはもじょもじょと言いましたが正直、「年上だったらいいのに」って思っていたのでちょっと複雑でした。でも、「年下じゃなくてよかった」とも思いました。
「サロちゃんも一緒にお祭りまわれるんでしょう? わたし街の豊穫祭ははじめてだから凄く楽しみにしてたのよ。せっかくお友達になれたし、ちょうどよかったね!」
サロンさんは内心、「パヒー!」ってなりました。
「お・・ともだ・・ち、ね・・」
歓喜の涙が仰角に溢れる勢いです。
なにしろサロンさんには今も昔も友達がいなかったのですから!
「あ・・。ごめんなさい、サロちゃん・・じゃなくてサロンさんは聖騎士で貴族でしたね。こんな気軽に誘ってしま・・・」
「サロちゃんでいいの!」
気が付けば必死の形相でウルルさんの両手を握り締めていました。
「もちろんご一緒するわ! まわってまわってまわりまくりましょう! 体力と法力の尽き果てるまで!」
「はい・・・」
ウルルさんは、気おされて苦笑いました。
チェロとピアノは楽しそうにふたりの様子を見ていましたが、ピアノは急になにか思い出したようにおばけ布の口から顔を出しました。
「ねえねえ、しゃおんしゃん。ピャーノもおべんきょうしたあ、ムヤムヤドーンってれきるかな~?」
「ムヤムヤ?・・・・! ええ、できるわ! ピアノちゃんならすぐに!」
サロンさんはピアノの前にしゃがみこむとその小さな肩を両手でがっしり掴みました。
「よかったら私が教えてあげる! わたし・・ピアノちゃんの先生になりたいの!」
たった今、生まれて初めての友人を得たサロンさんは、浮かれた勢いに乗って更なる願望をブチまきました。
「しゃおんしゃん、てんてー?」
「そうよ! わたしの知ってるコト全部教えてあげる! だからわたしを先生にしてもらえないかな?」
ピアノは少し考えるようにフワンフワンと体を左右に揺らしましたがニッコリ笑っていいました。
「じゃあピャーノはしぇーとらね。よぉしくおねあいしましゅ」
ぺこりと頭を下げます。
その時、広場ではにわかにどよめきが起こり、大聖堂のテラスにポッチャリとふくよかな大司教さまが現れました。
大司教さまはつるンと前髪の後退した、まんまるの笑顔でおばけたちのことを話しはじめましたが、大感動のサロンさんには全く聞こえていませんでした。
―― ああ・・はじめての友達に、愛する生徒・・・こんなことってあるの?
神に感謝を捧げるべく、ゆっくりと無意識に両手が組み合わさります、ですが・・
「ピャーノもあの変なパンちゅはくの?」
胸の前でピタリと動きを止めました。
「あー! わたし思い出したよ。 あれは『せくしーおパンツ』だよ」
「しぇくしーおパンちゅ!」
『豆知識思い出したり!』と、チェロは目を輝かせました。
「うん! 女のヒトはね、おとなになっていろんなオシャレをするときにね、ああゆうおパンツはくんだって! でもちょっとおしりが寒そうだよね、おしり風邪ひかないかな?」
「おしぃ、かぜひいちゃうの!」
正面からきた重い問いが、誤解を含んで斜めにスライドしていきます。
「ち、違うの! あれはね!」
サロンさんは目玉をぐるぐる動かして打開策を探しました。
「あれは、せ、せ、せいきし~おパンツ! そう、ホラ私、聖騎士だから! 聖騎士はみんなあのおパンツはくの! 制服なの! だからセクシーおパンツじゃないのよ!」
「え? ただのティーバッ・・・」
モガモガとウルルさんの口が塞がれました。
「セクシーおパンツじゃないの!」
サロンさんの必死な弁明は大聖堂の鐘の音に掻き消されました。
七時になりました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ (^_-)ゞ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「改めまして。此度の不始末、全てわたくしの不徳ゆえでございます。本当に申し訳ございません。そして皆様のおかげで事なきを得ましたことに心よりの感謝を」
光る人が深々と頭を下げて言いました。
辺りが暗くなってくると、光っているのがよりはっきりわかります。
「わたくしはこの国の世話役を申しつかっております。タケミナエルと申します」
そういうと光る人・・タケミナエルは、チェロたちひとりづつに丁寧に目を合わせました。
タケミナエルは年に一度の神在祭という神さまの会議に出席していて今回の騒ぎに気が付かなかったそうです。
その隣で赤い長鼻の人が決まり悪そうに腕を組んでいます。
「わしは天狗の三郎太じゃ。一応、この辺の山を治める山岳神じゃよ」
三郎太は一歩前に出て、「あー」とか「うー」とか言った後、「ごめんネ!」 と、勢いよく頭を下げました。
そしてタケミナエルを交えてゆっくりと説明してくれました。
今年の夏。
東方教義で、「オボン」と呼ばれる儀式の最中、三郎太は地の国の王さまから「掃除を手伝ってくれ」と頼まれごとをされたそうです。
ところが夏は山岳神にとっても大忙しの時期、仕方なく三郎太は弟子のコテングたちに重宝である羽団扇を貸し与え、地の国の掃除の手伝いに向わせたのですが、調子に乗ったコテングたちは羽団扇のリミッターを解除してさっさと掃除を済ませると後はずっと地の国で遊んでいたそうです。
さて、仕事がひと段落ついてみれば代々伝わる大事な羽団扇は穢れにまみれて摘み上げることもできないほど。怒った三郎太はコテングたちに羽団扇の浄化を命じたのだそうです。
浄化の旅に出たコテングたちでしたが、旅立った早々羽団扇の瘴気に当てられて全員がダウン。
その間に三郎太は神在祭に出席して不在、穢れにまみれた羽団扇は行方知れずで天狗のお山は大騒ぎになったそうです。
「それをぼくが拾っちゃったんだ・・・」
ぽっくいは、しゅーんと小さくなりました。
「いやいや、何をいうポプリの! もしお主が拾っておらねば漏れだす瘴気で少なくともこの付近のニンゲンの国は残らず腐れておったろう! 危ねーところじゃったんよ? すごく!」
三郎太はワタワタと手の平を振りました。
ぽっくいは泣きそうだった顔をおずおずと上げて三郎太とタケミナエルを見ましたが、タケミナエルがニッコリとうなずくと、安心したように笑いました。
「しかし、コイツもおかしなヤツじゃいなあ」
三郎太の指先でしっぽを摘まれてピンピン跳ねる小さなおばけは、さっきから甲高い声で、「ハナセ! コラ! オレサマヲダレダトオモッテヤガルー!」なんてキーキーいってます。
「あれだけの瘴気を受けといて平気で小悪党やってたんじゃろ? しかも依り代のカボチャを持ったままでのう・・正直感心するわい」
軽く頷きながら後ろに振り返ります。
目線の先にさっきまでジャックオの巨顔だった直径2mはある大きなカボチャが転がっていました。
「ええ。 ジャックオは色々と逸話持ちでして・・。 天の国にも地の国にも入れない彼をこの国で預かっていたのですが、長いこといるうちにどうにも見る目が甘くなっていたようです。 申し訳ない限り・・」
タケミナエルはみんなに視線を送り、辛そうに目を閉じました。
「ふ~む」と口元をへの字にした三郎太は、腰にぶら下がっていたひょうたんを手に取るとポンと栓を抜き、無造作にその小さなおばけであるところのジャックオを中に詰めるとまた栓を閉めました。
「ならばコヤツはわしが預かろう。せいぜいコキ使ってやるわいな」
ひょうたんを腰に戻すと、ぐるりとみんなを見回しました。
「じゃあ、今度こそ解決かな? やーよかったよかった! 大チャンチャンじゃナー!」
そういってまた、「ワッハッハー!」と大声で笑いました。
「あの・・・・」
大円団の雰囲気が無理やり作られそうな空気の中、チェロがおずおずと手を上げました。
チェロは、なんだかおばけのみんなは町へ行けばおかしがもらえると思ってるみたいだと伝えました。
「みんなとっても楽しみにしてるんです。なんとかならないでしょうか?」
「おー、そーじゃったんかいナ。なーに心配ない、嬢ちゃんの頼みならもちろんOKじゃい!」
そういうと三郎太は左手を耳にあて、しばらく神妙な顔をしていましたが突然なにやらひとりで話しはじめました。
「あ、もしも~し。わしじゃよわし、え? いや、わしじゃってば、んん? わしわし詐欺? なんじゃそりゃ? 天狗の三郎太じゃよう、あ、え・・・・・はい。ご無沙汰しておりますハイ・・・」
三郎太はチェロたちの国の巫女・コンサートとお話をしていたそうです。
これから年に一度、おばけたちにおかしを配る代わりに今後88年間の国の安泰を約束させられたと肩を落としてそう言いました。
タケミナエルは笑顔で、同じく88年間の豊作を約束してくれました。
「これはお礼というよりは、みなさんの頑張りの成果をお返しするということになってしまいますが・・どうぞ受け取ってください。街に伺う際、持たせますので」
そういって何度も頭を下げました。
チェロたちを見送ったあと、三郎太も「じゃあ後でナ」とどこかへ飛んでいってしまいました。
バイバ~イと手を振るおばけたちの後ろでぽっくいは、シュ~ンと沈んだ顔でタケミナエルの顔を覗きこみます。
「ごめんねお兄ちゃん。ぼくちゃんと留守番できなかった・・・・」
そのまま黙ってうなだれてしまいました。
ですがタケミナエルは何も言わずぽっくいの頭をやさしく撫でると愛しげに目を細めました。
「なにをいうポプリエル、立派だったぞ。確かに騒ぎにはなったが、素晴らしい結果になったではないか。もし私がいたとしても矛をもって諌めるしかなかったかもしれない。それを人の子の力を借りて治めるとは・・これはお前の才覚なのだろうな。いずれにしろ私もお前も未だ途上の身だ。共に学ぼうではないか・・・よくやってくれたポプリエル」
ぽっくい・・・ポプリエルは、はずかしそうに俯いたまま笑いましたが、ごそごそとどこからか大きなキャンディを取り出すと、「ハイ」とタケミナエルに手渡しました。
「ふむ、これは?」
「あのね、チェロちゃんにもらったの。お兄ちゃんにあげようと思ってとっておいたんだ。あ、ぼくのはもう食べちゃった」
タケミナエルはキャンディを受け取ると興味深そうにしげしげと眺め、ぺロリと舐めるとカッと目を見開きました。
「うむむ (ぺろ) 散々力を借りた上 (ぺろ) かような供物を (ぺろ) 置いていくとは (ぺろ)・・(ぺろ)(ぺろ) ・・・人とは不思議な存在よな・・・」
ひとしきりキャンディを眺めると、もう一度ポプリエルの頭に手をおきました。
ボンヤリとした光が放たれます。
「今宵は祭りとなるなれば、お前も存分に遊んでおいで。 いつも任せているお調子者どもの監視は天狗が替わってくれるそうだからね」
光の中でポプリエルは、嬉しそうにニッコリ笑ってうなずきました。
ё ☆ ё ☆ ё∠(^-^) ё ☆ ё ☆ ё
―― ガランゴーン
―― ガリンゴーン
七時の鐘が鳴り渡り、大聖堂の大門が左右に開きました。そして――。
「わー!」
光のしぶきのようにおばけたちが、空へ向って高く高く飛び出してきました!
「コンバンワー!」
「みんな仲良し~!」
おばけたちは体を赤、青、黄色、緑にピンクに紫に。
ターコイズに、若草色に、ウルトラレッドに、ゴールドに。
ピカピカ、ピカピカ次々に体を光らせながら凄い勢いで楽しそうにキャーキャー、どんどん街の空に広がっていきます。
街中がどよめきました。
そして大歓声に変わります。
「すっごーい!」
「しゅっご~い!」
チェロもピアノもバンザイしてピョンピョン飛び跳ねました。
「すごい! すごーい!」
ウルルさんもサロンさんの手を取って大はしゃぎしていますが、真っ赤になったサロンさんは小さな声で、「す・・・すごいね」というのが精一杯でした。
おばけたちはくるくる回りながら大空へ散っていくと、両手に抱えていた光の粒々を一斉にばら撒きました。
街中が明るく照らされるほどの量です。
しばらく街の上に漂っていた光の粒々は、やがて風に散って広々と消えていきました。
光の粒々の正体は、おばけの国のスライムのお池の底に溜まった「イヤシロ」と呼ばれるものです。
イヤシロは、実は「浄化された穢れ」です。
長い間お日さまとお月さまの光を浴びたスライムのお池にもたくさん沈んでいたのですが、新たに混ざり込んだ穢れとともに、チェロのお洗濯によって攪拌されて大量にできてしまったのです。
性質が変わった穢れは、例えば毒が薬になるように大地に休息を与えます。
ちょうど取入れが終わって冬の間おやすみする耕地に深い安らぎを与え、これから冬を越す麦の根にはそっと優しく寄り添います。
それをおばけたちが運んでくれたのでした。
イヤシロを放ったおばけたちは「コンバンワー」「仲良くしよー」と口々にいいながらニコニコ笑って街に降りてきました。
最初は怖がっていた街の人たちもたくさんいましたが、あんまりにも嬉しそうにしているおばけの顔をみればすぐに怖がるのもバカバカしくなったようです。
「なあ、おばけさん。ウチの母ちゃんが大福つくったんだ。ひとつ食べてみるかい?」
「ダイフクっておかし?」
「もちろんだ! 母ちゃんの大福はうまいんだぞー」
「わー! 食べたいたべたーい!」
おばけたちはすぐに街に溶け込んで行きました。
「ほほー」と、大聖堂のテラスから街の様子を見ていた大司教のバッグパイプさまの前にもフヨフヨとおばけがやってきました。
ニコニコ元気に、「コンバンワー」と右手を上げます。
「おお、これはこれは。 こんばんは!」
ニコニコ笑顔を返すバッグパイプさまに、そのおばけはキラキラと目を輝かせて訊ねました。
「ねえ、あなたはおっぱいある?」
もういい加減、首も疲れてくる頃合だろうに、チェロはまだまだ出てくるおばけの洪水を飽きもせず眺めていました。
「すごいなあー。おばけたち確かにいっぱいいたけど、こっちでみるとなんだか不思議だねー」
「ホントらねー、いっぱいらねー」
チェロもピアノもおばけ布の口から顔を出して、さっきからずっとポカンと口を開けていましたが、そのおばけ布がチョイチョイと引っ張られました。
見れば、くりくり坊主頭の男の子が恥ずかしそうにエヘへと笑っています。
「んっと・・・」
チェロは軽く首をひねりました。
年はチェロと同じくらいでしょうか。仕立てのいい白い狩り衣を着ています。
初めてみるはずの子ですが・・・。
「あー、 ぽっくいら~」
ピアノがすっとんきょうな声を上げました。
チェロはハッとしてもう一度顔を見ます。
「ええー!」
思わず仰け反りました。
はにかみながら笑う顔や下がり眉毛は確かに!
「ぽっくいー?」
「えへへ、ぼくです」
ぽりぽりと丸い頭を掻くその背中で、小さな白い翼がパサパサ動きました。
「おばけだぞー」
チェロおばけがいうと、ご近所のミシオさんは嬉しそうに悲鳴を上げました。
「きゃーこわいー」
そしてそのまましゃがみこんでふたりを抱きしめました。
「よかったふたりとも無事で・・・心配したんだよ」
チェロもピアノも逆に驚いてしまいました。
そして申し訳なくて、心配してもらえたことが嬉しくてそっと背中に小さな手を回しました。
少しの間そうしていましたが、やがてミシオさんはポンとふたりの肩に手を置いて立ち上がりました。
「さ! 無事に帰ってきたんだからグズグズ言わないでおこうね。ごめんなさいね」
そして明るい声でキレイにナプキンで包まれたさつまいものケーキを渡してくれました。
「はいどうぞ。おばけさん」
「ありがとー」
まだほんのり温かいケーキを口に入れた途端、ぽっくいは驚いて声を上げました。
「おいしい!」
「ミシオさんありがとー」
「ミシオしゃんありあと~」
コバトさんは何も言わないうちに、「まあ! まあ!」と両手を広げてぎゅっとふたりを抱きしめました。
「おばけらよー・・・」
一応言ってみたピアノの声に、「うん、うん」と、ただ頷きます。
そしてお互いがお互いでほんのりあったかくなった頃、ようやく腕を解きました。
「さあ、おばけさんたち。どうぞ召し上がれ」
コバトさんはサクサクのアップルパイを手渡しました。
「コバトさんありがとう」
「こあとしゃんありあと~」
そしてやっぱりぽっくいはびっくりして声を上げます。
「おいしい!」
「ありがと~。そういえばあなたは? チェロちゃんのお友達かしら?」
「あの・・いえぼくは・・その」
ぽっくいはコバトさんにクルリと背中を向けると翼をパタパタ動かして見せました。
「ぼくは天使です。ポプリエルっていいます」
なんとぽっくいは天使なのだそうです。
なんでも「オジゾー」という神さまに憧れて、全てのおばけがいなくなるまでおばけの格好で過ごすと大願を立てたのだそうですが、今日は特別に許してもらったといいます。
「ぽっくいは天使だったんだね! あ、天使さまっていわなきゃ! ぽ、ポ、ぽぴーえる・・さま?」
そう言いながらもチェロはおばけの時と雰囲気も表情も寸分変わらないぽっくいを、なんだかちょっぴり遠くに感じてしまって寂しい気がしました。
「ぽぴーにぇるっ? ぽっくいのほーがヨビやすいけろー・・・ぽっくいれもいい?」
ですがピアノは全然動じません。
いつもどおり、大岩の如く揺るがないピアノでした。
「うん! でもね、あのね・・ぼく、ぽっくいじゃなくてポップリなんだーホントは・・」
「ねー! みんなまちがえるんらよ~。 ポックイらなくてぽっくいらよねー」
「えっ? あ・・・うん・・・・・・そう・・です・・・」
そういうことになりました。
ぽっくいは、はじめの内は天使・・というか、くりくり坊主のお坊ちゃん姿で街を周っていましたが、おばけの姿の方がみんながおかしをくれるのでチャッカリおばけに戻りました。
天使といえどもおかしには弱いようです。
「ねえ、お母さん、わたしもおばけのカッコする」
「ぼくもー!」
子どもたちは、チェロとピアノを見ておばけ願望に火がついたようです。
チェロとピアノはおばけ布越しに笑い合いました。
大成功です。
おばけの格好をしておかしをもらっていれば、まねをする子たちが出てくると思っていたのです。
そうすれば街の人たちも早くおばけと仲良くできるんじゃないかなって考えたのです。
見れば早くも布を被りおばけに混じっておかしをもらっている子もいます。
子どもたちもおばけたちも街の人たちもみんな楽しそうです!
ホントに大成功です!
ウルルさんもサロンさんも、「今日はリミッターオーフ!」と高らかにハイタッチしました。
なにせ次の通りに出ると、これでもかというくらい屋台がたくさん出ていたのですから。
そこでウルルさんはキラリと目を光らせると、ぽっくいになにやら耳打ちしてさっと屋台に走りました。
「チェロちゃん、ピアノちゃん見て見て~」
手に持っているのはたこ焼き一船。
ひとつ取り出してぽっくいに、「あ~ん」。
するとぽっくいは、「おいし~」っといいながらプクーっとまん丸に膨れました。
ポヨンと下に落ちてコロコロ転がります。
「ね!」
チェロとピアノはワッと弾けました。
「ほんとだー! まんまるになった!」
「コオコオってコオがっちゃった!」
明るい笑い声が夜の街に健やかに響きました。
ё ☆ ё ☆ ё∠(^-^) ё ☆ ё ☆ ё
商店街の広場では、ピアニカさんが豪腕を振るっていました。
その細腕と細い体でどうやって? と周りの大人たちが目を丸くする勢いです。
グレートソードと見まごうばかりの巨大な菜っ切り包丁を振りかざし、子ども用なら風呂桶にも使えそうな、冗談みたいな片手鍋を持ち上げるのです。
商工会の奥さん連中の中には、元王族だという噂のピアニカさんをあまりよく思っていない人たちもいましたが、うっとりとした様子でその雄姿に見とれていました。
集まってきた見物客もおばけたちも歓声を上げて応援しています。
見れば調理場の端に巨大なカボチャが縦半分になって置いてありましたが、それを屈強な男の人がスコップで種のところをほじくりだしていました。
こんな短時間であのカボチャを半分も使ってしまったのでしょうか。
確かに反対側の簡易机の上には山ほどカボチャのおかしが乗っています。
ケーキにプリンにクッキーにドーナツにムースにマフィンに、おかしじゃないけど煮付けも・・。
「おかーしゃーん」
「あらピアノ、ちょっと待っててねー」
修羅のような技の間から優しい笑顔がのぞいたのを見て、周りの男性陣はキュンと胸を掴まれました。
「男の方~。どなたかマッシュするのを手伝ってもらえませんか~」
ピアニカさんは商工会の男衆に声をかけ、これまた竜の水飲み桶みたいなボールに茹ったカボチャを移すと、フ~っと額の汗を拭います。
「よっしゃ」
「いや俺が」
「まてまてここは俺が」
「部外者でもいいのかな?」
「うむ・・・拙者が手を貸そう」
「いやあ、こういうのは俺得意なんだよねー」
周りで作業をしていた商工会の人たちだけではなく、観客になっていた男達からも手が上がります。美女の未亡人の噂は以外にも広まっているようです。
高名な冒険者や王宮騎士の指南役まで混じっていましたが、その中に見慣れた顔がありました。
「社長・・・」
ウルルさんが呆れた声で呟きました。
ウルルさんの上司でコルネット探索社の社長・コルネットさんが、可愛いエプロンをつけて棍棒みたいなすりこぎを奪い合っていました。
「みなさんありがとうございます。ピアノ、いい子にしてる?」
エプロンで手を拭いながら近づいてきたピアニカさんは、ピアノの頭を撫ぜながら、それは爽やかに満ち足りた笑顔でニッコリ笑いました。
「あれ? なんだか雰囲気変わった?」と、サロンさんは目を擦りました。
明るくなったのは感じていたけれど、それどころじゃなく突き抜けたすがすがしい空気を感じます。
女として随分先に行かれている気が・・・。
「すごいですねピアニカさん。さっきもすごかったけど改めてすごいです」
今朝初めて会ったばかりのウルルさんも気軽に声をかけられる気さくな雰囲気があります。
「そうなのよねえ、なんだかさっきので妙な力の使い方覚えたのかしら? 自分でも驚いているんですよ」
ピアニカさんはキラキラと笑います。
サロンさんは、「自分がピアノちゃんの先生になりました宣言」をしたいのに圧倒されて声が出せませんでした。
「ねー、おかあしゃん。こえもつかってー」
ピアノはポシェットから端っこがかじられたピーマンを取り出すと、ピアニカさんに手渡しました。
「まあピアノ、ピーマン食べるの?」
「ピャーノね、もうおねーさんなんらよー」
驚いたピアニカさんにふふ~んと胸を張ると、片目だけチラリと開けます。
『ほめて』というように小鼻が膨らみました。ですが、
「いやよ~。ピアノはもう少し可愛い困ったちゃんでいてほしいのにー」
ピアニカさんはそういいながらも嬉しそうにピーマンを受け取ると、あっという間にピザに乗せて焼いてくれました。
その様子を近くの塀の上から見ている者がありました。
天狗たちです。
ここまで巨大カボチャを運んできた天狗たちは、三郎太からの命を受けていました。
「絶対に見つかるな、完璧に守れ」
―― うちの大将帰ってくるなりテング使いが荒すぎるよなあ、ああうまそうだなー。
そんなことを思っていると、護衛対象のうちの一番ちっこいのが両手にカップケーキをいっぱい抱えて天狗たちの足元までトテトテやってきました。
そしてちょうど広場から死角になる辺りにケーキを並べるとこっちを見上げたのです。
「あったかいうちにろーじょー」
そういってニッコリ笑うとまたいってしまいました。
天狗たちは仰天して大声を上げそうになりました。
なにせ今天狗たちは全員「隠れ蓑」と呼ばれる姿が見えなくなるアイテムを使っているのです。
見えるはずがないのです。
実際、隣にいるはずの仲間同士も見えないのですから。
なぜ三郎太が、「守れ」というのか少しわかった気がした天狗たちは、カップケーキを素早く隠れ蓑の内側にしまうと、こっそり囁きあいました。
「おれ、やる気出てきたよ。嬉しいね、こういうの」
「おれもだ、バッチリお守りしようぜ」
ё ☆ ё ☆ ё∠(^-^) ё ☆ ё ☆ ё
チェロの案内で少し街から離れた一行は、街を見下ろせる丘の上にできた静かな住宅街にきていました。
やっぱりこの辺りでもおかしの匂いが漂っています。
そのうち街にいるおばけたちもやってくることでしょう。
街から離れてみると、今、街がどれくらい賑やかなのかよくわかって驚いてしまうくらいです。
楽しげな雰囲気がここまで届いてきます。
アナ街はしっかりおばけたちを受け入れたようでした。
チェロは一軒のお宅の前までくると、低い門扉に吊るされたベルをキコーンと鳴らしました。
「ここはフレーテさん家のお庭だよー」
中をのぞいてみれば、お庭にはテーブルと椅子が並んでいてそのテーブルの上にも少し離れた木の枝にもランプが灯され、静かなお庭を温かく照らしていました。
「ホントは今日のお昼にオジャマするお約束してたの」
「おそくなっちゃったね~」
チェロとピアノが説明していると家の方から、「は~い」と返事がありました。
ふたりは慌てておばけ布を被ります。
「いらっしゃーい」
品のいい年配の女性がおっとり笑いながら出てくると、待ち構えていたふたりは門の正面にピョンと飛び出しました。
「おばけだぞー」
「きゃああ、おばけー」
フレーテさんの楽しそうな声にチェロはホッと安心しました。
もしここまで、「おばけをお迎えする話」が届いていなかったら本気で驚かせてしまうかもしれないと心配していたのです。
だからちょっぴりおとなしめに出たつもりですが、どちらにしろ大丈夫だったみたいです。
ホッとするチェロをおいて、ピアノはおばけ布の口からニュッと顔を出しながら、
「ば~。ピャーノれしたー」
「あら~、どおりで可愛いおばけだと思ったわ」
フレーテは、「うふふ」、ピアノは、「エヘヘ」と嬉しそうに笑いました。
「フレーテさん、遅れてごめんなさい」
「ごめんらさい」
チェロがペコリと頭を下げると、ピアノも慌てて続きました。
フレーテさんはふたりにじんわりと泣きそうな笑顔を向けると大胆に一歩近づき、ぎゅっと抱きしめました。
「チェロちゃんもピアノちゃんも無事でよかったわ。話を聞いてどうなることかと思ったもの・・本当によかった・・」
チェロもピアノもフレーテさんに肩に顔を乗せてぎゅっと抱きしめ返しましたが、そのときフレーテさんが震えているのに気がつきました。
そして。
本当に心配してくれていたのだと、初めて気がつきました。
確かに大変な思いをしたけれど、全部うまくいったことに満足してそれだけしか見ていなかったと、ようやく気持ちが追いついたのです。
―― じいちゃんもピアニカさんも泣いてた・・・。
心配をかけたことに素直に謝ったけれど、許してもらったけれど、でもどれだけ心配させてしまったのかちゃんと考えてはいませんでした。
最初に謝りにいったティンパ二さんやギタラさんも、駆けつけてくれた担任のファゴット先生やブルさん。コルネットさんはじめ常連のお客さんも、ミシオさんやコバトさんや街のみんなも全員が抱きしめて無事を喜んでくれました。
なんだか、「街を助けた」と誉められたことと、みんなに抱きしめられて照れてしまっていたことの方が大きくて、心配かけていたことなんて小さくなっていました。
元はといえばピアニカさんが止めるのを振り切って、どんどん走ってしまったせいです。
それに自分はピアノちゃんよりおねーさんなんだから、ちゃんとピアノちゃんを止めてあげなければいけなかったのです。
―― こんなに心配かけてた・・・。
チェロはフレーテさんの背中にまわされたピアノの手を握りました。
ピアノも震えていました。
途端に下唇が震えながら山なりに持ち上がります。
「ご・・・べんなざ~ぃ」
「ごめんなだ~ああぁあ!」
ふたりは同時にフレーテさんにしがみつき、大声でわんわん泣き出しました。
天まで届きそうな泣き声を、月の灯りが優しく優しく吸い込んでいきました。
☆ ☆ ☆ ○ ☆ ☆ ☆
「さあさあみんな、せっかくの甘いおかしがしょっぱくなっちゃうわよ」
そういうフレーテさんもまだスンスン鼻をすすっていますが、存分に大泣きしたチェロとピアノはまだヒッヒ、ヒッヒしながら、さかんに袖で涙を拭っています。
もらい泣きしたウルルさんもサロンさんもぽっくいも、みんなみんなすっかりおめめがショボンと小さくなっています。
ウルルさんがピアノの鼻をかんであげると、「ぐじゅぶる!」とすごい量で、いっぺんにハンカチが重くなりました。
サロンさんは、「出遅れた」という顔で悔しそうに唇を噛みました。
それでもフレーテさんがお庭のテーブルに次々と色とりどりのおかしを並べ始めると、みんなにくっついていた泣き虫はスルスルスルと退散していきました。
すごい量です。
ホットケーキにスコーンにシュークリームにクッキーにブラウニーにタルトは各種。
チョコレートにキャラメルにおまんじゅうまであります。
いろんなくだもののジャムのビンが並べられて、テーブルの上はたちまちギチギチになってしまいました。
「今日はたくさんお客さまがくるんでしょう? だからはりきっちゃったの」
「すごい! これ全部作ったんですか?」
ウルルさんが感歎の声を上げながらテーブルを見回します。
「これで半分くらいかしら、家の中にも並んでるのよ」
「半分! おひとりでですか?!」
フレーテさんは得意気に笑うと、「コツがあるのよ」とウィンクしました。
「さあ、どれでも好きなだけどうぞ。遠慮するコはキライですよ」
その声を合図にチェロもピアノも、うっすらと笑顔を取り戻しました。
「いただきまーす」
「いたらきまーしゅ」
月夜のティーパーティが始まりました。
「おいしい!」
少しずつ切り分けてもらったおかしを口に運ぶ度に、ぽっくいは大きな声でいいました。
なかでも今、手に持っているリンゴのタルトは特に気に入ったみたいです。
嬉しそうなフレーテさんの顔をぽっくいは不思議そうに見つめました。
「どうしてこんなにおいしいんですか?」
「そりゃあ楽しく作ってるからですよ」
何気ない返事に、ぽっくいはマジマジと齧りかけのタルトを覗き込みます。
「たのしく・・・」
フレーテさんはフフッと笑うとぽっくいのプルンとした頭をそっと撫でました。
「おかしはね、遊びなのよ」
「遊び?」
「そう。とっても楽しくてウキウキして今日もニッコリ過ごすための素敵な遊びなの。遊び心を伝えるための嬉しくて大事な魔法の言葉なのよ」
「おかしは魔法なの?」
チェロはピアノのほっぺについたぶどうジャムを指で拭ってやりながらいいました。
その隣で、ハンカチを出していたために出遅れたサロンさんが残念そうにしています。
フレーテさんはニッコリとチェロに向き直ります。
「チェロちゃんは前にスライムをかき混ぜる時は怒って混ぜちゃいけないんだよっていってたでしょ? お菓子もおんなじ、怒ってたり悲しい気持ちで作るとおいしくできないの。だからおかしはニッコリ笑いながら作るのよ、『どうか楽しい人生を』って祈りを込めてね。豊穫祭で大人から子どもに豊かさを贈るっいうのは本来そういう意味なのよ。生命の遊び心っていう魔法をかけてね」
そしておもむろに、ちょっぴりいたずらっぽい顔でひょいと右手の人差し指を立てると、ぽっくいに手を伸ばして額に触れます。
指先からポンヤリした光が溢れ出しました。
「あ? あれ? あれ?」
スッと光に包まれたぽっくいは、くりくり頭の天使姿でポテンと現れました。
「魔女のわたしがいうのですから本当ですよ」
フレーテさんは得意気に微笑むと、指の先に残る淡い光をフッと吹き消しました。
「ほかのおかしも見たい」というピアノの言葉に、みんなはお家の中に入っていきましたが、チェロはひとりお外にいることにしました。
少し、ひとりになりたかったのです。
お庭の端までいくと、広い夜空と街が見えました。
ゆったりと、でもとても分厚さを感じさせる大きな風が、波のように街の喧騒を運んできます。
遠くに感じる賑やかさは、なんだか気持ちを安心させました。
静かな場所にいる。
でもそれは隔絶された場所ではないのです。
少し離れているからこその繋がりを感じていました。
なんだか気持ちがよくて、ゆっくりとした瞬きを繰り返します。
賑やかさを含んだ風は、でもここではただ静かに木の葉や草をさらさら揺らすだけです。
風の中でいろんな人たちを思い出しました。
フレーテさんはじめ、何より心配してくれていた街の大人たち。
楽しそうなおばけたち。
そういえば、とっても楽しそうにおばけと話しているおじさんたちもいました。
おばけのしっぽを掴んでケタケタ笑ってる赤ちゃんもいました。
・・・・・・。
随分お空の斜めによってしまったお月さまをジッと見上げました。
チェロは・・。
チェロはすごく、「大好き」で満たされていました。
じいちゃんが大好き。
ピアノちゃんが大好き。
ベジタローが大好き。
ウルルさんもサロンさんも大好き。
フレーテさんもぽっくいも大好き。
お月さまも、お日さまも、雲も、雨も大好き。
あっつい夏も、凍える冬も大好き。
街が大好き。
人も大好き。
そして、生まれて今生きている自分が、「大好きなんだ」と感じていました。
『どうか楽しい人生を』
さっき聞いたフレーテさんの言葉がよみがえります。
今日おかしをくれた人たちみんなが、チェロを想って、案じて、心配してくれていたことを思い出します。
―― 「大好き」って感じた分だけ、みんなもわたしのことを好きでいてくれるんだなあ。
おかあさんの優しい声を思い出しました。
『いつも笑っていてね』
おかあさんもチェロのことを想ってくれていたことを感じて、そっと目を閉じます。
そして想いました。
「おかあさん、ありがとう。大好き・・」
生んでくれてありがとう・・。
お月さまを見上げたチェロは小さなスプーンのペンダントをキュッと握り締めて、フンワリと笑いました。
おかあさんがニッコリ笑ってくれたような気がして、チェロはもう一度微笑み返します。
「ありがとう、おかあさん・・・・」
お月さまは、ますます温かい光で馥郁と満ち。やさしく優しくチェロを包みました。
チェロはその光をかぐように、うっとりと目を閉じました。




