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迷宮〔あな〕の洗濯屋さん 【 スライムワールド 】  作者: 弥竹 八
カッパ淵の冒険
23/49

精霊との約束

 ピアニカさんは長い溜息を吐きました。


 吐く息に魂を乗せて、このまま自分の存在ごと、宙に消えてしまえばいいのにと思いながら、溜息を続けています。

 冷静に自分の中を見ているうちに、だんだんと痛みと疑問の渦に呑まれかけていました。



 なぜ?


 なぜ、こんなに愚かなわたしに生まれてきたのだろう?


 なぜ、こんなに愚かなまま生きていかなければならないのだろう?


 必死に生きている。

 なんとかやりくりしている。

 何の不自由もなかった生活をかなぐり捨てて、わざわざ自分で選んだはずの生活は、惨めな自分自身を、舌が痺れるような思いで舐め取っていく日々になっていました。


 

 わからない。

 わからない。


 自分の愚かさゆえに苦労を重ねるしかなかったことはわかる。

 でも、どうしてこんなにも愚かな自分になってしまったのかがわからない。


 地位も財産もある生活を送ってきたことへの罰なのだろうか?

 誰かが自分をねたんで呪いでもかけたのだろうか?

 一方では甘やかし、一方では過剰に厳しかった両親の育て方が悪かったのではないか?

 人間らしい素振りもなく、淡々と日々の課題を押し付けるだけだった乳母のせいか?

 

 わからない。




 自分のせいにしようが、他人のせいにしようが、自分の愚かさが拭えるわけもありません。

 ピアニカさんは、ただ理不尽に轟々と涌いてくる怒りと悲しみと憎悪に、みちみちと内側から肉を剥がされるような思いで、頭を抱えていました。

「あんたの持ってる『わからなさ』こそがあたしたちを救ってくれたんだ」と、ネネコおばあちゃんはいいました。



 それがどうしたというのだ?

 この苦しんでいる自分のままでいたことに、何か意味があったとでもいうのだろうか?

 状況だけ見れば確かにカッパの族長の言う通りなのかもしれない。

 ベジタローくんが、わたしの元へ訪れなければ、事態はいい方へ向わなかったのかも知れない。

 ベジタローくんを家に招待したのはわたしだ。

 いつも暗く沈んでいるのに、わたしの前では、気を使って笑うピアノの姿に耐えられなくなって、フラフラと街に出て行った時にベジタローくんと出合った。

 猫らしからぬ、思慮と優しさをもっていることは、すぐに察しがついたので、ピアノが喜ぶかもしれないという計算の上、「いつでも遊びにきてね」と誘った。

 わたしの浅ましさが、ピアノにベジタローくんを引き合わせたというのなら、わたしも役に立ったといえるのかもしれない。

 

 だけど、それがどうしたというのだろう?

 わたしは、協力を求めてきたベジタローくんの思いを、簡単に投げやってしまった。

 あの場では、知りえようもなかったが、この自分を救おうと小さな体を投げ打つ決意のピアノを、引き止めようとまでした。

 与えることも、受け取ることも恐れているのだ。

 なぜ、わたしはこんなに愚かなのだろう?



 いつの間にかピアニカさんは、安らかな寝息を立てるピアノにグッと近づいて、その顔を見ていました。

 眠っていてもどこか危うげで、なにか不安を抱えているように映りました。



 ピアノがいつも何かに怯えていて、どこに連れて行っても泣き出してしまうのも、わたしのせいだ。

 ピアノのもっている『感応』の能力がどこまでのものかわからないが、少なくともわたしの考えは全て受け取っていただろうと思う。

 とても気安く接することなどできずに、いつも気を使っていたのだろう。

 わたしの発する怒りや不安に常に接していたこの子は、そういう感情に敏感になっていたはずだ。

 だから、外に出しても周りの人が発する怒りや不機嫌に反応して怖がったのだろう。

 わたしがいつも心から笑っていたのならば、周りの人たちの笑顔や幸せにこそ目が行き、耳の届く子どもになっただろうに、わたしのせいで世界の悪い面にばかり気づくようになったのだろう。一時も心休まることなどなかっただろう。



 ピアニカさんは、本当に死にたくなりました。

 悔恨の涙が溢れ、シーツを濡らしていきます。

 


 一体どうすればいいのだ!

 ここでこうしている間にも、この子は夢の中ですら、わたしの思いを受け取っているのかも知れない!

 いかに怒りを抑えようとも、悲しみを隠そうとも、不安を押しつぶそうとも、全部この子には知られてしまう!

 やはり教会へ、やるしかないのだろうか?

 それとも、明日、シールとやらを施せば普通の子どもになって、普通の母子になれるのだろうか?


 わからない。

 わからない!

 どうすればいいのかわからない!

 このわからなさが誰かの役に立つなどというはずがない!

 ピアノにひたすら負担を強いるだけではないか!



『わからないままで終わらないで、いつかその暗闇にも明かりを灯せることに希望を持って欲しい』

 ネネコおばあちゃんの言葉が、再び胸に甦りました。



 いつか?

 明かりを灯せる?

 いつというのは、いつのことだ?

 必要なのは今なのだ!

 明日になれば、少なくともピアノが他人の気持ちにを勝手に拾って傷つくこともなくなるのだろう。

 でも、そうなったら自分は、『表面を繕いながらずっと暗い気持ちで生きている母親』という風に認識されたまま、この先も生きていかなければならなくなる。

 ピアノは、そんな母親に育てられたと、すぐにでも母親である自分を軽蔑するようになるのではないか?

 それならばまだいい。

 それよりも、ピアノ自身が自分に誇りを持てなくなってしまったら・・・。


 ・・・・・。

 ・・・・・。

 一体・・どうすればいいのだろうか?・・・・。



 それでも・・こんなわたしでも・・ピアノは命がけで愛してくれている・・。

 確かにわたしがいなくなれば、ピアノも生きてこられなかったかもしれない。

 でも、そんな理屈なんて全く関係なしに、ピアノはわたしを愛してくれる。

 わたしも・・ピアノを愛している。

 ちゃんと、愛することもできる・・できている部分だってある。

 いや、愛しているはずだ!


 ならば・・。

 わたし自身を愛することができれば・・・それはピアノにも伝わるはず・・・。

 でも・・どうやって自分を愛したらいいのだろう?

 わたし自身は・・こんなにも自分を憎んでいるのに。


 ・・・・・。


 ・・・ピアノは・・理屈抜きでわたしを愛してくれている・・。

 ならば・・・わたしも・・・


 わたしも理屈抜きでただ自分を愛したらいいのでは・・ないか?


 いや・・・。



 ピアニカさんは、涙に濡れた目をスッと上に上げました。

 間接照明がぼんやりと照らす、オレンジ色の岩壁を見ます。

 岩壁を透して、その先にあるはずの月を見上げます。

 さっき、目を覚ましたとき、駆け寄ってきたピアノは、初めて見せる屈託のない笑顔でピアニカさんを見た後、嬉しそうに満月を見上げていました。

 ピアニカさんは、その時のピアノの視線を追うように、岩壁の向こうに月の姿を追います。

 月はただ、微笑んでいるように感じました。 



 ――許し・・・。


 自分が自分でいること。

 自分が自分であることを・・ただ許せばいいのではないか?


 許そうとすることでも、愛そうとすることでもなく。

 許すべきでも、愛さなければならないでもなく。

 ただ・・。


 ただ、自分自身に「OK」といえばいいのではないか・・・。


 

 ピアニカさんの胸にほのぼのと温かい気持ちが溢れてきました。

 さっきまでとは違う涙が頬を伝いました。

 


 愚かでも不出来でも・・そんなわたしでもピアノは丸ごとわたしを受け入れてくれる。

 ならば、わたしも自分自身を受け入れよう。

 明日の朝までしかなくとも、ほんの少しでも、ピアノに『自分自身を愛している』母親を見てもらおう。



 ピアニカさんは、お尻の方から頭の先まで、ビシッと何かが通ったように感じました。

 眠っているピアノの頭を、起こさないようにそっとそっと撫でます。


「ピアノ・・大好きよ・・・」


 自分の言葉に妙々と温もりが通っていることに気がつきました。

 ちゃんとピアノを愛せていることに気がつきました。

 自分の中に愛が溢れ、ピアノに届いていることに気がつきました。


 と――。


 ピアノが、ゆっくり目蓋を開きました。

 ぼんやりした顔で、ピアニカさんを認めます。

 ピアニカさんは、泣きそうになりながら、精一杯の笑顔でその視線を抱きとります。

 それを見たピアノも、ほのかに笑います。


「・・・おあーしゃん・・」


 ピアニカさんは、目を剥きました。

 囁き声よりも、もっともっと小さな、ひそかな声でしたが・・・。


「・・おあーしゃん・・らいすき・・」


 約二年ぶりに聞いた我が子の声でした。

 間違いなくピアノが話したのです。


 ピアノは、そのまま嬉しそうな顔で、柔らかい眠りの中へ降りていきました。

 

 ピアニカさんは、とてつもない感動で、叫び出しそうになりましたが、ピアノの眠りを守りたくてベッドにぎゅうぎゅう指を立てました。

 それでも、低い嗚咽の声がどんどん洩れてしまいます。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、喜びで体が破裂しそうでした。

 

 ――ああ、神さま!


 奉じたこともない神さまに向って、ピアニカさんは噴火のように感謝を噴き上げました。

 目も耳も鼻も、体の感覚も消えうせて、ただ喜びの忘我に溶けていきました。



 

 ピアノのお願いは、叶ったのでした。

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