死の歌声
踊りの輪の中に加わったチェロを、カッパたちは喜んで迎えてくれました。
大きい子も小さい子も、輝くような笑顔で歓迎してくれます。
特に女の子のカッパたちは、はじめて見る人間の女の子に興味を押さえられないようで、競うようにチェロの周りに近づいては、派手にジャンプして見せたり、おどけた振りで踊ってみたりしました。
知らない人たちの中に、自分から入っていくことなど、かつて覚えのないチェロでしたが、どういうわけか当たり前のように体が吸い寄せられてしまったのです。
みなが次々に手を差し伸べてくれました。
手を取り合ってピョンピョン跳ねたり、みんなで手をつなぎ大きな輪になって大声を出しながら凄いスピードで回ったり、踊りながらにらめっこして大笑いしたりしました。
曲調が変わったり、合いの手が必要だったりするときは、さりげなくピコちゃんがフォローしてくれましたし、音程を外しても、タイミングがずれてもみんな笑ってくれます。
チェロは、次から次に周りに寄ってくるカッパたちの顔をしっかりと見て、笑顔を返しながら、巻き起こる高揚感に、弾けるような歓びを感じていました。
どれくらい踊りの中にいたでしょう。
我を忘れて踊っていたチェロは、フとピアノちゃんのことを思い出しました。
ぐるりと見回してみると陣の隅っこに、ピアノちゃんを見つけ、チェロは満面の笑顔で駆け寄ります。
「ピアノちゃん、いこう!」
ピアノちゃんは、うずくまって木の枝で地面に絵を描いていましたが、不思議そうな顔でチェロを見上げると、ピアニカさんに視線を移しました。
じっとその顔を見つめます。
ピアニカさんは困った顔に、ぎこちない笑顔を浮かべ、コクリとうなずきました。
ピアノちゃんは、ゆっくりと仄かに笑うと、描いていた絵に向き直り急いでその絵を仕上げました。
チェロが覗き込んだそこには、ニッコリ笑った大きな顔。その下には胴体とおぼしき部分に細い腕が左右に一対、さらにその下には逆むきに三角形、さらに正三角形が続いていました。
「人魚さんだね?」
ピアノちゃんは、はにかみながらコクリとうなずき、もじもじしながら立ち上がりました。
チェロはその手を取ると、渦巻く熱狂の中に駆け出していきました。
はじめの内こそピアノちゃんは、チェロの手を強く握ったまま、身を固くして周りを見ていましたが、ぎゅっと握り返してくるチェロを習ってキョロキョロしながら、ちょこちょことステップを踏み始めました。
ですが、アイラさんたちが鳴らす鈴の音に、駆け寄ってきたカッパの女の子の手に、かがり火が弾け火花が飛び散る様に、ピアノちゃんはいちいち身をすくめ、腰をかがめました。
それでも少しずつ、少しずつ、体を伸ばせるようになってくると、顔のこわばりもほのぼの解けていきました。
チェロも安心して握っていた手をゆるめようとしましたが、突然その手がきつく握り返されました。
ピアノちゃんは、また停まってしまいました。
仕方ないなあと、その顔を覗き込んだチェロは、怪訝そうに首を傾げました。
ピアノちゃんは恐怖に見開かれた目で、虚空を見つめていたのです。
ガムラン隊長は、カッパたちの演奏とその向こうに黒々と広がる淵を、腕組みして見下ろしていました。
ミズーミに駐屯している残りのレンジャーにさらなる増援を求めた上、街の騎士団にも要請を送りましたが、夜間に使える騎鳥に限りがあるため、到着までしばらく時間がかかります。
淵の地図の上にペンデュラムを垂らしてダウジングをしているサロンさんに振り返り、モンスターの状況を訊ねました。
「デデ・スライムは、岸から約80メートル付近で円盤状に島を取り囲んでいます。観測開始時より質量・魔素ともに40%減少。他のモンスターについて種別は不明ですが、XL級11、L級34、M級267、S級2340、バグ級は多すぎて不明。どの固体もスライム本体付近に集結している模様です」
「大軍勢だな・・結界はどうなっている」
「すべて異常ありません。神韻結界も通常強度の1.2倍で継続中です」
「わかった、監視を続けてくれ」
バルンが抜けた部分は遊撃要員を回したので対処できました。
新たに呼んだ増援には国内でも最上級の「金剛結界」を張るための装備も要請してあります。
ガムラン隊長は、鋭い視線を保ちながら、ひそかに溜息をつきました。
ネネコさまの話によると以前の状況では、スライムを浄化すればバグもモンスターも消えてしまったそうで、襲ってきたことなど一度もないという話でした。
しかし、今の状況は規模が大きすぎる上に、バルンが引き金になったのだとしても侵攻したきたことに違いはありません。
――もしかしたら、我々がここで警戒していることそのものが、連中にとって火口を切る要因になりはしないか・・。これまでは、全てを許し受け入れようとするカッパたちの大らかさゆえに攻撃をしなかっただけなのでは・・・?
そう考えると、先に攻撃を仕掛けて敵意をばら撒いてしまったことを悔まずにはいられませんでしたが、もう事態は動いてしまっています。
「隊長! スライム集結位置より魔素増大しています! 呪力検知!」
「くそ! きやがったか!」
淵に目をやると、やはり先と変わらず静かな様子でしたが、太鼓の大音量に不気味な音が混じっているのが聞こえてきました。
―― これは・・うめき?
突然、『何か』がガムラン隊長を襲いました。
物理的な攻撃ではありません。
魔法による攻撃でもありません。
痛みでも、衝撃でも、熱でも、冷気でもなく、それは『違和感』でした。
手が、異様に膨らんでいくような気がしました。
足が、地面に潜っていくような気がしました。
背骨が、妙な具合に捻じ曲がっていくような気がしました。
慌てて見てみれば、手はここにあり、足は大地を踏んでいます。背もちゃんと伸びたままです。
しかし、感覚が違うのです。
右手の親指が顔のような大きさに感じられます。
鼻の穴がどんどん大きくなっていきます。
後頭部だけが後ろに倒れていく気がします。
食道が体よりも太く感じます。
いつもの自分が意識することのない『当たり前』過ぎる当たり前が無秩序に剥がれ、伸び、知らないところで蠢動しています。
呼吸の仕方がわからない。
心臓の動かし方がわからない。
足で立つということがわからない。
目の閉じ方がわからない。
舌がどうやって口の中に納まっていたのかわからない。
ガムラン隊長は体を丸めて、思い切り自分を抱きしめていました。
両肩を掴んでいる感覚があります。
両手で握り締めている感覚があります。
しかし、現実感がないのです。
現実として感じるのは、自分が溶けて、ふやけて、形も、自分自身も喪失するような、とてつもない恐怖でした。
さらに全身に全力で力を込め、「吸って吐く」と懸命に意識しながら呼吸し、両脚を必死に踏みしめました。
どれくらいそうしていたでしょう。
気がつくと、四つんばいの格好で、全身を震わせながら荒く呼吸していました。
顔の前に震える手を持ってきます。
手は手としてあるようです。
強く唇を噛み、その痛みにすがってようやく顔を上げると、サロンさんが荒く呼吸しながら座っているのが見えました。
額からも鼻からも血が流れて出て顔を染めています。額のサークレットも砕けてなくなっていました。
「・・・『死の歌』どころではありません隊長・・・今の一波で・・結界陣全て消滅しました。三重結界がなければ間違いなく即死でした・・」
「・・・・・」
「さらに・・神の加護がなければどうなっていたのか、わかりません」
「・・神の・・加護?」
「はい」
サロンさんはようやくハンカチを取り出して、顔を拭い始めました。
そこでガムラン隊長は気がつきました。太鼓の音が聞こえてくるのです。
――カッパたちは無事だったのか?
耳鳴りがするせいか、さっきより小さく感じられますが、確かに太鼓が鳴っています。
しかし、よく聞くと太鼓の音に混じって雄たけびのような声も聞こえてきました。
「ビッグマムが死の歌を中和してくれているのです」
サロンさんは盛大に咳き込みながら、それでも少し嬉しそうに言いました。
――あれえ?
なんだかいい匂いのするフニフニした布に包まれていたチェロはもそもそと顔を出すと、キョトンとしました。
ついさっきまで、急にすごい風に打たれていたような気がしましたが、周りはなんともなっていないようです。
「おやおや。神皮が間に合ってよかった」
ネネコおばあちゃんが目の前に立って笑っています。
踊っていたら急に、ピアノちゃんといっしょに来るように言われて、ピアニカさんともいっしょに、三人でその布をかぶらされたのです。
「急にファンク・ブルがいってたことを思い出したんだが、まあ何にもなくてよかったよかった」
「『しんぴ』ってなんですか? ネネコおばあちゃん」
ネネコおばあちゃんは「おっ!」という顔をすると、チェロの頭を撫でました。
「ああ、チェロさん。やっと名前を呼んでくれたねえ、ありがとうよ。神皮ってのは、今あんたたちが被ってるもんだよ。あたしらにずーっと昔から伝わる、神様の皮でできた布だよ」
「神さまのかわ?」
チェロは布をよくみてみました。
真っ白でフニフニした不思議な手触りという以外、変わった風には見えません。
「そう。見てごらんあの方の皮でできてるんだ」
そういって淵を見られるように優しくチェロの肩を寄せました。
でも、真っ暗でよくわかりません。淵の水は、なんだか急に小さくなったかがり火を照らしてさざめいています。
その先は真っ黒な水があって、たぶん森があって山があってその上に星空があります。
その星空を長くて黒い影が横切りました。
「!」
チェロはびっくりしました。
向こうのお山の稜線に溶けていた別のお山がぐるんと動いたのです。
登ってきた満月の光の中、チェロは改めてそのお山を見ることができました。
星空を薙いだ黒い影は首の影でした。お山はびっくりするような大きな生物の背中だったのです。
さっきも淵でお山が渡っていくのを見ましたが、あの時と同じものだとすると、さっきよりももっともっと大きくなっています。
びっくりついでに、そのお山の先っぽからすごい声が響いていたことに気がつきました。
「あの方がビッグマムだよ」
「ビッグマム!? 神さま!?」
「ああ、そうさ」
まじまじとネネコおばあちゃんを見たチェロは、その目にうっとりと涙が溜まっているのを見つけました。
「あの方が守ってくださるんだよ・・」
ネネコおばあちゃんのしわしわな顔に涙が伝って落ちました。
チェロは、目をパチパチさせながらビッグマムに顔を戻します。
――神さまってちゃんといるんだな・・
チェロがぽかんと口をあけて、その姿に釘付けになりました。
ですが見ているとなんだか様子がおかしいのです。
影のように浮かび上がったビッグマムの周りに、ぞわぞわと真っ黒な影が集まりだしました。
にょびにょびと不気味に動きながらビッグマムに絡まっていきます。
さらには、大きな虫のような影がわさわさと次々にビッグマムの体にたかりはじめました。
「マム!」
ネネコおばあちゃんが大声を上げました。
太鼓の音は止み、みんなが口々に叫びと悲鳴を上げます。
見る間にビッグマムはなんだかわからないものにビッシリと埋め尽くされ、あっという間に倍もある影に成り果てたのです。
ビッグマムの咆哮は止みません。
首を垂直に立てたまま、上に登ったモノたちに押されるように、ゆっくりと淵に沈み始めました。
「ビッグマム!!」
チェロも叫びました。
ですが無情にも、ビッグマムの巨大な影はゆっくりと淵に飲まれていきました。
低い位置でその様子を見ていた満月は、血のように赤く光り、無言のまま残酷な光景を映していました。




