淵の円卓
ネネコおばあちゃんは微笑をたたえながら、光のボールの中に映し出されるカッパたちと、実際に眼下に映る皆の様子を交互に見比べていました。
内心、不安を払いきれずに複雑な気持ちで淵の様子を見守っていますが、それを悟られないよう、常にゆっくりした動作で自身をしばっていました。
周りでは熱狂に踊り咲く娘や子供たちが嬌声を上げています。
自分の判断いかんによって、この子らの未来も決まってしまうこともあるのです。
ネネコおばあちゃんは改めて、族長としての自分の責務を感じていました。
精霊の導きを信じています。
齢、百を数える自分の在り方に疑問を持ったりしません。
例えば今夜、精霊の導きによってこの里が壊滅することになったとしても、それはあくまでそういうものなのです。もしそうなったら、それは『滅ぶべき自分たちである』のだから、文句はありません。
もちろん里のみなのために全身全霊を尽くす。それは当たり前で、里のために死ねと言われたら是非も無く、みなが救われることに感謝しながら死を受け入れるでしょう。
そんなネネコおばあちゃんの中に不安が生まれています。
不安とは、信じるものと不確定なものとのギャップを受け入れられない時にこそ生ずるものです。
ネネコおばあちゃんは、今感じている不安の種にも気づいていましたが、それでもその不安ごと受け入れようと、人知れず下腹に力を込め、その上でリラックスしていました。
人が近づいてくる気配を感じたネネコおばあちゃんは、特に警戒するでもなく、ただ普通の足取りで陣の外へ出ると、近づいてくる気配を待ちました。
「グランマ! 遅くなりました」
まだ生まれたばかりの新しい宵闇の中から、声だけが先に届きました。
遠くなったかがり火の光の中にブルさんが現れました。その後ろには白い鎧をまとった人間が六人、ぞろぞろと続いています。
苦渋に満ちた面持ちの六人のうち、ブルさんの後ろにいた年配の男が、兜を腕に抱えながら進み出ると、ネネコおばあちゃんの前で片膝を地に着け、敬服の姿勢を取りました。
他の五人も横一列に並んでそれに習います。
「ネネコさま。この度は私どもの軽率な行動で、このような事態を引き起こしてしまいました。・・なんとお詫び申し上げればよいのか・・」
ネネコおばあちゃんは、「大事ない、大事ない」と笑顔で年配の男の人の前に膝を屈め、その肩に手を置きました。
「久しぶりに顔を見せてくれたねえグンデルさん。ああ、今はガムラン隊長と呼んだ方がいいかねえ」
グンデルと呼ばれた男は、肩に添えられたネネコおばあちゃんの手に、自分の手を重ねました。
「グンデルで結構です、ネネコさま。今や栄誉あるガムラン隊の長の名を掲げるなど、わたしにはとても及びませぬ」
短く切りそろえた白髪混じりの髪に、口ひげを蓄えた厳つい顔立ちのグンデルさんは、さらに深く頭を下げます。
ネネコおばあちゃんは、笑顔にちょっぴり困った感じを混ぜながらも、グンデルさんの肩を優しく撫でると、その場にゆっくり腰を下ろしました。
「まだ何にも終わってない内に、あんたのたちの栄誉をさらってく輩なんぞいないさ。さあ顔上げておくれレンジャーの衆。落ち込んでる場合じゃないよ。とっとと情報共有しようじゃないか。その上であたしらに手を貸してもらえるんなら、こんなに心強いことはないからねえ」
「しかし・・・」
グンデルさん以下、他の五人も顔を上げようとはしません。一様に頭を下げたまま、打ち沈んでいるようです。
みな、鎧の左肩口から胸の真ん中にかけて、金と銀の鎖が下げられています。
金の鎖は神官の証し。
銀の鎖は騎士の証し。
金銀二本の鎖は聖騎士の証です。
彼らは、王国全土でも50名に満たない生え抜きの国家教導騎士団の一員であり、特にこのミズーミ湖周辺では尊敬と憧憬をもって『ミズーミ・レンジャー』と呼ばれるエリートたちです。
特にガムラン隊は、聖域守護隊の初代隊長である、聖騎士・ガムランの名を冠した部隊なので、その高いエリート意識も相まってか、頑なを通り越して意固地になってるようにすら見えました。
成り行きを見ていたブルさんは、むふーっと鼻から溜息を漏らすと、ネネコおばあちゃんの傍らにあぐらをかいて座りました。
ブルさんの知る限り、王下直属の騎士階級を気取っている連中は、頭カチカチなのが多いのです。なんだかイエス・ノーの間にあるグレーゾーンの割合が乏しく、任務とか忠誠とかいう言葉が大好きで、一緒にいると疲れてしまうのです。
素直に過失を認めたのはいいとして、妙に項垂れる様子は、過失や失敗を含めた挫折の経験があまり感じ取れない、漂白された育ちの良さを感じさせて、ブルさんの目には、はじめて叱られた子供が並んでいるように見えました。
通常任務や、あらかじめ伝えられているものについては、きっと優秀に動けるのでしょうが、こんな非常事態を前にしては、正直少し心許ない感じがします。
そう思いながらもブルさんは、急ぎこの場の指針を定めるべく、穏やかな声で話しはじめました。
「レンジャーに連絡したのは俺ですから、まずは俺が仕切らせてもらいますね。とにかくレンジャーのみなさんも顔あげてください。ショックも栄誉もあるでしょうがまずは任務でしょう?」
口調はおどけていますが、顔はまじめきっていました。
トレードマークのサングラスをはずした、大きな体に似合わないつぶらな瞳でレンジャーに鋭い視線を送っています。
うんうんとうなずきながらブルさんに目を向けたネネコおばあちゃんは、その鋭くもつぶらな瞳の、さらに上の方に視線を留めました。
「ファンク・ブル。その頭はどうしたんだい?」
「頭がどうかしましたか?」
ブルさんが頭に手をやると、髪を掻き分けながら「なんじゃこりゃ」と愕然とした声でつぶやきます。
さっきまでブルさんの髪型は、ビッグマムのイカヅチを間接的に受けたせいで縮れてしまい、もっこりしたアフロヘアになっていましたが、今はぐりぐりしたパンチパーマのようになっていたのです。
ブルさんは震えながら、がっくりと肩を落としました。目の前に並んだレンジャーたちよりよほど落ち込んでいるように見えます。うなだれながら「ワイフに殺される・・・」と、ボソリとこぼしました。
「いやその・・マムの雷撃の余波を何発か食らいまして・・おそらくその時に・・」
少しでも元に戻そうとしているように、両手でいろんな方向に髪をひっぱりながら小さな声でいいます。
その様子にレンジャーの人たちもようやく一息ついたようで、互いに顔を見合わせると、少しリラックスした顔を上げました。
ブルさんは髪のことは一旦諦め、ネネコおばあちゃんに顔を向けます。
「まずは、グランマ。今カッパの衆はスライムを押さえつけているように見えますが、このままなんとかなりそうですかね?」
ネネコおばあちゃんは、ほんのりと微笑みました。
「さっぱりわからないね。なにしろ規模も密度も今までとは違いすぎるんだよ。普通は淵が濁って、それが段々スライムの形に凝ってくるんだ。大きさだってせいぜいこの島くらいなもんさね。だけど今回はいきなりスライムに変わっちまった。淵の底が裂けていっぺんに穢れが噴き出しちまったんだろうね」
グンデルさんが、きつく眉根を寄せました。
「我々の責任です、ネネコさま。ファンク・ブル殿の要請を受けてこの場に赴きましたが、突然巨大な水グモに襲われたため『浄の紋章』を淵に打ち込んだのです、それを合図にしたように、やはり突然、デデ・スライムが湧きはじめました。迅速に対応したつもりでしたが、紋章を打ち込むごとに凄まじい勢いで増殖していきました。恥ずべきことですが、対応を誤ってしまったようです」
「ふむ。他の妖魔はどうだか知らないけど、スライムの浄化は押し付けていうこと聞かせるもんじゃないからねえ。受け入れて開放してやるもんなんだよ・・だけどマムが止めていたようだったがねえ?」
ネネコおばあちゃんは、隠れ里を出た途端に聞こえてきたマムの声を思い出して、不思議そうにいいました。
「はい。そのようですね・・。ですが我々の装備は特殊な加工が施されておりまして・・」
そういうと、腕に抱えていた兜をスッと前に差し出しました。
「魔法を使う際の思念を、隊全体で同期させるため、特定の思念周波しか送受信できないようになっているのです。他の思念周波は全て閉ざしてしまうためビッグ・マムの声を聞くことができなかったのです」
「ほお~、それじゃ仕方ないね。しかし今どきはそんな装備も作れるのかい? そりゃたいしたもんだ」
「はい。呪いの歌も跳ね返すので重宝していますが・・今回はそれが裏目に出たようです・・まさか神の声を聞き漏らすことになるなどとは・・・」
「俺はマムに乗せてもらってそちらに急いだんですがね。水グモはぞろぞろ絡みついてくるし、閃光弾は底ついちまうしで相当慌てました。でも、太鼓のおかげでやっと気づいてもらえたんですよ」
「なるほどねえ。・・・そういえばマムはどうなったんだい?」
ネネコおばあちゃんは、ハッとしてブルさんに訊ねました。
「淵の底をふさぎに向かわれました。これ以上スライムが湧くとミズーミ湖に流れ出してしまうんだそうです」
「そうかい。確かにふさいじまわないと、もっと妖魔を呼び寄せるだろうしねえ・・」
レンジャーの人たちは、また目を伏せて悲痛な面持ちになっていましたが、ネネコおばあちゃんは、のんびりとした口調で言いました。
「そう落ち込むもんじゃないよ。底が裂けたっていっても、元々裂けるところへ、たまたまあんたたちの攻撃が当たっちまったってだけだろう? そう思うけどねあたしは」
それを聞いてようやくレンジャーの人たちも少し表情が和らぎました。
「それにね、こういう時にきてくれたあんたたちもこのファンク・ブルと同じように精霊が使わしたに違いないのさ。精霊の助けになることが叶うなら、精霊も必ずあたしらを守ってくれる。だから任務だろうがその場の勢いだろうがどうだっていいのさ。この場にいるってことがすごいことなんだ」
そういって、ゆっくりレンジャーたちの目を覗き込みます。
「大事なのは、この状況をなんとかすることよりも、それぞれが今この場にいることを受け入れて、それを是とすることさ。今の自分に笑いかけることができるかどうかってことなんだ」
キョトンとする人もあれば、嬉しいそうにうなずく人もありました。
「だからあたしも今の自分に正直に笑ってやりたい。ガムラン隊長はじめレンジャーの衆。どうかあたしたちに手を貸してはもらえまいか」
ネネコおばあちゃんはあぐらをかいたまま、ぺこりと頭を下げました。
ガムラン隊長と呼ばれたグンデルさんも、他のレンジャーの人たちも、どこまで理解できているのかわかりませんが、頭で理解する何かよりも、ハートで受け取る大事なものを手渡されたように、誇らしげに立ち上がると六人同じタイミングで、びしっと敬礼しました。
「全てを賭してミズーミの安寧を守るのが我々の使命です。人生を賭けてミズーミの汚染を食い止める誇り高きカッパ族の族長ネネコさま。どうぞ我らをお使いください!」
ガムラン隊長がスッと右ひざを上げると、ザン!という音とともに全員が右足で地面を踏みしめました。
―― みんなすごいキラキラした顔になってるYo!
ブルさんは正直少しだけ引きましたが、顔には出さず状況確認に励むことにしました。
「ガムラン隊長。お伺いしたいのですが、さらに人手を増やすことは可能でしょうか?」
なんだか肌つやまでよくなったようなガムラン隊長が、ブルさんに向き直ります。
「もちろんです、ファンク・ブル殿。というより、増援はもうすでにこちらに向かっているはずです」
「え?」
「本隊には天耳通がおります。定期的に状況確認している故、我々の夜間用騎鳥共々、間もなく到着するでしょう」
ブルさんは内心、舌を巻きました。
騎士といっしょに何かをするのははじめてでしたが、先入観で侮っていた部分を反省しました。
ちなみに騎鳥というのは、人を乗せて飛ぶ大きな鳥のことです。
さっきまでレンジャーたちはハトの騎鳥に乗っていましたが、夜目が利かないハトたちを、日が暮れるギリギリの段階で島へ降ろすことができました。今は島の反対側に待機させてあります。
ガムラン隊長にお礼を言うと、今度はネネコおばあちゃんに向き合いました。
「グランマ。気になることがあるのですか・・今は聞こえていませんが、淵のスライムは『うめく』のでしょうか?」
ブルさんの質問にネネコおばあちゃんは不思議そうな顔をしました。
「デデ・スライムは『うめく』もんだろう? 他は違うのかい?」
「はい。アナでもそれ以外のところでもスライムが『うめく』だなんて見たことも聞いたこともありません」
ブルさんはレンジャーに目をやりました。
「みなさんはスライムが『うめく』なんてことご存知でしたか?」
その問いかけに皆、首をかしげたり、眉を寄せたりして返します。
「ファンク・ブル殿。それが今の状況と関係があるのだろうか?」
ガムラン隊長がいぶかしげに問うてきました。
ブルさんは、少しの間難しい顔をしていましたが。
「『うめき』というのは簡単にいうと精神攻撃の一種です。これはみなさんごぞんじでしょうが・・。『うめき』を聞くと、まれに体調を崩したり、精神的に不安定になったり、或いはその両方に悪影響を受ける場合もあります。ですがまあ、それで死ぬほどのことは、ほぼありえません」
レンジャーの人たちは真剣な顔で聞いています。
「まあ、そんなものを使ってくるのは、低級のアンデッドや死霊くらいのものです。意図して使っているのかも不明ですがね」
ネネコおばあちゃんは「へえ」という顔でなにやら楽しそうでした。
「どんな攻撃にも『質と量』という二つの側面が存在します。そこからの憶測ですが・・この量のスライムが一斉に『うめき』をはじめたら、それは『死の歌』にも匹敵する威力になるのではないでしょうか?」
「・・・・・・」
みなが黙り込みました。
精神攻撃と一口にいっても多種多様なものが存在します。
こそこそ悪口を言ったり、嫌がらせをしたりするのも立派に精神攻撃と分類されますが、そんな低級レベルから始まる精神攻撃から、精神崩壊を引き起こす「呪いの歌」。体を乗っ取られたりする「奴隷の歌」などさまざまあります。
そして「死の歌」とは、耳にしただけで死に至らしめられる攻撃なのです。
毒ガスなどより、よほど防御が難しいのです。
「なのでみなさん。まず結界を張ることから検討しましょう。なにしろ今、我々はデデ・スライムに完全に囲まれている状況なのですから」




