おばけの国、23
「これがぽっくいの探してた団扇かあ・・」
チェロは、腰掛くらいの岩の上に置かれた団扇を見て、なんとなく顔を曇らせました。
大きな黒い鳥の羽を幾枚も重ねてあって、柄の部分には精巧な彫刻が施されていますが、彫刻の周りには細い根っこなのか毛なのかわからないものがたくさん生えてて千切れています。
ジャックオの頭に根をはっていたのでしょうか?
それならあの頑丈さもわかりますが、「頭に根を張る」なんてことが凄く怖くてチェロはその場で一歩後ろに下がりました。
大きさは普通の団扇より一回り大きいくらいで、他には取り立てて変わったところも見られないのですが、なんだか凄く嫌な感じがしました。
「変なうちわっていってたけど、ホントに変な感じがするねこれ」
ウルルさんがそっと手を伸ばそうとしました。
「ダメっ!」
突然、サロンさんが胸元に両の拳を合わせて体を縮こめながら叫びました。
あまりにも必死な声だったのでサロンさん本人も自分の出した声に驚いてキョトンとしましたが、クッと眉を引き締めます。
「これ・・ 絶対よくないものだよ・・ 人がさわっちゃいけないものだよ」
「そうなんだ・・なんだかヤな感じするもんね・・」
ウルルさんは素直に手を引っ込めるとサロンさんとチェロの顔を見て、ごまかすように笑いました。
チェロも、聖水をかければキレイにできるかもって考えていましたがそう簡単にいくようにも思えません。
―― ぽっくいが平気で持てたのはおばけだからかな?
そのぽっくいはフワフワおばけたちに囲まれてキャーキャーいわれています。
大いばりんぼうの乱暴者だったジャックオをやっつけたと、周りからも上からもヤンヤと喝采を受けて大きなおばけ玉になっていました。
ジャックオは自分のことをオバケ王だなんていっていましたが、全然そんなことはなかったみたいです。
街に行ったとしても、本当に街の食べ物を全部盗ってこられたのか、今さらながらに疑問でした。
でも無事解決です。
後はおばけの門と通路が繋がるのを待てばいいだけです。
ちょっと心配なのは、少し離れたところでポンポンたちと夢中で遊んでいるピアノが、ポンポンを連れて帰ると言い出しそうなことくらいでしょうか。
「ねえねえ、ニンゲンちゃん」
ピアノ攻略法を考え始めたチェロの肩を、フワフワおばけがちょいちょいとつつきました。
ニンゲンちゃんなんて呼ばれるのはすごく変な感じですが、チェロだって知らないおばけに呼びかける時、「あのー」とかじゃなければきっと「おばけちゃん」と呼ぶでしょう。
「なあに? わたしはチェロだよ」
「チェロちゃん?」
そのおばけはちょっと緊張した笑顔ではずかしそうにしていました。
チェロはおばけも人と同じでみんな顔が違うことを改めて感じました。
まだハッキリ見分けられる自信はないのですが、なんとなく男のコか女のコかの区別くらいはつきそうです。このコはどうやら女のコみたいです。
「あのね・・今日は街にいくとおかしが食べられるってホント?」
「ん? おかし?」
「うん。みんながいってるの。街にはいろんなおかしがあって、今日はおかしがたくさん食べられるって・・・わたし街にいくのもおかしを食べるのもはじめてだから・・・・」
「え~っと・・」
チェロは困ってしまいました。
確かに今日は豊穫祭で、街の大人たちは子どもたちにおかしをくれる日ですが・・。
そこでハッとしました。
そういえばさっき、おばけたちに色んなおかしの話をしました。
もしかしたら、そこから話が大きくなってしまったのではないでしょうか!
「おかしってとっても甘くておいしいんでしょう? わたしお話聞いただけでとっても楽しみになっちゃったの。 だからね、街のどこにいけばおかしが食べられるのかな~って思ってね、チェロちゃんなら知ってるかな~って声かけたの」
「え~と、おかしはね~・・・」
チェロは女のコおばけから目をそらして考えるそぶりをしました。
―― どおしよう!
街に来ても、もうおばけは食べ物を盗ったりしないでしょうから、それなら年に一度の楽しみだといってるおばけたちを止める理由もありません。
確かに今日はいつもよりもうんとたくさんのおかしが街中に出回っていますが、おばけたちの分まではさすがにないでしょう。
なにしろ街の人たちよりおばけの方がたくさんいるというのですから。
「どこでもらえるの? ね? どんなおかし?」
女のコおばけはとってもうれしそうにニコニコ笑っています。
チェロは困って困って困りすぎて頭がキューっと小さくなってしまうようでした。
街にきたおばけたちはきっと街の人たちには見えないはずです。
もし見えたとしてもそんなにたくさんのおかし・・・。
チェロのおこづかいではもちろん買えませんし、おじいちゃんに相談したとしても・・・。
それに女のコおばけは本当に心から楽しみにしているのがよくわかるのです。
とてもよくわかるのです。でも・・。
「ええっとね、おかしは大人が子どもにくれるものなの・・だから・・」
「じゃあ、オトナニンゲンにいえばくれるのね? オトナニンゲンはどこにいるの?」
「・・うん。街にいけば大人はいっぱいいるけど・・・でもね・・」
チェロはとっても苦しく思いました。「オバケはおかしをもらえない」の一言が、どうしても! どうしても・・・・。
「わかったー! オトナニンゲンいっぱいいるんなら、いっぱいおかし食べられるね! ありがとーチェロちゃん!」
「あ! まって!」
チェロの声が聞こえなかったのか、女のコおばけは手を振りながらピューっと飛んでいってしまいました。
あっという間にほかのおばけと見分けがつかなくなります。
「ええ~・・」
チェロは顔をクシャクシャにしかめてうめきました。
ぽっくいのお願いも叶ったし、おばけたちが街の食べ物を盗ってこようとするのも止められたのに、なんだかもっと大きな問題が出てきてしまいました。
「どおしよう」
情けない顔で宙を見上げました。
空にはフワフワおばけたちが楽しそうに飛び回っています。
目を下に戻せば、向うではたくさんのモノバケたちが所在無さげに立ったり座り込んだりしているのが見えました。モノバケといっても道具やおもちゃのモノバケばかりが残っています。食べ物のモノバケ・・モッタイナイおばけたちの姿は見えませんでした。
みんなジャックオのところにいったのかなと、なんとなくジャックオが落っこちた方角へ視線を送ったチェロの目が、ギョッと見開かれました。
黒くて大きくていびつな楕円形の影がグラグラと揺れながらやってくるのが見えたのです。
「おお~い、キミたち~」
続いて妙に馴れ馴れしい笑い声が「アハハハ~!」っと高らかに聞こえました。
急いで集まったチェロたちの周りをポンポンたちがサッと固めました。
逆にフワフワおばけたちは遠くに離れ、その分ブラブラしていたモノバケたちが寄ってきます。
モッタイナイおばけたちをゾロゾロと引き連れてきたジャックオは、気にした風もないようにポンポンの前まで歩いてくると枯れ木みたいな黒い手をミョーンと伸ばしてポリポリと頭を掻きました。
「いや~アッハッハ、ねえ~ハハハ」
何がいや~で、何がねえ~なのかわかりませんが、ジャックオは陽気に笑うばかりです。
「いや~なんだか助けてもらっちゃったみたいだねえ~。ポップリからのその団扇を預かってた時にね~。なんの気なしに頭に差しておいたら、な~んでだか取れなくなっちゃってねえ~」
チェロが背中に隠した団扇を指差して「なんだかナァ~」って笑いました。
そしてぽっくいの方にキョロリと目を向けるとニカッと大きな口を開けました。
「や~ポップリにも迷惑かけちゃったネエ。ごめ~んネエ」
「ジャックオさん! ちゃんと元に戻った?」
ぽっくいは、ジャックオの視線の高さまで、ちょんと浮かび上がると弾んだ声でいいました。
ジャックオは「はいはい~」と頷きます。それを見たぽっくいは胸に手を置いて大きな溜息をつきました。
「ぼくも~、どうなるかと思っちゃった! よかった~」
ジャックオはいやあいやあと頭をかきながら、おもむろに自分の口の中に手を突っ込むと、大きな種をひとつ取り出して足元に置き、ノッシノシイと後ろへ下がります。
種は貝みたいにパカンと口を開けました。
「その団扇。どーにもタイヘンなシロモノだよう。なんだか瘴気がもれちゃってるもの。よかったらそれ使って。密封できるからさ。タケミーが帰ってくるまでちゃんとしまっといた方がイイねぇ」
「うん! そーするよ!」
ぽっくいはいそいそと種に手を伸ばしました。
「ねえ、ぽっくい。ホントに大丈夫なの? そのタケミーさんって人も知ってる人?」
チェロは警戒してぽっくいに囁きました。
確かにジャックオは人が変わったみたいに朗らかに感じます。元に戻ったというのならそうなのかも知れませんが、でもやっぱり心配なのです。
「タケミーはぼくのお兄ちゃんだよ。それにジャックオさんの種はとってもジョウブなの! ほら街にいったときぼくが入ってた種もジャックオさんの種なんだ~」
「う~ん、そうじゃなくって・・」
ぽっくいはなんにも疑っていないように団扇を種の中に入れるとパチンと音を立てて閉じます。
その途端、団扇から出ていた嫌な感じはスッと消えてしまいました。
あれ?やっぱり大丈夫だったのかな?と、チェロはジャックオに目を向けます。
ジャックオは心配させないようにという配慮なのか、少し離れたところでニコニコ笑っていましたが、チェロはおかしな事に気がつきました。
ジャックオの後ろにたくさん並んでいるモッタイナイおばけたちの様子がおかしいのです。
誰もかれも口元は微かに笑っているのですが、ボーっと虚ろな目つきをしてどこか遠くを見ているのです。
「ぽっくい、やっぱりヘンだよ・・」
「え~、なにが~?」
種を大事そうに抱えたぽっくいがふんわりと笑います。
そこへ、「お~い、ちゃんとしまったかい~?」とジャックオが問いかけてきました。
「うん!大丈夫だよ~」
「そりゃ結構・・」
突然、種がぽっくいの腕からすっぽ抜けました。
「あっ!」
それをジャックオがぱくりと口で捕まえます。
唖然とするチェロたちの前でジャックオは、「ジャジャ~ン!」といいながら手のひらを上に向けておどけたように腕を広げました。
「いやあ~ホント助かったよ~。 頭から抜けなくなって俺さまからどんどん妖気を奪っていったんだぜコイツ。替わりになんか別のモンくれてたようだがナ~」
そしてガハハ! と大声で笑いました。
「試しに一回使ってみただけでモノバケどもは簡単にいいなりヨー! なのに団扇がはずれた途端腑抜けになっちまった、こりゃまた使えるようにしてやんねえとなあ!」
「返してー!」
チェロは叫びました。
その声を合図にしたように、ポンポンたちがジャックオに飛び掛ります。
「しゃらくせえ~い!」
ジャックオが団扇を振るいました。
真っ黒な風が巻き起こりゴウゴウと天に伸び上がって、ポンポンたちはあっという間に残らず吹き飛ばされてしまいました。
「ハッハー! 忌々しいワタボコリどもが~、ジャックオ流お掃除術の威力思い知ったかよう~!」
「どうしたのジャックオさん! 団扇のせいで乱暴になっちゃってたんでしょ~?」
ぽっくいが体を広げてチェロたちを守りながら、暴風の中、必死に叫びました。
「なあ、勘違いするのは大いに勝手ダガヨ! おりゃこの団扇があるから暴れてんじゃねえのよ、暴れてえからコイツを使ったのヨ! 原因があっての自分じゃねえんだ、目的あっての俺さまなのよう! おりゃいつだって重心前向きなんだあよう!」
ジャックオはダハハハ!と笑い、カボチャ頭をグラングラン揺らしました。
「ウソツキー!」
チェロは叫びます。
ですがジャックオは頭をピタリと止めると、ニュッと前に突き出して、「あんのなあ」とわざとらしく溜息をつきました。
「馬鹿なこといっちゃあいけねえよう。ウソなんてつくのはニンゲンだけだぜえ! 俺さまは一度だってウソなんかついてねえってえの~!」
「元に戻ったっていったじゃない!」
「ごめ~んごめ~ん♪ だいたいそんなこというならオメエらだって白バケのカッコして『団扇はわたしのだよ~ん』なんていってたじゃねえかあ! はっはは! ただのオカエシだっつの~!! わかったかウソツキー!」
チェロは小さくクウっと息を飲みました。
もの凄くショックでした。けど確かにそうです。
ウソとわかってついたウソでしたが、それをいわれてしまったら何にも返せないのです。
ウソをついたからウソでかえされる。
本当になにも言い返せなくなって、ギュウっと胸が苦しくなりました。
「アハハのハ~、ざ~んねんだったね~♪ コイツがあればこっちのもんジャイ。 さーってオメエらはどうしてやろうかしらん? とりあえずとっ捕まえて、街に行ったらお神輿にでも括りつけてやろうかねえ。ニンゲンどもの前で盛大にわっしょいわっしょいしてやらあ! どうだあ!」
高らかに笑うジャックオの前でチェロの気持ちは、とってもぐちゃぐちゃしていました
悲しくて、怒ってて、後悔してて、がっかりしてて・・。
「このわからず屋のドテカボチャー!」
思わず大声で叫んでいました。
「そーらー! ろてかおちゃー!」
チェロに続いてピアノも叫びました。
「ど!・・・・・」
急にジャックオが静かになりました。
静かに静かにプルプル震えだします。
「お・・れ・・を。俺さまを~・・・」
頭のカボチャ部分がギュウっと露骨に陰影を深めました。
ジャックオの中に何か凄い力がたわみはじめているのがわかります。
「ドテカボチャと、呼ぶなあー!!!」
ジャックオは団扇をめちゃくちゃに振り回し始めました。
煙のような真っ黒な風が起こり、縦横無尽に吹き荒れます。
風は広場中を隅々まで吹き渡り、周りの景色も灰色に飲み込んでいきました。
「わああ~!」
「きゃあ~!」
「なにこれ~!」
いたるところで悲鳴が上がり、風に巻かれたフワフワおばけたちの半透明な体がたちまち灰色に濁りました。
モノバケたちも口々に何か叫んでいますが、みるみるうちにどよーんと嫌な顔つきに変わっていきます。
その黒い風がチェロたちにも襲い掛かってきました。
「いけない!」
ぽっくいがお口を広げてチェロたちを飲み込みました。
ですがそのせいでまんまるになったぽっくいは風の勢いに思い切り転がされて、そのままお池にバシャーンと落ちて流されてしまったのでした。
「お船になるよ~」
ぽっくいはお池の真ん中辺りでしゅるしゅると形を変えました。
お船というよりは大きな深皿という感じでしたが、ぽっくいの外に出た途端チェロは思い切り顔をしかめました。
「うえ! くっしゃーい!」
ピアノも慌ててお鼻を覆います。
もの凄く嫌な臭いが満ちていました。
おめめにもつんつん刺さってくる臭いです。
岸からどれくらい離れてしまったのやら、空気がどんより濁ってはっきり見えません。
見上げれば、夕暮れ近かった空も黒く汚れていて、ところどころ夕日の光が混じる不気味に変わり果てていました。
遠くからうめき声や怒声がムオンムオンとくぐもって聞こえてきます。
灰色の悪夢の世界にいきなり投げ出されてしまったようでした。
「よっしオメエら~ ニンゲンの街に、くりだそおゼー! ダーハハハ!」
濁った景色の中をジャックオの声が不思議なくらい朗々と聞こえてきました。
チェロは女の子座りのまま、がっくりとうなだれました。
ウルルさんが優しく背中をさすりますが、チェロはなんの反応もできずただ黙っていました。
―― 全部だめだった・・・。
みんなで一生懸命頑張ったのに、なんにもならなかった。
あんなにいっぱい怖い思いもしたのに、いっぱいいっぱい考えたのに。
全部・・・。
熱いのか冷たいのかわからない激情がズドンと込み上げてきました。
なんの疑問も持たないままその思いにまかせ、涙の洪水を降らせようと「ヒュ」と、息を吸い込んだとき、
「ねえ、ちぇおちゃん。おみず・・アイスちょーだい・・・おつきさまの・・」
珍しく遠慮がちなピアノの声に、ピクリと肩を上げました。
チェロの前にしゃがみこんだピアノが顔を覗きこみながら、「えへ~」って笑います。
その顔を見て、チェロの涙はなんだか引っ込んでしまいました。
気がつけばウルルさんもサロンさんも、力はないけれど温かい笑顔で、そっとチェロをみていました。
チェロはペンダントのスプーンをはずして鎖を手首に巻きつけると、簡単に揺れるぽっくい船の上でゆっくり立ち上がり、空に月を探しました。
ですが、月は灰色の瘴気に覆われて見えません。
チェロは、そっと目を閉じて心の中にまんまるのお月さまを思い浮かべました。
―― お月さまのアイスクリーム・・・できるだけ端っこのシャリシャリしたところ・・・。
イメージの中のお月さまの、端っこの部分をそっとすくいとります。
「はい、お月さまのアイスクリーム」
ピアノはパアっと明るく笑って差し出されたスプーンを咥えます。
そしてコクリコクリと喉を動かしました。
「はいサロンさん」
「はいウルルさん」
サロンさんは恥ずかしげに、ウルルさんもちょっと恥ずかしげにそれぞれスプーンから溢れる聖水で喉を満たし、次は自分で飲もうと思ったチェロは、先にぽっくいにスプーンを差し出しました。
「ぽっくいも食べる? お月さまのアイス」
深皿でいうなら縁のちょっと内側についたぽっくいの顔が嬉しそうに光りました。
「おいしいね、 お月さまのアイスクリーム! っていってもぼくまだホントのアイスクリーム食べたことないんだけどね」
ぽっくいはそういって「エヘヘ」と笑います。
それを聞いてチェロは、さっき少しだけお話した女のコおばけのことを思い出しました。
―― あんなに楽しみにしてたんだもの。やっぱりあのコにも食べさせてあげたいなあ・・・。
灰色にけぶった岸に目をやります。
―― どうすれば・・・いいのかなあ? ・・・。
そこでチェロはフとあることを思い出しました。
ゆっくり膝を落として、ぽっくいに訊ねます。
「ねえぽっくい。 さっき爆弾アメ食べた時、お願い事が叶うのは嬉しいなーっていってたでしょ? ぽっくいのお願い事ってどんなことなの?」
ぽっくいは、不思議そうにおめめをパチクリさせましたが、「ああ!」と船の縁をヘコヘコ動かしました。
うなずいたようです。
「あのカラいアメのこと? そういえばお願い事が叶うっていってたよね。 あのね、ぼくのお願いはね。『お兄ちゃんやみんなと仲良く楽しく過ごすこと』だよ!」
チェロはゆっくり、「うん」とうなずきました。
そしてひとり、「うんうん」とさらにうなずきます。
さっきまで泣く寸前だったのに、なんだか優しげな笑いが口元に浮かんでいました。
―― だったら絶対ダイジョーブ!
チェロはみんなにもニッコリ笑いかけると、ウルルさんにいいました。
「ウルルさん、ちょっとそれ貸してもらえないかな?」
チェロはぽっくい船の上で立ち上がると、ウルルさんに借りた木の枝を逆さに持ってフーッと息を吐きました。
周りの空気は相変わらずヒドイ臭いですが、なにかマスクの替わりになるものないかな?って考えましたが、目を閉じて軽く頭を振りました。
―― あ・・頭で考えてる。
チェロはンフ~と鼻から息を吐きました。
―― 頭じゃない。
―― 考えじゃない。
今度はゆっくり吸います。
―― ハートだよ。
―― 想いだよ。
自分に言い聞かせながら呼吸と共に意識をゆっくり心臓に降ろします。
鼓動が聞こえました。
ハートが鳴っています。
生命の大動輪が膨大なエネルギーを抱えて燃えています。
チェロは今、この今。
間違いなく確実に自分自身という存在がここにあると、ハッキリ自覚していました。
そして不安があります。
恐怖があります。
怒りも、悲しみも、後悔も、がっかりも、やるせなさもあります。
ジャックオの嘲りの声がします、女のコおばけのウキウキした顔が見えます。
自分のために本気で怒っていたピアノ。
常にみんなを守ろうと勇気を出しているウルルさん。
泣き虫で臆病なのに必死に前を向こうとしていたサロンさん。
考えなしのお調子者だけれどたったひとりで行動したぽっくい。
今日一日だけでも色んな思いがありました。
先走り、勘違い、我がまま、思いやり、
おっちょこちょい、無邪気、思い切り、そして嘘。
全部全部仕方ないっていうこともできるけれど、
全部全部何とかしたいっていう思いもありました。
―― だってわたしは・・・みんなも。
ぎゅっと枝を握りこんで、フッと緩めます。
手のひらに鼓動を感じました。
体中に生命を感じました。
チェロの小さな体にとてつもないビートが満ちました。
―― こんなにも生きているんだから!
スプーンから溢れ出た聖水をプーッとお池に・・巨大なスライムに吹きかけました。
「お洗濯・・・・・するよ!」
そして枝をそっとお池の中に差し入れました。
お池の縁からとてつもない水柱・・ならぬスライム柱が天に向かって爆発しました。
空を覆い隠していた瘴気を一息で拭い取り、サッと美しい夕焼けと満月を磨き上げると轟音を立てて広場に落ち、おばけの門に向ってに宙を舞っていたフワフワおばけも、虚ろにフラフラ歩いていたモノバケたちもいっぺんに飲み込んでお池の中に引きずり込みました。
お池の真ん中辺りにいたチェロたちは、悲鳴を上げながら一度お池の底までヒュ~ンと落っこちて、今度は遥か高みにまで突き上げられました。
反動で盛り上がったスライムのてっぺんで、一瞬目入ったそれはそれは大きな夕日と大きな満月を心に焼き付けましたが、再び悲鳴と共に水面に落ちます。
勢いを落としながらそれでもたっぷり上へ下へボヨン!ボンヨヨと蠢動した巨大なスライムの弾性運動がようやく収まると、広場で立っているのはチェロたったひとりでした。
チェロは凄まじい意識集中のただ中にいました。
魔法を使うために必要なことは三つです。
イメージすること。
信じること。
そして、決意すること。
その三つを引き寄せたチェロの意識状態はたった一つの思いに裏打ちされていました。
お洗濯すれば。
みんな。
ニッコリニッコリになる。
「いつまでも元気で笑っていてね。 ずっとチェロのそばにいるからね」
チェロがハッキリ覚えているお母さんの言葉です。
だから元気で笑っていたいのです。
ぽっくいが願ったように、みんなで仲良く楽しく過ごせれば笑っていられるのです。
だから思いました。
―― お洗濯しよう!
キレイになった空気を胸いっぱいに吸い込むと、もう一度枝をスライムに差し入れ、決然とした喜びの声で叫びました。
「ロックンロール!!」
チェロの中に溢れていたビートが吹き上がりました。
チェロが枝を回し始めると、チェロたちを中心にお池全体がぐるりと回りました。回転がどんどんとスピードを増し、あっという間に大渦が出来上がります。
渦の中はおばけたちでビッシリ、悲鳴も上げずにもがいていました。
渦に引っ張られた広場の空気がゆっくり風に変わっていくと、その風に乗って歌声が広がりました。
こんやは うきうき パァーティ♪
とっておき まっしろ ドレッスー♪
ごちそうのまえで トングをカチカチ
はりきりすぎて スカートのすそ
ふーんじゃったのー♪ (キャー! すってーん!)
ハンバーグ(ケチャケチャ) ポテサラ(マヨネー)
アイスー(クリーム) チョコレート!!
タイヘン テーブル めちゃめちゃー♪
ドレスも すっかり ぐちゃぐちゃー♪
わたっしー 泣きそおー かたづけ かたづけー♪
いそいでー お洗濯ー♪ お洗濯♪ しなくちゃー♪
(ザブザブザブザブ ブクブクブクブク)
(ジャブジャブジャブジャブ アワアワアワアワ)
チェロの魔法のイメージから溢れる重厚な低音のリズムがおばけの城全体をビンビン震わせ、丁寧なベースラインがリフのケツをきっかりかっちり浮き彫りに削り取り、繊細かつ怜悧なメロディが芸術的な色彩を奏でながら、それでも時々茶目っ気たっぷりにおかしなディストーションを織り交ぜて響き渡ります。
お池の中は縦横斜めの凄まじい乱流が巻き起こり、天井上がりの洗浄効果が発揮されていました。
きょおはぐっすんー めそめそー 泣き虫 パァーティー♪
だけどお洗濯ー お洗濯ー きれいに なあれー♪
そしてフワフワー さらさらー お洗濯 ロクンロール♪
だからあしたはー スッキリー ニコニコ ロクンロール♪
チェロはもうノリノリでした。
気がつけば隣でピアノが腰に手を当てて楽しそうにお尻をフリフリしています。
ウルルさんも嫌がるサロンさんの手を取ってキャーキャーいいながら踊っています。
足元からは、「あの・・ちょ・・えと・・もうちょと・・」なんておかしな声が聞こえてきましたがそんなことよりもこのグルーヴの方が大事なのです。
足を踏み鳴らし、首を振り、全身で生命のサウンドをぶちまけます。
喜びも悲しみも憤りも歓声も、全部全部をエネルギーにかえて、散々に存分に爆燦させると、やがてチェロは厳かなフィナーレを自らに迎え入れ、満月まで届きそうな余韻を馥郁と響かせながら、そっと枝を引き抜きました。
「サンキュウ!」
ゆっくりゆっくり渦が消えて元の静かなお池が戻ってきました。
時間にすれば二分くらいの間だったはずですが、チェロは空を見上げて長くて深い息を吐きました。
すっきりした顔で肩を降ろします。
「ちぇおちゃんすごおーいい!」
ピアノが飛びついてきました。
ウルルさんとサロンさんも惜しみない拍手と歓声で迎えてくれました。
ほのぼのとした達成感が空に昇っていくようです。
チェロは全身汗だくになっていましたが、極上の笑顔でそれを見送りました。




