こうなったちゃん
霊泉につかったチェロは、ものの数秒で声が出るようなりました。
「ぷ~・・・」
リラックスして息を吐きます。声が出るのが嬉しいようでした。
チェロとピアノは、すっかり仲良しになっていました。
お互いの髪を洗いあったり、霊泉につかりながらにらめっこしたりして、もうずっと前から一緒に暮らしている姉妹のように打ち解けています。
ピアノもようやく周りに慣れてきたようで、一緒に入っていたネネコおばあちゃんの膝に抱かれても、照れくさそうにもじもじしながら、ちらちらとぎこちない笑顔を向けていました。
ピアニカさんは、初めてみる娘のそんな姿を、潤んだ目で嬉しそうにみていました。
チェロたち以外に唯一入泉を勧められた、レンジャーのサロンさんもずっと微笑しています。
チェロたちが霊泉につかっている間にも、カッパの女衆がどんどんと霊泉のスライムを汲み上げては、運んでいきます。
本当にこのカッパの霊泉はすばらしい力を持っているのです。
少しお皿に塗るだけで倒れていたカッパたちは片っ端から回復したそうです。
チェロは改めて、スライムと関わっていることを不思議に感じました。
ピアノともども、新しい貫頭衣を着せてもらい隠れ里から外にでると、新しいかがり火が焚かれて広場を明るく照らしていました。
岸の方からは、宴会の準備の声が揚々と届いてきます。
どのカッパたちも本当に楽しそうでした。
岸に戻ったチェロたちには、それはそれは熱烈な歓迎が待っていました。
カッパたちは歓声をあげながら、ドンドン淵に飛び込んできて、口々にお礼をいいながらチェロたちの周りをグルグル泳ぎ回りはじめ、イルカちゃんもその輪に飛び込みます。
岸で待っていたカッパたちは大人も子どもも全員が笑顔で泣いていました。
ブルさんがザブザブ水の中に入ってきて、竜ちゃんの背中からチェロとピアノを抱き上げた途端、熱烈なキスの雨を交互に降らせ、岸に上がればカッパたちに取り囲まれて今度は感謝の洪水にさらされました。
前に進み出てきたネネコおばあちゃんにふたりいっぺんに抱きかかえられると、やはり大泣きしながら抱きしめられました。
その場で、宴の号令がかけられ、淵中に轟く歓声が上がりました。
チェロとピアノは、まず霊泉に連れて行かれましたが、ピアノはミルさんの腕から飛び降りてピアニカさんのところへ走っていきました。後を追いかけるとピアニカさんを抱き起こしていたサロンさんがいたのです。
イルカちゃんと首長竜の竜ちゃんは、すぐに淵へ戻っていってしまいました。
チェロは岸のかがり火と、月を映す淵。その上に輝く満月を見上げました。
さっきまで上へ下への大騒ぎがあったようには見えない、静かな景色です。
ですが淵を見ながらチェロにはどうしても心配事が拭えずにいました。
結局、スライムがいなくなってもビッグマムは見つからなかったのです。
イルカちゃんと竜ちゃんは探しにいったようですが、ビッグマムのことが大きなとげになってチェロを苛んでいました。
こっそりネネコおばあちゃんに相談しましたが、ネネコおばあちゃんは静かに目を閉じてしばらく黙ったあと「大丈夫」と、しっかりうなずきました。
「マムはいなくなったりしないよ。これまでだって一度もお姿を見せてなんかくれなかったんだもの。用事を済ませて、帰る場所へお戻りになられたんだ」
そういって笑いました。
それでもチェロの胸にささった棘は抜けません。
もうチェロにとってのビッグマムは単なる神さまではないのです。『おおきなお母さん』なのです。
とってもとっても心配したままでしたが『いつでも笑っていてね』と笑ったおかあさんのことを思い出し、ぎゅっと顔をしかめて耐えました。
後ろを振り返ると、隠れ里の入り口辺りに、ピアノを遠巻きに囲むようにしてみんな集まっていました。
チェロも駆け寄ります。
ピアノは、塚の上の小さなカッパの像に触れているところでした。
「どうしたのピアノちゃん?」
チェロが隣にくると、ピアノはカッパの像を指差して、ニッコリ笑いました。
「ん?」
さっきも見た、ただのカッパの像です。
不思議そうにしているチェロの隣にサロンさんが並びました。さっき、フラフラになりながら自己紹介してくれたレンジャーのお姉さんですが、もうすっかり元気みたいです。
チェロたちと同じような貫頭衣を着て、まだ乾ききっていない髪を後ろで束ねたキレイな人でした。
サロンさんはふうっと笑いながら、チェロの隣で膝をかがめました。
「この像がピアノちゃんに『たすけて』っていったんだって」
「ホント!」
「なんと!」
「あなた、この子の言ってることがわかるの!?」
ネネコおばあちゃんは、驚いた様子で目を見開きました、ピアニカさんはサロンさんに詰め寄ります。
サロンさんは特に慌てた風もなく、涼やかに笑いました。
みんなそれぞれに驚いていたようでしたが、一番驚いたのはピアノでした。
サロンさんにトコトコ近寄ると、パクパクと口を動かしながら何か伝えます。
サロンさんは聞いているそばからニコニコ笑いはじめ、ピアノが話し終わるとピアニカさんに向き直りました。
「昨日の晩ごはんはシチューとツナサラダとパンとフルーツゼリー。パンはちょっとだけ固くなっていたそうですね」
ピアノは嬉しそうに頷き、ピアニカさんは驚きに固まりました。
サロンさんは、ピアニカさんに「あとで詳しく」と伝えて立ち上がります。
「わたしはこの子と同じ『感応』ですが、この子・・ピアノちゃんは凄い人ですよ。なにしろ大地の精霊と話ができるのですから」
サロンさんが、ピアノに何か促すと、またピアノはパクパク話し始めました。
「ピアノちゃんが言うには・・・今日ベジタローくんが来たときに彼の背中にこの像が乗っていて、助けを求められたそうです」
そういってピアノに笑いかけます。ピアノはうんうんとうなずきました。
「しかし、わたしが思うに、感嘆すべきはピアノちゃんの能力よりも、その勇気にあると思います。五歳の女の子が知りもしない土地を救おうと実際に行動し、こんなとてつもないことを成し遂げたわけですから・・ただ賞賛を送るしかないですね、本当に」
ピアノは今度は恥ずかしそうに顔を伏せてしまい、チェロの後ろに隠れました。
「ああ・・やはり精霊のお導きだったか・・・」
ネネコおばあちゃんは、ぽろぽろと涙をこぼしながら、カッパの像の前に跪きました。アイラさん、ミルさん、ピコもそれに習います。
ピアノは、背中に隠れるだけでは足りなくなったのか、今度はチェロの貫頭衣のスカートの中に隠れようとしました。
「わああ!」
チェロがあわててスカートを押さえると、ピコちゃんが声をあげて笑いました。
ネネコおばあちゃんは慈愛と感謝に満ちた目でニッコリ笑い。サロンさん、アイラさん、ミルさんもクスクス笑いました。
ですがピアニカさんだけは、笑いきれないような複雑な顔をしていました。
岸に降りると、再び歓声が爆発しました。
カッパのみんながチェロたちの周りに殺到して、物凄いことになってしまいました。
ネネコおばあちゃんが、なんとかみんなを取りまとめ、岸に続く一段高くなったところにチェロたちと一緒に登ります。
ブルさん。ベジタロー。チェロ。ピアノ。ピアニカさん。そしてレンジャーを代表してサロンさんの順番で横一列になると、歓声はさらに膨れ上がりました。
体中、焦げ跡だらけでボロボロになっていたブルさんもすっかり元通りになって、カッパの男たちと同じ腰布一枚の格好で実に楽しそうです。
ピアニカさんは最初「わたしは何もしていませんし・・」と、紹介されるのを渋っていましたが、ピアノに手を引かれ、仕方なく前に並びました。
レンジャーの人たちは、増援できてくれた人たち以外、ほぼ全員が心的ダメージが酷く、今も霊泉に入れられているので、サロンさんが代表として参加したのです。
「みなの衆。今日は本当に大変な一日だった。だけれどみな無事で淵のつとめを果たし、再び平穏を手にすることができた。正直なところあたしは、此度の淵の穢れを見ていて、一族の歴史が終を迎えるんじゃないかと覚悟したがね・・だけれど精霊は使者をお遣わしになってちゃんとあたしらを守ってくださった」
両手を額の前で組んだネネコおばあちゃんは、少しの間、祈るように沈黙しました。
そして空を仰ぎ見て、両腕を高々と広げると「精霊に感謝と祝福を」。
「精霊に感謝と祝福を」
カッパたちがそれに続きました。
「そして精霊の導きを得て、救いの手をもたらした勇者たち。淵のカッパ族のみなに代わり、族長ネネコより、心からの感謝と賛辞を送ります」
ネネコおばあちゃんは、チェロたちの正面に周りこむと、跪いて深々と頭を垂れました。
淵のカッパ族、全ての面々が一様に頭を垂れます。
神妙ながらも温かい、不思議な静寂が岸辺を包みました。
ゆっくり立ち上がったネネコおばあちゃんは、並んだチェロたちを見回し、たちまち破顔すると「ありがとう」と心情あふれる声でいいました。
「さあ」
くるりとカッパたちに振り返ります。
「大いに盛り上がろう! 宴だよ~!!」
おおおお~!!
歓びの叫びが噴きあがりました。
チェロの前に次々とご馳走が運ばれてきました。
色とりどりのお寿司、貝のフライ盛り合わせ、鯛の蒸しもの、焼き蟹、鮭のシチュー、うなぎの蒲焼、お魚ハンバーグ、山菜サラダ etc・・。少し離れたところでは豪快にマグロの丸焼きをやっています。
ご馳走を目の前にして、チェロははじめてお腹が空いていることに気がつきました。
しかもペッコペコでした。
チェロもピアノもご飯に熱中しました。
もう、どれもこれも美味しくて美味しくて!
ブルさんの話では、ミズーミ湖周辺で取れる魚は特別なのだそうです。
普通、淡水で捕れる魚や貝などは、生では食べられないのですが、この辺りの魚には一切、虫がいないそうです。おまけに、チェロも街ではちょくちょく食べていたマグロなんかも、本当は海にしかいない魚だと聞いて驚きました。
「だから安心だYo!」
そういいながらブルさんはカッパ族謹製だというお酒をおいしそうに飲んでいました。
みんなが一通りお腹に入れた時分に、ネネコおばあちゃんがカッパたちに今日の経緯を順を追って説明しはじめました。
ベジタローが淵で子どもの悲鳴を聞いたこと。
チェロをともなってピアニカさんの家を訪れ、そこでピアノが精霊の声を聞き、勇気を持って里を救おうとしてくれたこと。
しかも、ピアノは口が利けないのだということが話されると、大きなどよめきが起こり、すすり泣く声、感謝の叫びがあがります。
みんな一様に、物語に溶け込んでしまったように、前にのめり、後ろに反りつつ真剣な面持ちでネネコおばあちゃんの声に聞き入っていました。
ブルさんにバトンタッチすると再び歓声が起きました。
以前からカッパたちとは知り合いのブルさんの登場に、新しい興奮の波が生まれたようです。
しかもステージ慣れしているブルさんのことです。
身振り手振りに、声の抑揚、緩急入り混ぜ、タクシーとして町を流していたらチェロに呼び止められたところからその道中、イルカちゃんを救ったことから水グモとの戦いなど、それはそれは面白く話してくれました。
中でも、イカヅチに打たれてアフロヘアになってしまい「ワイフに怒られるのが何よりも心配だった」という話は爆笑を引き起こしましたが、すぐに笑いの声がしゅーんとしぼんでいってしまいました。
みんながビッグマムのことを思い出して、重い沈黙が落ちました。
誰もが泣き叫んでその悲しみを味わったのですから無理もないでしょう。
ネネコおばあちゃんが、ブルさんのとなりに進み出ると、柔らかい調子で話します。
「確かにマムは淵に消えてしまったように見えたがね・・・でもビッグマムはいつだってここにいらっしゃるのさ。今までだってお姿を見せたことはなかったんだよ。ただ目に映らないことが、いなくなっただなんてことには、なりはしないのさ」
静かに。でもしっかりと力のこもった声で、ハッキリと言いました。
「ビッグマムはいつだってここにいらっしゃるんだよ」
「そうですとも」
澄んだ声が、そこにいた全員の頭に響きました。
みんなキョロキョロ辺りを見回します。
淵から、パシャンと水を跳ねる音が聞こえました。
何人かのカッパが、音の方に松明をかかげて淵を照らします。
チェロもピアノも水際に駆け寄りましたが、すぐにピアノがある場所を指差しました。
そこには、淵から体をのぞかせて、水際の石に肘を乗せ、満足そうな顔を両手で支えた小さな女の子が楽しげに笑っていたのです。
「クカカカ!」
「キュキュイイ~ン!」
すぐそばにイルカちゃんと竜ちゃんが来ていました。
イルカちゃんはバッシャンバッシャンと高いアーチを描いてその周りを跳ね回っています。
「わたしはいつでもここにおります」
「ビッグマム!」
みんなの呼び声に答えるように、ビッグマムは優雅に空中へ身を躍らせました。
きらきらと光を反射させなから、魚の下半身がピチピチと飛沫を飛ばしました。
たぽん。とビッグマムが淵に落ちると、またまた歓声が上がりました。
抱き合うもの、膝を落として泣き出すもの、淵へ飛び込むもの。
カッパたちは全身で喜びを爆発させました。
ネネコおばあちゃんがワナワナと震えながら前に進み出ると、ビッグマムであるところの小さな人魚は、ぽうっと淡い光を放ちながら空中へ浮かび上がりました。
「みなさん。まずはお礼を言わせてください。わたしの娘たちを救っていただいて、ありがとうございました」
竜ちゃんとイルカさんがキュイキュイ、クカカと鳴きました。
「そしてご心配おかけしたようですね。申し訳ありませんでした」
「ほんとにビッグマム!?」
どよめきのなかチェロが大声で訊ねました。
ビッグマムは、ゆっくり動作でふんわり微笑むと「そうです。あなたもありがとうチェロさん」と静かな声を響かせます。
見た目は子どもの人魚です。ですが頭に直接語りかけてくる声にはたっぷりと大きな優しさが込められていました。
―― ビッグマムだ・・間違いないよ、ビッグマムだよ・・よかったあ。
チェロは、目の前にいるのが本物の神さまで、本物のビッグマムなのだと確信しました。
そしたら涙があふれてきてそれ以上何も言えなくなってしまいました。
「マム! よかった! 淵に沈んだと聞いて慌てました・・まあ信じていたからいいんですが、しかし・・・リトルマムに変更したんですか?」
安心したのでしょうブルさんが、おどけて憎まれ口を付け加えると、ビッグマムはゆっくりとみんなを見回して「それも楽しそうですね」と笑いました。
「肉の身は、みなさんがモンスターや妖魔と呼ぶものたちと一緒に波動を変えて淵の底の修復に充てました。霊的な亀裂はわたしだけでも塞ぐことができましたが、物理的な亀裂を塞ぐには素材が足らなかったのです」
そういうとゆっくり首を巡らせて、ひざまづくサロンさんを見ました。
「此度みなさんがスライムと呼んだものは『負の感情』の塊ですが、モンスターを内包することによって感情の方向付けがなされてしまうのです。モンスターは怒りの感情しか持ちえませんのでスライムも怒りの方向で存在していました」
「なるほど・・モンスターが、いつも問答無用で襲ってくるのはそのためだったのですね」
「レンジャーの皆さんの攻撃がわかりやすい指針になり、怒りの集約がなされました。おかげでモンスターを押し包んだ際に、スライムの中の怒りも根こそぎ吸い取ることができたのです」
この言葉にはサロンさんも驚きましが、深く納得もしたようです。
そして嬉しそうに笑いました。
早まってスライムに攻撃を仕掛けたことに、レンジャー全員が深い遺憾の念を持っていたからですから。
「・・そう・・ですか・・本当にもったいないお言葉賜りました。・・レンジャーとして恥ずべき軽率さを露呈してしまったものと考えておりましたが・・みなにも伝えます。御心感謝いたします」
ビッグマムは目を閉じてゆっくり首を振ります。
「感謝しているのはわたしですよ、サロンさん。ありがとうございました」
サロンさんは、敬服の礼をとりました。
「ですが、わたしは淵の底を塞いだ時点でほぼ力を失っておりました。カッパのみなさんがはじめに穢れを落としてくれていたおかげで、こうして戻ってこられましたが、そうでなければ淵の底で長い眠りにつくことになったでしょう。みなさんの祈りはスライムに昇華の筋道を与えると共に、わたしに勇気と力を与えてくれました。本当にありがとうございました」
「マム・・」
ネネコおばあちゃんが叫びました。目から涙の太い筋が迸っています。
ほかのカッパたちも同様で、感極まって泣き叫んでいる人もいました。
「そしてチェロさん、ピアノさん。本当にありがとうございました。あなたたちふたりの歌は、千年にも渡って淵の底に積み重なってきた嘆きや悲しみを解き放ってくれたのです。あの小さな光はいつか、星となって輝くでしょう。あなたたちの勇気と優しさに心からの感謝と敬意を贈ります」
喜びと感動に小さな胸をいっぱいにしていたチェロでしたが、誉められて、急になんだか照れくさくなってしまいました。
嬉しくてくすぐったくて「エヘヘ」と曖昧に笑いくにゅくにゅ体を揺らします。
隣を見るとピアノも同じように、照れくさそうな笑顔で肩をすくめていました。
――おかあさんにほめてもらったら、こんな感じかなあ
チェロは今やハッキリと思い出せるお母さんの姿を想います。
心の中のおかあさんはニッコリ笑ってチェロを見ていました。
――がんばってよかったなあ
チェロはじんわりと嬉しさを噛みしめました。
ビッグマムはそんなチェロのことを愛おしそうに見つめていました。
「みなさまのお力添えなくば、お役に立てなかった至らぬわたくしを、みなさまは母と呼んでくださいます。未だ未熟なこの身なれど今後も精進尽くしたく思います。そしてみなさまのことも我が子と呼ばせていただければ至上の喜びに堪えません。チェロさん、ピアノさん。あなたたちのことも娘と呼ばせてくださいね」
「えっ!」
チェロはびっくりして目を白黒させましたが、上目遣いにビッグマムを見ると、ピアノを見ました。ピアノも嬉しそうです。
みんなを振り返えればブルさんも、ネネコおばあちゃんもみんなニコニコ笑っています。
チェロは、ピアノの手を取ると、もじもじしながら小さな声でこたえました。
「・・はい・・・」
笑顔で見ていたビッグマムは、スウっと近づくと、小さな手をチェロの首に回し、優しく抱きしめました。
「ありがとう。愛しのチェロ。あなたの生が愛と祝福に輝きますように」
そういってチェロの頬にチュッとキスしました。
次はピアノです。
「この子たちもあなたの妹です。この機会にどうか名前をつけてあげてください」
首長竜の竜ちゃんはキュウキュウいいながらブンブンと縦に首を振り、イルカちゃんは狂ったようにジャンプを繰り返しています。
チェロはちょっと考えて、ピアノに相談してから、竜ちゃんには『ハーティ』。イルカちゃんには『クッカ』と言う名前を贈りました。
ふたりは水際まで歩くと、「お姉ちゃんだよ。よろしくね」と、ハーティちゃんとクッカちゃんをそれぞれ抱きしめました。
ハーティちゃんとクッカちゃんも、とっても嬉しそうにキューキュー、クカカと笑いました。
その様子を満足そうにみていたビッグマムは、またスウっと淵の方に戻ると、ふっと空を見上げ、体の前で祈るように指を組みました。
「大雨が降り、水が増えたことで、ハーティとクッカがこの淵に迷い込み、それをベジタローさんが見つけてくださいました。そしてわたし自身もお遣わしなられたことで、わたしどもは新たに絆を得ることが叶いました」
ビッグマムを包んでいた淡い光が増していきます。
同時に淵全体がその光に呼応するように光りはじめました。
だんだんと光が落ち着いてくると、淵の中からぼんやりと光をまとった塊が浮かんできました。
すーっとこちらに近づいてきて、岸の上に落ちます。
「これは淵に沈んだスライムの核が固まって変質したものです。言わば純粋な『恐怖』の塊ですね。どうぞお納めください」
ビッグマムは、ほのかな微笑を湛えながら涼やかな声を響かせました。
それは一抱えもある大岩でした。
月とかがり火の光を浴びながらも、それ自体が赤っぽい金属質な質感でぼんやり光っています。
髪の毛よりも細い金色の線が、波のように重なっていて、しかも見ているとその波は岩の表面をにゆっくり動いています。
『恐怖の塊』と聞いて、誰もが尻込みして近づきませんでしたが、ブルさんが「ちょ~っとごめんなさいYo~」と人波を掻き分けて岩に近づき、それを見て仰け反りました。
「・・・これ・・赤鋼じゃないですか、マム!」
ビッグマムは楽しそうにコクリとうなずきました。
「ブルさん、アカガネってなに?」
チェロがアカガネと呼ばれた大岩をちょんちょん突つきます。
「ア・・アカガネっていうのは、その・・ヒヒイロカネとかも呼ばれるものでね・・とってもとっても珍しい金属なんだよ。『あな』でも時々小さな鉱床が見つかるんだけど、固すぎて掘り出しづらい上に精製がめちゃくちゃ難しい金属でね・・・しかもこれ、結晶?・・と、とにかくものすごい金属なんだよ!」
「ふ~ん?」
「とにかくスゴイものだYo!こんな塊があったら街ひとつ買ってもおつりがくるYo!」
「すごいネ!」
「いや、あのね、だからね・・」
ブルさんは同意を求めて視線を泳がせましたが、周りの誰もがキョトンとしています。
ふ~っと肩を落としたブルさんは、ビッグマムに視線を戻しました。
「こんなのいただいていいんですか? マム」
「わたしが差し上げるのではありませんよ。これはみなさんの『収穫』です」
ビッグマムは、アカガネに近づいてちょこちょこと撫でました。
「恐怖と言うものは誰もが持っているものです。それは扱い難く不要なものと思われるでしょうが、目に見える形にしてしまえば、ただこういうものに過ぎないのです。使い方一つなのです。決して捨てたものではないのですよ」
そういうとスウっと上に浮き上がりました。
「わたしたちはミズーミに戻ります。ですが先にも申し上げたように、いつでも皆さんと一緒に在ります。どうかみなさん、これからもご自身を愛し、存分に生きてください。そこから溢れる喜びの泉こそが、わたしや大いなる精霊の糧となるのです。本当にありがとうございました。みなさん愛していますよ」
ビッグマムの光が増していきます。
その光は淵にいたハーティちゃんとクッカちゃんにも届き、ひとつになると、シューンとミズーミの方へ飛んでいきました。
岸のみんなは、ほのぼのとした安心感と充足感にみたされ、誰かれなく微笑を交わし、抱擁を交わしました。
「ちょ・・ちょっとすみません・・あ、ごめんなさいねえ」
そんな中、へりくだって遠慮にまみれた声が、小さく聞こえてきました。
まだ、ビッグマムが飛んでいった方をうっとりと見ていたチェロは、ゆっくりと声の方へ振り返ります。
ペコペコしながら人波を掻き分け掻き分けやってきたのは、レンジャーの鎧を着た男の人でした。
「ジャバン! なんですかあなたは、折角の神秘体験に水を差すようなマネを! もっと空気を読んでください!」
サロンさんがその人を捕まえてなにやら小声で怒っています。
「いやあ・・その・・だから、ちょっと離れて見てたんだよ。なんだか終わったみたいだったから・・」
もじょもじょ言っているレンジャーの後ろからもうひとり人影が現れました。
チェロの顔がパッと輝きます。
「じいちゃん!」
「チェロ!」
チェロは走っていっておじいさんに抱きつきました。
コントさんも力いっぱいチェロを抱きしめます。
「う~。じいちゃ~ん・・」
チェロはコントさんの肩にぐりぐりごしごしと顔をすりつけました。
コントさんは、うんうんとうなずきながらチェロの背中をぽんぽんと叩きます。
ベジタローが「にゃお~ん」と嬉しそうな声を出しながらふたりにすりつきました。
ブルさんはその様子に、ひとりウンウンと頷いて、騒ぎからゆっくり離れました。
――ようやく終わったYo!
喉を越えていくビールのうまいこと!
――なんちゅう一日だったやら。現役で毎日『あな』に潜ってた時だって、こんなスッタモンダはなかったYo。でも・・
「ひっさびさに楽しかったYo!」
ふううっと空を見上げ、月を見上げ、もう消えていった今日だった時間を見上げます。
星は静かに瞬き。
月は円満な微笑を湛え。
今日という日は、一生ブルさんの胸の中で輝き続けるでしょう。
偶然の出会いに
精霊の導きに
輝ける我が人生に
「乾杯」
満ち足りた表情で、夜空にジョッキを掲げました。
ですが。
「あ」
なにか思い出したようなブルさんの顔が、にわかに曇りはじめました。
だんだんと青ざめていきます。
震える唇をゆっくりと噛み、ポソリ・・。
「ワイフに連絡入れるの・・忘れてた」




